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誇りの裏付けとなる数々の技法

高齢者の護身術《思想概念篇》
こうれいしゃのごしんじゅつ《しそうがいねんへん》

長生きの秘訣は、歳をとっても躰を動かすことである。「動かす」ということにおいて、これが鈍重であれば、襲われる対象となる。老人は動きが鈍い。したがって襲う側も襲いやすく、動きが鈍いから襲われるともいえる。
 適度に躰を動かし、あらゆる危険に対処することは、人間の生存本能の定めである。生命を燃やすことに、あるいは健やかに生きることに老若男女の差はあるまい。
  わが流は、高齢者の護身術は、一種の「保険」として、また「お守り」として、人生を全うする一つの糧として懇切丁寧に指導している。

●平和主義と徘徊する戦争感情論

 日本人は戦後、平和主義の集団催眠もあって、戦争を放棄したと自負している。
 この戦争放棄は、武器の操法と、武器の性能や構造に関する研究などの思考力を捨ててしまう要因となった。心身ともに、日本人は丸腰の脆弱(ぜいやく)な国民になったのである。また丸腰こそ、正しいと考えるような思想が生まれた。
 しかしそれは、日本人が戦後抱いた「戦争観」の欠如に他ならなかった。そして平和主義の汚染は、その後、益々激しくなった。
 その元凶が、昨今の人命軽視の思考と、凶悪犯罪の多発に繋(つな)がる要因を作った。

 日本の太平洋戦争敗北は、日本人に大きな爪痕(つめあと)を残した。多大な人命が失われた。心身ともに致命的な痛手を残した。これにより、日本人は徹底的に、身も心も叩きのめされた。
 そして一方的に、国際連合軍【註】多くの日本人は「United Nations」を不注意にも誤訳により「国際連合」を解釈しているようであるが、これは大きな誤り。正しくは「国際連合軍」と訳すべきもので、事実、日本やドイツなどは第二次世界大戦当時、国際連合軍から見て敵国であったので、敵国条項に定められている「敵国」である)から押し付けられた懺悔(ざんげ)の念書が、「もう、日本人は戦争は一切致しません」という、戦争放棄を掲げる事だった。ここに心身ともに、丸腰で、脆弱な日本人が姿を現すことになる。

 こうした日本人の思想改造は、現行の日本国憲法が示す通り、「戦争放棄」の元凶に始まり、一方、平和主義に、頑迷(がんめい)に固執する事だった。平和主義は戦後日本人に広く流布され、骨の髄まで浸透し、以来この幻想に惑わされる事になる。
 また、この幻想は、日本人が戦争を放棄すれば、世界は自(おの)ずから平和になると言う錯覚を抱くことになる。この錯覚は、今日おいても、どこまでも錯覚であり続けるのだが、この錯覚は有効な抑止力の如く思わさる、ただの幻想だった。
 そして今もなお、幻想の域を一歩も出ていない。まさに絵に描いた餅であった。しかし、この幻想に惑わされている限り、人命軽視の域から抜け出すことは出来ないであろう。

 日本人は、先の大戦の敗戦後、平和主義の幻想に酔わされ、欧米によって仕掛けられた集団催眠に操作され、「平和教育」の名の下(もと)に、何処までも日本人は操作され続けている。

 『孟子・告子下』【註】孟子の倫理説は性善説に根拠を置き、仁義礼智の徳を発揮するにありとしたのに対し、告子は人間の性(さが)は善とも悪ともいえないと主張し、孟子と人性(じんせい)について論争した。しかし、両人の戦争論は一致していた)には、「敵国もなく、外国と事を構えることもなければ、国民一般に警戒心が薄れ、油断を生じて、国が遂に滅亡する」とある。
 孟子ならびに告子は、これを「敵国外患(がいかん)無き者は国恒(つね)に亡ぶ」と激しく指摘した。
 戦争を放棄した平和ボケ現象は、つまり、国そのものを滅ぼすのである。両者は、そう指摘している。

 日本人の戦後の「戦争観」は徹底否定され、ひたすら武器を遠ざける事であった。ひたすら武器を遠ざければ、戦争はなくなり、人々の間での争いはなくなるものと信じられてきた。しかし、その結果はどうだっただろうか。
 現代こそ、紛争が絶えない社会であり、個人間においても、弱肉強食の訴訟社会に突入しているではないか。
 武力の行使なしで、紛争なしで、戦争抜きで、人類は平和的な解決が出来るほど、進化したのだろうか。

 もし現代人は、古代人以上の進化したと思うのなら、何故、昨今のように不穏な現象が起こり、毎日のように血腥(ちなまぐさ)い事件が起るのだろうか。現代の人類の進化こそ、まさに思い上がった幻想であろう。
 精神的には、紀元前の人間以上に、殆ど進化するどころか、逆に精神世界の分野では退化している。その証拠に、精神的退化が、個人間の争いを作り、人間関係を複雑にしているのである。また、こうした現象が訴訟社会を象徴している。

 個人間の争いが絶えないのに、世界から戦争が消えてなくなることはあり得ない。戦争は、現代人の心の間隙(かんげき)を窺(うかが)って存在しているのである。しかし一方で、根強い平和主義のイデオロギーが支配している現実がある。

 犯罪者のいない世の中というのは、確かに人類の理想であろう。しかし、警察がなくなれば犯罪もなくなるという考えは、極めて短見であろう。絶対にそんなことはあり得ない。世界の人口は、益々殖え続けているのである。人口が殖えると言う事は、それだけ世の中が複雑になり、人間関係も縺(もつ)れ合いが起こるということを暗示しているのである。一旦縺れた糸を元に戻すことは、容易でなかろう。

 また、世界から軍隊をなくせば、それで平和が訪れるというのも、まさに幻想である。
 今日の、表面的に平和に映る状態は、現実問題として、第二次世界大戦が示しているように、連合国側が武力を酷使して、日独伊の同盟国を破ったから、仮初(かりそめ)の平和を取り戻したのではなかったか。
 人類も思考は戦争抜きに、平和を勝ち取るほど進化していないのだ。したがって、軍隊をなくし、武器をなくさば、平和になるということはあり得ず、愚かな幻想に過ぎないのである。しかし、この幻想を根強く抱き続ける、日本人は少なくない。

 こうした考え方が、外国に付け込まれる現状を招き、日本の国内に、北朝鮮から容易に侵入される実情をつくり、日本人拉致事件まで発生したではなかったか。つまり、平和主義の根元には、見方を変えれば「人命軽視」が横たわっているではなかったか。
 しかし、人命軽視の落し穴は「平和主義」という美名に隠されてしまって、この矛盾に気付かない。実は戦後教育の特長であった平和教育は、その一方に於いて、人命軽視の現実が横たわっていたのである。この落し穴に、誰も気付かなかった。

 また、国内では、「戦争の放棄」イコール「武器の放棄」という考え方が、左派陣営の日教組などから起り、武器を教えない現実は、その後、残酷な殺人事件へとエスカレートしていったではないか。
 武器を遠ざければ平和になり、それで殺傷事件は少なくなるのではない。武器の危険性を識(し)るから、残酷な武器は安易には遣(つか)ってはならないと言う理性が起るのである。いつも、争い事や、戦争は、口先だけで平和を唱える人間の中から派生するのである。第一次世界大戦も、第二次世界大戦も、事の発端は、平和主義者が齎(もたら)したものであった。
 平和主義者と無抵抗主義者との、犯罪への因果関係は、要するに犯行を企てる人間を安易に付け上がらせることになるからだ。ここに間接的因果関係が、犯罪の上に結びついてくる。

 武器の放棄は、実は「無防備」の何ものでもなく、この無防備が、種々の凶悪事件を誘発させるのである。
 犯罪者の心理としては、武器の扱い方や、武器の研究を怠り、武器に対する防禦(ぼうぎょ)の研究が出来ていない人間ほど、襲い易いものはない。労せずして、無傷で容易に襲えるからだ。格闘術や護身術を徹底的に訓練し、万全の態勢である人間を襲うより、全くの無防備で、老弱な人間ほど襲い易いものはないからだ。

 一人暮らしの老人は、犯罪者の心理からすれば、容易に襲えるターゲットであろう。老後に蓄えた、そこそこの小金もあり、肉体的にも衰弱化した、老人を襲う方が手間も懸(かか)らず容易である。ここに弱い者を襲う「間引きの原理」が、弱者に向けて働いているのだ。昨今の凶悪事件は、これを象徴しているではないか。

 これは大災害と遭遇した時の事を考えれば、容易に想像がつくであろう。
 災害時には、まず、躰(からだ)の弱い老人や子供が死神の犧牲になっていく。若くて、体力のある者は同じ条件下でも、生存率が年寄りとは違う。弱者ほど、生き延びられる可能性は低い。これは肉体的弱者の持つ特長であろうが、一方に於いて、弱者は意志的にも思考力が消極的な思考に支配されて物事を考えるからだ。この元凶を齎(もたら)すものが、一種の「諦め」であろう。

 自然界を見回してみても、肉食獣的が草食獣を襲う時、一番、躰(からだ)の元気な者を狙うより、歳をとり、弱りかけた者が狙われ、生贄(いけにえ)になっていく。あるいは生後間もない、心身ともに未熟な子供が狙われるだろう。更には、注意力の足りない、性格的にも無防備なものが狙われる。適者生存の為の、一種の「間引き現象」が起こっている。

 だが人間の場合は、世の中の原理に、弱肉強食の論理が働いているからと言って、無差別に弱者が殺されていいという考え方は許されないだろう。
 こうした弱者を間引くような考え方が、主流になると、人命はますます軽視され、それと同時に、混沌(こんとん)とした創世期のような、不穏な世の中が出現する。こうなれば法も歪(ゆが)められ、法治国家からかけ離れた世の中になろう。

 また、「間引きの原理」が先行すれば、世の中を混沌(こんとん)とさせるばかりでなく、不穏な現実をつくり上げる要因ともなり、秩序は破壊され、人間が生きながらにして地獄の苦しみを味わう事になる。至る所で人命軽視の発想が罷(まか)り通り、人は、まるで家畜のように殺されていく。
 普通、こうした状態は表面化しないが、現象界では何かの弾(はず)みに、凶悪犯罪が犯罪者の脳と反応して、次々に連鎖反応を起し、他の地域でも凶悪事件が起る。

 平成19年2月に起った、東京での80歳代の母親と、60歳代の息子が無慙(むざん)に刺し殺され、キャッシュカードなどが奪われた事件は、犯人側の大学生の青年の残酷な手口もさることながら、殺された母子も、寝込み襲われたとは言え、無防備の儘(まま)、防禦創(ぼうぎょそう)を殆ど残さないまま刺し殺されていると言う事件だった。これは防禦の何んたるかも知らず、余りにも無抵抗状態で殺された悲惨な出来事ではなかったか。

 この事件に見る特徴は、まず昭和ヒトケタと思われる母親と、終戦直後生まれの息子が殺されたということだ。昭和ヒトケタといえば、先の大戦当時、小学生で、国民学校時代を経験した母親と、その母親から育てられ、躾(しつけ)され教育された母子という構図となる。
 この構図を分析すれば、戦後の民主主義教育ならびに平和教育を絶対的に支持した教育環境で育ち、「日本国憲法・第九条改正絶対反対」の意識を露(あらわ)にして、「平和憲法死守論者」である。

 憲法第九条は言うまでもなく、戦争放棄が掲げられている。この戦争放棄というのは、「戦力を持たず、交戦権も認めない。その上で武器の行使も認めないとする」ものである。
 つまり、侵略されたり、賊が踏み込んで暴力を振るったら、「一切の抵抗もせず、死ね」ということである。

 しかし、こうした現実を歴史から学ぶと、「丸腰の民衆」が、侵略軍に対抗したり凶行犯人と対決することは、最も悲惨な惨状を招く。歴史に、こうした状況下を探せば、朝鮮の3.1独立運動(万歳事件ともいい、京城(現在のソウル)で起った朝鮮民族の反日運動)を挙げる事が出来る。この時、行われたのは、虐殺、拷問、処刑であった。この事件がどんなに悲惨な結末を迎えたか、進歩的な歴史家ならよく知っていよう。
 この事件では、日本は加害者であり、朝鮮人民は被害者であったが、日韓合併という侵略後に起ったこの事件は、実に悲惨な結果を招いた。
 これは日本が被害者であっても同じ結果になったであろう。無抵抗では、「こうなるのだ」という見本のような事件であった。

 つまり、昭和ヒトケタと、その子供として生まれた戦後の平和主義の中で育った年代の人々の平和感覚は、侵略者の言いなりになれという感覚なのである。憲法第九条を頑迷に守り続け、抵抗もせず、賊の言いなりになれということなのだ。これは結果的に、国民の生きる権利を否定し、自由を阻止するというものに他ならなかった。

 普通、犯罪に巻き込まれ、生死を争う傷害事件に遭遇すれば、生存本能として働きが起り、武術や格闘技の経験がない人でも、自らを護ろうとして、刃物で切りつけられても、刺されても、これに抗(あらが)って抵抗した跡の、「防禦創」が必ず残る。
 しかし、昨今では、全く防禦創を残さず、簡単に殺される人がいる。防禦創を残さぬまま、死んでいくとは、一体何が現代社会に現れているのか。
 そして、武器の放棄から始まった平和主義は、武器を研究しない盲点が、こうした惨状に繋(つな)がったのではなかったか。

 多くの日本人は、平和な時には、武器の消費は殆ど無いだろと言う、素人考えで、「今と言う現実」を安易に見逃して生活している。ところが、この考えは大間違いである。
 まず、軍隊について考えて頂きたい。
 軍隊と言う組織は、大量に武器を消費すると言う発想に基づき、組織が運営されている。それはアメリカと言う国を見れば一目瞭然であろう。何か事が起れば、即座に出撃し、敵を撃滅すると言う思想に基づいて、軍隊が運営されているからだ。

 戦車や航空機や艦船などの燃料や、その防備ならびに銃弾・砲弾やミサイルなどは、総(すべ)て消耗品であり、また、兵士の命も一種の消耗品と看做(みな)されている。これらを大量に消費させながら、軍隊はその目的を達成していくが、その背景には、国家の政治目的が控えている事は疑う余地もない。また、自国の国益を図る思想も折り込まれていよう。
 そして、この政治目的と一枚岩になって同居している発想が、「有事はいつ起るか分からない」という考え方であり、これに基づき、軍隊は訓練され、精鋭化され、「百年兵を練る」という思想が根底にある。隙(すき)だらけで、弱い軍隊では、有事に役には立たないからである。したがって「弱さの否定」の為に、各国の軍隊は軍事演習をして、「わが軍は弱くはないぞ」という軍事アピールをする。

 軍事アピールこそ、国家間で行う牽制の意味を持つが、この根底に流れるものは「百年兵を練る」という思想である。
 しかし、この思想が抜け落ちた時、そこに隙が生じ、攻め込まれる現実がある事を孟子は、「敵国外患(がいかん)無き者は国恒(つね)に亡ぶ」と激しく指摘しているのである。
 つまり「外患」とは、外部からこうむる心配事であり、一方、外国との紛争や衝突など面倒な事件のことである。この外患を忘れてしまった時に、攻め込まれ、国は滅ぶと言うのである。まさに今日の丸腰外交を展開している、日本と酷似するではないか。
 それは政治家や外交官に、防禦の何たるかを知っている人が少ないからだ。

 事実、「外患罪」なるものがある。
 これは外国と通謀して、日本に対し武力を行使させる罪、および日本に対して外国から武力の行使があった時に、これに加担して、その軍務に服し、その他これに軍事上の利益を与える罪であり、日本の国内には、思想的に見て、これに加担していると思える進歩的文化人が多く存在するではないか。
 また、彼等に準ずる思考を持ち、シンパサイダー【註】sympathizer/共産主義運動に直接には参加しないが支持援助する人)と言われる連中も少なくない。現に、思想的あるいはイデオロギー的に、日本人に自虐的な考え方を植え付け、一億総懺悔(ざんげ)の誘導を行っているではないか。

 いま日本人に欠如している考え方は、孟子の指摘通り、「百年兵を練る」欠如ではあるまいか。余りにも無防備な態(さま)が、兇行(きょうこう)に及ぶ犯人側をつけあがらせているのではあるまいか。この現実下に、凶悪事件が派生している事も、また事実であろう。

 そして、武器の研究と、その防禦についての訓練を怠って来た事は、襲われた側にも非があるのではあるまいか。
 平和主義が齎(もたら)した宿罪は、非常に重いと思われる。つまり「真の平和」と平和主義は必ずしもイコールでないからだ。

 私たち日本人は、先の大戦の敗戦の結果、あまりにも戦争を毛嫌いするあまり、武器を遠くに退けてきた。そうする事が平和と直結されると信じて来た。しかし、日本人が武器を退け、遠避けたとしても、世界の武器や犯行の手口は、日進月歩の歩みで、確実に進歩している事を考えなければならない。
 また、人殺しの為の「格闘テクニック」や「ナイフ術の操法」などは、一昔前に比べて、相当に進歩しており、巧妙な駆け引きがあり、これに対する、有事の際の心構えも必要であろう。

 実際に、凶悪事件に遭遇した場合、従来の護身術では全く歯が立たないという事である。凶器を持った人間と、素手で立ち向かい、無傷で危険を回避するなどは、極めて困難であると言えるからだ。
 したがって、護身術そのものも、犯罪の狂暴さに併せて、儀法(ぎほう)的にも進化していかなければならない。また、対峙(たいじ)する心構えも、努々(ゆめゆめ)やり合って、無傷で相手を制するなどとは思わない事である。

 一般に有事といえば、国家的な規模を想像し、戦争や事変など、非常の事態が起ること考えているようだが、実はこの有事は、少数の犯罪者が家庭内に入り込んで来る有事もあるのだ。
 セールスと称して新興宗教の勧誘であったり、物を強引に押し付けたり、契約させたりの強硬な押売が押し掛け、あるいは偽(いつわり)の宅配便やNHK委託集金人(NHKの職員ではないので注意)を装って、室内に押し入って来る犯罪者もいるのである。

 また、「オレオレ詐欺」は言うに及ばず、NTTを語る電話勧誘(NTTの販売代理店や悪質な電話業者がNTTと称し、高額なビジネスフォンなどを売り付けて来る押売行為ならびに契約詐欺)や、主婦相手の化粧品のアポイントの押売の類(たぐい)もそうであろう。あるいはインターネット上の勧誘や、メールでの援助交際などである。ネットオークションにも、犯罪者の戦利品が広く売られているのは周知の通りである。

 現代こそ、金・物・色にほだされる時代であるから、欲が犯罪に絡み、当然こうした事件の絡んだものも浮上して来る。弱者の隙(すき)を窺(うかが)う手法が大流行している時代といえる。
 それは現代を生きる人間の中に、価値観として競争原理が持ち込まれ、極端に利己的かつ攻撃的な振る舞いに及ぶようになった現代人が出現したからであり、この出現によって、世の中が不穏に満ち、混沌として現実を作り出したのである。これは一つの、精神文明社会の敗退であった。

 人間の世は時代が下がるごとに、拡散・膨張を続ける「欲の世の中」になるから、世の中は高速化する現象に併せて、犯罪度合いも多発するようになり、加速化現象を起しているのである。
 こうした危険が渦巻いている中で、小・中・高等学校で指導される平和主義は、一種の幻想であるのみならず、無防備と無抵抗主義と平和主義を錯綜(さくそう)させる「落し穴」へと導いている愚行が見て取れるのである。
 真の平和を求めるのなら、まず戦争の悲惨さを、感情論を交えずに、正しく認識することである。

 

●殺された側にも責任があるとする「自己責任」

 わが西郷派大東流では、孟子の「敵国外患(がいかん)無き者は国恒(つね)に亡ぶ」という一節に、強く注目したい。
 この指摘の言の中の「敵国」を兇行犯罪者、「国」を個人の家庭に置き換えれば、そこに賊が押し入らない為には、どうすればよいか、それが見えて来る筈(はず)である。単に監視の眼であるセキュリティの強化のみならず、そこに居る人間自身も、命を一方的に奪われるのではなく、これに抗(あらが)う術(すべ)を知るべきである。

 賊に襲われ、無抵抗で、丸裸で、何もかも奪われた上に、凌辱(りょうじょく)されて、殺されるのであれば、何の為にこの世に生まれて来たのか、それすらも無意味になってしまう。必ずしも、人は殺される為に生まれて来ているのではない筈だ。殺されることを経験する為に、生まれてきているのではない筈だ。これに如何なる因縁が絡んでいようとも……。

 武器が進歩すると言う事は、それだけ、それを熟(こな)す格闘術操法も進歩し、その背景には、軍隊が、いつ有事が起るか分からないという論理に基づいて訓練しているように、殺しのテクニックも、日々新たなものが考え出され、犯罪性も巧妙になり、進歩し続けていると言う事なのである。
 軍隊は常に最新の兵器を、最良の状態で維持し、いつでも戦える環境状態にある。そして、武器自体、一定の保管期間あるいは使用期間が過ぎた兵器は、まるで賞味期限が切れたコンビニエンス・ストアーの弁当や惣菜(そうざい)のように放棄されるのである。
 戦場では、いつも新鮮な、活きの良いものだけが投入されるのである。

 軍需産業の使用期間の保証は、5〜10年であると言う。10年に一回は、少なくとも消費させる必要があると言う。その証拠に約5〜10年周期で、世界の何処かで戦争が起っている事は周知の通りである。
 1945年8月の太平洋戦争終結後、世界の戦争は次の通りである。

1950年
朝鮮戦争勃発
1956年
第二次中東戦争およびスエズ戦争
1960年
ベルリンの壁の敷設(東西冷戦の激化)
1962年
キューバ事件
1963年
ケネディ大統領暗殺
1965年
アメリカ軍のベトナム爆撃(ベトナム戦争の本格化)
1967年
第三次中東戦争(6月5日)
1973年
第四次中東戦争(10月6日)
1979年
ソ連軍のアフガン侵攻
1980年
イラン・イラク戦争
1989年
中国の天安門事件、東欧諸国の激動
1990年
湾岸戦争(イラクのクウェート侵攻)
1991年
ドイツ統一
1992年
ソビエト崩壊(ロシア共和国、ウクライナ共和国などが独立)
1999年
ユーゴスラビアでコソボ紛争
2003年
イラク戦争(2003年3月20日)

 以上を見れば、武器に賞味期限があり、その賞味期限に合わせたかのように、世界の何処かで戦争が起っている。これは今日の日本でも例外ではないだろう。
 人間界での争い事は、僅か六十年ほどの歴史を検(みて)ても、決して絶えることはないことを顕わしてる。こういう現実下にありながら、防衛論を巡っては、過去の暗い体験から、戦争体験論ばかりの悲惨さが突出して、このイデオロギーにより、未(いま)だに感情論ばかりが徘徊(はいかい)している実情は、非常に残念なことである。

 日本国内に起る昨今の凶悪事件は、殆ど十年前、二十年前には考えられないような凶悪犯罪ばかりである。人命軽視も甚だしい。また、防衛的な思想が欠如しているから、戦うにも、戦う術(すべ)を知らず、無慙(むざん)にも殺されてしまうようである。襲う方も虫螻(むしけら)同様に人間を見下し、人命軽視で襲ってきて、殺される方も、普段から人命軽視の考えに汚染されていて、恐怖だけが先行して、殺されていくという、殺される「自分の非」を何も反省しないまま殺されるのが実情のようだ。
 果たして、賊に襲われ、抵抗もせず、肉体には防禦創もつかず、無慙(むざん)に殺された人間の自己責任はないのか。

 人命軽視は、一方だけにあるのではなく、双方の思考に同居していたのである。したがって、今風の言葉で評するならば、殺された側にも自己責任は免れないだろう。努々(ゆめゆめ)自分と犯罪は無関係などと思わない事だ。
 傷付いて、肉体はボロボロになりながらも、せめて自分の命だけは、取り留める防禦術を心得ておくべきである。

 また一方で、暴力団新法施行によって、世の中は平定され、組織的な過激犯罪は成りを潜(ひそ)めたように映る。しかし、これは暴力団の活動が企業化した為であり、組織同士の抗争が沈静化に向かったのではない。水面下には激しい抗争があり、それに加えて、他国の暴力組織や犯罪組織が日本の国内に潜入しているのである。一般素人の眼には、こうした恐るべき現実が眼に映らないだけである。これも戦後の、平和教育の元凶が裏目に出ている現象であると云えよう。

 日本と言う国を考えた場合、不穏を顕(あら)わす凶事は、いつも外からやって来る。ソ連崩壊により、かつてこの国で製造されていた軍用トカレフは、中国製のコピーも伴って、日本に大量に流入してきた。そして、その後も蔓延(まんえん)の一途にある。この銃は、中高生の少年までが所持していると言う。

 日本は歴史の、どの時代を検(み)ても、外圧に屈しなければならなかった。ペリーの黒船砲艦外交以来、日本は外圧に屈する歴史を辿(たど)った。明治維新を経て、日清・日露の戦争を経験し、日本の大陸進出は、ABCD包囲網の圧力を受けて、太平洋戦争へと突入していった。太平洋戦争敗戦後は、マッカーサー占領下において、戦後改革が押し進められ、そこでも外圧の影響を受けた。

 この歴史を辿ると、日本は常に外圧を受けた歴史であり、いつの時代も外圧が存在した事が分かる。それは人間の世界が「生きている」からであり、変化が起こることが、現象人間界では当然の成り行きであろうと思われる。そしてこうした現実を見ると、日本が外圧に対し、これを巧妙に躱(かわ)し、抗しうる適応力を持っているか否かで、その後の運命が決まるように思われる。

 しかし、日本人は情緒に流れ易い人種であり、心情論に囚(とら)われ易い国民気質をもっている。圧力に抵抗しきれなければ、外圧の思惑を易々と許してしまうだろう。だからこそ、常に命に関わる最悪の状態を想定して、考えておくべきであろう。
 わが身を、危険の中に投じられたら、どうこれを切り抜けるか、常に頭の中で、そのシミュレーションを反覆(はんぷく)させるべきであろう。
 最悪の自体に対処し得る善後策を講じ、常々から、術を以て抗する手段を考えておく事が大切である。これこそが、先祖から受け継いだ「転ばぬ先の杖」の発想ではなかったか。

 それには論理的、心理的、物理的、伎倆(ぎりょう)的、心的準備が必要であり、最悪のコースを辿ったとしても、これに抵抗し得る術が必要な事は言うまでもない。
 「今」の享楽に明け暮れて、「今」を無駄に浪費する者は、やがて夏を謳歌(おうか)し過ぎたキリギリスのように、無防備の儘(まま)、その先の、辛い冬の現実に叩きのめされる運命が待っていよう。
 わが人生を、雪の泥濘(ぬかるみ)の中に踏み込ませない為にも、常に抗しうる伎倆だけは反芻(はんすう)しておくべきであろう。そこに老若男女の差はない筈だ

 では、心構えとしての自らの在(あ)り方は、どうした態度が必要か。
 物に動じない毅然(きぜん)とした態度を保つことは言うに及ばないだろうが、それに加えて、良識を持つことだ。正しい判断の見識を持つことだ。何が正しか、何は矛盾しているかこれを正しく判断できる常識の上に、自らの姿を立てることだ。これを「立命」と言ってもいいだろう。現代人に欠けているのは、この「立命の精神」である。自立心である。他人への依存で、甘えてはならないのである。

 日本人は戦後教育の中で、半世紀を越える長きに亘(わた)り、平和教育と称して「憲法第九条の戦争放棄」という非常識を、徹底培養されてきた。また、日米安保条約下で、甘えに乗じてきた。
 これを良識の見地から分析すると、戦争放棄が貫かれているのであるから、この憲法下では、明らかに国家の自衛権が徹底否定されている。この事こそ、重要なポイントになる。つまり、軍隊を持つことも禁止しているのであるから、交戦権もなく、自衛戦争すらも出来ないと言うことだ。

 こういう「憲法を守れ」というのであるから、実際には敵国の軍隊の侵略があって銃を向けられたら、「即座に、抵抗せず、敵の奴隷になれ」ということだ。
 本来、「自分を守る権利」というのは、人間として、どんな人からも奪ってはならないのである。これこそ、各人が天から与えられた天与の権利なのである。それを、どうしたことか、自分を守る権利すら放棄せよというのである。

 この「放棄」は、賊から「金を出せ」と脅されれば、素直に金を出すことであり、「命をよこせ」と言われたら素直に命を与えることなのだ。
 「娘を出せ」といえれれば、素直に娘を与え、「妻をよこせ」と言われれば、妻を素直に差し出すことなのである。戦争放棄並びに自衛戦争は禁じられいるのだから、一切抵抗せずに、これを素直に受け入れることなのだ。
 また、敵が武力を盾に脅してきたら、素手で戦って無慙(むざん)に殺されるか、敵の言う通りにして命を投げ出すしかないのである。これこそが、憲法第九条で説かれている戦争放棄の、もう一つの無抵抗主義なのだ。


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