会員の声と相談者の質問回答集24




玄米スープの作り方を教えて下さい (28歳 主婦 本会会員)

 祖母は昭和2年生まれで、既に入れ歯をし、耳も遠くなっているので、そろそろ胃に優しい食べ物が必要と思います。
 そこで先生がよく食べておられるという玄米スープというものを作って、祖母を喜ばせてあげようと思うのですが、この作り方を詳しく教えていただけないでしょうか。宜しくお願いいたします。


回 答

玄米スープの作り方について


 このスープを作る場合は、出来るだけ無農薬(無農薬と豪語していても農薬で生産された玄米もある)のものを遣います。
 しかし、玄米は米の表皮の汚染物質を除去するフィチン酸が内蔵されており、抗ガン作用があります。
《癒しの杜の会》HPの「玄米」を参照。

玄米を洗わずに、鉄鍋か、それに準ずる鍋に入れる。筒型のものがよい。
喩えば1合の米で玄米スープを作る場合は、玄米の量の約8倍の水を入れる準備をしておく。
 そして「炒る」ことからはじめます。
玄米と、玄米量相当割合の約8倍の水の準備が終ったら、水に濡れていない「玄米を炒る作業」に取りかかる。
鍋は30秒ほど少し空焚きをしておいて、次に玄米を入れ、中火で、玄米がやや狐色になり、香ばしい香がするまで、ヘラで掻き回しながら炒る。これは堅い玄米の殻を破り、中のエキスが出易いようにする為です。また、玄米表皮の麸の部分を取り出す為です。
 香ばしい匂いがして来たら、次に、一気に水を入れ、ジューという音がしたら火を弱火に落す。
この状態で約、水の量が半分になるまで炊き込む。時間は20〜30分ほどで、煮詰めてエキスが玄米スープです。
20〜30分、煮込んだ後で、玄米エキスの取り出し方は、笊(ざる)などに「濾(こ)し布」を敷き、布で濾した後に、玄米スープが完成します。

 玄米を含んだまま食べても構いませんが、高齢者の場合は、できれば濾し布で「こしたスープ」の方が消化や吸収はいいようです。

 また濾した後の玄米は、普通の玄米炊きのご飯として、再び炊飯器にかければ、これを食べることが出来ますし、玄米が嫌いな人は、これを白米に混ぜて、白米炊きで、白米と玄米の混合ご飯として食する事が出来ます。

 この中には、ビタミンEをはじめとするバランスのよい栄養源が濃縮されており、一回の飲料目安は350ccのジュース量程度で、暖かいままでも飲めますし、夏場は冷蔵庫で冷やしても飲めます。一日に何度飲んでも構いません。
 多目に作っておいて、小出しにして飲むこと出来、2〜3日は日持ちがします。
 毎日飲むと風邪なども引かなくなり、元気の源です。

 さて、一日二食主義を心掛け、朝は排便タイムである為、食事は摂らずに、玄米スープを食します。
 また、春先は花粉症なども多くなりますので、玄米スープは花粉症にも効果的です。高齢者は、免疫力が失われているために、アレルギー性炎症である花粉症などの病気にも罹り易く、一度罹ると、毎年その症状が悩まされる人が多いようです。
 鼻炎・くしゃみ・喘息(ぜんそく)・結膜炎などを伴うこの病状は、免疫力の低下が病因となっています。免疫力を補充するエネルギー不足といえましょう。

 特に60歳の還暦を迎えられた方は、固形のご飯などを控えめにして、玄米スープを食すると粗食少食が実行出来ます。あまり内蔵に負担を兼ねないのが賢明です。
 老年期と言うのは、精神を向上させる時期であり、肉体から離れて、魂を向上させる時期です。この時期に若者のような、肉や乳製品を食べるのは禁物であり、また「白いもの」も禁物です。動蛋白は絶対にさけるべきでしょう。

 また、「三白ガン」といわれる、白砂糖(糖分は出来るだけ黒砂糖や果物から摂る)、精白塩、化学調味料や白米(食パンと言われる白パンや菓子パンも禁物)などであり、これらを食べれば、寿命を縮めてしまい、最後のラストスパートに失敗します。それにマーガリンなののプラスチックを原料としたトランス食品なども出来るだけ控えたいものです。トランス食品は他にもインスタント食品やカップ麺などもその手の有害な食品ですから、出来るだけ遠避けておくべきでしょう。

 つまり「死ぬ力」を失い、この世に未練ばかりが多くなって、臨終を失敗してしまいます。
 現代社会は生きる力のみを大事にして、死ぬ力を蔑ろにする時代です。そこで死期にある老人は、死ぬ事も出来ず、自身の心の裡で「地獄絵」を描き出し、その悪想念の中に入り込んで死んで行きます。これは精神だけが不浄界を彷徨う不成仏霊の実体です。こうした霊的世界の実体も、晩年期には学習が必要です。

 人間は人間に許された食べ物があり、血液を汚染させる動蛋白は避け、出来るだけ玄米菜食を中心にして、動蛋白類を摂取するときは、背中の青い、掌サイズの小魚介類を心掛けるべきでしょう。そして食事の基本は粗食少食です。つまり食餌法を心がけることです。





一日2食がどうしていいのでしょうか (37歳・女 美容院経営 初回無料メール相談)

 現代栄養学や現代医学では、朝食はしっかり摂るというふうに指導し、また多くの人も朝食は、その日のうちのエネルギー源と信じています。
 ところが一方で、朝食抜きの一日2食とか、一日1食とかの「マイナスの栄養学」があります。つまり、少食・粗食です。
 この少食・粗食の反論として、朝食抜きの一日2食では、その日のうちのエネルギーが補給出来ず、一日1食では「太る」という警告を出している医学者もいます。腸内クリーンは宿便を取り除くことを言うらしいのですが、現代医学の考えでは、「腸内に宿便はない」という解剖学からの見地が定説になっています。
 貴会の食思想は、科学の進んだ現代という時代に逆行していると思うのですが、ご意見をうかがわせて下さい。


回 答

 現代は「プラスの栄養学」で医学や栄養学や食物産業が動かされています。根底には「大量消費」という経済効果を狙った思惑があり、この背景には昭和20年代の終戦直後の日本の食糧政策には、GHQGeneral Headquarters/日本の大東亜戦争の敗戦により、日本を占領した連合国軍総司令部)のアメリカの食糧メジャーの思惑が絡んでいました。
 今日のような飽食の時代は、戦後の食糧難の時代に始まり、日本人は食べ物の欠乏した時代を経て、日本人の食生活は“十分に食べる”というのが食への第一の欲望でした。

 そして昭和30年代の高度成長を経て、次は“美味しいものを食べる”がこの当時の日本人の食生活の代名詞になり、ついに殆ど満足出来る状態を達成した時代に入って行きます。食道楽の時代が始まります。それは奇しくも欧米型の食生活を日本人が取り入れ、食卓の上の皿の中を星条旗で飾った油だらけの食事に変えてしまうことでした。その結果、食道楽と欧米型の食生活により、今までには聞き慣れない生活習慣病という病気が蔓延して行くのです。

 美味いものと聴けば「行列のできる店」などはざらにあり、また美味いものと聴けば、千里の道も何の其ので、お金さえ出せば欲しいものは何でも食べられる時代になりました。
 ところが人生には、「代価を払う」という“負”の一面が付き纏(まと)いますので、その反動は必ず跳ね返り、そのツケは「成人病」あるいは「生活習慣病」という名で、別の形の支払いが要求されます。自分の躰をもって、この支払いに応じなければなりません。これが現代病という病気の蔓延です。この現代病の正体は生活習慣と、その不摂生から起こる慢性的な食生活の誤りから起こるものです。現代人は食傷に冒されていることになります。

 その一方で、食が溢れ、食卓を油だらけにする食事が増え、況(ま)してトランス食品などが猛威を揮って、栄養学に疎(うと)い青少年を襲うとなると、もうこれは日本が崩壊の範囲に足を踏み入れているいっても過言ではないでしょう。
 こういう時代だからこそ、美味しいものを食べたいだけ食べる贅沢に対峙して、「食べない贅沢」というのがあるように思います。
 腹八分に留まらず、もっと減らして「腹六分」でも構わないのです。

 食べたいものが、お金さえ出せば直ぐに食べられるという食べ過ぎの害は、やがて生活習慣病をという病気で代価を払わされる羽目に陥ります。大食漢は、食傷で、人生を台無しにすることも考えておかねばなりません。
 そして食べ過ぎの害というのはよく言われますが、そうした医学的な観点に立って考えても、腹八分、腹七分、腹六分と言った少食に徹することも、大事ではないかと思います。
 それに粗食が加われば、経済的な節約にもなり、何でもお金さえ出せば食べられるという時代だからこそ、あえて粗食少食にするというのも、一つの考え方として「優雅な生き方」と言えるでのではないでしょうか。

 本来、「惨め」というのは、食べられない時代に遭遇して、食べられないことですが、今日のように食物が巷に溢れ、「お金さえ出せば、何でも食べられる」という時代に、あえて粗食少食に徹するというのも一つの考え方です。
 玄米を主食にした「玄米お粥」と梅干し一つで、これを唾液に混ぜてゆっくりと味わうというのも、逆の意味で、優雅な食生活だと思うのです。それはあたかも、肉汁でべたついたマキシムのロースビーフや、油でギラギラとした中華料理の大皿を囲むなどの食道楽主義と対峙して、あえて「粗食少食に徹する」というのとでは、果たしてどちらが優雅なのでしょうか。
 今こそ、文明と物質的恩恵のよって食傷した肉体と精神は、癒さなければならない時代に入ったといえましょう。
 俗界は、今や一日3食ではなく、一日4食も5食も摂るという食の考え方が若者を中心に流行し、それに中年層が真似をし、更には爺さん婆さんまでが右へ倣(なら)えして、身も心も「食べ過ぎの猛威」に襲われている時代ですから、少しここらで「体内の内臓を休ませる」というのも大事なのではないでしょうか。

 さて、一日2食の根拠は、「同化作用」と「異化作用」にあります。
 生体のもっとも根本的なところで支えているのは、この二つの作用であり、この生理機能は歴然としています。更にこの二つの働きは、相反する方向性で働いていることです。同化作用は生体物質を合成し、エネルギーとして蓄積して行くのに対し、異化作用は生体物質を分解し、エネルギーとして消費して行くことです。その上、この二つの作用は昼と夜で切り替わります。
 夕刻から明け方に掛けての夜間では断然、同化作用が優勢になり、明け方から昼を経由して夕方に至るまでは異化作用が優勢となります。

 一日の構図で、これを解説するならば、同化作用は食事の摂取と睡眠であり、また異化作用においては排泄と、その日一日の活動が主なる営みとなります。
 まず生体は、食事をすることでリラックス状態が訪れます。心身ともリラックスのうちに眠りに就き、睡眠中に同化作用が完了されます。
 そして、次の朝が来て目が覚めたら、腸内の不要物を排泄し、身軽となって、昨日、異化作用で得たエネルギーをもって、その日の活動に懸(か)かるのです。
 そして忘れてはならないのが、午前中の朝の時間は「排泄タイム」ということを念頭に置かねばなりません。
 そこで大事になるのが、排泄をスムーズに行う手段です。この手段で排泄を行うのは「固形の朝食を抜き」にするというのが大事なのです。この排泄タイムに、固形の食物を胃腸に送り込むというのは、却(かえ)って自然な形での排便反射にブレーキをかけてしまいます。

 中には、排便をしっかり行うために「朝食を摂る」という考えの人がいますが、これは現代栄養学者の唆し、錯覚に過ぎません。
 また朝食べたものが直ぐ、その日の一日のエネルギーになることはありません。今日一日のエネルギーは、昨日に食べた食物が、今日一日に還元されているのです。人体というのは、車などの機械と異なり、ガソリンを入れたからといって、直ぐにエネルギーに変換され、直結されるというものではないのです。
 食べた物が、活動エネルギーに変換されるまでには7〜8時間くらいかかるのです。これが生体と機械の違いです。
 したがって、この排泄タイムは、固形の物を入れるのではなく、飲食物で胃を刺戟するというのが最良で、液体物を胃に流し込むというのは多いに排便反射を高めることになります。便通促進と改質改善を考えるなら、過食を防ぐ意味からも、「朝食抜きで一日2食」が最良なのです。
 つまり現代人が忘れていることは、「空腹トレーニングする」という一時的な飢え状態を軽視し、これを忘れ去ってしまっていることです。一日のうちで、空腹状態を作っておくというのも、生きる上での大事なトレーニングなのです。

 食の理想は、一日3食より2食、2食より1食と、食事回数を減らすほど、全体の食事量は確実に減り、無理せずに楽々と節食が出来る訳です。
 また、一日1食にすると「太る」というのは根も葉もないデマであり、もともと食事量が減っているのに太る訳がありません。一日1食で太る場合の条件は、その一回に、この時ばかりと「ドカ食い」するからです。このドカ食いと、一日1食主義とは無関係であり、現代は誤った栄養学者や医学者が、自分の主張に正当性を持たせるために、いい加減な発言をしていることを忘れてはなりません。
 大量消費のスローガンに騙されないのが、賢明な食生活に繋がります。
 まずは手始めに、「腹八分の食生活」を。そして次に粗食少食を。




焦げについて教えて下さい (40歳・女 主婦 初回無料メール相談)

 テレビを見ていたら、焦げでガンにはならないとか、焦げからガンを発症するには、その焦げを1屯まで食べ続けて、やっとガンが発症すると明言している医学者がいます。焦げとガンの因果関係は、これまでよく言われてきましたが、これは本当に無関係だったのでしょうか。


回 答

 「ガン発症は血の汚れ」と提唱したのは、お茶の水クリニックの院長で、医学博士であった森下敬一先生です。そして森下先生は「ガンは穀菜食で克服出来る」という医学理論を展開してきました。
 さて、現代医療を見てきますと、現代医学は談に対して手厚いガン治療を行いつつも、多くの場合、その治療の結果、急速に悪化し、以前の面影は見る陰もなく衰えて行くのがガン患者の実情です。そのうえ抗ガン剤を投与されると、大変な苦痛に苛まされます。中には発見から数ヶ月で死亡するという例も少なくありません。
 そして、森下先生は次のように言っておられます。

 私ども自然医学の立場から言えば、非常に不自然でムリな治療をしているから、そうした悲劇が起こるのであって、正しい治療をおこないさいすれば、他の慢性病と同様スムーズに治癒していくものである。
 どうころんだところで、病気というものは、われわれの肉体上におこる変化にすぎないわけだから、ガンも他の慢性病も決定的な違いなどあろうはずがない。
 適切な処置さえおこなえば、ガンも治る。医学的にみて、生命体─────生きているからだというものの本質は何かといえば「元にもどることができる」という点である。
 肉体は可塑性をもっている。条件次第で、「より健康的な方向」か、「健康失墜の方向」かのどちらかにでも進む。だからこそ、病気になることもできたのである。だから逆に、健康になることもできる。
 なんらかの悪条件があって、健康体が病的状態に変化したのだから、その悪条件を除いていくことで、今度は逆方向の病的状態→健康体に進むこともできるのだ。
 カゼが治る、切り傷が治る……というような面では、「からだには自然に治る力が備わっているから、当然だ」とみているのに、慢性病となると、とたんにこうした考えはスッ飛んでしまう。ましてガンということになると、正常な思考力を完全に失ってしまうようだ。頭を混乱させてしまって、ただただ「不治だ」「恐い」という思いにとらわれて、現代医学の手にまかせたあげく、予測どおり
(?)に悲惨な結末を迎えてしまう。
 もっと冷静に考えてみなければならない。生命体の本質からみて、「そんなのは変だ」と感じなくてはいけない。
 日本のマスコミは無視してしまったが、『ライフ』誌にも大々的に報道されたサティラロ博士の例がある。アメリカの医師
(メソジスト病院長)のサティラロ博士は玄米・菜食でガン(睾丸ガン、前立腺ガン)を克服したことである。これが世界的な話題になったわけだが、実は、こんな例は少しも珍しいものではない。筆者のお茶の水クリニックのカルテには、こうした例は万単位で存在するからだ。自然医食療法によって、さまざまなガンが治っている。現在も、たくさんの人の診療を受け食事療法を実戦しつつあるから、治験例数はどんどんふえていっている。
 ガンは治る病気である。それもマグレや奇跡なんかでなく、当たり前の生理の法則性にのっとって治っていくのである。われわれのからだは、病変を解消して元の健康体にもどる能力を備えている。
(中略)
 なお、ガンという病気の一大特色は、どの部位のガンでも、大変に共通した面をもっていることである。ガンは上皮細胞
(器官や臓器をおおっているいちばん外側の細胞)におこる病変なので、上皮組織がある部位ならどこにでも発生する可能性がある。当然、発生部位によって症状の出かたは異なってくるわけだが、発病条件、治癒条件はほとんど変わりがないのである。
 だから“何ガン”だということには、こだわらなくてよい。いや、こだわらないほうがよい。脳腫瘍だからこうする、白血病だからどうする、肝臓ガンだからどうだ、といったことは基本的には何もないと考えてよい。
 ガン体質になったから、その人のからだのいちばん弱点にガン腫が発生したのであり、ガン体質解消をはかるべく浄血に努めるから、どの部位にできているガンも自然に消滅していく、という展開のしかたになる。

                             (森下敬一著『浄血健康法』より)

 そしてガンの正体は「血の汚れ」としていることです。
 ところが現代医学や現代栄養学は、ガン発症の理由を、次の点においています。

米を主食として大食いしている。
タンパク質の取り方が少ない。
副食物が不足している。
食事が偏っている。肉と野菜がバランスよく摂られていない。
カビや発酵食品が悪者らしい。
漬物や塩魚を摂り過ぎている。
干し魚などの魚類加工食品から、二級アミンを多く摂取している。
 だから、ガンを発症する。

 これに対して森下先生は、まず欠陥食品として白米を挙げています。
 「米」とは精白された白米が悪いのであって、白米の常食は結局、発ガン因子であると指摘しています。白米はビタミンB群を大幅に欠乏させてしまっているからです。この欠乏は大幅に新陳代謝を狂わせ、血液性状を混乱させるといっておられます。
 つまり、この「白米」は“白い食品”のことで、白米の他、白パン、漂白精製塩、白砂糖、化学調味料などであり、これが血液を汚しているとしているのです。
 森下先生曰く、「ガン」と呼ばれているものは、「ガン細胞が寄り集まったガン腫、つまり“おでき”であり、ガン腫と呼ばれものは何か特別のものと考え勝ちだが、組織学的に見れば、その実体は炎症に過ぎない」といっています。

 そして人間の躰で、ガン腫ができる条件は……、つまり炎症が起こる条件は、「血液が酸毒化する」ことだったのです。
 それは腸内で食物が腐敗し、その結果生み出されたアミンやアンモニアなどの腐敗物質が血液中に取り込まれ、血液になって体中を巡る。汚れた血液が躰を循環し、一番弱っている組織に取り憑く。つまり、酸毒物質が弱点部位に取り憑いて異常刺戟を与えることです。
 これが反応として顕われたものが「炎症」であり、それが弱点部位の組織の炎症だったのです。
 この炎症はガン腫も例外ではなく、もとはといえば「血の汚れ」から起こったものでした。

 特に食肉・鶏卵・肉加工食品・乳製品などの“動物性タンパク摂取過剰”は、これを摂取することで、腸内では異常停滞と異常発酵が起こって、停滞ならびに腐敗が始まっていたのです。これが血液に取り込まれ、身体中を循環し、一番弱体した部位の組織に炎症を起こさせていたわけです。
 ガンとは炎症が慢性化し、固定化し、やがてガン腫に姿を変えるというカラクリがあったのです。
 こうした悪条件から解放されるためには、まず汚れた血を「浄血」させる必要があったのです。

 更にそれに加えて、血液を汚す食品や食品調理の過程において、そうした血を汚す食品を摂らないことも大事なのですが、調理過程での「発ガン」となるものを取り除いておかねばなりません。
 つまり、森下先生は「焼け焦げ」の危険性を指摘しているのです。
 昨今はある医学者が、「ガンが発症するまでに“焼け焦げ”は1屯(1000kg)以上、摂取しなければ発症しない」と、テレビなそのマスコミを通じで前代未聞の発言をし、その科学データを視聴者に示しましたが、これはとんでもない暴言です。

天ぷらなどの加工食品の煮過ぎた焦げ
焼き鶏肉の焼け焦げ部分
 焼け焦げ食品は1屯(1000kg)以上食べないとガンは発症しないといった権威筋の「焼け焦げ無用論」を支持する方は、1屯の手前の999kgまで、肉でも魚でも野菜でも、何でも焼け焦げ状態にして食してみたら如何だろうか。
 「焼け焦げ無用論」の仮説では、1屯まで焦げを食べないとガン発症はしないと力説しているからだ。

 「焼け焦げ」という現象は、哺乳動物ならびに鶏の肉や、魚の肉のタンパク質の焦げで構成しています。この構成から、肉や魚のタンパク源には、当然のことながらアミノ酸類が存在します。このアミノ酸類が摂氏500度から700度の高熱に当たると、分解を始め、変異原性や発ガン性を物質に変わります。焼き肉や焼き魚の「焼き焦げの部分」は炭素化していますから、摂氏500度から700度の高熱が当たったことを物語っています。
 アミノ酸のうちでも、特にトリプトファンTryptophan/芳香族アミノ酸の一つで、必須アミノ酸として、生体内でインドール・セロトニン・ニコチン酸などの生成に関与し、生理上重要な物質)の場合は、高熱で焦げ状態を作ると、強力な発ガン性物質である、トリプP1やトリプP2が出来ます。
 また、同じアミノ酸の一種であるグルタミン酸glutamine/蛋白質を構成するアミノ酸の一つで、白色結晶をもち、直ぐに水に溶け、旨みがある。グルタミン酸のナトリウム塩は昆布の旨みを形成するもので、調味料としても製造される)も高温で加熱されると、グルP1とグルP2が生成され、発ガン物質を生成します。

 これと似た状態は、肉や魚の薫製食品にも当てはまります。
 その製造工程には、魚介や獣肉などを塩漬にし、次にナラやカシなどの樹脂の少ない木材の煙で燻(いぶ)して加工します。一種の「軽い焦げ状態」に当たります。
 この場合、特有の香味があり、保存性が増す一方で、強力な発ガン性物質が生み出されます。日本でよく知られているのは「鰊(にしん)の薫製」などです。

 薫製という形で食品加工が行われると、ベンツピレンBenzpyren/分子式C20H12 5個のベンゼン環が縮合した芳香族炭化水素で黄色の結晶をつくる。コールタール中に含まれることで知られる。また強い発ガン性をもつ。ベンゾピレンとも)という強力な発ガン性物質が生み出され、それが食品中に含まれています。ベンツピレンは細胞に変化を与えることで知られています。その変化が異常細胞を作り、また細胞自体の性質を狂わせることによって、細胞は慢性の経過をたどりながら徐々に病変していきます。フィンランドやアイスランドで胃ガン患者が多いのは、薫製食品を大量に常食しているからだともいわれます。

 そして焼け焦げでできた、微量の発ガン物質が、他の有害な酸毒物質と結合して、更なる発ガンの要因を生むことが問題なのです。
 これは焼け焦げは1屯まで喰らっても大丈夫という、そうした単純な問題ではありません。焼け焦げは、他の有害物質と結びつくということを警戒しなければなりません。焼け焦げから発生したトリプP1やトリプP2やグルP1とグルP2は、単体で悪さをするのではないのです。これらは他の有害物質と結合して「合併状態」を作ることを忘れてはなりません。

 更に加熱によって長時間使用された、「焦げた油」や「変質した油」も危険です。なぜなら、「酸化した油」であるからです。油は発ガン因子であることを十分に認識し、出来るだけ遠避けたいものです。
 これは植物油でも同じです。
 植物油でも加熱によって焦げや変質した状態になると、酸化状態から考えて動物性食品同様、生理代謝に混乱を来します。油という食品は過酸化すると、発ガン性の物質に変質してしまう危険を認識しておくべきです。
 「加熱」と言う状態は、いわば焦げを作ることで、この焼け焦げは、発ガン因子となる可能性が大きいということを認識しておくべきでしょう。加熱の結果、過酸化脂肪を生み出すからです。
 過酸化脂肪は、直接には発ガンに結びつかなかったとしても、老化物質であることは明白で、組織の酸欠を招き、血液の粘りを増して高血圧や動脈硬化を招きます。この老化物質が、肝臓・心臓・皮膚・脳などに沈着し、正常な機能を阻害することになります。

 更に、過酸化した油の運び屋はスナック菓子などで、一般に出回っているポテトチップスや油で揚げた菓子類、更には鶏の唐揚げや魚介の練り製品などです。こうした多くの食品には「精製オイル」が使われています。油というものは、長時間に亘って加熱すると、「焼き焦げ」と同様、強酸化して変質するということを忘れてはなりません。

 焼け焦げは1屯まで食べ続けて、やっとガンが発症する。だから一屯までは、焼き肉や焼き魚の焦げも、食べて宜しいというふうに聴こえます。
 こうした意図的な誘導の背景には、食肉産業や肉加工産業などの食品産業と、動蛋白を信仰する医学者や栄養学者の迎合が考えられ、それらの産業の「宣伝メッセージ」の代弁者となっていることが少なくありません。
 焼け焦げとガン発症の因果関係は、極めて小さいなどとする荒唐無稽な科学テータに惑わされず、正しい食餌法を実践したいものです。
 日本人は農耕民族であり、太古よりその伝統を連綿として守ってきました。
 ところが日本は、アメリカやその他欧米の連合国がいうところの太平洋戦争に敗れた結果、古来よりの食文化まで崩壊させてしまいました。そして今日では、幾分は日本食も見直されているとはいえ、これらの「和食」と称する日本食は、実は巧妙な手法が用いられた“和食”の名を借りた、実は、何とも奇妙な欧米食の変形だったのです。
 多くの日本人の誰もが思い込んでいる今日の和食は、実は和食などではなく、和食の名を借りた、実は巧妙な欧米食思考で作られた「食卓に油を持ち込むの変形だった」のです。

 ちなみに、かの有名な霊能者だったヒトラーAdolf Hitler/ドイツ労働者党に入党、党名をナチ党と改めて1921年党首となる。世界大恐慌の混乱の中で中間層の支持を得、ユダヤ財界とも手を握って32年ナチ党を第一党とし、翌年首相となる。共産党その他を弾圧して、34年総統となり独裁権を掌握する。相当に上り詰めるまでの政治ルールは民主主義の多数決に酔って実行された。以後、対外侵略を強行、39年第二次大戦をひき起こし、降伏直前に自殺。1923年にミュンヘン一揆を企てて入獄し、25年に顕したその著書『わが闘争(マイン・カンプ)』は世界的に有名。1889〜1945)は、徹底した菜食主義だったといいます。
 パーティーなどのセレモニーには自らの姿を現したにもかかわらず、そこのパーティー会場で出されたオードブルなどの食事には一切口も付けなかったといいます。そして、そこに招待された政府官僚や国防軍の高級将校が勢揃いした中で、彼等が食事をする模様を、あたかも「愚民」を見るように、冷ややかに嘲笑するように眺めていたといいます。つまり、動蛋白食には一切手をつけなかったというのです。それは「動蛋白が人体にもたらす害」を知っていたからだといわれます。
 そして、そのパーティー終了後、自分だけの菜食料理を得意とするコック連に、自分一人のための食事を作らせたといいます。
 つまり、ヒトラーは徹底した菜食主義者であり、動蛋白食品を一切口にしなかったといいます。
 それは何故でしょうか。

 ヒトラーは、動物性タンパク摂取は「血を汚す」ということを知っていたらしいのです。
 また、当時のドイツでの、国家社会主義者(Nationalsozialist)が結集した国家社会主義ドイツ労働者党は、政治団体を兼ねた宗教団体でもありました。その象徴するものが「ハーケン・クロイツ(Hakenkreuz)」です。
 ハーケン・クロイツは「卍」のマークとは逆の、右鉤の「逆卍」です。この「逆卍」を国家社会主義ドイツ労働者党の党旗に、1919年以来使ったのはヒトラー自身が、かつて東洋を研究した証(あかし)だといわれます。東洋研究とともに「霊的な力」の存在までもを知ったのでした。

 肉食をすれば、思考が酸毒化して短絡化する。更に「肉や魚の焼け焦げを喰えば、ガン発症をする」まで研究していたそうです。
 ナチスドイツの、ユダヤ人虐殺や人体実験の背景には、こうした医学的探求の目的があったと思われます。
 ちなみに、日本にも731部隊という、第二次世界大戦期の大日本帝国陸軍に存在した 研究機関があったことは周知の通りです。この部隊は関東軍防疫給水部本部に属し、石井四郎陸軍軍医中将が部隊を率いていました。
 そこでは人体実験が行われ、「マルタ」と呼ばれる抗日組織の人々が人体実験のために犠牲となり、その数は三千名を超えたともいわれます。

 さて、人体を構成するのは「食」です。
 食物は摂取すると、躰の中心部である胃腸に納められます。更に腸においては、腸壁に取り込まれます。腸壁から血管内を駆け巡り、赤血球に変えられます。これが『腸造血説』の根拠です。一般に信じられている「血液は骨髄で作られるという骨髄造血説」とは反目します。
 『腸造血説』によれば、食物が躰に取り込まれその本体である内蔵、筋肉、骨、皮膚などの総ての組織器官を構成する体細胞に発展します。
 つまり、食物の世界では、食物がまず「血の世界」を生成し、次に血の世界が「体細胞の世界」を造り上げるということなのです。
 このプロセスを追うと、食が血になり、血が躰に変わっていくことが分かります。
 裏から見れば、躰の根本は「食物」ということが分かります。この食思想は、実に東洋的です。また浄血すると思考が変化するという、食の間接的変化も、また東洋的です。だから、血液は汚してはならないというのも東洋的です。
 これらは総て、東洋医学が造り上げた『腸造血説』の食思想だからです。

 こうした食思想を霊能者であったヒトラーが、これに目を付けたとしても不思議ではありません。
 その結果、菜食主義に徹することが霊能力を強力に……、豊かにすると検(み)たのでしょう。
 動蛋白摂取は、便秘や腸内での腐敗を招きます。その腐敗は尿酸、硫酸、リン酸、硝酸、塩酸などの有害な強酸類を生成します。そうなると、血液は酸毒症となります。酸毒症となると、生成された共産水を中和させるために体内のアルカリ成分である、ミネラルが大量に消費されます。
 この状態に至ると、血液中に停滞する異常老廃物質は粘液を刺戟して、異常な粘液分泌が引き起こされます。例えば痰などです。
 それに合併状態が起こり、組織細胞における血行不全である「炎症」や、破壊である「壊疽」が起こり易くなります。これは肉体の病気が血液性状の異常から起こることを物語っています。

 血液中に取り込まれた過剰な強酸類は、また性腺を刺戟するものです。性腺を過度に刺戟して、異常な性的興奮状態が起こります。
 昨今の男女が、若者に限らず、中年層にも壮年層にも、また高齢層にも不純異性行為という不倫が流行しているのは、食の誤りと密接な関係があります。
 更に少年少女が、昔の子供に比べて早熟なのは、肉などの動蛋白摂取の常食と密接化関係があり、結局、動蛋白摂取は早熟を齎すだけでなく、早老を齎す食事法だったということが分かります。
 その上に、排泄障害が発症します。
 前立腺肥大症や前立腺ガン、更には膀胱ガンや大腸ガンは、その大本である排泄機能を司る腎臓などが腐敗物質で疲弊していることに由来します。それによって臓器の機能が低下します。動蛋白摂取で血液が酸性化すると、著しい機能失墜が起こり、ついに心身までバテ易くなります。
 更に注目すべきは、思考までもが酸毒化するということです。

 どうやら当時のヒトラーは此処に目を付け、国民の愚昧化あるいは愚民化を図ったのではなかろうかと思える節があります。
 酸毒思考に陥る病因は、腸内に老廃物が充満することで、肉体的にも精神的にも疲労状態を作ります。疲労し易いということは、一刻も早く疲労状態から解放されたいと思う気持ちが先走り、複雑な考え方が出来なくなります。こうなると単純な方を選択してしまうのが人間です。
 そのために皮相的な物の見方をするのが主体となり、短絡的な思考の特長は、右か左かという安易な考えに落ち着きます。
 要するに○×なのです。そしてついに安直な挙動に出ます。
 こうなった場合の人間は一番感化し易いのです。思い通りに洗脳でき、改造し易いのです。ドイツがナチズムに染まっている背景には、こうした目論見があったことが窺えます。

 そして人間は食事一つで、安易な方を選択するなどの、こうした食にまつわる東洋の霊的な力の存在を知ったのでした。食思想を逆手に取ったと考えられます。衆愚の論理を知ったのです。また、これを全体に「愚昧化する社会構造」に応用したのです。
 かくしてドイツでは、第一次世界大戦敗戦後のベルサイユ条約以降、民主主義のルールに則って、あの激動の時代に、衆愚政治から国民が選挙でヒトラーを誕生させたのです。

 また、その背景にはヒトラーの“菜食主義者”Vs“肉食並びに動蛋白主義者”の比も、28:72にしたのではないかといわれます。
 ヒトラー自身は霊能者として、支配階級と被支配階級を隔て、ユダヤ思想の則って「28:72」のヒエラルキーバランスを考えたともいわれます。
 しかし、ヒトラーもやがて悪運が尽き、ヨーロッパ戦線の末期には、食べ物の誤りで持病の鬱病を悪化させたらしく、精神的に落ち着かなかったといいます。食の誤りは、このように直ぐに跳ね返り、かつてのツケを代価として請求されてしまうのです。

 ちなみに「28:72」のヒエラルキーバランスですが、この対比は、今でも崩されて要らず、世界の支配層として上位に君臨する者と、下位に位置づけられる者との比は、まさしく28:72を維持しているのです。
 今日に見る“リッチ層”Vs“ミドル層”の如実な関係です。

 くれぐれも、荒唐無稽なデマに流されないことが大事です。
 現代は「宣伝勝ち」の時代です。巧みに宣伝を遣った方が勝利する世の中です。
 焼け焦げで発ガンするのは「1屯」以上と言う数字を、逆から見れば、1屯まで喰らっても大丈夫というように聴こえてなりません。
 この考え方を支持する人は、既に短絡的で、単純にテレビ出演の権威筋を信奉する酸毒思考が出来上がっているのではないでしょうか。
 焼け焦げを1屯まで喰らっても大丈夫という考え方を支持する人は、どうぞお好きなよいに、肉でも魚でも野菜でも、焼け焦げ状態にして、1屯の手前の999kgまで食されれば如何かと思います。
 どうぞ、ご自由に「焼け焦げ」をお召し上がり下さい。。