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| ●戦争が、自然発生的に起こるのではないメカニズム 近代はおおよそ、十七世紀後半から十八世紀にかけて、一つの脈流を持った人工的な画策よって歴史が動かされています。そして、その歴史の背後には、特定の目的と意図を持ち、その影ではCIA(Central Intelligence Agency/アメリカ大統領直属の中央情報局)のような、非合法活動をする穏微な集団が影の手の走狗(そうく)となって暗躍し、「歴史が人工的に造られている」という事が明白になって来ています。 歴史を振り返ると、アメリカ合衆国建国も、フランス革命も、第一次世界大戦も、ロシア革命も、日中戦争も、その後に続く第二次世界大戦や、太平洋戦争(日米戦争)も、ありとあらゆる近代史が、一つの方向によって導かれていることが分かります。 第二次大戦後の朝鮮戦争も、ベトナム戦争も、そして湾岸戦争やイラク戦争までが、一見自然の成り行きの「自然体」で蜂起(ほうき)したように見えますが、こうした国家の浮沈を賭(か)けた策動が、「自然発生的」に起こったと考えるのは、余りにも短見であると言えましょう。 近代史の裏側には、いつも何処かに、穏微な集団を装おう、黒子(くろこ)が隠れていて、黒子達はシナリオ・ライターの筋書き通りに水面下で策動をします。したがって王朝や国家の崩壊も、戦争や革命も、資本主義や共産主義に至るまで、総(すべ)てが演出家のシナリオ通りに動かされ、そして国家の盛衰までが、こうした黒子達の手にかかり、易々(やすやす)と料理されてしまうのです。この穏微な集団は国際金融資本の走狗です。潤沢な資金を背景に、世論工作に長け、国内の進歩的文化人を巧妙に操り、様々な分野から大衆を操作し、あるいは意図的な方向性を持った方向へと誘導します。 先の大戦の悲劇の裏には、こうした黒子達に操られた買国奴(昭和陸海軍の軍閥の中には、日本が負けるように画策した者が居た)と、無能な戦争指導者に指揮されたと言う経緯があったのです。 そしてこうした策動によって、動かされ、踊らされた国民は、まさにこれこそ「横死」の相を持った微生物であり、微生物は無慙(むざん)に捻(ひね)り潰されても、何ら文句も言えず、悔(く)やむ人すら、一人も居ないと言うのが実情だったのです。 戦争に悲劇の禍根があるとするならば、弾避けの微生物こそ、いい迷惑であり、戦争へのメカニズムは、ひと握りの支配階級エリートによって画策されます。 一方で、大正14年(1925年)には普通選挙が実施されて、民本主義思想(democracyの訳語の一つで、日露戦争後に吉野作造によって主唱された民主主義論。民主化を主張、政党内閣制・普通選挙制を根拠づけた)の普及が波に乗り、人命尊重が叫ばれる人権を獲得しながらも、昭和期に入ると簡単に虫螻(むしけら)のように捻り潰されてしまう現実が横たわっていたのです。 戦争は、自然体によりある偶然をもって、自然発生的に起こるものではありません。経済恐慌のような、一定の方向性をもった何者かの画策によって戦争が仕掛けられます。そして、そこには階層世界に分かれたブロック単位で、様々な想念が湧き起ります。 また現在の時点から観(み)た近未来の予測は、2000年から運行動向指数は下降線状態にあり、運命的には下がり始めていると観る事が出来ます。 2001年9月11日にアメリカで起こった同時多発テロ事件(米国の世界貿易センタービルなどの同時爆破テロ)を皮切りに、イラク戦争(旧フセイン政権を崩壊させる為の、アメリカの戦略的かつ陰謀的な構想から出発した、大量殺戮兵器製造の疑念から起った戦争であったが、かえってイスラム諸国を刺戟する結果となった)を経由して、2004年8月下旬から9月上旬には日本に大型台風(九州地方だけでも平成16年8月18日夜半から暁方にかけて、北九州地方に直撃襲来した「台風15号」に続き、その後、8月29日から30日の「16号」、9月6日の「18号」、それに続く「21号」。近畿・関東・東北地方では「22号」や「23号」が猛威を振るった)が上陸し、農作物に多大な損害を与えました。その中でも、異変としま思えないような、梨の花が咲き(同じ年に二度咲きすれば来年は実が実らない)、桜の葉は高潮で海水を浴びて葉を落として狂い咲きし、柿の葉が墜(お)ち、柿の実の病気が出始めました。 台風が日本列島を襲っている頃、9月下旬には、原油価格が高騰(2004年10月以降の経済不況の要因となる)をはじめ、1バレル50ドルを超える不安・不況の影を落とし、経済は再び深刻化する様相を呈しはじめました。今日に於いて、原油価格の高騰は日常生活に大きな悪影響を与えるからです。こうした経済的不穏の中で、10月16日のニューヨーク市場では、更に原油価格が高騰し、1バレル55ドル33セントとなる有様で、世界経済に昏(くら)い影を投げかける要因を作りました。 こうした原油価格の高騰は、アメリカではメキシコでの原油生産が、度重なる大型ハリケーンの影響で原油生産が減少したと説明していますが、果たして意図的に仕組まれたロックフェラーらの策謀ではなかったのかという疑いが残ります。そして原油の輸入国である日本をはじめとする石油消費国については、当然の如く供給不足に拍車は掛かり、経済的は不安定材料となって、これまでの不況を更に深刻化させていきます。 更にイラクでのテロ対策は思うように事を運ばず、アメリカをはじめとするこの国の追随国では、イスラムテロ組織の激しい抵抗にあって、イラク復興の目途は暗礁に乗り上げています。 また一方で、様々な天変地異の要因を為(な)している地球温暖化の為に、海流に異変(日本に接近あるいは上陸する大型台風の数の増大)が見られるようになり、深刻な不安を巻き起こす要因を作り始めています。歴史を見れば、天変地異は経済と関連する事が多く、それを起因に経済動向が悪化傾向へと傾きます。 そして以上の事を過去の歴史に照らし合わせますと、60年前の悲惨な人類大量死の構図へと繋がっていきます。 2005年を前後として、大変不安定な世界動向が浮上し、動向指数は底である予測が成り立ちます。この「底」は、為政者の伎倆によっては、浮上する切っ掛けを掴む事が出来ず、更に底に墜ちて行くと云う予測をたてるエコノミストもいます。 もし、このような下降の状態が続くと、自然現象の人類に対する反抗の猛威と相まって、世界人類は経済的に窮地に追い込まれるばかりでなく、大自然からの猛威にも矢面に立たされると言う現実があり、これを斬り抜けていく為には、多くの犧牲の生贄(いけにえ)が必要である事は云うまでもありません。 |
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| ▲資本主義は60年周期で景気動向の高低の波を繰り返す。そこには戦争誘導への見えざる陰(かげ)の支配者の幻夢(げんむ)が隠されていた。そして幻夢は、現世と言う非実在界特有の悪想念現象だった。(資料提供:九州科学技術研究所) |
| さて、時代を昭和初期に戻しましょう。 昭和5年(1930年)1月11日、浜口内閣は金解禁(「金輸出解禁」の略で、一旦禁止した金貨幣または金地金の輸出を再び自由にすること)を断行する旨を内外に告示します。金解禁を断行することで、当面の不況の打開を図るべきだとする国内の意見が高まり、これを受けて、政府は再び予算の組み直しを始めます。そして、当時の金額で9000万円以上の節約を行ない、国民も一時的な窮乏生活に耐えて欲しいと、政府は訴えます。
更に、生産が独占体制に入っていた為、工業恐慌に結びつく懸念もありました。後に金解禁を断行して、未曾有の不況を引き起こす事になります。 こうした状況下、前年の1929年(昭和4年)10月24日、ニューヨーク・ウォール街では、株式大暴落を起こしていたのです。 この株式大暴落を出発点に、深刻な不況は全世界へと波及します。アメリカはF・ルーズベルト大統領のニュー・ディール政策(全国産業復興法・TVA・ワグナー法・社会保障など)で連邦政府権力を強め政府資金による資本主義経済の安定を目指しました。 また、イギリスやフランス等は保護貿易政策を展開して、自給自足の体制をとり、ブロック経済政策でこの不況に対処しようとしました。 しかし日本は、こうした打開策が何一つなく、この影響は次第に大きなものとなっていきます。日本人資本家達は、企業間でカルテルやトラストを結成し、価格の維持を図ろうとして奔走を繰り広げます。更に、労働賃金を引き下げて、労働者にその犧牲を強(し)いたのです。これは労働者の減少を来し、更に労働賃金の引き下げが行なわれた為に、国内購買力が弱まり、生産量とのバランスが崩れてか過剰生産となったのでした。 こうした中、帝国主義諸国間の国内事情と対立する事になり、ファシズムの台頭と戦争への危機が益々濃厚になっていきました。そして昭和6年(1931年)、浜口内閣は、「重要産業統制法」(カルテル・トラストの形成を促進し、産業統制の強化をはかった法律)を制定し、カルテル結成を助成して、生産と価格の制限を行ないました。この水面下にある画策は、戦争準備への下地造り」でした。
しかし、それでも不況は止まらず、益々深刻化して、特に大きな犠牲を強いられたのは農民達でした。化学飼料の価格は、独占資本の生産制限や価格協定等で一向に下がらず、農民の苦しみは日増しに倍加していったのです。 今回の大恐慌は、資本主義生産が過剰になって起きた恐慌ですから、それに加えて、予告通り金解禁を断行した為、未曾有(みぞう)の大不況を引き起こします。農村部ではこうした現状によって、貧農が増え、娘を身売りして、細々と喰い繋(つな)いで行く事になります。また、人々の心の中には、戦争を期待する想念が次第に根付いていく事になります。 そして後は、満州事変に至る、戦争への泥沼の中に足を踏み入れて行く事になるのです。 その頃ヨーロッパでは、日本が軍国主義の道を進んでいるとき、ドイツとイタリアではファシズム(全体主義)の道を驀進(ばくしん)していました。ドイツではヒトラーが現れ、イタリアではムッソリーニが政権を握り、国内をファシズムで統一を図ろうとしていました。 |
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| ▲ドイツ国民を前に熱弁を振るうヒトラー(Adolf Hitler/世界恐慌の混乱の中で中間層の支持を得、財界とも手を握って32年ナチ党を第一党とし、翌年首相となり、共産党その他を弾圧して34年総統となり独裁権を掌握。対外侵略を強行、39年第二次大戦をひき起した。1889〜1945)。 |
▲イタリアのファシス党の指導者で、宰相のムッソリーニ(Benito Mussolini/1919年ファシスト党を組織、22年政権を掌握してファシスト独裁体制を樹立。北イタリアのドイツ軍占領地域で再帰をはかったが、パルチザンに銃殺された。1883〜1945)。
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| ファシズム(fascismo/イタリア語・fascism/英語)とは、狭義に解釈すれば、イタリアのファシスト党の運動で、並びに同党が権力を握っていた時期の政治的理念およびその体制です。 更に資本主義の危機に対して、それを保守する為に、民衆のあらゆる自由を奪い、民主的な諸権利を踏みにじって、独裁政治体制を強行するもので、これをファシズムと呼びます。このファシズムは、イタリアに始まり、ルーマニア、ユーゴスラビア、ブルガリア、ギリシャ等のバルカン諸国に波及していきました。 またファシズムは、広義にとらえれば、国家権力の持つ本質的なものを言い、傾向・運動・支配体制等を言います。これは第一次大戦後、多くの資本主義国に出現し、とりわけイタリア・ドイツ・日本・スペイン・南米諸国・東欧諸国等はこの政治路線を執(と)ります。
ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発すると、日本では、昭和15年(1940年)7月に、第二次近衛内閣の新体制が成立し、同年の9月には日・独・伊三国同盟が結ばれます。 近衛内閣は、日中戦争の処理を目指して、新しい内政や外交政策を構想しますが、国内に於ては新体制運動が起こり、政党が解散されて大政翼賛会(1940年10月、第二次近衛内閣の下で新体制運動の結果結成)が産声を上げ、労働組合も解散して、大日本産業報国会(産業報国会の全国組織で、労資協調・戦争協力の官製労働者組織。日中戦争期に全国の事業所でつくられた)が結成され、国内ファシズム体制が確立されていきます。 以上の、こうした戦争へ向かう流れをみますと、決して自然発生的に、戦争へ向かうと言う偶然が自然体で起こるのではなく、あたかも必然的な意図をもって、シナリオ通りに画策されたと言う事が分かります。 繰り返しますように、十七世紀後半から十八世紀前半にかけて、発生した金融経済は、十九世紀に至って情報化社会と共に浮上して来ます。つまり、情報とは、支配する方と、支配される方に色分けする重要なキーワードとなっていくのです。 植民地主義や帝国主義を猖獗(しょうけつ/悪事を企む方の勢いが盛大になること)を極めた時期は、十九世紀以降の割拠(かっきょ/実力者が各々の地域を根拠として居座ること)する国家群の浮沈は、総て、自然体の結果から起こったものでない事が分かります。人工的に導かれたものだったのです。 そして、その裏には、世界は白人国家主導の許(もと)に、運営されねばならないとする意図が働いていたのです。 |