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西郷派大東流と武士道

刺客の凶刃に斃れた浅沼稲次郎
(しかくのきょうじんにたおれたあさぬまいねじろう)

●浅沼の心底には有事の備えがあったのか

 刺されて、死亡するまでの時間が非常に短いのは、凶器が刃渡り34cmの脇指であった事である。
 一部の報道では、報道関係者の無知から、事件に遣(つか)われた「34cmの脇指」を、「34cmの短刀」と報道しているメディアがあったが、これは正しくは、短刀ではなく、「脇指」である。

 この辺の報道陣の、報道内容も、実にいい加減なところがある。
 かつて、朝日新聞の某記者は、犯罪に遣われた拳銃の「S&W」という表示のメーカー社名を、「スミス・アンド・ウエスタン」と記事に掲載して大恥をかいた事があった。

 こうした感覚はそれぐらい、日本人が武器から遠ざけられ、武器を遠ざけ、研究する機会を国民に与えなければ、それだけ平和になると考えた、平和主義の顕(あら)われである。
 だから、似非的(えせてき)な平和主義者達は、脇指を短刀に書き間違おうと、「S&W」(SMITH&WESSON)を「スミス・アンド・ウエスタン」と訳そうと、どうでもいいことなのである。無知といえば無知である。

 さて、銃刀法の既定からすると、短刀と脇指の区別は、刃渡り15cm以上30cm未満を短刀(俗にいう匕首(あいくち)などの九寸五分の物を指す)と言い、30cm以上60cm未満を「脇指」と定義している。したがって、「刃物の長さ」というのが大いに問題になるわけである。
 短刀と脇差の形や長さの違いは、次の通りである。

短刀は形が「平造り」で、銃刀法では刃渡り15cmから30cm未満のものを言う。
(写真提供:大東美術商会)
 
脇差は形が「鎬造り」で、銃刀法では刃渡り30cmから60cm未満のものを言う。
(写真提供:大東美術商会)

 平和ボケした日本人の感覚は、短刀であろうが、脇指であろうが、そんな長さなど、どうでもいいではないかという安易な考えがあるが、実は、これは大きな問題を抱えているのである。それは短刀と脇指の各々に、異なった特長を見る事が出来るからである。
 つまり、「短刀」というのは、「短剣」ともいい、「直刀」である為、「突き刺すのに用いる」ところから、刺刀(さすが)と呼び、佩用(はいよう)上からは、懐刀(ふところがたな)と称されたものである。また、匕首(あいくち)などとも呼ぶ。そして、最大の特長は、「反(そ)り」がないことだ。

 短刀の、「反りがない」理由は、「鎧(よろい)通し」に似た働きがあり、反りのない、重厚に鍛えた短刀を「鎧通し」と称した。室町時代頃には、主に軍陣で用いられ、「九寸五分(くすんごぶ)」と称せられた。

 一方、脇指には反りがある。短刀と異なり、30cm未満の物ではなく、30cm以上であり、本来は腰挿(こしざし)といわれるものである。
 また、脇指と謂(い)われる所以は、拵(こしらえ)のあるものは、左腰に差すように作った短い鍔刀(つばがたな)という意味で、長い打刀(うちがたな)に添えて、脇に差す小刀(ちいさがたな)を呼称したものである。室町末期には、「差添(さしぞえ)の刀」ともいい、江戸時代になって、いわゆる大小の「小刀」となったのである。

 したがって、短刀と脇指は、単に長さが違うと言うものではなく、その用い方も異なり、更に決定的に異なっている点は、「反り」があるか、ないかと言う事が、大きな特長的な違いを持っていた。そして、両者の違いは研究し尽くされ、戦国期は智慧(ちえ)をもって戦陣に臨んだものである。

 しかし、時代が下り、江戸中期になると、『元禄大平記』などの浮世草子が世に出るようになり、世の中は平和一色になった。平和な世相を語り合う、一種の文化時評的性格を持つ、花見風俗なものまで出現する。世の中が全般的に平和ボケに傾倒する方向へと進んでいく。

 かつて某首相が、高度経済成長政策を経て、70年代、「昭和元禄」という流行語を流行らせたが、この時代も、日本全体は平和ボケで狂乱した時代であり、国民から武器は遠のいていた。「平和ボケ」という言葉も、マスコミを通じて盛んに遣われるようになった。そして武器を研究しないこと、我が身を護る技術を研究しないことが、平和の使者のように誤解された。丸腰で、何処にでも出かけていき、「丸腰であることが正義である」かのようなポーズをとり、日本政府も「丸腰外交」を展開し、これを憲法第九条に附随させてしまったのである。しかし、奇しくもこれは、海外から無心される結果を招き、特に中国・北京政府においては、朝貢的(ちょうこうてき)名目で、多額の無償援助を求められている。そして、北京政府に亘った日本の無償援助資金は、中国の公安当局の工作費に使われ、またこの工作費の一部が北朝鮮に流れている。

 しかし、その出所は、日本国民の血と汗の結晶である「血税」である。一体こうした資金の流れを、どれほどの国民が知っているのだろうか。
 また、コロンビアの麻薬カルテルへの資金援助は、アメリカのイスラエル援助資金によって賄(まかな)われている。アメリカはイスラエルに援助する。イスラエルは、軍事顧問団をコロンビアの麻薬カルテルの軍事教練の為に、顧問団を派遣し、そしてイスラエル製の武器を売りつける。その出所の元は、アメリカのイスラエル援助にある。しかし、アメリカから出るイスラエルの援助資金は、実は日本国民の「血税」で賄われている。日本人の、こうした一面を、平和ボケといわずして、何といおう。
 以降、平和ボケは、日本人の後遺症として蔓延(まんえん)することになる。危機感も平和ボケにより、薄れることになる。

 ところが、こうした無知が、間違いなく不穏な事件を起す、温床になっていることだ。
 一般に、「平和」は、武器を遠避けさえすれば、それで達成できると考える節が少なくない。また、平和になれば、武器の消費は少ないと考える。似非的(えせてき)な、進歩的文化人の平和主義者の考え方は、危険な物に蓋(ふた)をし、それだけで平和が達成できると言う素人と考えを持っている。また、「平和、平和」とシュプレヒコールを上げ、街頭デモを行えば、世界はそれで平和になると考えている。朝日新聞も悪乗りして、この理不尽な論理に便乗した。日本国民を赤化方向に煽(あお)り立てた。今日も、その延長上にある。

 その意味で、1970年代の小田実(おだまこと)の「べ平連(べへいれん)」などは、その最たるものであった。その末端分子で、走狗となって、踊った学生や労働者は、禍根として横たわる元凶の存在を知らなかったのである。
 赤化に誘導して、国民を丸腰にしておいて、そこから「平和を勝ち取る」という考えは、非常に危険なことである。

 例えば、平和な時代、軍隊は必要ではなく、また軍隊の訓練も必要がないと考え勝ちである。しかし、平和な時代を維持する為に、軍隊は水面下で、自らに任務を確実に熟(こな)している。
 そもそも、軍隊と云う組織は、武器を大量に消費させる事により、軍隊に与えられた任務を確実に熟していく。これは一見当たり前の事であるが、素人には水面下で起っていることが想像できないので、平和な時は、武器の消費がないと考えてしまう。

 だが、間違いは此処にある。「有事」という一大事は、いつ何時、こうした事態が発生するか分からない。その時に備えて、軍隊は常に最新の兵器を使い熟(こな)し、高等訓練を受けて、最高の状態に仕上げておかなければならない。
 また、武器には、食べ物と同じように、十年間でワン・サイクルと云う「賞味期限」がある。戦車でも戦闘機でも、航空艦船でも潜水艦でも、装備と燃料および銃弾や砲弾には、一定の保管期間と云うのがあり、それを過ぎた兵器は、まるでコンビニの賞味期限を過ぎた食べ物のように、残飯(ざんぱん)として捨てられるのである。この残飯の引き取り先が、日本の自衛隊である。

 平和を考える時、事物には保存の周期があり、また軍隊としての人命と武器を、大量に消費させながら目的を達成するという任務の裏には、平時こそ、備えを万全にしなければならないと云う、余裕的な発想が根付いている。使い熟し、研究することで、敵に付け入られない境地を保つ為である。あるいは付け入る隙(すき)を与えない為である。
 だが、「火事は絶対に起してはならない。しかし、火事に備えて、消化訓練を常に怠ってはならない」という考えを忘れた時、人は思わぬ不幸に遭遇する。

 

●なぜ脇指が遣われたのか

 暗殺に、至近距離しか撃てない拳銃を遣う事は、銃弾で確実に殺すことができないからだ。
 これは戦前の右翼が暗殺の為に拳銃を発砲させ、即死させることが出来なかった反省に基づくものと思われる。
 例えば右翼の発砲事件は、次の通りである。

 昭和5年(1930)11月14日、首相・浜口雄幸狙撃される。翌年の8月に死亡。犯人は愛国社社員・佐郷屋留雄(さごや‐とめお)、23歳。昭和8年(1933)11月死刑判決が下り、のち恩赦(おんしゃ)により無期懲役。昭和15年(1940)に仮出獄。第二次大戦後、井上日召(いのうえ‐にっしょう)らと護国団を結成し、右翼運動に活躍する。
 昭和7年(1932)2月9日、本郷で民政党の駒井候補の応援演説会に駆けつけた前大蔵大臣・井上準之助(いのうえ‐じゅんのすけ)が暗殺される。世に言う、血盟団事件である。犯人は小沼正(こぬま‐ただし)、21歳。無期懲役。
 昭和8年3月5日、特権階級で三井合名会社理事長の団琢磨(だん‐たくま)が暗殺される。犯人は菱川五郎(ひしかわ井上日召ごろう)、22歳。背後には日蓮宗護国堂の井上日召の指導があった。無期懲役。
 以上の暗殺に使われたのは、総て拳銃である。

 さて昨今は、海外から、相当数の拳銃が日本の国内に持ち込まれている。暴力団をはじめとして、拳銃マニアがこれを欲しがる。

 差し詰め、旧ソ連製の軍用拳銃のコピーである中国製のトカレフなどは、大量に日本国内に持ち込まれ、コピー製であるだけに、「重くて二流の拳銃」と悪評の高いトカレフは、それでも世の中を騒然とさせる不安材料になり、物理的な暴力の一翼を担っていることは疑いのない事実である。

 そこで護身用として、これらを不法に、非合法的に所持したいと思う、暴力団員や拳銃マニアは決して少なくない。ところが、こうした拳銃であっても、5m離れれば、相当に訓練を受けていないと、標的に当てることは難しい。トカレフを重くて二流の拳銃と蔑視するが、ブローニングやベレッタなどの、ブランド拳銃でも、標的が5m以上離れ、たえず動き廻っていては、これに中々命中させることができない。
 況(ま)して、心臓に一撃を撃ち込み、即死させるということは、相当な高等訓練を受けていない者でない限り、不可能である。

 したがって、拳銃は刃物に比べ、むしろ恐れるべき対象ではない。また、拳銃があっても、日本の国内では、拳銃を練習する練習場がない為、一般のマニアは撃ちたくても、撃てずに、ハワイなどに射撃ツアーに出かけて行く。しかし、これは本格的な射撃の為の高等訓練になるようなものではなく、単に旅行とセットになっているもので、「レジャー」と「遊び」の要素が強い。

 つまり、「暗殺」だけを考えれば、刃物で刺した方が殺傷率は高く、確実な致命傷を負わせることが出来るからだ。
 一般に接近戦で用いる最高の武器となれば、誰もが拳銃を想像する。
 ところが、拳銃はよほど訓練を受けていないと、簡単には人間を殺傷する事は出来ない。また、訓練を受けてプロの腕前になるまでには、かなりの時間をそれに懸る、多額の金銭が必要となる。

 かつて、ある高級外車のメーカーが、「年間所得3000万円を超えたら、ジャガーに乗ろう」という、セールスコピーをしていたが、ライフル協会に入り、ライフル射撃をするだけでも、これはハイクラスなスポーツである為に、庶民では中々手が出ない。
 こうした観点で、「一撃必殺」あるいは「一人一殺主義」を貫こうとすれば、刃物と云うことになる。
 日本刀などの刀剣を所持する場合、満20歳以上の者が、登録書のある刀剣類を刀屋で買い、刀剣類の戸籍のある各都道府県の教育委員会文化財保護課に「所有者変更届出書」を出せば、それで刀剣類は所持できる。名義所有者が、満20歳以上であれば、誰が使おうと自由であるからだ。こうした物が、犯行に使われたとしても不思議ではない。

 しかし、刃物にしても、これを遣うとなれば、かなりの技術力が必要となる。剣術の稽古をし、据え物斬りの経験者でないと、斬ったり刺したりは出来ない。特に、「刺す技術」は難しく、斬る技術があっても、刺す技術がなければ、人間を一撃で刺し殺すことは出来ない。これはナイフなどの構造と、日本刀が異なっている為である。

 また、「対刃物防禦戦」に関して論ずるならば、まず人間の構造から思料するべきであり、人間はもともと横に這(は)っていた水冷式哺乳動物が、直立して、立つようになったという構造を持っている。この構造は他の動物と異なり、直立しただけに、「横の揺すぶり」に弱くなったという欠点がる。この弱さをカバーする為に、日本では古来より、「腰」を落とし、重心を下げるという防禦姿勢がとられてきた。特に、剣術では、この事が最重要視された。この姿勢が崩れれば、腰が引けて、最悪の「及び腰」になってしまうのである。

 しかし、人間の視覚は、道元禅師が言ったように「汝、眼に誑(たぶら)かされる」と言う通りに、眼で刃物を見てしまった場合、最後までこれに翻弄(ほんろう)されてしまう。対刃物防禦戦の心得のない者は、始終は者の恐怖に悩まされ続け、刃物の行方を眼で追う作業に振り回される。もう、この時点で、生還への期待は望み薄になる。この意味で、刃物はターゲットに対し、心理的に大きな揺すぶりの効果があるものと思われる。

 それに刃物の場合、腹部を刺され、内臓のいずれかの臓器に損傷を受けた時、仮に一命を取り留めたとして、その後に水を飲んだりアルコールなどの液体を飲むと、必ず腹膜炎を起こす。この事は、かつてプロレスの王者・力道山が名もないチンピラに腹部を刺され死亡していることから考えても明白である。腹部に損傷を受け、こうした状態にある時、食事をしたり、水を飲むなどの行為は避けなければならないのである。

 万一、咽喉(のど)に渇きを覚え、水を飲む場合は絶対にガブ飲みできない。しかし、衝動的に、万一ガブ飲みをした場合は、まず咽喉に指を突っ込み、一旦吐き出してから、口の中をうがいし、その後少しずつ、舐(な)めるようにして飲むのである。
 また、日頃から食事をするにしても、腹八分ではなく、「腹六分」の食事量にとどめ、粗食少食に徹するべきである。これは万一不慮の事故に遭遇し、刃物などで刺された場合、こうした日頃の精進が、命を取り留める有効な決め手になるからだ。

 一方、これを裏返しに考えていけば、刺客は、こうした心得のない人間ほど刺し易く、万一、その場での殺人に失敗しても、後日死亡するという事があり、自らの目的は達成できるからである。ここに拳銃とは一味違う、刃物で殺傷する現実が裏に潜んでいるのである。
 私たち現代人は、久しく暴力から遠ざかった平和主義の世の中で、生活をしている為、日常生活の裏側に、「非日常」という現実があることを長らく忘れてしまっている。浅沼刺殺事件も、こうした現実下に起ったのである。

 

●刃を横に寝せて遣う手練の技術

 刃物の手練(てだれ)は、その「突き」において、「刃を横に寝せる」という独特の技術を用いる。刃を寝せる事により、人体の縦に流れる血管を断ち切ることは出来るからである。同じ突きでも、刃を単に突き出すだけと、刃を寝せながら、突きの回転を加えて捻(ひね)り出した突きとは、刺さった場合の威力が異なる。

 人間は「直立歩行」の行動をする為、他の地面を這(は)う四足動物と異なり、四肢のや胴体の血管は、ほぼ垂直状態にある。しただって、人体に効果的な突きを刺すには、刃を寝かせた方が、血管を切断しやすいのである。そこで刃を寝せる為の「捻り」が必要になる。

人体のおける血管図(画像クリックで拡大)

 「捻り」は、目標に突き立てる場合、進入角度を焦点をボカさずに、一点を確実に貫通することができる。一方、単なる突きは、突き立てる焦点が定まり難い為、確実に一点を突き刺すと云うことに、ブレが生じ、狙った急所から反れることにもなる。また「突き立てる威力」が、小さく、「茶巾絞り」が充分でないので、その威力は弱くなる。

 刺殺事件などの、犯人側の手口と、刺された被害者側の傷数の考えると、訓練を受けていない犯行者の遣(や)り口は、一撃必殺の技術がないから、刺し殺すにしても、傷数が多く、一種の嬲(なぶり)り殺しのような形で刺し殺している。傷口を表面的に開く刺し方なので、出血多量となり、犯行現場は血の海になり、遺体も無慙(むざん)である。いわゆる「鮮やかでない殺し」である。

 一方、「急所一撃」の殺しは、実に鮮やかである。
 さて、山口二矢の「刺し」を再現してみよう。但しこれは、無念に刺し殺された浅沼社会党委員長の魂を冒涜(ぼうとく)するものではないことを、はじめに断っておく。ここでは、単に事件の現場検証にとどめる。

衝撃的な一枚の写真から浅沼刺殺事件の現場検証をすると、この写真からは、新たな事実が浮かび上がってくる。

 その第一は、山口二矢は充分な「腰構え」(「腰溜」とも)で構え、瞬時に、有利な構えから、その後の突進態勢を完了している。一方浅沼は、「及び腰」になり、防禦創(ぼうぎょそう)をつくる防御手(ぼうぎょしゅ)が非常に小さく、また、浅沼自身の歩幅も狭く、刺客の脇差の尖先(きっさき)に対し、自然体を垂直に対峙(たいじ)させている。
 ちなみに「防禦創」とは、人間が危機に際した場合、刃物やガラスの破片、あるいはその他の危険物を反射的に躱(かわ)し、こうした物から、頭および内臓を護ろうとする防御手のことである。

 その第二は、刺客は脇差を左上逆手に握り、左腕の下に脇差を死角の位置に置いて、浅沼の視線から見えないようにし、一気に突進している。また、左半身に構え、左上逆手に握っている事は、浅沼が右利きであり、右半身で防護する事を、既に計算に入れていたかも知れない。

 その第三は、浅沼が刺客との間合(まあい)を失い、防禦の歩幅や防禦創を作るであろうと思われる、防御手の受けての幅が非常に小さく、萎縮していることである。いったい早大相撲部の「張り手一撃」は、どこにいってしまったのだろうか。相撲の「張り手」の一撃も飛び出さないほど、浅沼はこの時疲れていたのだろうか。あるいは眼で、刃物を追いかけ、刃物に竦(すく)みを覚えて、動けなくなってしまったのだろうか。
 こうした混乱が、間合を誤らせ、防禦体勢の行動を鈍重にしたのかも知れない。

 その第四は、刺客は脇差の刃(やいば)を寝せて突進している事である。
 人間は地に這(は)う動物でなく、直立をして二足歩行する為、動脈や静脈の主要血管および、食道などの消化器や内臓は垂直状態となる。この垂直状態に対し、脇差の刃を横に寝せるという刺し方は非常に有効であり、これだけを検(み)ても刺客は、よく訓練されているといえる。

 その第五は、浅沼の右手にはハンカチが握られていることである。これだけを検ても、浅沼自身は普段から汗かきであると同時に、その肥満の体型から、高血圧症性の糖尿病などの疾患に罹(かか)り、反射神経や運動神経が鈍っていることを顕(あらわ)している。こうした鈍重な体躯(たいく)では、敏捷な刺客の攻撃を躱(かわ)す事が出来なかったかも知れない。

 そして、何よりも重要なことを、浅沼自身が見逃しているのは、「戦後は、右翼の攻撃などないだろう」とする希望的観測に縋(すが)り、危険と自分とは無関係であると、安易に考えていたことである。
 人間は、いつも自分は、危険とは無関係であると考えたがる。犯罪に巻き込まれた被害者を、「遠い国の花火大会」のように思ったり、「対岸の火事」のように思っている。ここに現代人が有事に対して鈍磨している現実がある。

 万一の場合、自分が生命の危険に直面した時機(とき)、直ちにこれを制し、そこから脱出する「術」を身に付けることを、多くの現代人は、これを怠っているように思える。
 特に刃物の攻撃に対し、格闘技をやっている者でも、防禦(ぼうぎょ)の研究を怠っている。近年、某格闘技の選手が、中学生からナイフで刺されて大怪我を負った事件は、私たちの記憶に新しい。
 では、何故こうした事件が起るのか。 それは危険と自分が無関係であると思っているからだ。

 多くの日本人の防衛思想の中には、自分は特別であり、浅沼のような特別な「危険な局面」には、遭遇しないと安易に考えている。しかし、悲劇とはこうした安易な考えから起るのである。浅沼も、その一人であったことは否めない。そして、この写真を見ていると、「狩られる者」の悲愴さがある。図体の大きな、喰(く)われる為の草食獣が、俊敏で軽快な肉食獣から狩られる悲痛な想いが伝わってくる。

 また一方、この写真は幾ら見ていても、「飽きさせない不思議さ」があると感じるのは、果たして筆者だけであろうか。筆者はこの一枚の写真から、浅沼や刺客の山口だけではなく、その周囲の人たちの考え方や、有事に対する様々な防禦・戦闘思想が、まるで連想ゲームのように連想されるのである。

 以上長々と検証させて頂いたが、あくまでこれは浅沼社会党委員長の魂を冒涜(ぼうとく)し、揶揄(やゆ)することでなく、事件を事件として取り上げた迄で、浅沼さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 衝撃の一枚の写真から検討して、山口二矢はこの時、右手に白鞘(しらざや)の脇差を握っていた。
 これは右手に鯉口(こいぐち)部分を握って、左手で、「逆手(さかて)抜き」を行い、鞘から脇差を抜いた後、刃を横に寝せ、躰(からだ)を左半身に構え、縁頭(ふちがしら)部分に右手を沿え、腰溜(こしだめ)して突進している。武術的には、非常に理に適(かな)った刺し方であり、脇差を遣う技術力は、かなり高く、手練(てだれ)のうちに入るであろう。

 

●死を恐れた諦めのポーズ

 刺殺される寸前の浅沼の姿には、どこか「諦めのポーズ」が漂っている。メガネだすれ落ち、見詰める焦点は、どことなく力がない。疲れている為か。「狩られる者」の哀れさがある。いったい早大相撲部の「必殺張り手」は何処に行ってしまったのか、と云いたくなる。一瞬、残念である。
 安易に、あるいは諦めのポーズで、自らが刺されようとしているようにも見える。

 また、当時の浅沼の健康状態や、体質ならびに極めて肥満体型である、この無様な姿は、ある意味で、刺され易い状態にあったとも言える。
 事件に遭遇する前日、浅沼は疲労していたと言う。

 マスメディアの報道による「疲労説」や「当時の浅沼は疲れていた」と強調している。
 例えば、昭和35年10月12日の当日、三党首大演説会を日比谷公会堂で、聴衆の記者団として参加していた毎日新聞東京本社の社会部記者・岡本篤(おかもと‐あつし)は、演説中の浅沼を見て、次のように評している。
 「その日の浅沼さんの演説は正直に言って生彩(せいさい)がなかった。人間機関車と云われた大衆政治家の、持ち前のガラガラ声はいつも通りだったが、迫力がなかった。疲れているのがありありとわかった。その疲れが十七歳の少年の体ごとの突進が除けきれず、病院に運ばれる途中の絶命を招いたのではないかと思う」

 マスコミは、このように死んで行った浅沼を「悲劇の人間機関車」と称賛した。

 一方筆者は、浅沼の「内臓疲労説」を挙げたい。「何故疲れていたのか」と問いたいからだ。
 それは浅沼の当時の肥満体型にあり、これは食べ物が偏り、特に動蛋白系の摂取が過剰であったことを物語る体型である。つまり、内臓が疲弊(ひへい)し、消化吸収状態が損なわれた状態にあって、そこから精神的にも疲労していたと考えられる。こうした肥満体型と肥満になった体質から考えると、そこには救いようもないほどの「体質の悪さ」が挙げられ、また、のろまで鈍重な、不自由が、自らの死因を招いたとも言える。

浅沼の「内臓疲労説」は、この肥満体型が物語る。つまり、当時の浅沼の食事のメニューは劣悪だったといえる。いわゆる、行く先々での眼と口を誑(たぶら)かす「外食」か、「仕出弁当」の類(たぐい)だったのだろう。
 また、それに輪をかけて、動蛋白や乳製品が、体質の悪さに追い討ちをかけたのであろう。食の無知から悲劇を招いたともいえる。また、食の無知から、運気を衰えさせたともいえる。
 もしこの事が理解できていたら、死なずに済んだであろう。また、「腹六分」の食生活を、日頃から徹底させていたら、鈍重な動きは回避されていたであろう。

 疲れていたから、山口二矢の動きを避けきれなかったのではなく、内臓が疲弊(ひへい)し、心身共に鈍重になり、その、のろさが自ら死を招いたと言える。つまり、単刀直入に申せば、食の誤りであり、食の慎(つつし)みの無さが、肥満を作り、のろまにしたということである。厳しい言葉で申せば、素早い動きに対応できない、鈍重さが死を招いたと云うべきであろう。

 もし、タフな躰(かだら)になろうとすれば、贅肉(ぜいにく)を搾(しぼ)るべきで、高々毎日の犬の散歩程度では、贅肉も搾り取ることは出来まい。また、食の陰陽も知る必要があり、そもそもの間違いは、動蛋白を中心にした、当時、一見和食と見間違う、「雑食性の和食風食」に問題があったと言えるのではあるまいか。
 「雑食性の和食風食」とは、下記のような食品である。

 以上の料理は、和風とは名ばかりで、一般に和風といえば、「精進料理」のような健康食を連想させるが、これらは「和風」の名を借りた、西洋食的な、体質を悪化させる悪しき「雑食」である。
 和食は、洋食に比べて「健康に良い」という迷信がある。しかし和食の名を借りた、「和食定食」などを、ファミレスで「外食」したり、白砂糖や化学調味料がたっぷり含まれた調理法の「仕出弁当」ばかりを食べていたのでは、栄養のバランスが崩れ、血液を汚染させ、丈夫な内臓でも、悲鳴を上げ、疲弊(ひへい)するのは当然である。
 人間は、運気が衰えると、「肥る」という現象が起こる。肥る現象こそ、運が尽きた証拠である。
 浅沼も、確かにこの時、確実に運気が衰えていた。その証拠に、浅沼は外食や仕出弁当中心の食生活をしていたと思われる。確かに運気は落ちていたのだ。その為に、動きまでが、「鈍重」になったと思われる。

 繰り返し、「もし」になるが、浅沼が、体力ではなく、「体質管理」に充分な注意を払えば、のろまで鈍重な動きしか出来ない体質は、解消されていたはずである。

 一方、再度酷な言葉を使って評すれば、刺し殺された浅沼委員長には申し訳ないが、刺客側の立場に立って、刺殺を目論み、刺し殺すとすれば、あの浅沼の脂肪で覆(おお)われた左胸部を、僅かに二回刺しただけで、よくぞ本懐(ほんかい)を遂げたと評価したいところである。
 刺客側から、考えて脂肪で纏(まと)った鎧(よろい)のような贅肉は、非常に貫通させ難いものである。刃物は肉の脂(あぶら)に阻(はば)まれて付着し、切れ味が悪くなるからである。皮下脂肪の中を貫通させて、急所に止めを刺すこと事態、非常に高度なテクニックがいるからである。

 刺殺の成功は、斬りつけずに刺している事である。一回目、二回目とも、迷わず「突き」に出て居る事である。もし、一回目の「突き」で、二回目に「斬り付けていた」ならば、おそらく刺殺は成功しなかったであろう。
 これは、赤穂浪士・忠臣蔵の発端のなった、浅野長矩(あさの‐ながのり)内匠頭(たくみのかみ)の、江戸城殿中で吉良義央(きら‐よしなか)を斬り付けだ事件からも、容易に察しが付く事である。脇指で斬り付けることでは、決定的な致命傷を負わせることができないからである。

 

●浅沼さんに学んで欲しかった西郷派の「抜ける術」

 人生は「捨てていく中」に、本来の姿がある。
 現象人間界では、総(すべ)ての事象が捨てると云うところに、次の新たなる勝機を見い出すようになっている。つまり、「死んだ処(ところ)」を捨てるのである

 人間の心には、失えば「惜(お)しい」という意識が働く。
 本来は、過ぎたことは、取られて存在しないのであるが、それを失った事を「惜しい」と思う。この「惜しい」と思う気持ちが、全体像を不明瞭(ふめいりょう)にする元凶になる。

 勝機を掴(つか)む為には、「死んだ処」を捨てていく。過去のものは捨てていく。固執しない。こだわらない。そうすれば楽になる。捨てれば楽になり、全局面が見えて来るからだ。
 しかし、一局面に惜しいと言う気持ちが起れば、いつまでもこれに囚(とら)われてしまう。命を惜しいと思えば、逆に命を失うのである。だから、こだわらずに、狙われている処は、捨てれば良いのである。

 例えば、襟(えり)を取られ、袖(そで)を取られ、手頸(てくび)を取られ、腰を取られて抱擁(だきがかえ)を行われて、これから逃れようとする意識が誰にでも働く。この働きが、全体像を見逃す現凶となるのである。人間が行動を封じられるのは、一部を失って、総(すべ)てが封じられるのではない。

 例えば、右手を捕まれ、右手を外そうとすれば、そこに意識が働き、右手以外の存在を忘れてしまう。そこで、失った右手は問題にせず、まだ「生きている処」を動かし、勝機を得るのである。

 人間の持つ人情は、失ったところを「惜しい」と思う。「損した」と思う。「取り返したい」と思う。そして願わくば、損以上のものを倍にして取り返そうとする。ここに人間が、今から先の、運命決定を根本的に間違う、誤りをやらかすのである。

 この誤りを回避する為には、失った処や、取られた処を捨てることである。失った処や取られた処にいつまでも、心を奪われると、常に「惜しい」という気持ちが働き、「損した」という思いに囚われて、この一局面の不利から中々抜け出すことができない。

 結局、こうした気持ちに心が囚(とら)われてしまうと、「失うまい」とか「取り返そう」という心が働いてしまい、一箇所だけの「死んだ処」を固執することになる。見る視野が狭くなり、全体像が見えなくなる。全体像が見えなくなれば、まだ「生きている処」を動かし、不利な局面から勝機を掴む事が出来なくなる。こうして「行き詰まる」のである。

 行き詰まれば、一小局面に全心が囚われてしまい、心の全体は、小さい場面の中に閉じ込められてしまい、自由時代に動き廻ることが出来なくなる。

 例えば、暴漢に刃物を突き付けられた時、刃物に心が奪われてしまえば、これから動けなくなってしまう。本来ならば、暴漢の全体像を見て、その態勢から動きを読み取り、それに対処しなければならないのであるが、暴漢の持つ刃物に心を奪われれば、刃物に身が竦(すく)み、動けなくなる。
 しかし、刃物から更に視野を拡げ、暴漢の全体像を見れば、刃物以外の敵の動きがよく見えて来る。「よく見る」ということが勝機を掴む第一歩であり、暴漢の刃物に心を奪われるのでなく、全体像を見て、局面に奪われた心を「捨てる」ということである。

 全体像を常に観察すれば、一局面のピンチなど、然(さ)して損害には及ばないのである。しかし、この損害を「惜しい」と思ったその瞬間から、心は「損をする」ということに囚われ、その小心が、ついには大本のわが命まで失う事になる。

 ここで問題にしなければならない事は、暴漢の刃物を見て、「刺されてもいい」「斬られてもいい」という覚悟が決めることだ。そういう気持ちが働けば、恐怖は半減し、その「居直った気持ち」が、窮地(きゅうち)から脱する勝機を見い出すことが出来るのである。しかし、ゆめゆめ無傷で生け捕ろうなどとは思わないことだ。大怪我を覚悟し、後はどうにでもなれと、「開き直る」ことだ。

 そうすれば、相手の動きがよく見えるようになり、肚(はら)も据(す)わるのである。生きるか死ぬか、刺されるか刺されないかは、人間側が決めることではなく、天命が決めることである。生きる因縁がなければ、刺し殺されるであろうし、生きる因縁があれば、刺されて重傷を負いながらも、生き残るのである。これを西郷派では「他力一乗(たりきいちじょう)という。

 また、「素手」対「刃物」で戦う場合、構えれば、確実に体当たりで突進して来る相手に、確実に刺される場合が多くなるので、この場合、下手な構えは行わずに、「無構え」をもって対峙(たいじ)することである。しかしこの場合、必ず、敵の眼から見て、「45度の半身」に向けるという事である。そうすれば、敵から、吾が躰を見る幅は、「1・1・√2」の三平方の定理から、「√2」だけ、幅が狭くなり、また45度の半身になっている為、敵の動きに合わせて、「転身」することができ、刺されて万が一の場合にも、「九死に一生を得る」のである。

 これに眼を奪われれば、「竦(すく)み」が起り、蛇に睨(にら)まれたカエル同然になり、刃物に魅(み)入られれば、これを逆に招き寄せる。これは心が刃物に「捉(とら)われた」からである。つまり、一小局面に、全心が囚(とらわれ、ここに釘付けされたからだ。

 小事に「釘付けされた」のであり、この事が自由自在に動くことを忘れさせてしまうのである。大局から眺(なが)めれば、損したところで、取り返すには及ばないのである。放っておけばよいのである。「死んだ処」は捨てれば良いのである。現世とは「捨てる」ところに、真実があることを忘れてはならない。

 「捨てる」ことによって、先が開けるのである。「捨てる」ことで、窮地(きゅうち)に立たされた局面が打開されるのである。これが「捨てれば楽になる」という真理である。失った処を取り返そうとするよりも、残っている処を失うまいとするのが賢明なのである。

 西郷派では「捨てる」ことを「抜ける術」という。
 つまり、死んだ処を捨てる術である。
 人は、理不尽な暴力に対し、それ自体を「不当だ」と感じる。その不当を感じる意識は、根底に損得勘定が働く。また、憤(いきどお)りと倶(とも)に、「無理無体」と感じる。浅沼も、山口二矢から命を狙われて、心の中では「何と理不尽な」あるいは「無理無体な」と、叫ばれずにはいられなかったはずである。ここに、浅沼の「囚(とら)われた心」があった。

 つまり、一点に捉(とら)われると、それが理不尽な場合、憤激(ふんげき)すると倶(とも)に、「不当差別」と感得するのである。当を得ず、道理に外れたこと意識してしまうのである。ここに、運命に「行き詰る」また、運命から「抜け出す術」を知らない、無知が働くのである。

 こうした運命に絡(から)め取られると、もう、その先は進退谷(しんたいきわ)まった状態に陥る。進退谷まれば、それから抜けだせなくなり、まだ「生きている処」まで失う事になる。その時、足の竦(すく)んだ浅沼は、どう動こうとしていたか。あるいは、防御手である両手を、どう動かそうとしていたか。総て萎縮してしまっていたではなかったか。
 ここに、命を失った浅沼の悲惨を見る事が出来る。

 運命と言うものは、人間の力では左右することが出来ないものである。これは如何に唯物論者の浅沼でも、動かし難い事実である。
 運命において、人間はその勝敗を絶対に左右することができないのである。それは人間が「因縁」によって生きているからだ。したがって、進退谷(しんたいきわ)まれば、それは「動かし難い事実」としての結果が顕われる。ここが現世と言う現象人間界の、「顕界(げんかい)」たる所以である。これは何人(なんびと)も無視することが出来ず、定められた運命の中に身を置くことになる。

 だから、勝ち負けを決めるのは人間ではない。総ては「天」にある。したがって、追い詰められ、最悪のピンチに陥った場合は、人間がやれることは、運命を左右するのではなく、勝にしろ、負けるにしろ、これと遭遇し、ただ遭(あ)って、「抜ける術」を遣(つか)うだけなのである。そうすれば、勝機を得ることができる。

 運命は逃げるべきものでない。どんな最悪の局面に遭遇したとしても、それから逃げ出すものではない。人間側の態度としては、ただ遭って、「抜ける術」を遣うだけなのである。
 この「抜ける術」を遣うというのが、つまり、「迎えて」それを「果たしていく」という行為に繋(つな)がるのである。ここぞ、という時機(とき)に、「及び腰」になってはならない。腰を引いて逃げてはならない。

 そして、「抜ける術」とは、損したら損したままに放っておく、また、取られたら、取られたままに放っておくという事なのである。刃物を見てもそれに眼を奪われず、それを捨てて、全体像を見ることなのである。

 これこそが「因縁」の「順なる処」であり、逃げ回るのではなく、「放っておく」という事なのである。これにより、活路が開け、勝機が得られるのである。
 もし、浅沼が脇差という凶器に、囚われることがなく、「抜ける術」を心得ていたら、喩(たと)え刺されたとしても、命を落とすまでのことはなかったであろう。



●身を捨てて浮かぶ瀬もあれ

 人間は眼に見えるものに反応する。それ以外にも、耳に聞こえてくるものや、皮膚に訴えてくるものに即座に反応する。こうした反応への信号が、繰り返し送られてくると、感覚器の許容範囲内での変化であれば、感覚器を通って、神経系統に伝達され、対処の防禦体勢が取れるが、それをオーバーすると、こうした刺激は、これまでに経験したことのない「驚愕反応(Startle reaction)」を引き起こす。これは、たた「唖然」とするばかりでなく、防御の為の行動を停止させてしまうのである。
 これは心理学上で言う、複雑にして、極めて大きな身体的動作が萎縮する反応である。

 普通、視覚に捕らえる反応は、瞳孔(どうこう)が何らかの光を捉え、これを感知すると、網膜(もうまく)が光化学的変化を起こす。 これに併せて、聴覚は瞬時的に、更に敏感になる。そして筋肉は、それに併せたかのような反応により、無意識に動き、与えられた刺激の方向に、一切の感覚器が向かう。

 例えば、暗闇では音のした方向に耳を傾けたり、あるいは暗がりでは物を見詰める場合は、これをもっとよく見ようとして、その物への焦点をあわせようとする。要するに眼を見張り、もっと自分が置かれている現状を詳細に分析し、認識しようとする意識が働くのである。これにより全身の筋肉が緊張を来たす。
 しかし緊張すればするほど、自分の動きがぎこちなくなり、こうしたものが脳波へ連動された形となって、手足へ流れる動脈と静脈は収縮し、遂には冷たくなる。掌が汗ばんでくる、あるいは血液が頭に上るという状態が起る。

 こうした状態を東洋医学の観点から言うと、「手足が冷たくて頭が熱い」という状態で、良好状態で言う、「頭が冷たくて手足が暖かい」とうい状態とは正反対になっていることである。つまり、こうした状態になると、呼吸と、心臓の鼓動にの大きな変化が起るのである。

 一旦こうした状態に陥ると、極めて明確な形としての「驚愕反応」を引き起こす。そして極めて激しい混乱に陥る。突然、瞬時に感じたことが、即解決の糸口が見つからず、混乱が先行して、対処する動作を見失ってしまうのである。
 この為、普段ではよく出来ていた、反復動作すら、中断する形に止まってしまう。この中断に際し、人間は、ただ激しく反応するばかりで、行動が停止され、次に動く「一手」を見失ってしまうのである。

 浅沼委員長が、「いま刺されんとするこの刹那(せつな)」は、まさに次の一手を見失った混乱状態であり、足が竦(すく)み、防禦創(ぼうぎょそう)を作るであろう両手は、完全に萎縮している。足の歩幅のスタンスの狭さも、驚愕反応によって完全に動きを封じられており、激しい眼から飛び込んでくる動きに、完全に対処し切れていない。

 人間は、普段から武術的な訓練をされていない者は、刃物などの凶器を見ただけで、まず、最初に激しい驚愕反応が起り、これに身を竦ませ、動きが封じられてしまうのである。そして更に悪い悪循環は、例えば、刃物やそれに準ずる凶器を見て、声が出せないばかりか、瞬時の混乱の中で、一瞬の生存本能への未練が起り、「自分はまだ死にたくない」と思うことだ。こうした思いに取り付かれたとき、人は確実に命を失うようだ。

 そこで武術の教えは、「捨身」になれと教える。
 尊い、わが命を捨て、「刺されても、撃たれても構わない」と開き直る気持ちを起こせと教える。こういう気持ちに至れば、恐怖は半減し、驚愕反応の呪縛(じゅばく)からは解き放たれるであろう。そうすれば、敵の動きは、手に取るように分かるようになり、まるで敵の動きが「スローモーション」のように見えてくるのである。
 しかし、こうした恐怖に、最後まで驚愕反応から解放されず、それに囚(とら)われれば、自ずからの「生へのこだわり」は、やがて助かる命まで、助からなくなってしまうのである。

 「身を捨てて浮かぶ瀬もあり」とは、小さな自己に固執することなく、命までも投げ出して戦えば、その「捨てる」ことにより、死から生還できるということを教えているのである。ここに、みすみす命を失う者と、命を捨てて、命拾いをする者とに分かれるのである。


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