【都会の騒音を離れて心身のリフレッシュ】
 私たち現代人は巷(ちまた)に渦巻く、都会の騒音から脱出しなければなりません。都会とは、掃き溜めの縮図です。
 こうした縮図を山頂から見下ろせば、淀んだ世界であり、下界の喧騒(けんそう)に心身が掻き乱されていては、本当の自分を見詰め直し、静寂(せいじゃく)な、心の佇(たたずま)いは求める事が出来ません。

 一方、都会には、「都会病」という病気があり、繁華な土地に起る怪奇現象があります。そして此処にこそ、都会特有の環境や生活の悪条件によって起る健康障害が横たわっています。

 下界と言う俗界の「街」には、人口が密集し、車の騒音や、カラオケ・スタジオから流れ来るロック調の雑音で、心は大変な悲鳴を上げています。本来、人間の心は、静寂を求めるものなのです。深閑とした虚空こくう/一切の事物を包容してその存在を妨げない空間)の佇いを求めるものなのです。したがって、金属的な雑音で満たされていてはなりません。

山頂から山並みを見れば、自己と世界の境目が消え、自分が大自然と一つになっている事が分かる。無形で、無相で、一切万有を包括する真如が此処にある。

 また、喧騒(けんそう)たるこれらの違和感を感じる物音は、単に音だけに止まらず、車の排気ガス、光化学スモッグ、喫煙者のタバコの煙り、肉常食者から発散される体臭の異様な匂いと獣的な匂い。こうした様々な、命と魂を害する有害物質から、解放されなければなりません。

 しかし、現代人の頭上にのしかかる精神的有害物質は、精神活動を妨げる垣根となって、雑音や悪臭の中に閉じ込められ、あるいは現代特有の理不尽な暴力と、無作法とに苦しめられ、「現代」という下界現象の縮図を作り出しているのです。此処が物質的に偏った科学万能主義の恐ろしいところです。

 私たち現代人は、心身をリフレッシュさせる為に、一旦こうした縮図の中から解脱し、解放され、自分を正しく見つめ直す、新たな境地を探索しなければなりません。
 こうした意味で、福智山ハイクは、私たち現代人を、最も正常な形で、無理ない形で、自然の中の人となることを可能にさせる試みであると自負しています。
 「失われた野性」を取り戻し、その中の人となってみませんか。



【動く禅としての福智山ハイク】
 山行とは、大自然の中の登山を通じて、はじめて出会う自己を発見する事です。私たち人間は、未(いま)だ出会った事もない、「もう一人の自分」が心の裡側(うちがわ)に鎮座しています。この、もう一人に自分に出会い、改めで、「自分とは何か」ということを見つめ直す事が、私たちの人生の課題の一つに組み込まれています。

 自分とは何か。
 それは新たなる自分を発見し、見詰め直す行為です。人間には六つの「六根(ろっこん)」があり、それが福徳によって清らかになると言われます。山参りの行者や、寒(かん)参りする者などの唱える語に「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」というものがあります。この教えは、六根が清らかになる事により、福利が得られるとされています。

夕陽を見ながら家路に急ぐ、山々の美しい景観。

 一方、六根を穢(けが)せば罪障が顕(あら)われ、種々の不幸現象を齎(もたら)しますから、懺悔(ざんげ)しなければなりません。この懺悔のことを、「六根懺悔」といいます。懺悔する事により、六根の罪障(ざいしょう)が消滅して、無礙(むげ)自在となり、種々の不幸現象から解放されて、「自分」は新たに生き返るのです。死に懸っていた自己の魂は、新たな生を得て、不死鳥のように再生するのです。

 下界の縮図の中で瞑想をして、一箇所に止まるのではなく、動いて、その動きの中で、自分自身を見詰め直すのです。これが「動く禅」の所以です。ここに本当の「自分とは何か」という、人生のもう一つの課題がある事に、「動く禅」を通じて気付かされるのです。



【森林浴の効用】
 福知山系には様々な自然林があり、杉や檜の植林地や山頂付近には熊笹(くまざさ)やススキといった植物が生え揃い、まさに自然の宝庫です。こうした天然の植物から、私たち動物は様々な恩恵を受け、生きているのですが、自然から隔離されてしまった現代人は、植物から、「大自然の気」を貰(もらう)うという循環が出来なくなっています。

熊笹

 その為に、人間に備わった太古からの「気の回路」は、閉ざされたままになり、錆(さ)び付いた状態になっています。こうした点が、現代人を大自然から隔離させ、その生命の根本を危うくさせているのです。

人間は樹木と気の交流を図り、対話を通じて、心身をリフレッシュさせる事が出来る。

 私たちは、本来大自然の中に生まれ、元々そこの大地の住人であったはずです。こうした忘れかけてしまっている、心を取り戻す為にも、福智山ハイクは、私たち現代人に、人間は自然と共にある本当の姿を教えてくれます。

 樹木との対話で、人は自然と気を交流させる事が出来ます。それは樹木と一体化し、相性(あいしょう)のいい樹木と出会うことから始まります。
 樹木の持つ気は、人の心を和らげます。また、森林の中を散策するだけでも、心や躰(からだ)の疲れを癒(いや)し、明日への活力を与えてくれるものです。

 これは一般的な運動会などのレクリエーションをしたり、ローンで外国旅行をした時のものとは違います。レクリエーションと称して、町内対抗の運動会や、小学校の運動会に参加して、果たして精神的・肉体的な疲れを取り除く事が出来るでしょうか。

 また連休などを通じ、大ローンをし、海外にツアー旅行したとして、旅行後は借金が残るだけで、旅行と云う娯楽を通じて、十分に休暇が楽しめたと言えるでしょうか。
 気ぜわしい、スケジュールの旅行時間に追われ、添乗員から急ぐように云われる分刻みの海外旅行は、やたら疲れるばかりで、何処をどう見たのかも分からず、その後、跳ね返って来るのはローンの残高を示す借金だけです。借金で旅行することは、全く健全とは云われません。

 果たして、こうした旅行後に、明日への活力と気力を再生してくれるのでしょうか。ただ外国の土地やその国の「人いきれ」に当てられ、異民族同士の躰(からだ)の熱気や体臭が立ち込める中で、精神的・肉体的リフレッシュ条件が整い、再生された自分が出現するでしょうか。ただ、身も心も疲れるだけではありませんか。

 こうした旅行で金銭を掛けなくても、日本の自然は、私たちの訪れるのを待っています。樹木たちは、私たちの訪れを首を長くして、気の交流を待ち構えているのです。

人間はもともと大自然の中の住人だった。そして樹木の対話を通じて、気分をさわやかに一新することが出来た。

 そして、生命力溢れる、自分と相性のいい樹木に出会ったら、樹木の「気場」の中で、対話し、一体化する想念を抱くことです。こうする事により、新鮮な精気が体内を一巡し、心身がリフレッシュされる実感が生まれています。

 こうして相性のいい樹木と出会い、樹木の「気場」となることが出来たら、幹に近寄り、掌(てのひら)を翳(かざ)して、樹木と気による交流を図ります。
 更に、両掌を幹に触れ、樹木と一体化する想念を持ち、自然の精気の充(み)ちた場で、自らの気を練り、自然と一つになることを通じて、歓喜(かんき)に充(み)ちた喜びを感じ取ります。

 気を感じて行くとは、心と身体が溶け合い、人と人が融和し、自己と世界の境目が消えて行き、頑固な自己の殻(から)に固執する垣根が取り払われ、自他離別の想念が消滅し、自他同根の想念が浮上し、宇宙や大自然と一つになることに他なりません。
 これが自然や環境との間に感じられる、樹木を通じての「気の交流」であり、福智山はこうした自然林が多くあります。私たちの来訪を待っているのです。



【登山の出発点は鱒淵ダム福智山登山口】
 「洗心錬成会」では、鱒淵ダムコースの自然歩道経由で、福智山ハイクが開始しされます。
 福智山ハイクの行程時間は、鱒淵ダム堤防入口から福智山登山口まで約30分。登山口かたホッテ谷別れまで約60分。ホッテ谷別れから烏落まで45分。烏落からタヌキ水まで12分。タヌキ水から福智山山頂まで10分。

 また、タヌキ水の直ぐ近くに避難小屋『荒宿荘(こうしゅくそう)』があります。
 この小屋は「筑豊山の会」の小屋ですが、一般登山者にも自由に使えるよう、開放されています。
 この避難小屋は、昭和42年冬の北アルプス剣岳で遭難された、メンバーの荒木さんと宿利さんの冥福を祈って建てられたもので、二人の頭文字をとって「荒・宿」荘と名づけられたそうです。ハイカーの方は、此処を大切に使いましょう。また、避難小屋の中には神棚が祀られ、山々に大自然の八百万の神が居る事を髣髴(ほうふつ)とさせます。

 鱒淵ダム下の標高は、既に海抜との差が100メートルですから、ここから山頂まで800メートルを登ることになります。
 ハイクとしては、山頂までの途中、岩や石がゴロゴロしているので、登るのに多少難儀し、ある程度のハードな山行になる覚悟がいります。しかし、これも最初だけです。回数を重ねることに、この一見ハードに思える山行が、何ヵ月も登らずにいると、逆に恋しくなります。それだけ、この山は私たちを惹(ひ)き付けて離さないのです。

福智山への入り口では「赤い吊橋」が登山者を迎えてくれる。

 まず登頂の開始は、ダムの堰堤(えんてい)沿いを歩き、「赤い吊橋」を渡ります。湖畔に沿って歩きますと、やがて登山口が見えて来ます。左手に沢を見ながら樹林の道を歩きますと、水流や土砂を堰(せき)止める為に築いた堤防の小さな堰堤(えんてい)に出合います。更に進むとベンチのある木橋を渡ります。ここから本格的な登りの始まりです。

福知山登山口に立てられた福智山系の周辺地図。

 直線コースを目指して、一気に山頂に向かう場合は、ホッテ谷の分岐を見送り、急登を頑張って下さい。途中はかなりハードですが、この間、樹林帯を抜けると左手上方に鈴ガ岩屋が見えて来ます。そして、福智平まで来ると、目前に雄大な福智山が迫って来ます。

 また、烏落から迂回するコースをとり、避難小屋経由で登ると、その間の山行きは多少寛(ゆる)やかになり、初心者でも楽に登る事が出来ます。ただし、避難小屋から山頂までの標高約50メートルほどが急勾配なので、初心者には中々骨の折れる登山です。

福智山の避難小屋付近にある九州自然歩道の案内板。

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●洗心錬成会の福知山ハイクのお薦めコース

 鱒淵ダム→赤い吊橋→登山口→鈴ガ岩屋下→福智山→烏落→豊前越→山瀬分れ→七重ノ滝→登山口→鱒淵ダムの順で、ハイクタイムは約5時間です。
 また七重ノ滝は、夏なら涼しくて見応えがあります。

滝行をする「洗心錬成会」のメンバー。(写真は菅生の滝のもの)

 「洗心錬成会」では、夏場は此処で「滝行」をします。滝に打たれる為に、裸にならなければならず、裸になる事により、「空気浴」ができます。また、滝の水は、水が落ちる落差により、マイナス・イオンを発生させますから、こうした水に身体を打たせることは、血行を良くし、毛細血管の回路を開く為に大きな効用があります。
 ただし、滝行は正しい指導者について学ばないと、その後に精神に変調を来しますので要注意です。



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