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●ガンは自然治癒するのではないか……

 ガンは現代の難病の一つに上げられ、未(いま)だに不治の病の域を出ていません。
 しかし一方で、現代医学とは別の所で「ガンは自然治癒するのではないか」という、難解な命題に取り組んでいる研究者がおります。
 《癒しの杜の会》ものその一つで、これまでの食事を改め、食事療法(食餌法/自然食)で治るのではないかという研究に取り組んでいます。

 医学は人間の病気を取り除き、幸福な健康体にさせてこそ、その意味があります。しかし現代医学は人体を、人間として見るのではなく、生体メカニズムとして見る為、人間軽視、人格軽視の一面があることを否定できません。その為に木だけを見て、森を見ない現実があります。

 究極の医学とは、人間に希望と勇気を与え、人格を尊厳しつつ、こうした研究がなされてこそ真の医学といえるわけで、こうした食事療法という東洋医術の成果に対して、もっと多くの医学者が謙虚に学ぶ姿勢が欲しいものです。
 現代医学は今、膨大な厚生労働省からの予算と最新式の華麗な医療設備を有し、国際的な使命を担った大勢の優秀な頭脳を有する医師群が、これら最新医療機器をもって、ガン治療の対策に日夜没頭し努力を続けています。

 ところがその原因すら究明できず、その極め手となる効果的な対策も、まだ発見されていません。
 その理由は、現代医学に一つの固定観念があり、その固定観念の最たるものがこれまでに述べてきた、「骨髄造血説」を支持する、圧倒的な医学者の多いことです。もし骨髄造血説が、人体構造を成す真理であるとするならば、人間の持つ自然治癒力は説明がつかなくなります。

 さて、末期癌患者の部屋には死の匂いが漂っています。
 特に子宮癌等はこの匂いが強く、死を待つばかりという悲惨な情況です。こうした患者に対して医師は匙(さじ)を投げ、患者の末期症状には無関心です。
 さんざん、抗癌剤や、コバルトの照射を施して征服的な治療を試み、それでも効果が期待出来なくなれば、後は知らぬ顔で見放すというのが今日のガン治療の実態です。
 これによって見放された患者は死ぬ迄の間、ガン細胞に対して、攻撃的な治療をした副作用に苦しむことになります。



●ガン・ウイルス

 日本人の死因のトップにガンが挙げられます。ガンの原因にはいろいろな説がありますが、その中の一つに「ガン・ウイルス説」があります。ガンがウイルスによって起こるということを科学的に認められるまでの長い月日を要しました。

 1911年、アメリカのF・ラウスは、鶏のガンウイルスである鶏肉腫ウイルスを発見しました。この間に約90余年ほどが流れ、現在では多くの動物のガンがウイルスによって起こるということが広く認識されるようになりました。そしてヒトのガンウイルスも発見されました。

 ヒトのガンウイルスには四種類が証明され、腎臓癌を起こすB型肝炎ウイルス、成人T細胞白血病になるATLウイルス、バーキット・リンパ腫という悪性のリンパ腫の原因になるEBウイルス、子宮頸部ガンを起こすヒトパピローマウイルスの四種類です。
 そしてヒトのガンウイルスは、人種によって各々異なる病気を起こすという興味深い報告がなされています。

 例えば、EBウイルスは、アフリカでは悪性のバーキット・リンパ腫を起こす原因になりますが、中国では上咽頭ガンを起こす原因になります。その他の人種では伝染性単核症という良性腫瘍になるくらいで、日本人の場合には、EBウイルスに感染しても何ともありません。
 そして日本人に多いのは依願であり、アメリカ人では大腸癌がトップに挙げられます。人種間のガンに違いは、生活環境と食生活の違いから起こるもので、食の誤りと血液の汚染が直接、ガンウイルスに働きかけて進行癌に至ると考えられています。



●老化とは何だろう

 繰り返しますが、「ガンは自然治癒する」ものです。
 ガン細胞はもともと正常細胞が食べ物によって変異したもので、正常細胞と分離して考える今日のガン治療は、ガン細胞を抗癌剤やコバルト照射で破壊します。この時、正常細胞も破壊の対象になり、こうした結果、現代医学はガン患者を苦しめている実態があります。

 ガンという病気は自覚症状がともないません。その為、検診を受けてガンであるということが判明した場合、既に手遅れだったということはよく聞く話です。したがってガンは、苦痛を感じることは稀(まれ)です。
 では病気なのに、何故、苦痛を感じないのでしょうか。

 《癒しの杜の会》では、ガンは一種の老化現象であるという結論に至っております。
 皆さんの想像する老化現象は、年をとってから起こる現象だと思っているかも知れませんが、老化現象とは、年齢や性別とは関係無く、正常細胞の老化によって肉体に起る様々な変化のことで、視力・聴力・記憶力などの低下することを言います。

 さて、現代医学には、老化についてのオーソドックスな「老化メカニズム」は、大別して二つの考え方があります。
 一つは「中枢性の老化促進」で、これは脳・神経系、内分泌系から、体細胞に対して何らかの働きのよってブレーキをかけるような指示が出され、これが老化を進行させるというメカニズムです。
 例えば、脳ホルモンのカテコールアミンが減少したり、神経ホルモンのセロトニンが増加する等のことが老化と考えられています。
 そしてもう一つは、「抹消性の老化促進」と言うもので、躰を構成している体細胞自体が老化していくメカニズムです。

 これは例えば、細胞内部の老廃物の収納機能が壊れることで汚染が進行して、細胞質が老化したり、細胞分裂が繰り返されるうちに一種の摩耗が生じて、細胞核が老化するというメカニズムです。
 しかし、いずれの考え方も、「躰の世界」だけの因果関係を取り上げているので、これだけでは本当の因果関係の追求にはなりません。やはり因果関係は突き詰めると、「食と血」に回帰されます。
 「年と共に消化機能が弱まる」という現象は、腸が造血器官であるということを如実に物語っています。健康と長寿の鍵は、ここにあると考えられます。

 不老長寿は整腸作用により腸内環境が好ましい状態で保たれ、質の良い血がここで造られるというところに帰着します。そして、積極的に整腸をはかる食べ物としては「発酵食品」が挙げられます。
 発酵食品とは、微生物が生きた状態で沢山含まれ、しかも人体に有益な作用を及ぼすという食品のことです。こうした発酵食品を積極的に摂取すると、腸内の乳酸菌は大いに増殖されます。乳酸菌の増殖をはかることで整腸作用が促されるのです。

 世界的な長寿郷と称されるグルジア地方(カフカス南部、カフカス山脈の南方、黒海に面する共和国)では、主に発酵乳であるヨーグルトが多く摂取されていますが、身土不二の思想から考えて私たち日本人は、発酵乳より、伝統的な発酵食品の方が好ましいことは言うまでもありません。その典型的なものが「味噌」であり「醤油」です。そして、納豆と言った大豆成分で造られた発酵食品です。
 その他には漬物や甘酒、あるいは酵素等が挙げられます。




●食と老化現象の関係

 さて、老化現象は年齢に関係なく起こります。
 年齢に無関係で老化が起こることは、例えば視力が低下して近視になったり、乱視になったり、あるいは遠視になります。こうした焦点距離の異常も一種の老化現象であり、病んだ状態であると考えられます。
 近視(myopia)とは、 眼の水晶体の焦点距離が短すぎ、あるいは網膜に至る距離が長すぎるため、遠方の物体が網膜より前方に像を結び、そのため鮮明に物を見ることができないこといいます。これは凹レンズの眼鏡によって矯正します。

 また乱視は眼の角膜その他の屈折面が、縦横の方向でその湾曲度を異にする結果、物体が歪んだり二重に見えたりすることを言い、遠視(hypermetropia)は 眼の水晶体の焦点距離が大き過ぎ、或いは網膜に至る距離が短すぎる為、近距離にある物体の像が網膜より奥に結び、その為に鮮明な像が見えない異常を言い、凸レンズの眼鏡によって矯正します。
 以上こうした場合、「メガネを掛ける」という矯正を行いますが、この処置はあくまで末端的処置に過ぎません。正確に言うならば、一種の眼病の病気の本質を解消していないということになります。

 あなたは近視、乱視、遠視等の焦点距離異常、あるいは色盲(color-blindness/色覚異常のことで先天性と後天性とがあり、先天性色覚異常は日本では男子の約5%、女子の約0.2%に発現する。一色型色覚(全色盲)・二色型色覚(部分色盲)・異常三色型色覚(色弱)に分類されるが、一色型は極めて稀で多くは非遺伝性とされる)等の色彩の弁別の異常を、先天性の親からの遺伝、先祖の遺伝であり、これらは病気でない等と考えていませんか。

 しかし《癒しの杜の会》では、遺伝も病気に一つと考え、眼病自体を老化現象として扱います。何故ならば、乳幼児や小児にメガネを掛けている人は非常に少なく、やはり十歳過ぎ頃からメガネを掛け始めます。これも一種の老化現象であることは間違いありません。

 病気には、必ず病因が存在します。それは先天的な先祖の血統から起こる遺伝的なものであるかも知れませんし、また後天的な不養生から起こるものかもしれません。
 それを原因と結果という因縁の連続性から見ると、一つの現象には原因があり、基因があり、誘因があり、遠因があります。いろいろな原因・結果が絡み合っているもので、真の原因は容易に把握できるものではありませんが、本来は自然の中に生きている古代の人間に因果関係は存在しませんでした。もともと自然とは、無因論で貫かれた、「今」の実態でした。

 人間は何故に地上に生まれ、どのようにして生きるべいか等と、考えながら生きた古代人は居ませんでした。何故ならば、生まれた瞬間から「生」を疑う術(すべ)を知らなかったからです。人生の目標を尋ね歩かなければならないほど、日々の生活は空虚なものでなく、迷う種もありませんでした。

 したがって生を知らず、死を知らず、その「知らない」ということを知っていた為に、迷いとは無縁であり、憂いとも、苦悩とも無縁でした。学問をする必要もなく、生死に迷い、道を需めて思想的偏歴を繰り返すこともありませんでした。無知無学で平凡な生活に終始する……、そして「これでよい」と思ったのが、古代の縄文人の生き方でした。これこそが「無の哲学」であり、「哲学無用の哲学」を実践していたのです。縄文時代とは、哲学無用の哲人社会を形成していたのではないかと想像できます。

 ところが、この哲人社会に怒涛(どとう)の如く攻め込んできたのが、大陸系や半島系の弥生人でした。縄文人を侵略し、悉々(ことごと)く犯し、混血を重ねたというのが日本民族のルーツです。
 歴史を経て、時代が下ると、近代には西洋文明が流れ込み、最初はその合理的な手腕に魅せられ、目を見張ったものですが、この文明は既に行き詰まりを見せ、暗礁(あんしょう)に乗り上げた観(かん)が濃厚になってきました。

 現代の難問の山積みの一つに、食生活の誤りに寄る難病・奇病が挙げられます。
 人間は生まれたとき、総ての人がある意味で平等に、その人にとって、最高の健康状態であるということができます。両親の血統を受け継いでいるので、先天的な体躯は別として、その人にとって最高の健康状態であることは、人間の胎児の細胞分裂の可能数からも窺(うかが)えます。人間の体細胞組織を取り出して、シャーレの中で組織培養を行った時の細胞分裂の可能な回数を縦軸にとり、横軸に年齢を著して、この回数を調べますと胎児は50回程度が可能であり、40歳くらいのなると35回、80歳で20回、推定120歳では0回となっています。

男の赤血球と体細胞復活回数推測表

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【男性の場合の厄年と巡り合わせ】
 男性は25歳(満24歳)・42歳(満41歳)・61歳(満60歳)が厄年であり、これを前後して、合計三年間の前厄・後厄期間があり、その頂点が数え年に当たる年齢ですが、厄の巡り合わせには、人によって多少のズレが生じるようです。
 また厄年と厄年の間隔は、男性の場合、数えで1歳から25歳迄で24年間、25歳から42歳迄で17年間、42歳から61歳迄で19年間という間隔で、そのピークが厄年半ばの42歳が大厄とされています。

 この男性の大厄を、統計的に見てみますと、どうもこの年齢には事故や病気や失業などが同時に襲って来ているようです。
 しかしこの兆候は、これを前後した一年前から発生するのではなく、十年前、あるいは十五年前に現われはじめていると言えましょう。こうした兆候を「衰運の仕込み」と言います。

 しかしこうした「衰運の仕込み」の楔(くさび)を打ち込まれる、若い時期にこうした事に警戒する人は殆ど居ず、肉常食者としてガンの因縁を引きずったり、暴飲暴食や不摂生の限りを繰り返します。「兇いメグリ」は食生活の中で、既に、この時に始まっているのです。

 そして第一次関門のを25歳で無事クリアーすると、次に控えたのは、42歳の大厄です。危機の兆候が、働き盛りの42歳を前後に現われはじめ、これが人生の頂点であり、「兇いメグリ」も「良いメグリ」も同時に現われるというのが、この大厄です。

 図表は、縦軸に赤血球が体細胞化して、故障箇所を修復する復活回数を現し、横軸は年齢を現わします。生まれた時を0歳として復活回数が50回とすると、120歳で復活回数は0回として設定しています。
 そして、男性の厄年期間は、生まれてから40歳までの四十年間を第一期復活群とし、40歳から80歳までの40年間を第二期復活群、そして80歳から120歳までを第三期復活群として、それぞれのブロックで厄年適齢期を重ねると、第一期復活群と第二期復活群にまたがっていることが分かります。


女の赤血球と体細胞復活回数推測表

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【女性の場合の厄年と巡り合わせ】
 女性は19歳(満18歳)・33歳(満32歳)・37歳(満36歳)が厄年です。また、これに前後して、合計三年間の前厄と後厄があり、男性と同じように多少のズレが生ずるものと思われます。
 また厄年と厄年の間隔は、女性の場合、数えで1歳から19歳迄で18年間、19歳から33歳迄で14年間、33歳から37歳迄で4年間という間隔で、そのピークが厄年半ばの33歳が大厄とされています。

 女性の厄年を注目した場合、数えで19歳・33歳・37歳という年齢は出産年齢と関わり合いがあり、これは結婚適齢期と出産時期に密接な関係があると思われ、結婚し、妊娠して、出産するという一連の作業と、出産後の産後の肥立ちへの養生が含まれています。
 したがって、表から察すると、女性の場合は第一期復活群の半ばから、後半部分に分布していることが分かります。

 これは人間以外の動物が組織培養した場合、何回でも細胞分裂を行い、組織を取り出した母体が死んでしまってもいつまででも生き続けるのに対して、人間の場合は組織培養を行った後でも限界があるのは、人間特有の細胞組織に問題があります。
 要するに胎児の0歳児を組織培養の細胞分裂は最も多く、年齢と共に分裂回数は減り、推定120歳では細胞分裂が見られないという結果が現われます。こうした下降線を辿るグラフそのものが「老化」の実態です。