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大東流の基本となる日本刀の操法

■ 合気二刀剣戦闘理論 ■
(あいきにとうけんせんとうりろん)

●素手の一撃必殺は有り得るのか

 日中戦争当時、日本軍が中国大陸に侵攻してその際、「行きがけの駄賃」として多くの中国人民を「日本刀の試し斬りの材料」として、斬殺した事は歴史的にも有名である。
 しかし正確に言えば、こうした試刀の対象になったのは、抗日戦線を企てる「反日帝」の中国民衆を装ったゲリラ(大陸ではこうした兵士を「更衣隊」と呼び、平服によって破壊・諜報活動をする兵士)であり、ゲリラの疑いのある者を片っ端から捕えて、剣道の覚え(剣道・弐参段程度)のある将校や下士官が、彼等を軍刀(陸軍の既成品で直延と称し、鍛えの無い軍刀を将校と軍曹以上には支給されていたが、中には戦地に赴く際、新々刀以前の業物を買い需め、半太刀拵の軍刀仕込みにしたものもあった。昭和十三年以降)の試し斬りの材料と称して、公然と民衆の面前で首を刎ねた事があった。

 更衣隊と看做された者は男女や年齢を問わず、反日戦線を掲げる毛沢東率いる中共軍も、蒋介石率いる国民党軍もその区別なく、軍法会議に掛けられ、即刻死刑が申し渡された。
 首を刎ねられる前方には大きな穴が掘られ、そこに首が落ちるようになっていた。そして「太刀の練習」と称して、頸の皮一枚残して(皮一枚残せば、頭部がぶらんと垂れて、その重みで体ごと穴の中に落ちると言われたが、実際には中々そうはいかなかった)頸斬り練習した事実があった。こうした処刑に対して、欧米ならば縛り首か、銃殺であるが、日本軍は何故か「頸斬り練習」を選択した。
 ちなみに「縛り首」には二つあり、欧米での縛り首は、縄で首をしめて殺す事を指すものであるが、日本では戦国時代の刑罰法を指し、麻縄で罪人の両手を後方で縛り、その首を前方に引き出して斬殺者が首を刎ねるものであった。日中戦争で用いられた方法は、こうした戦国時代の頸斬りであった。

 ところがこうした練習に加えて、一撃必殺を豪語する空手経験者の将校達がいた。
 彼等は徒手空拳における一撃必殺を豪語して憚らなかった。そして処刑者を、一撃必殺で殺すと言いはった。
 さて、一撃必殺は本当に有り得るのか?!
 人間の肉体は巧妙にして、然も丈夫にできている。したがって健康な人体構造は、素手で、一瞬に殺せるほどヤワではない

 徒手空拳格闘技は一撃必殺を自称する。確かに風雪に鍛えた拳や蹴りは、何も格闘経験の無い者に比べたら、それになりに威力はあろう。
 しかし幾ら威力があっても、それだけで無防備で、無抵抗の人間ですら、一撃では即死させる事は出来ない。日本刀や槍、薙刀などの刃物を用いても、一撃で殺す事は非常に難しいものである。
 正拳一突き、蹴りの一蹴りではそれだけで人間は殺せないのである。

 第一、人間の躰は、セメント石膏抜きの、空手の試割用瓦(最近の屋根瓦は、かつてのように粘土が混ざってなく、耐久強度が非常に強く、実際の屋根瓦用と試割用瓦は区別されている)とは違うし、また杉の柾目板や煉瓦などとも違うのである。
 人間の肉体は非常に巧妙に出来ており、丈夫であり、然も気が流れていて、生物的には半流動体であり、常に動いているものなのである。そして眼を見張るべきは、人間の人体構造が、高等生物ならではの「強さ」と「弱さ」を同時に所有している。

 大東流合気武術において、巻藁を叩いたり、屋根瓦や石膏抜きの煉瓦やブロックを割る練習をする事は、実戦において、殆ど意味がないと力説し続けている。
 それは静止している物体と、半流動体である人間の躰へ与えるダメージとでは、根本的に異なっているからである。もし、人間の躰に似たものを探すならば、ウォータ・バックくらいで、最初から固体物とは半流動体では根本的に違うのである。

 戦争がいつの間にか、その主旨から外れ、裏での政治的駆け引きから戦乱となり、やがては性欲の対象となって淫乱となる事は既に述べた。
 そして淫乱同様に、捕虜並びに更衣隊への虐待が始まる。

 昭和十年前後の出来事である。これは複数の証言者が語る、日本軍のある駐屯地での出来事だった。処刑の始まる寸前の話しだ。
 陸軍士官学校や予備士官学校(大学を出て、地方の予備士官学校を卒業して見習士官から少尉に任官する)を出たばかりの若い将校群が、抗日派ゲリラと思える中国人を縛り揚げ、捕虜として捕えられた彼等を遠巻きにして、何やら論争的な話していた。
 捕虜達は既に掘られた大きな穴の前に正座(中国では正座は屈辱を指し、屈した者を意味する)させられ、「頸斬り練習」の材料にされる事は明白だった。
 論争の争点は、将校の一人が「一撃必殺が可能かどうか、それを試してみないか」と言う事だった。どうやらその中には、学生時代、空手や拳法を学んだ経験者や有段者が何人か居るらしかった。そして捕虜を実験台にして、「頸斬り練習」ならぬ「一撃必殺練習」が始まったのである。

 昭和十年代当時の大陸に進出した日本軍は、陸海軍を問わず、抗日戦線に関して、遊撃兵士と疑わしきは、総て検挙し、縛り揚げ、正座させた状態から、殺人未熟な若い将兵を対象に「頸斬り練習」を実行していた。したがって、こうした殺戮練習に割って入っても、咎(とが)められるどころか、大いに歓迎された。
 また日本海軍にも陸戦隊があり、彼等もまた陸軍顔負けの捕虜虐待を公然と行っていた。その中でも、上海陸戦隊(この部隊は『上海陸戦隊は行く』の映画にもなり、有名だった)は勇猛?で知られ、一方で捕虜虐殺が噂されていた。

 さて、「一撃必殺練習」の将校群に戻ろう。
 彼等将校は腰の軍刀を外し、上着を脱ぎ、長靴を脱いで、裸足となり、縛り揚げた捕虜を殴り、蹴り始めた。それも縛り揚げて、無抵抗な人間に対してである。一撃必殺をイメージして、渾身の拳が打ち込まれ、必殺の前蹴りが捕虜の顔面を襲う。
 しかし人間というものは、それくらいで、そう簡単に死ぬものではない。これは単に風雪に鍛えた熟練度の問題ではない。
 特に、虐待を加える加害者に対して「憎しみの念」が充満している場合、同時に不屈の気力も充満する。その恨みが、加害者を呪って、「簡単に死んでたまるか」という気力を植え付けるものなのである。

 捕虜は殴られ、蹴られしても、ただ躰を、苦痛にくねらせるだけで、悲痛な呻き声を上げ、前に折れて、もがいていた。そこへ今度は、後頭部を上から蹴り付け、数回蹴ったが、それでも死ぬ気配はなかった。
 一撃必殺は本来ならば「即死」(即時に死ぬこと、あるいはその場で瞬時に死ぬこと)に至たらしめて、それがはじめて完結する。
 ところがこうした殴ったり、蹴ったりは、一撃必殺のイメージからは、遥かに遠いものであった。こうした状態でも放置すれば、やがて数時間後には死ぬであろうが、一刀の下に頸を刎ねるのと違い、なぶり殺しであり、何と残酷な光景であろうか。
 本来ならば、介錯人(かいしゃくにん/切腹する人に付き添って首を斬り落す役)は死出に旅立つ者に「苦痛なく、瞬時に逝かせる」ことが礼儀である。しかしこうした長時間の半殺し同様の、想像を絶する苦痛を与えつつ、全身打撲の状態にしておいて、死に向かわせる事は、武道家としては如何なものであろうか。また介錯人の本来の姿からも、礼儀知らずで、「武の道」からは程遠いものである。

 当時の日本軍閥の奢りは、夜郎自大化し、人間が人間をなぶりものにして、異国人への殺人が平気で行われ、狂気と思える行為が公然と罷(まか)り通っていた。
 しかし武道経験者が、異国人だからといって、長時間人間をなぶりものにし、想像を絶する苦痛を与え、殺すという行為は、既に「武の道」から外れ、今まで「人の道」だの「戈を止める」などと称し事は、自らがその行いを否定し、自身の修行した武道の教えが間違っていた事を明白にしたものではあるまいか。

 人間は「打撃系」では、そう簡単に殴り殺せない。一撃必殺は、その99.99%が有り得ないものなのである。
 もし、有り得るとするならば、かつての沖縄唐手の内臓を抉る古武術で、こうした達人は決してスター気取りで人前には出て来ないであろう。わが術の「穢さ」を憚かって、そうした凶器は隠そうとするのが、武技の恐ろしさを知る人間の真の姿である。
 そして、やはり打撃系とて、「戈を止める」武の道を掲げる以上、一撃必殺テクニック云々よりは、まず社会の一員である人間でありたいと願う次第であろう。

 人間の躰は半流動体である。その物質の70%以上が流動する液体で、肉体の構造は非常に精巧で、緻密な組織系から成り立っている。また、神経系が通り、意識があり、同時に宇宙同様、気血の運行が行われている。
 人間の躰を力任せに叩き潰し、一撃で破壊しようとしても、死ぬ寸前の重病人ならともかく、気力が充実し、加害者に対して激しい恨みや憎しみがある場合、如何に柔躙され、辱めを受けようとも、その気力をふりしぼって激しく抵抗すれば、中々死なないものである。

 人間は、首を刎ねられる以外に即死する事は殆どない。
 あるいは大東流の投げ業で、「岩石落」(四方関節投の変形で、敵の頭部を地面に叩き付けることを目的する)と言う、抱え揚げ、頭から地面に叩きつけて即死させる業がある。即死させる殺人法としては、おそらくこれくらいで、人間をひと思いに即死させる方法は、あとは銃弾を頭部か、心臓にめかけて撃ち込むくらいであろう。首を吊っても、中々、ひと思いには死ねないものなのである。これは首吊り自殺者が、死ぬ途中で藻掻いた後からも、あるいは絞死刑者が吊された後も数分は生きているという事からも、容易に想像が付こう。日本の絞死刑時間は十五分で、十五分後、処刑に立ち合った医師が死亡の確認をする。万一、十五分後に生きていたとすれば、再び処刑は行われる事はないが、今迄にその前例があったか否か、不明である。しかし即死でないことは事実だ。その証拠に、男の死刑者では精液を洩らすのが常である。

 人間は、死ぬ時機、男では精液を洩らすという。
 この事は、悪名高き七三一部隊の石井軍医中将が、青酸加里(シアン化カリウム)で猛毒実験を行った際に確認している事で、また、中世のヨーロッパの猟奇とオカルティズムを紹介した作家・澁澤龍彦氏が絞首刑者が死ぬ途中、精液を洩らし(子孫継承のため?)、その死刑者の下にマンドラゴラという植物の実がなり、それが余りにも人間の形に似ている為、精子が受精してそれがこうした植物になったのではないか、という当時の考えられていた迷信のような仮説を上げている事からも窺える。つまり「即死」とは、こういう精液を洩らす暇すらない、瞬間死の事なのだ。

 したがって試割板や試割瓦と違って、叩き殺そうとしても、即死には至らないものなのである。これは試刀術においても同じである。
 例えば一刀の下に胴を、横一文字に太刀を薙ぎ払われて、名人の域にある剣術家がこれを行った場合、斬られた方は、自分が転けたと思って、両手を使って立ち上がろうとするそうである。その後に、胴から下の脚がない事に気付くと言う。こうした事からも、人間は直ぐには死なないのである。

 フランス革命当時のジャコバン党(ロベスピエール/Maximilien de Robespierreに率いられた恐怖政治の実行クラブ)の恐怖時代の三頭政治下、革命広場(刑場)のギロチンでの処刑者(喩えば、ジャコバン派指導者で国民公会議員であったジャン・ポール・マラー殺害の「浴槽の刺客」で有名な、ジロンド派の共和主義に奉じたマリー・シャルロット・コルデー・ダルモン)が、首を落とされた後、刑吏が侮辱して髪の毛を掴み、民衆に向けて示し出され、頬を叩かれて紅潮した事を考えても、首を刎ねられても、その後まだ数秒間は、意識があるといわれている。

 戦場においても、武人は武人でありたいものである。人殺しが如何に悲惨であるか、それは戦場が教えるものである。平和の有難さは、机上の空論での想像では、中々知る事が出来ない。
 武術や武道という、日本人に古来より伝承された素晴しい文化も、遣い方を誤れば、残虐な暴力行為に成り下がってしまうものなのである。
 特に昨今は、制空圏を主張する殴り合い・蹴り合いの格闘技が青少年の間で持て囃されている。しかしこうした格闘技も、無抵抗の人間に向かって、面白半分に打ち込まれる拳や蹴りの連打は、もはや「人の道」から遥かに遠ざかり、「武」に値するものなど、一ト欠片も残ってないと言えよう。
 人間の魂は、もっと神聖で、気高く、厳粛なものであり、礼儀を知る者ならば、それをなぶり者には出来ないはずである。


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