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| ●日本の無能な戦争指導者と、アメリカの非道な行為によって終結した先の大戦 戦争目的のない戦争指導によって、軍人ばかりでなく、一般民間の非戦闘員までが巻添えを喰い、犧牲になり、あるいは戦争被災者となりました。特に大戦末期、広島と長崎に投下された原子爆弾は、人類の想像を絶する大きな苦痛を強いたものでした。 |
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| ▲原爆完成を指導した原爆開発研究所長で、理論物理学者のJ・ロバート・オッペンハイマー(左)と、マンハッタン原爆計画の現場指揮官のレスリー・R・グローブス陸軍少将。 |
▲空を覆い尽くすような原子雲。
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| ▲広島に落とされたウラン235を用いたリトル・ボーイ。 |
この原子爆弾は、ウラン235やプルトニウム239などに、核分裂反応を爆発的に行わせたとき、発生する熱線や衝撃波や各種放射線で殺傷し、地上にある周囲のもの破壊する恐るべき爆弾です。 アメリカが、原子爆弾の実験に成功したのは1945年(昭和20年)7月16日に事でした。 この当時、イタリアは、とうにアフリカ戦線でギブアップし、ナチス・ドイツは無条件降伏し、連合軍と戦っているのは日本だけのなっていました。 さて、アメリカは当時、日本から原爆攻撃を受けるかも知れないと、何らかの危機を抱いていたのでしょうか。否、アメリカは日本が原爆を製造しているのではないか等と、一度も疑った事はありませんでした。日本の工業水準では無理だと見ていたし、日本国内にはウラン鉱山など存在しないと考えていたからです。しかし日本の陸海軍では、極秘に原爆に関する研究を各々に開始しており、ウラン鉱山の調査まで開始していました。 結局、大戦中には完成を見る事はありませんでしたが、ドイツ降伏前に、日本もドイツから原爆製造に関する情報を入手し、製造に向けて、研究を開始していたのです。しかし実用化に漕ぎ着ける事は出来ませんでした。 広島・長崎の原爆投下と共に、戦争は急速に終結の方向に向かいます。そして昭和20年8月15日、天皇の玉音放送と共に、実質上、太平洋戦争は終わりました。
この日に終わったとされるのは、軍事的な対決であって、経済的な対決は、今もなお続いています。戦争と経済の関係は密接なものであり、経済の水面下にこそ、戦争の本当の正体があるのです。 1929年10月24日、ニューヨーク・ウォール街では、世界大恐慌の引き金となって、株式大暴落が起こりました。そして、あれから60年後、今度は日本を叩き潰す為に、1990年2月、巨大な経済の逆回転が始まり、平成バブル経済が崩壊しました。 平成バブルが崩壊するバブル・ピーク時、CIA(Central Intelligence Agency/アメリカ大統領直属の中央情報局)は、ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦後の次の敵は、日本だと考え始めていました。事実、1989年秋から始まった、アメリカ系証券会社の株価動向は不気味な動きをし始めました。バブルと、その崩壊に携わったのは、ユダヤ系の金融機関であるソロモン・ブラザーズ(現在のソロモン・スミスバーニー)という証券会社でした。
今日の長引く不況は、実はこの時の仕掛けの影響下にあり、未だにその解決の目処(めど)は立っていません。そしてこの不況構造は、どこか昭和初期の不穏な経済状態と酷似しているのです。 人が大勢死ぬ前触れとして、こうした政治的経済的困窮に追い込まれていく事は、歴史を見れば一目瞭然です。霊的視野で見ると、経済も一種の生き物ですから、水面下では人命の犧牲がどの程度でるか、その推測が行なわれます。その推測の読みによって、恐慌が設定されます。これは私たちの日常生活と深い関わり合いを持っているのです。 そして日常が、非日常と移行した時、そこには戦争と言う大きな悲劇が起こります。 ●平成バブル崩壊を背後から操ったソロモン・ブラザーズ バブル崩壊のシナリオは、どのようにして仕組まれたのか、その筋書きを追ってみましましょう。 バブル絶頂期は、1989年にそのピークを迎え、株価は天井でした。この時、多くの日本人は、株価の高騰(こうとう)並びに地下の高騰に、湧きに湧き、怕(こわ)いもの知らずで、日本の投機家達は今迄になく傲慢(ごうまん)になっていました。 誰もが、日本の金融経済は「アメリカに勝った!」と確信した時期でした。その思い上がりは、益々エスカレートして、産業経済にも及んでいました。これはまさに、日米開戦当初の日本陸軍がマレー半島上陸に成功し、日本海軍が真珠湾空撃を行なって、アメリカ太平洋艦隊の旧式主力戦艦を撃破して、有頂天に舞い上がった時の構図と、どこか酷似していないでしょうか。 そしてこの頃、東西ドイツのベルリンの壁が崩壊し、米ソの冷戦構造は終焉(しゅうえん)したかのように見えました。 日本のアナリストの一部には、「アメリカの軍事技術は民間に転用され、ソビエトの衰退並びに消滅によって、これからのアメリカの仮想敵国はソビエトから、経済的仮想敵国として日本に向けられる」と予見していたのです。そしてこの頃、事実CIAは、アメリカの敵は日本であると考え始めていました。 これが経済摩擦の切っ掛けを作った要因でした。これは繰り返される策謀の歴史に当て嵌(は)めますと、1941年7月、日本の軍部が南部仏印に大軍を進駐させた頃の構図に相当します。当時の日本政府は、南進政策を推進し、アメリカとの対立を益々深めていきます。 こうした状況下、アメリカは在米日本人の資産の凍結と、石油や、その他の重要軍需物資の対日禁輸という報復措置に出ます。これに併せて、ABCD包囲網(アメリカ、イギリス、中国、オランダの四ヵ国が日本を包囲)による対日経済封鎖を強硬します。当時の世界情勢と、バブル崩壊の前夜が非常に酷似しているのです。 1989年、日本国民は好景気に湧いていました。 しかしその水面下では、この年の秋、巧妙な経済工作がなされていたのです。 CIA経済部門のスペシャリスト達は、アメリカ系証券会社のソロモン・ブラザーズ(現在はソロモン・スミスバーニー)と手を組み、日本経済の崩壊作戦に向けて本格的に動き出しました。これが今日の不況を長引かせる要因を作ったのです。これが日本株式市場に於ける下落のシナリオ「バブル崩壊作戦」でした。 ソロモン・ブラザーズは、その名前からも分かるように、歴(れっき)としたユダヤ系金融機関で、その背後には国際ユダヤ金融資本という巨大組織が控えていました。 また、ソロモン・ブラザーズは歴史にも詳しい金融機関で、彼等は長年歴史を研究した実績を持っていました。彼等は徹底的に資本主義とその構造を研究し、資本主義の実体は、一種の「ねずみ講」であると結論付けました。 資本主義の構造は、商品生産が支配的な生産形態をなしていることであり、生産手段と生活資料とを資本として、これ所有する資本家階級が、労働者階級から労働力を商品として買う、生産様式に因(ちな)んだ産業経済システムです。そして、この産業経済システムは、労働者階級を労働力として使用した結果、生産した商品の価値との差額による剰余価値が派生し、それを利潤として、資本家が手に入れる経済体制であり、労働者階級は組織内での地位や昇進から得られる利益を約束されます。 これは資本主義の象徴であるマルチ商法の、物品販売業者とその商品を再販売する者とが、再販売組織に加盟し、その組織内の地位と階級によって生ずる利益が約束されると言う、組織形態と酷似します。 また、経済上の利益を与える一種の金融組織と解釈すれば、今日の金融経済に酷似し、これこそ「ねずみ講」そのものであると言えます。 資本主義の象徴である株式会社は、資本主義構造上、一種の連鎖配当組織であり、株式という均等な形式に分割して、出資者を募り、出資者が株主となって、資本母体ならびに資本媒体に出資金を提供し、資本母体はこれに有限責任を負う運営組織であり、そこには利益配当や株式の流動性を高める為に行う株式配当と言う商法上の営みがあります。しかし、出資者である資本母体が、事業の成立ならびに保持に要する基金に窮して、剰余価値を生むことが出来なくなったらどうなるのでしょうか。 果たして、労働力を提供した労働者は、資本家から労働賃金を受け取り、また、資本家は賃労働者を雇って事業を行い、利潤を得ることが継続できるのでしょうか。 また、所得額を市場利子率で除して算出する資本還元が順調に行なわれ、剰余価値の一部を資本に繰り入れて、生産の規模を年々拡大する資本形成を維持できるのでしょうか。 更に、資本主義経済の宿命的欠陥とも言える、景気循環という経済活動水準の周期的な波状運動を、このキャピタルニズムは繰り返します。その谷底に、不景気が存在し、物価や賃金の下落し、生産の全般的縮小が実施されて、失業の増大等を伴う不況が、このキャピタルニズムの、もう一つの貌(かお)として隠れているのです。 そして、資本主義の歴史こそ、「大恐慌」の歴史であるとの研究成果を得ていたのです。したがって不況は、経済活動の故意的な作為で、沈滞状態が作り出せるとの結論も得ていたのです。 彼等は1929年10月24日(昭和4年)、ニューヨーク・ウォール街で起こった株式大暴落の「暗黒の木曜日」を、今迄の研究課題の中で反芻(はんすう)します。「何故、起こったか?!」と。 そして、世界恐慌(the world crisis) の世界的規模の経済恐慌を徹底分析します。 アメリカに始まったこの恐慌は、数年にわたって全世界に蔓延(まんえん)し、当時の資本主義経済を脅かした歴史的事実を研究の中心課題にしていたのです。 「恐慌」とは、そもそもパニック(panic/群衆の混乱)を指します。このパニックによって、多くの人が犧牲者が出る事は、歴史を見れば明白です。 景気の循環過程における最悪の経済状態並びに、過剰生産に基づく資本主義固有の矛盾が爆発し、価格の暴落、失業の増大、破産、銀行取り付け等が起きる現象を言うのです。 そして恐慌の種類としては、金融恐慌並びに農業恐慌などがあります。 |
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▲農業恐慌の引き金となった昭和6年5月〜9月の異常気象。
昭和6年を挟んで、この時代には異常気象が連続した。 |
| 歴史を研究すると、金融恐慌が起こる時には、必ず農業恐慌が、ほぼ同時に起こり、金融の悪循環とともに、飢饉(きが)が蔓延します。 ソロモン・ブラザーズの研究は、大恐慌後の昭和6年(1931年)当時の日本経済を研究し、その影響を最重要課題として、この研究に没頭しました。そして金融が齎(もたら)す悪影響は深刻であったことを、今更ながらに思い知らされる事になります。 特に、貿易面では輸出が減少し、物価の低落を押し進めました。この状態がデフレーション(deflation/通貨収縮) であり、通貨がその需要量に比して、過度に縮小するとともに、通貨価値が高くなり、物価は下落しますが、企業の倒産、失業者の増大など、不況や、社会不安を伴う現象を起こすことでした。 この時、日本の資本家達は自己資産防衛の為に、殆どの企業がカルテル(Kartell/同種もしくは類似の産業部門に属する複数の企業が、相互の独立を維持しながら、市場を支配するために共同行為で、企業協定もしくは企業相互間の結合諸組織形態)やトラスト(trust/複数の企業が資本結合によって合同・合併を行う企業合同)を結成し、物価の安定と維持をはかろうとしたことです。この図式は何と、1989年から1998年に掛けて、大蔵省が行った愚行に匹敵する「株価維持作戦」と酷似するではありませんか。 昭和6年当時の日本では、経済維持防衛の為に資本家が中心となって、政府に働きかけ維持作戦に奔走しましたが、平成バブルでは、大蔵省が直接これに介入したことです。 昭和6年当時、民政党の浜口雄幸内閣(1929〜1931)は「重要産業統制法」を制定し、当時の大蔵大臣は井上準之助(浜口内閣蔵相として緊縮財政と金解禁を断行。血盟団員により暗殺)でした。また、外務大臣は幣原喜重郎(対米英協調と対中国内政不干渉方針をとって、軟弱外交と非難された。第二次大戦直後に首相、ついで進歩党総裁)でした。 浜口内閣は積極的にカルテル結成を助成し、産業価格の制限をはかりました。これは独占資本本位の重化学工業と、産業合理化を押し進めましたが、賃金引き下げに拍車を掛ける事になり、その犠牲の中心は労働者でした。 この結果、中小企業と労働者は苛酷な欠乏生活を余儀なくされ、労働争議が激化する一方、大勢の失業者が巷(ちまた)に溢れることになりました。更に、農村にもこれらの不幸現象は波及し、農民は窮乏(きゅうぼう)のどん底に立たされました。 |
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| ▲農村では娘の身売りが相次いだ。そして、そこに待ち構えていたのは「女子部入口」と書いた娘身売りの斡旋をする口入れ業者だった。 | ▲生大根をかじる農村の少年達。昭和5〜6年にかけて、日本中を異常気象が襲い、農作物は凶作だった。 |
| こうした現実は、「資本主義生産が過剰」になった時に起こった恐慌である為、未曾有(みぞう)の不況を招いたのです。 ソロモン・ブラザーズの研究は、この「資本主義生産が過剰になった時」の一点に注がれました。そして、彼等ソロモン・ブラザーズは、1989年当時の沸き立つような好景気も、60年前のアメリカ・ニューヨーク.ウォール街での大恐慌と同一のものであると、そのバブル崩壊を予測したのです。 かつて、国際金融資本の総帥・ロスチャイルドの配下であったロックフェラーやデュポン(世界最大の化学メーカー)らは、この大恐慌を利用して天文学的な巨富を手にしていました。ソロモン・ブラザーズはこれに因(ちな)み、バブル崩壊を企てる研究に取りかかったのです。 「どうしたら一儲けできるか」からはじまり、「どうしたら日本経済を徹底的に叩く事が出来るか」という結論を導き出し、日本経済崩壊に向けて模索し始めたのです。 60年前のウォール街での「暗黒の木曜日」の立役者は、国際金融資本の総帥・ロスチャイルドの息の掛かる東部のエスタブリュシュメント達(ロックフェラーを筆頭に、デュポン、ケネディ、オナシス、アスター、バンディ、コリンズ、フリーマン、ラッセル、ファンダイン、リー・クアンシューの超大富豪十二家)でした。 この者達は手持ち株を売り捲り、その結果、下落に下落を重ね、二束三文になった株式を買い叩いたのです。それで巨万の富を手にしたのですが、今日とは情況が違うことに気付きます。この難題に、しばらく苦慮しますが、ついに糸口を掴んだのです。 その糸口とは、「何が株価を暴落させる要因になるか」と言うものでした。つまり株価が暴落する切っ掛けを作ればよいのです。そして、「下落によって、下がった株で大儲けできる商品を持っていればよい」ということに行き当たったのです。それが「デリバティブ」でした。 デリバティブとは、金融派生商品(通貨・金利・債券・株式・株価指数などの金融商品を対象とした先物取引)のことで、「先物取引」という意味合いを持っています。 先物取引とは、現物の受渡しを、一定の条件のもとに、何ヵ月か先に実行することとして、売買の約定(やくじよう)を結ぶ取引を言います。 次の研究課題は「どうやったら大暴落を人工的に作り出し、然(しか)も、そのタイミングに合わせて、自分達の狙うポイントに、総てを集約することが出来るか」という研究に取りかかったのです。 人工的に大暴落を作り出す場合、60年前の大恐慌では、アメリカの大富豪達による「大量売浴せ」という手法が使われました。 大量売浴せとは、売方が買方の買数量より、多量の売物を出して買方を圧倒し、相場を押し下げようとすることで、「売り崩し」とも言われます。 しかし、それでは巨額な資金が必要であり、当時と違って、それほど経済構造は単純なものではなくなっていました。研究に研究を重ねた結果、巧妙(こうみょう)な手口を考え出します。 それは、「膨らんだ風船を、更に膨らませる手口」だったのです。 風船は、空気を送り込んで膨らませれば、それだけ膨らみますが、その実体は「バブル」です。膨らむものは、いつか破裂して、大爆発を起こす物理的法則に制約されます。経済とて、この法則下に制約されているのです。彼等はこれに気付いたのでした。 彼等はそのシナリオを、綿密なストーリーで組み立てました。徐々に膨らみを見せる風船に、意図的に、頃合いを見計らって、更に膨らませ、次に急激に膨らませるという巧妙なストーリーを演出したのです。風船は、今まで徐々に、周囲の状態に馴染みながら膨らんでいたのですが、これに急激な吹圧を掛け、パンパンの膨張状態を作っておいて、一挙に破裂させるという巧妙な演出を画策したのでした。 彼等は、この原理を東京株式市場に応用して、バブル崩壊を目論んだのです。 そして彼等は「デリバティブ」という、風船を一突きにする「針」を手に入れ、膨張し過ぎて破裂状態になったところで、一突きにする演出を手がけたのでした。 1989年当時、日本人エコノミスト達は「デリバティブ」という「先物」の実体を知りませんでした。経済や金融の専門家でも、この実体が何なのか、未だに分からず仕舞いでした。またこの事が、バブル崩壊の悲劇を大きくし、当時の日本経済界は全く無防備であったと言えます。 デリバティブを簡単に説明すると、「現物」と「先物」の「価格差=サヤ」をコンピュータを使って、日経平均の全銘柄225種を一瞬に反対売買して、儲けを出す金融派生商品の事であり、この一瞬にして、儲けを捻り出すことを「裁定取引」(arbitrage/市場間や現物・先物間等の価格差を利用する取引で、programtrading/プログラム売買とも言い、現物価格と先物価格の許容しうる乖離(かいり)幅を定めておき、その範囲を超えた場合には売買注文が出るようにコンピュータのプログラムに組み込んでおく裁定取引技法)と言います。 ソロモン・ブラザーズはこの裁定取引を使って、意図的に、無防備な日本経済に先制攻撃を仕掛けたのです。「梃子(てこ)の原理」(レバレッジ)を利用して、なるべく少ない資金で、効果的にバブル崩壊に導く人工爆発の状態を作り上げる研究をしたのです。次に、バブル崩壊に導く為に、彼等は日経平均の株価操作の研究に没頭しました。 彼等は、この二つの研究から面白い現象に気付きます。それは日経平均株価(日本経済新聞社が、東京証券取引所一部上場の代表的な225銘柄について算出し、発表しているダウ式平均株価)が単純平均(相加平均のことで、算術平均ともいわれ、n個の数を加えた和をnで除して得る平均値のこと)で作られた「指数」から出来ている事と、もう一つはこれらの指数の分析から、品薄な銘柄を意図的に買うと、少ない資金で日経平均株価を持ち上げることができるという経済現象に気付いたのです。 こうして研究の成果を、実行に移した時期が1989年の秋から冬に掛けての事でした。日経平均株価は瞬(またた)く間に膨らみ、バブルは天井へと向かっていました。 その頃、日本の話題はベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦構造が終焉(しゅうえん)を迎えれば、世界市場に進出できる等と、日本人経営者の多くが高を括(くく)っていた頃で、日本人の思い上がりの裏側では、こうした巧妙な仕掛けが、水面下で仕掛けられていたのです。 大蔵官僚も、エコノミストも、この仕掛けには全く気付いていなかったのです。 |