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囲炉裏を囲み、煮物などの調理を行い、これを気のあった仲間で食べ、冬の夜咄(よばなし)を語り明かす。そんなノスタルジーな雰囲気の中に、かつては「夜咄の茶事」などが催された。
 ちなみに「夜咄の茶事」というのは、午後6時頃から催す「茶の会」のことで、夜話茶会ともいわれ、茶事七式の一つにも数えられた。こうした夜話の中に、日本人の郷愁が、今でも残り続けているのではないだろうか。


●囲炉裏のある生活

 室内で火を起し、その火が齎(もたら)す健康への効用は、単に便利で快適な室内のエアコンなどとは大きく違っているところがあります。
 ます、炭火から放出される、その火の柔らかさです。遠赤外線を発生させる炭火は、これを見ているだけでも、心を和(なご)ませるものです。

囲炉裏のある日常。
天井の換気と柔らかな照明。

 豊かさを求める余り多くの現代人は、快適で便利な生活が豊かさの象徴であるかのような錯覚を抱いて、今日に至っています。ところが、「便利」で「快適」でという豊かさの中には、一種の落とし穴が存在していました。

 それは「便利」で「快適」で、ということを追求する物質的な豊かさは、実は地球の大切な資源を早々と枯渇(こかつ)させる元凶と背中合わせだったのです。また、この元凶は病気の発症と無関係ではありませんでした。今日の日常生活の物質的な皺寄せは、またその反映として、「病気」という形を変えたもので跳(は)ね返ってきているのです。

 特に現代を象徴している病気をが、日常生活に深くかかわりを持つ慢性病ではないでしょうか。
 そして、食の欧米化や生活様式の欧米化が、私たち日本人に様々な弊害(へいがい)を齎(もたら)しています。
 したがって、安易に物質的な豊かさだけを追い求めるのでなく、もう一度、古来よりの日本人の精神文化にも振り返り、そこに焦点を当てて考え直す必要があるのではないでしょうか。

 安易に、豊で便利で快適な物質的面ばかりを追求するのでなく、古き良き時代の日本に帰る意義が、此処にあるように思われます。



●地球温暖化の問題について大ウソ

 昨今は地球温暖化が問題にされていますが、この温暖化の原因を「温室効果ガス」にその原因を求めているようです。学者筋では、温室効果ガスにその元凶を求め、二酸化炭素、フロン、メタン、亜酸化窒素などを犯人としているようです。しかし、果たして地球温暖化の元凶は事実なのでしょうか。

 本来、地球というものは、太陽光で暖められ、宇宙の彼方へ赤外線の形で熱を排出する機能を持っているので、実際には温度が上がってしまうと言う現象は起こらないはずなのです。
 大気中には赤外線を吸収する気体である「温室効果ガス」が存在し、宇宙にこの熱を放出するのです。ところが、宇宙に放出するはずの熱を、二酸化炭素の増加により、温室効果ガスが増え続け、地球温暖化に歯止めが効かなくなったとする説が有力になり、全世界は温暖化の方向に向かっていると言うのです。

 そして、今以上に温暖化が進めば、森林の破壊や野性生物の絶滅が予測され、農作物の不作や漁獲量の減少が起こり、食糧危機が訪れると言われています。また、日本に於いては、夏場の30度を超す暑い日が増え続けると言われます。海洋の海水が暖められ、海面が上昇し、更にはその悪影響により、台風が大型化し、それが頻繁(ひんぱん)に発生すると言うのです。
 あるいは降雨量に変化が生じ、雨が多く降る地域や、降らない地域の格差が極端に激しくなり、大水害や大旱魃(だいかんばつ)が発生すると言うのです。また、その為に衛生状態が兇(わる)くなり、熱帯地方の伝染病が、北半球の温帯地方にも蔓延(まんえん)し、この地域にも伝染病が大流行すると言うのです。

 更に温暖化が進むと、暑い日が続き、こうした結果から、エアコンなどの冷房や冷蔵庫の使用が多くなり、電力の需要が高まって、電力不足が生じると言うのです。だからこうした炭酸ガスによる地球温暖化を防ぐ為には、二酸化炭素の排出量を少なめにすると同時に、環境問題に対して、クリーンな電力エネルギーである原子力発電所の増設が必要であると言うのです。

 しかし、こうした「炭酸ガスによる地球温暖化説」には、何処か政治絡みの、温暖化をアピールする原子力産業の画策が感じられてなりません。

 環境問題には、リサイクルとかゴミ問題が絡み、次に安全な食品といった人間の生活に直接に関わる個別の問題とは別に、熱帯雨林の消失、大地の砂漠化、そして地球温暖化などのグローバルな地球規模の問題が、意図的に関連づけられて、現代人に多くの関心を集めています。そして「グローバル」という言葉を用いると、そこには「人を騙(だま)す」のに、一番いい構造と画策が感じ取れます。

 いま、現代人が直面している「地球温暖化問題」は、その背後に「風が吹けば桶屋が儲(もう)かる」式の構図が隠されており、「炭酸ガス問題によって、地球が深刻な状態に陥っている」という、原子力産業の画策が隠されている事に気付きます。

 では、「地球温暖化説」を一体誰が言い出したのでしょうか。
 この仮説の言い出しっぺは、NASA(アメリカ航空宇宙局)の研究者だったハンセンという一人の研究者でした。そして、この「地球温暖化説」に、直ちに同調したのがフランスでした。

 フランスはこれまで地球温暖化説など、掲げた事は一度もありませんでした。更には、フランスは、環境問題に対しては非常に冷酷な態度を取り続けた国でした。
 ところが原子力産業の斜陽化に対し、地球温暖化説に便乗し、環境問題を利用して、傾き始めていた原子力産業をバックアップする政策に転じたのです。

 つまり、地球温暖化の背景には、「原子力発電は炭酸ガスを出さないクリーンなエネルギー」という、人類へのアピールがあるのです。
 一方、石油による火力発電は、炭酸ガスを排出し地球環境を悪化させる。したがって、クリーンなエネルギーである原子力発電の方が環境には優しいのだという、原子力発電の優位のアピールをし、更に「石油が枯渇(こかつ)する恐れがあるから原子力が必要だ」という戦略を打出したわけです。

 物質文明を追い求めると言う物質偏重思考は、次々に物質的豊かさを追い求める文明ですから、より豊かに、より便利に、より快適にと言うことが、その文明を支える基本となります。同時にこれは、個人の欲求であると倶(とも)に、企業や国家の欲求でもあるのです。

 1990年代当初、世界の地球問題は「地球の寒冷化説」に偏(かたよ)っていたのです。ところが地球の温暖化を問題にする人達は、「炭酸ガスが産業革命当初に比べて、2割以上も増えている」と言うのです。その一方で、その事が今日どのような影響を与えているか、全く議論がなされていないのです。炭酸ガスの2割増し状態が起こった事で、どう言う事が起こったか、これを検証しないまま、炭酸ガスと地球温暖化説だけを結び付けて議論しているのです。この誘導的な働きは、果たして地球温暖化説が、科学の上に成り立っている学説か、非常に疑問なところです。

 1990年代当初、世の多くの気象学者は「地球寒冷化説」を立て、この事について研究していたのです。その頃、地球の炭酸ガスはとっくに2割以上を越えていたのです。既にこの頃、産業革命によって齎(もたら)された炭酸ガスの2割増し状態を越えていたのです。そしてこの当時の定説は、「いま、一時的には地球が温暖化の方向に動いているように見えるけれども、これは一時的な現象であって、今後は確実に寒冷化の方向に向かっていく」と、私たちを脅(おど)していたのです。
 だから「原子力推進派」は、原子力発電が必要であると盛んにアピールしていたのです。
 それがいきなり「地球温暖化説」に急変したのは、如何なる理由からでしょうか。

 この時、多くの地球の住民たちは、「地球寒冷化説」が、「地球温暖化説」に急変したのは、「何か新しい発見があったのではないか」という錯覚を抱いてしまったのです。ところが、大気中の炭酸ガスは増加して、温暖化するという説は、何も新たな学説ではないのです。それなのに今日の気象学者が、異口同音にして「地球温暖化説」を支持するようになったのは、そう言わないと研究費が貰えないシステムに、国の研究機関が出来上がっているからです。

 また、「地球寒冷化説」では、テレビや新聞にも取り上げてくれないし、マスコミの注目も、気象学者の方には向きません。そこで、「研究費が貰えない」という理由と、「マスコミが気象学者に注目をしてくれない」という二つの理由から、今度は寒冷化説を捨てて、温暖化説に恥も外聞もなく、学者の良心に露程の痛みも感じず、恥知らずにも、温暖仮説を支持する側に廻ったのです。

 こうした事から、地球環境問題は「地球サミット」のようなものを幾ら開催しても、この問題はそう簡単には解決できない仕組みになっているのです。
 「地球」とか、「グローバル」とか、「国際化」などというと、あたかもその形容詞が、政治的な政策の上に立っている事が分かります。こうした形容詞は、地球の住民たちを騙(だま)すのに最も手ごろで、便利な言葉であるからです。これは政治家の、与野党議員を問わず、「デモクラシー」とか、「民主主義」を標榜(ひょうぼう)していれば、国民は簡単に騙すことができて、票が獲得できる構造と全く同じ理屈なのです。

 この理屈により、地球の住民たちは「温暖化すると海面が上昇する」というウソを、何の疑いもなく信じてしまったのです。その裏に、原子力産業の思惑がある事も知らずに。
 その上、原子力発電が炭酸ガスを出さないと言うウソまで、簡単に信じてしまったのです。

 原子力推進派の言によれば、「発電所の中では石油をあまり燃やしてないから、炭酸ガスは出ない」と嘯(うそぶ)きます。ところが、発電所を建設したり、ウラン鉱を採掘したり、ウランを燃料に加工する時には大量の石油を遣(つか)い、大量の炭酸ガスが放出されます。これを考えると、原子力発電は火力発電以上に多くの石油を遣う事になり、原子力発電が「炭酸ガスを出さない」という発言は、最初から地球の住人たちを騙している事になるのです。

 更に問題点を探究すれば、「炭酸ガスが増えると、地球は温暖化する」という仮説を、よく吟味しなければなりません。
 多くの気象学者は、「地球が温暖化すると、南極の氷が溶けて海面が上昇する」という仮説を支持しているようです。これは果たして正しいのでしょうか。

 一般的に考えれば、地球が温暖化し、温度が上昇すれば、氷が溶けるのは当たり前のような気がします。しかし、盲点は「当たり前」と錯覚し易いことから、人を騙す死角が隠れていると言えます。

 勿論(もちろん)、地球が温暖化すれば、南極大陸の緑の部分の氷は溶けるのですが、何十度も気温が上がるわけではありませんから、南極大陸の大部分が氷点下であることには変りありません。このことは、そんなに多くは溶けない、また海面が極端に上昇するほど溶けないという事を顕(あら)わしています。

 更に地球が温暖化すると、大気中の水蒸気が益々増え、それが南極大陸に流れ込んでいきます。そして、この水蒸気がどんどん氷になって、南極大陸に降り積もっていきます。これは結論から言うと、南極大陸の緑の部分の氷が溶ける分だけ、中心部の氷が増えると言う状態になって、結果的にはプラス・マイナス=ゼロとなり、何も変らないのです。
 むしろ警戒すべき事は、地球の温暖化説で海面上昇を警戒する事より、「異常気象」を警戒しなければなりません。

 一方、地球の温暖化により、南極大陸の氷が溶けることより、温暖化によって、南極の氷は増加していると言う最近の報告があります。したがって、「温暖化」によって、海面が上昇すると言うのは、全くのウソなのです。
 つまり「地球温暖化説」は、いま徐々に化けの皮が剥(は)がされているのです。

 そこで「地球温暖化説」を支持する気象学者達は、「海水の温度が上がると、海水が膨張して体積が増える」という、また訝(おか)しな仮説を持ち出してきたわけです。
 これも中学の理科程度の学力があれば直ぐに分かる事ですが、「海水温度が上がると、膨張するよりは先に蒸発してしまう」のです。蒸発すれば、海水の温度は下がる事くらい中学生でも知っています。
 それに海水の膨張率は小さいので、もし海水の膨張により海面域が上がったとしても、それは僅かに10cm程度に過ぎないのです。つまり、海面というのは、海水が膨張して海面が上がるほど、困った状態は起きないのです。

 こうした仮説が、国家筋や権威筋で、さも事実のように語られ、それに各国の国民を巻き込んで、地球温暖化問題に同意を得ようとしているのは、科学的根拠があっての事でなく、これに政治問題が絡み付いているからです。

 この背後の画策を解読すれば、「石油が枯渇するから原子力が必要だ」という資源枯渇問題に絡ませて、こうした環境問題を利用して、原子力発電の優位性をアピールする政治的な画策が潜んでいる事が窺(うかが)われます。則ち、政治的な画策の裏には「原子力推進派」の原子力産業の思惑が隠れていて、これを奨励するために、「地球温暖化仮説」が巧妙に利用され、世界中の多くの人々は、これにまんまと騙されているのです。

 よく、「加工されたニュース映像」で、氷河が溶ける映像が流されますが、「氷河が溶ける現象」は、自然の周期的な現象であり、人間が齎したとされる「温暖化」とは無関係なのです。
 「氷河の溶ける現象」は、自然の周期的なサイクルであり、「温暖化」というよりは、「異常気象」によるもので、人間がつくり出している生活反応の温暖化現象とは、殆ど関係がありません。但し、今後の「排ガス規制」などは、今後とも厳重に行うべきでありましょうが。

 それよりも、むしろ、「地球温暖化」を持ち出して、今日の石油エネルギーから、原子力エネルギーに転換させようと云う、政治的な目論見の方を、最も警戒しなければなりません。

 バイオエネルギーが、近未来のエネルギーのように、多くの報道機関が宣伝していますが、これはトウモロコシや小麦などの穀物相場を混乱に陥れただけでした。また、このバイオエネルギーの宣伝の裏には、原子力エネルギー推進派の思惑が隠れていて、世界中の多くの人々は、局面的な氷河が溶ける映像を見せられて、「今でも急速に、加速度的に温暖化が進み、それが氷河を溶かしている」と信じ込まされ、騙されているのです。
 人類が発見したエネルギーの中で、石油エネルギー以上に、効率のいいエネルギーは、まだ残念ながら発見されていないのです。



●鉄瓶の効用

 私たち現代人は、便利で、快適な、物質的な豊かさだけを求めるのでなく、手間や暇を懸(か)ける、古き良き時代の、日本人の智慧(ちえ)に眼を向ける必要があります。安易に物質的な豊さばかりを追随するのでなく、日本人が、これまで囲炉裏の世界で、巧みに火を操ってきた智慧に回帰する必要があります。

 さて、炭火を利用して、鉄瓶(てつびん)で沸かしたお湯は、ガスや電気で沸かしたお湯とは一味も二味も違うようです。
 特に南部鉄瓶(なんぶてつびん)は、江戸時代以来、盛岡地方から産出する鉄によって鉄瓶が生産されてきました。そして古来より、優良のものとして賞用されてきたのです。

 その理由は何といっても、鉄瓶と熱との相性が非常によく、更に鉄瓶で沸かしたお湯は冷め難く、驚くほどの甘味で、まろやかな味がするのです。それは水の成分の中に含まれる様々な物質が、鉄瓶の内部で除去されるからだと考えられています。
 特にカルキ分(石灰成分)が除去されます。そして、鉄瓶の最大の効用は、身体に吸収され易い鉄分である二価鉄が含まれている為、貧血の予防や治療に効果があると言われています。

鉄瓶で湧かすお湯
鉄瓶で湧かした茶の湯

 鉄瓶の上手な遣い方としては、使用する前に8分目ほど水を入れ、これに使い古しのお茶の葉(もちろん新しい茶の葉でも構わない)を入れて、8分目の水が三分の一程度になるまで煮詰めます。そうするとタンニン鉄の黒い被膜が出来て、錆(さび)を防ぐ事ができるのです。
 これはかつて、刀の中心(なかご)を、程よい色に錆らせ、黒錆に変え、赤錆などの錆分をそれ以上深くしない為に、刀剣専門家の間で用いられて来た特異な方法です。

 お茶の葉で煮詰めたその後、沸かしたお湯が無色になれば、それ以降の飲料は可能となります。熱と相性のよい鉄瓶で沸かしたお湯の甘味をお楽しみ下さい。


【鉄瓶の手入れ】
 鉄瓶で沸かしたお湯は、冷えたまま放置すると、せっかく錆び止めを施しても、再び錆はじめます。したがって、鉄瓶に残ったお湯は、残さずに使い切る事が肝心です。
 また、お湯を沸かした後、残ったお湯はポットなどに移し、鉄瓶を使用しない場合は、蓋(ふた)を取って鉄瓶内を乾燥させなければなりません。少しでも、水分が付着していると、赤錆の原因になります。更に、鉄瓶自体の劣化にも繋(つな)がります。使用後はよく乾燥させる事が大事です。

 また、鉄瓶は使い込むに従い、内部に「白い湯垢(ゆあか)」が生じますが、その間に鉄の匂いが多少感じられます。しかし、この「白い湯垢」は、洗うなどして内部に付着した湯垢を取らない事が大事です。そのままで、その後の使用が可能なのです。



●冬場の囲炉裏生活に必要な道具

 炭火を上手に操るには、その準備と火を起してからの、囲炉裏生活で大事な道具が入ります。それは木炭に火を起こす為の「火起し器」や「十能(じゅうのう)」であり、また火を起した後に用いる「火ばさみ」や「火箸」などです。

火起し器

十能
火ばさみ
火箸

 また囲炉裏の中を清掃する「囲炉裏刷毛(はけ)」や、囲炉裏の灰をならす「灰ならし」などです。

囲炉裏刷毛
灰ならし

 私たち人間や、その他の動植物などの、あらゆる生物は、元素の結合体により構成されています。炭素を中心とした物質で構成され、タンパク質や脂肪、糖分やビタミン、更にはミネラルなどで、私たち人間は生きていく上で、絶対に欠かせないのがミネラルです。
 しかし、ミネラル不足を補う季節こそ、また冬場であり、囲炉裏生活の良さが此処にあると言えます。



●冬の日の過ごし方

 木や草などの植物を燃やすと、後には灰が残りますが、燃えて無くなる部分を「有機物」と呼び、残った部分を「無機物」と呼びます。
 この現象は人間も動物も、その肉を燃やすと同じようになりますが、これは有機物に含まれる炭素が酸化し、水や二酸化炭素に変ってしまうからです。その一方で、灰として残った物質の中には、種々のミネラルの塊(かたまり)があります。

 人間の身体の成分は、酸素が約65%、炭素が約18%、水素が約10%、窒素が約3%で、この四元素が全体の殆どを占めています。その他には、カルシウムが約1.5%、リンが1%の六元素となり、トータルは約98%となります。そして、残りの約2%がミネラルと言う事になります。

 人間の躰(からだ)といううものは、一つ一つが液体で満たされていて、必要な栄養分や老廃物を運ぶ様々な仕掛けが出来上がっているのです。

 さて、今日地球上では103種類の元素が確認され、その中でも人間の躰の中で活躍しているミネラル成分の種類は、約60〜70種類と言われています。
 人間の成長や発育の為に欠かせないミネラルは、16種類ほどで、人体では体内でミネラルの合成が不可能なので、外からこれを補う事になります。

 またミネラルは、一つでも欠けてしまうと、「ミネラル欠乏症」となり、これが起因して様々な慢性病を発症させます。ミネラル欠乏症で重傷の場合には、心不全や腎不全、更には肝不全を起こし、命が危険に曝(さら)される事になります。

 大切な栄養素の根源であるミネラルの多くは、大地ばかりでなく、海洋にも広く分布しています。
 大地に含まれるミネラルは雨が降りますと、河川を経由して海へと運ばれていきます。また河川に運ばれる途中、河川流域で育てられた農作物は、同時に人間の食物として躰に吸収されていきます。しかし、このようにして人間に消費される水成分のミネラルは、河川の水量の全体から見ると余りにも少なく、大半は海洋へと流れていきます。

 海洋へ流れ込んだミネラルの中には、雨水はミネラルを含んだ地下水や、地層に含まれるミネラル分が多く含まれ、海洋ほどミネラル濃度が濃厚になっています。この為、魚介類や海藻類には、陸地以上に多くのミネラルを含んだ食品が多彩であると言えます。
 特に、海産物である小魚介や海藻、また天然塩(自然塩)には豊富なミネラルが含まれ、食品として大きな価値を持っています。

 人間本来の食性は、「穀物菜食」です。穀菜食性なら、何も魚介類を摂取しなくてもよさそうなものですが、地球誕生以来、陸地は雨に洗われ続け、陸地の土壤に含まれていたミネラル成分の多くは、海に流れ込んでしまっています。そこで必要なミネラル分を補う為に、小魚介、海藻、天然塩などが、人体に必要なミネラル源になって来るのです。

 但し、魚介の場合に気を付けなければならない事は、原則として「小魚介」であることで、「丸ごと食べられる」というものでなければなりません。何故ならば、魚介類でミネラル分の集中しているところは、魚の皮、頭、尾、鰭(ひれ)などであり、せっかくの魚介類でも、丸ごと食べられなければ意味がないのです。また、酸化する以前の、脂(あぶら)の廻り切ってない、鰯(いわし)、柳葉魚(ししゃも)、ワカサギ、小海老、小イカ、針魚(さより)、エボダイなどの小型の干し魚も適当と言えましょう。

囲炉裏での過ごし方の一つに、気の合った仲間内で囲炉裏を囲み、そこで小魚などを焼いて夜話に興じつつ、それを食べるという至幸は、また一興である。

 また、貝類には、銅や亜鉛などのミネラル成分も含まれており、こうした微量のミネラル成分は、自然治癒力の増強を大いに助けます。牡蠣(かき)、しじみ、あさりなどは、こうした微量のミネラル成分を含んでいます。
 更に、形の大小を問わず、なまこ、水母(くらげ)、ウニ、ホヤなどは生物進化の上から見て、下等な海中動物であり、然(しか)もこうした全体が均質になっているものは、バナジウムなどの微量元素を含み、体質を陽性化させる為に必要な食品であると言えましょう。

 一般に無気力になったり、神経症や鬱病(うつびょう)や統合失調症なるのは、体質が陰性化している為であり、慢性病も体質の陰性化が原因です。そして、多くの現代人は、益々陰性化の方向へと進んでいます。これを防止する為にも、小魚類の補足は必要不可欠な食品と言えましょう。

 こうしたミネラル成分を含む魚介類を、囲炉裏の炭火で焼いたり、煮たりして食べるのも、冬の日の過ごし方の一つではないでしょうか。