|
||
| ●過酷な戦争を戦った無名戦士たち この世は「穢土」(えど/三界六道の苦しみのある世界で、凡夫の住む娑婆)であると言います。汚れた世界こそが、いま私たちの住んでいる地球なのです。宇宙から見れば、この星は、青く綺麗(きれい)な惑星だと言いますが、この惑星では、多くの戦争が繰り返され、多くの人命が無惨に失われていきました。夥(おびただ)しい死体の山。そして腐敗し、異臭を放つ死臭の蔓延。ここに穢土の本質があり、これこそが不浄の最たるものではなかったのでしょうか。 万物は不浄であると言います。中でも、人間は不浄業が深いとされ、「月経、精液、性交、懐妊、出産」と、どれをとってみても、これらの諸業は、何一つ不浄でないものはありません。 そして、最も不浄とされた結果から誕生した子供は、更に「不浄の最たるもの」であり、その子供は、やがて大人となって、衆生として「月経、精液、性交、懐妊、出産」を繰り返します。 こうした衆生が齎(もたら)した、最大の功罪が戦争ではなかったのでしょうか。 今なお、こうした衆生の功罪は拭い去れる事が出来ず、こうした想念は淀(よど)んだ空気となって、現代人に不成仏の念の翳(かげ)りを落としているのです。 昨今の精神異常者(百人に一人の発生率)やガン疾患者(三分間に一人の割り合いで死亡)の多い現状をみますと、憑衣・憑霊現象は下火に向かうどころか、益々盛んになり、死して後も、取り憑(つ)かれていると言う現象が起こっているのです。 憑衣・憑霊されて死んだ人は、死した後も、その呪縛から解かれる事はないのです。そして更に、呪縛の状態のまま、今度はその子孫に暗い翳(かげ)りを投げかけているのです。 |
![]() ![]() |
| ▲歴史に見る行運動向指数と想念現象の発生周期。その発生周期は60年周期であり、60年後にその想念エコーが発生している。こうして見て来ると、1929年10月24日の世界恐慌から平成バブル崩壊までが約60年であり、この波動は60年周期の波で繰り返されている事が分かる。 |
| 歴史は、60年周期で新たな不幸現象が繰り返されます。そして、不幸現象の最たるものは、「戦争」です。 人類の有史以来の歴史の中には、その殆どが戦争で塗り固められています。 民族や国家間の闘争は、総べてこの戦争に行き着き、そこには支配する側と支配される側の構成が見られます。この構成に形態を巡って戦争が発生し、民族、王朝、国家、あるいは企業といったものも、この構成を巡っての主導権争いで目紛(めまぐる)しく変化します。 歴史を変化させる根底のあるものは「人間の欲望」です。支配者は、自分の地位を保ち続ける事により、他の誰よりも、自分の欲望を満足させます。要するに富を独占し、これを半永久的に保持したいと言う欲望が、人間自身の心に働きます。権力者の心理とは大凡(おおよそ)こうしたものです。 一方、被支配者のリーダーは、この立場の逆転を窺(うかが)って、執念を燃やします。野党として徒党(ととう)を組み、民衆を操り、巧みな政治理念を掲げて階級闘争を繰り返し、「革命」という暴力に訴えます。しかし、この原動力も、やはり欲望です。 かくして両者は、激しい死闘を演じる事になります。そして、戦争の根本には、人間の欲望が常に渦巻き、これこそが戦争に至る、根本的な動機なのです。 ●戦争へ向かわせる悪しき想念 近代における富の形成は資源、食糧、貴金属、工業製品、労働力、人材、領土等を上げることが出来ます。支配者の潜在的欲望が、既存の支配領域内で収まっている場合はいいのですが、これに満足できなくなった場合、軍事力を行使して隣国に攻め入ります。 戦争は最も効率の良い手段であり、時刻の政治政策が、長い時間を掛けて経済成長を待つよりも、武力を駆使して、隣国の民族や国家を征服し、そこから富を収奪する方が非常に効率的なのです。植民地主義や帝国主義と言われるものが、こうした政治形態を執(と)り、隣国へ攻め入って戦争に至るプロセスの裏には、時の権力者や支配階級の欲望が渦巻いていたのです。 この観点から見れば、日清戦争も、第一次世界大戦も、日露戦争も、第二次世界大戦も、太平洋戦争も、朝鮮戦争も、ベトナム戦争も、湾岸戦争も、またイラク戦争も、一見自然の成り行きとして蜂起(ほうき)したように映りますが、実は裏では、時の権力者や支配階級の欲望が表面化したものだったのです。 近代における世界構造は、支配する側と、される側に分かれます。 特にこの事は、十七世紀後半の金融経済が、世界経済の動向を左右するようになってから浮上し始め、十八世紀に入ると、これが濃厚になります。そして、支配階級の欲望の意図を含んだ、おおよそ一つの流脈によって人工的に画策されるようになります。 日本における、近代の悪想念による不幸現象の始まりは、昭和4年の世界大恐慌(1929年10月24日に起こったウォール街の株式の大暴落。世に言う「暗黒の木曜日」)に始まります。その後、昭和6年の満州事変(1931年9月18日、奉天(今の瀋陽)北方の柳条湖の鉄道爆破事件を契機とする日本の中国東北侵略戦争。柳条湖事件とも)、昭和7年の満州国建国(1932年、日本が満州事変により、中国の東北三省および東部内蒙古(熱河省)をもって作りあげた傀儡かいらい国家)、昭和12年の日華事変(日中戦争の、当時の日本側の呼称で、1937年7月7日の盧溝橋事件を契機とする日本の全面的な中国侵略戦争。シナ事変、日支事変とも)へと繋がり、昭和14年には第二次世界大戦(後進資本主義国である日・独・伊3国(枢軸国)と米・英・仏・ソなど連合国との間に起った全世界的規模の大戦争)が勃発します。そしてこの流れの中には、昭和7年に起こった「5.15事件」や、昭和11年に起こった「2.26事件」が存在し、日本はファシズムの道の中に突進していく事になります。 好戦的戦争指導者の指揮する政治理念は、昭和16年12月8日の真珠湾奇襲作戦によって、日米開戦の太平洋戦争の火蓋(ひぶた)が切られ、国民皆兵へと駆り立てます。 その国民皆兵となった元凶は、1938年に公布・施行となった「国家総動員法」でした。 この法律は日中戦争に際し、人的および物的資源を統制し、運用する広汎(こうはん)な権限を政府に与えた委任立法でした。そして、これが太平洋戦争で猛威を振るいます。 開戦当初、日本軍は、各戦場で連戦連勝で勇猛を揮ったかのように見えます。ハワイに於ては、アメリカ太平洋艦隊を全滅(但し、「レキシントン」等の大型空母群を除く)させました。その翌々日には、イギリス東洋艦隊の主力戦艦プリンス・オブ・ウエールズと、レパルスをマレー沖で撃沈します。 この時の状況を当時、映画弁士だった徳川夢声さんは、「わが海軍は、われながら恐ろしくなるほど強い」と日記に書き綴(つづ)ります。これは彼だけではなく、当時の日本人なら、誰もが抱いた感想ではないでしょうか。 開戦と共に、連戦連勝。香港ならびにシンガポールは、電撃作戦で瞬くに陥落します。大東亜の思想の根本にあった東亜侵攻の拠点は、次々に日本軍の手に墜(お)ちていきました。 その当時の日本の目的は、南方資源地帯の占領にありました。この目的も、開戦から三ヵ月ほどで手中に収めてしまったのです。そして日本国民を襲ったのは、これまでの英米恐怖症が、「英米恐れるに足らず」の慢心であり、誰の心にも驕(おご)りが忍び寄って来ます。 この時、多くの日本人には、こうした自覚症状が全くありませんでした。 人間の心に描いた想念は、慢心を伴って、やがて悪想念に変わり、運命の奇跡や、運命の力を減退させてしまうのです。日本人の心に中には、「驕(おご)り」という悪想念で溢れ返り、やがて従順であった運命を狂暴へと駆り立てました。誰もが、この時を境に狂ってしまったのです。 日本人の悲劇は、実はここに始まります。勝った時に驕慢(きょうまん)にならなければ、こうした運命を免れたのですが、「勝手も驕らない」為にはどうすれば良いか、こうした最難問に、人類は未だその解決の糸口を見つけていません。 世界史の中にはこうした多くに事例があり、あのナポレオンすら、「ナポレオンは勝ち過ぎた為に、戦争の総ては解決すると思い込むようになった。これがナポレオンの敗北である」と、ドイツの鉄血宰相ビスマルクに、こう言わしめています。 しかし日本人は、勝ち過ぎた人心の恐ろしさを、未だ知る事はなかったのです。「勝って兜(かぶと)の緒を締めよ」の諺は、まさに馬の耳に念仏でした。勝ち過ぎて生ずる慢心が如何に恐ろしいか、昔からよく知られたことでしたが、これに耳を貸す人は殆どいませんでした。 そして、昭和17年6月7日のミットウェー海戦大敗北で、日本は負け戦の中に突入していく事になります。太平洋戦争の流れを説明すると、次のように纏(まと)められます。 |
|
|
年代
|
日本の政治展開
|
世界動向
|
|
第
一 期 ・ 開戦と進攻 |
昭和16年
(1941年) |
12.08 日本海軍、ハワイ真珠湾を空襲。アメリカ海軍の 旧式主力戦艦を撃破する。航空機による立体戦争の手の裡(うち)を見せる事になる。 12.08 日本陸軍、マレー半島に上陸。当日の陸海軍の大勝利で、三日三晩、提灯(ちょうちん)行列が繰り返され、日本中は湧きに湧いて踊り狂う馬鹿騒ぎが見られた。 12.10 マレー沖海戦、英戦艦二隻を撃沈。 12.10 日本軍、ルソン島、グアム島に上陸。 12.25 香港の英国軍降伏。 |
12.08 英米、対日戦宣戦布告。 12.11 ドイツ・イタリア、対米戦宣戦布告。 12.22 ルーズベルト・チャーチルの戦争指導会議(Arcadia/古代ギリシアの南部ペロポネソス半島の中央丘陵地帯の都市アルカディア)開催。 |
|
昭和17年(1942年)
|
01.02 日本軍、マニラ占領。 01.22 日本軍、ラバウルに上陸。 02.15 シンガポールの英国軍降伏。 03.01 日本軍、ジャワ島に上陸。 03.08 日本軍、ビルマのラングーンを占領。 03.09 ジャワのオランダ軍降伏。 04.05 海軍機動部隊、コロンボを空襲。 04.30 米陸軍機16機(ドーリットル隊)、空母ホーネットより発進、東京・名古屋・神戸を空襲。 05.01 日本軍、ビルマのマンダレーを占領。 05.07 フィリピンのコレヒドール島の米軍降伏。珊瑚海海戦、日米初の航空戦展開。 06.07 ミットウェー海戦の大敗北。これより日本の負け戦が始まる。 08.21 ガダルカナル島奪回の為に上陸した一木支隊全滅。 |
01.01 連合国26カ国による連合国共同宣言調印。 03.27 アメリカ参謀本部、北フランス上陸作戦を計画(マーシャル計画)。 04.19 マッカーサー、西太平洋連合国軍司令官就任。 05.29 ソ連外相モロトフ、ワシントンを訪問。ルーズベルトと会談する。 06.18 第二次戦争指導会議開催。 06.28 ドイツ軍、東部戦線の夏期攻勢開始。 08.12 モスクワで英米ソ三カ国会談。 11.19 ソ連軍、スターリングラードで大反撃開始。 |
|
|
第
二 期 ・戦局の反転 |
12.08 ニューギニアのバサブアの日本軍玉砕。 | ||
|
昭和18年(1943年)
|
02.01 ガダルカナル島撤退。 04.18 連合艦隊司令長官山本五十六、ソロモン群島上空で米国機に襲われ戦死。 05.12 米軍、アッツ島上陸。05.30アッツ島の日本軍守備隊2600名、全員玉砕。 05.31 御前会議、「大東亜政略指導大綱」 07.29 日本軍、キスカ島から無事撤退。 09.30 御前会議、「今後執るべき戦争指導大綱」 10.21 中野正剛、東条内閣倒閣容疑で検挙。10.26 釈放後、自決。 11.01 企画院、商工省、逓信省、鉄道省、農林省、海務院を廃止し、軍需省、運輸通信省、農商省を設置。これより、本腰を入れて戦争へ。東条内閣独断体制。 11.05 東京で大東亜会議開催。 11.06 大東亜会議で共同宣言発表。 11.26 米軍、マンキ、タワラに上陸。 11.29 マンキ、タワラの日本軍守備隊4500名、全員玉砕。 |
01.08 ソ連軍、スターリングラードのドイツ軍に降伏を勧告。 01.31 東部戦線のドイツ軍南方部隊、ソ連軍に降伏。 02.02 スターリグラード攻防戦終了。 05.31 北アフリカ戦線の独・伊軍降伏。 07.10連合軍総司令官アイゼンハワー、シシリー島に上陸。 07.25 伊首相ムッソリーニ失脚。 09.08 イタリア無条件降伏。 11.22 チャーチル・ルーズベルト・蒋介石会談開催。 11.28 チャーチル・ルーズベルト・スターリン、テヘラン会議開催。 |
|
|
昭和19年(1944年)
|
01.07 大本営、インパール作戦を許可。 02.17 米機動部隊、トラック島を空襲。 02.21 東条英機、首相兼陸相、更には陸軍参謀総長も兼任。東条独裁体制強まる。 03.30 米機動部隊、パラを空襲。連合艦隊司令部はダバオへ退却途中、古賀峯一連合艦隊司令長官が行方不明となる。 06.15 米軍、マリアナ諸島のサイパン島へ上陸。 06.16 米陸軍のB29爆撃機が中国基地から飛び立ち、北九州を初空襲。 06.19 マリアナ沖海戦で、日本海軍の空母ならびに航空機の大半を失う。 07.04 大本営、インパールの惨劇の為、本作戦を中止。 07.07 サイパン島の日本軍守備隊並びに民間人男子、万歳突撃をして三万人が玉砕。住民死者一万人。また取り残された民間人の非戦闘員の婦女子は東北部のマッピ岬の断崖から約四千人が投身自殺。 |
01.14 ソ連軍、レニングラード戦線で大攻勢。 06.06 連合軍、ノルマンディ上陸作戦を開始。 06.15 ドイツ軍、新兵器V(Vは「報復」と言う意味のVergeltung)1号でロンドン爆撃。 07.20 ドイツ陸軍、ヒトラー暗殺計画失敗。 08.15 連合軍、南フランスに上陸。 08.24 パリ市民、反独武装蜂起。 08.25 連合軍パリ入城。 09.06 米大統領特使ハーレー、重慶で蒋介石、毛沢東らと会談。 09.08 ドイツ軍、V2号でロンドン爆撃。 10.09 チャーチル、スターリン、ハリマン、モスクワで会談。 10.11 ソ連軍、東プロシアの独国境を突破。 11.07 ルーズベルト、大統領に四選。 11.27 米国務長官ハル辞任。 12.31 ポーランド共和国仮政府成立。 |
|
|
第
三 期 ・特攻玉砕と国家の斜陽 |
07.14 東条英機、陸軍参謀総長を辞任。 07.18 東条内閣総辞職。 07.22 小磯國昭内閣成立。 10.10 米機動部隊、沖縄を空襲。 10.20 米軍、フィリピンのレイテ島に上陸。 10.24 レイテ沖海戦。連合艦隊、事実上壊滅。 10.25 海軍神風特別攻撃隊、レイテ沖海戦で初攻撃。 11.24 マリアナ基地のB29、東京発空襲。 12.19 大本営、レイテ島の地上決戦方針を放棄。 |
||
|
昭和20年(1945年)
|
02.19 米軍、硫黄島に上陸。 03.09 B29による東京大空襲。江東地区を中心に死傷者12万人。 03.14 大阪大空襲、13万戸が消失。 04.01 米軍、沖縄本島に上陸。 04.05 ソ連外相モロトフ、日ソ中立条約不延長を通告。 04.07 戦艦大和、沖縄に特攻出撃。九州沖で米軍の猛攻に遭い撃沈。 06.08 最高戦争指導会着で、本土決戦方針を採択。 06.23 沖縄守備隊玉砕。戦死者八万五千名。沖縄住民死者十万人。 07.28 鈴木貫太郎首相、ポツダム宣言を黙殺。戦争継続表明。 08.06 B29、広島に原子爆弾投下。 08.08 ソ連、対日宣戦布告。満洲へ侵攻開始。 08.09 B29、長崎に原子爆弾投下。 08.14 御前会議でポツダム宣言受諾決定。 08.15 天皇、玉音放送で戦争終結の詔書を放送。 |
02.04 ルーズベルト・チャーチル・スターリン、ヤルタ会談開催。 04.12 ルーズベルト没後、トルーマンが大統領後任となる。 04.22 ソ連軍、ベルリンに突入。 04.27 ムッソリーニ、パルチザンによって逮捕。翌28日、銃殺。 04.30 ヒトラー、エバ・ブラウンと伴にベルリンの地下壕で自殺。 05.07 ドイツ軍、無条件降伏。 07.16 米国、ニューメキシコで初の原爆実験に成功。 08.14 中ソ友好条約調印。 08.15 第二世界大戦終結。 |
太平洋戦争の戦局は、その戦術的な攻勢から敗戦までの抗戦プロセス以上のように、三つの時期に分ける事が出来ます。
第二期は、ニューギニアのバサブアの日本軍玉砕(ぎょくさい)から、サイパン島の日本軍守備隊並びに民間人男子、万歳突撃をして三万人が玉砕するまでで、この時期は消極的かつ戦略不在の戦争指導が行なわれた時期で、戦局の反転の時期です。 第三期は、昭和十九年のサイパン島の玉砕により、東条英機が陸軍参謀総長を辞任し、東条内閣が総辞職した後、小磯内閣が誕生し、以降、鈴木内閣と引き継がれ、昭和20年8月15日の敗戦までの絶望的抗戦の期間で、特攻隊出撃や玉砕、そして国家の斜陽から終戦に至る時期です。 太平洋戦争の敗因を求めると、各期間における区間事の切り替わりは、総べて日本海軍の敗北と連動されたものであり、海軍の不手際によって、直接的に敗北が決定されていったと言う事です。 多くの戦史史家の言によれば、海軍の「善玉説」を論(あげつら)い、陸軍の「悪玉説」を論じていますが、むしろ海軍の作戦場の不手際を考えますと、日本陸軍は海軍よりも善戦したと言えます。 そして、太平洋戦争の一連の流れを見て来ますと、アメリカの意図によるイデオロギー的な画策が見て取れ、アメリカの「開かれた社会」と、日本の「閉ざされた社会」が対峙(たいじ)しており、前者を民主主義、後者を軍国主義と決めつけている事です。 この図式によりますと、軍国主義は絶対に民主主義に勝てるわけがなく、また不正な侵略戦争は究極的には、アメリカの正義の前に跪(ひざまず)かなければならないというふうにエスカレートしていきました。 アメリカは太平洋戦争を通じて、アメリカ自身の資本主義の力を見せ付け、アメリカ資本主義に抵抗するのは無駄だと言うイメージを、日本人の歴史観の中に植え付けました。そして最後に勝った者が「正義」という位置付けをしてしまったのです。
生産力のないGNPの面から見た場合、朝鮮戦争における北朝鮮も、またベトナム戦争における当時の北ベトナムも、まさに強大な産業力を持つアメリカを相手にしたのですから、これこそ無謀と言う事になります。しかしこうした事実からして、何故、太平洋戦争を戦った日本だけが「無謀」と誹(そし)られるか、結局これは、日本がこの戦いに負けたからです。 その敗因の総ては、日本の昭和陸海軍に全くと言っていい程、戦争目的が存在しなかった事です。 これでは幾ら良い練兵をして下士官・兵を鍛えても、戦争に勝てるわけがありません。最初から方法論が間違っているのですから、練兵に勢力を注ぐ精神主義だけでは勝てるはずがないのです。 軍首脳が無能であれば、その戦争指導は目的を明確にする事が出来ず、特に日米開戦後の東条英機の首相としての力量に問題があったと言えます。 また、世界の動向を観察する視野にも問題がありました。暗記力を要する事務屋としては秀(ひい)でた一面があったかも知れませんが、戦略的な思想家としては、前頭葉未発達な、ただの凡将に過ぎませんでした。 昭和陸軍きっての戦略家と言われた石原完爾(いしはらかんじ)から見れば、参謀総長を兼任していた東条の力量は、まさに「上等兵」並みであり、東条自身の自覚の中に、日本の最高戦争指導者であると言う認識のなさが、やがては敗戦へと導いてしまうのです。そしてこの負け戦の下で、多くの人命が失われたと言う事は紛(まぎ)れもない事実でした。 |