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志高く、より良く生きるために

■ 夏季合宿セミナー ■
(かきがっしゅくせみなー)

●夏季合宿セミナーの日程予定

 本合宿の日程は、下記のスケジュールで行われる。スケジュールには食餌法を取り入れ、また道場内の稽古では体験できない滝行、馬術、徒歩行軍に併せての山稽古などの鍛錬がある。

 
11日(土)
12日(日)
13日(月)
14日(火)
15日(水)
─────
05:30起床
・国旗掲揚朝礼
・玄米スープ朝食
・滝行(菅生の滝)
・合宿安全祈願のため産土神社参拝
・午前の稽古
12:00
・ 昼食

05:30起床
・国旗掲揚朝礼
・玄米スープ朝食
・滝行(菅生の滝)
07:30乗馬クラブへ向けて出発
09:00
・馬術稽古
12:00乗馬クラブにて昼食

02:30起床
・玄米スープ朝食
・徒歩行軍にて山頂登山を目指す
・福智山(福岡県随一海抜900.8m)登頂、七重の滝で滝行、山稽古
12:00
山頂で昼食

05:30起床
・国旗掲揚朝礼
・玄米スープ朝食
・滝行(菅生の滝)
・午前の稽古
11:00稽古終了
・昼食
・優秀参加者の表彰

12:00解散予定
─────
13:00
・午後の稽古
※途中休憩を挟む

14:00
・午後の稽古
※途中休憩を挟む

13:00
・山稽古
14:00下山。徒歩行軍にて帰館


─────

17:00集合
・基本稽古、入浴、夕食をかねた親睦会
23:00消灯
18:00終礼
夕食
19:00夜の稽古
入浴
22:00消灯
18:00終礼
夕食
19:00夜の稽古
入浴
21:00消灯
20:00帰館予定
・行軍達成の宴
23:00消灯


─────

日程通りに行う予定ですが、天候により変更することがあります。

合 宿 14日 の 福 智 山 登 山 に つ い て

●福智知山登山について、主催者側より、ご説明いたします
 記載者:福島維規(西郷派全国有段者会・会長、千葉八千代支部長)

 主催者側に一員である、わたしく福島維規は、さる7月21日(土曜) に、行軍予定の福智山登山ルートを確認するために、宗家先生を道案内にお願い頂き、わたし福島と、東京新宿支部長の椎名和生(有段者会副会長)が、後について登山ルートの確認をしてまいりました。
 ちなみに7月21日(土曜)の福智山山頂は、梅雨明け間近で、重い雲に覆われて下界を見下ろすことが出来ませんでしたが、正午ごろの気温は11度で、肌寒く、あたりにはカッコウが鳴き、鶯が鳴き、五月頃の季節を思わせ、また鈴虫が沢山いて、山頂の風はすっかり秋でした。

 福智山は、現曽川宗家先生のかつての山稽古の修行の場であると同時に、先代の山下芳衛(ほうえい)先生との、ご修行をされた地でもあり、福智山から尺岳に通じるルートや、修験道として知られる彦山道にも通じる登山道があり、先日は宗家先生より、かつての若かりし日の想い出話などをお聞きしながら、福智山頂上まで、楽しく登山に参加させて頂きました。

 その結果、判明したことは、複数のルートがあって、山稽古には初心者向きではないルートや稽古場所もあり、本合宿に参加された方は、わが西郷派の門人ばかりでなく、一般から参加された他武道や武道経験のない方も、楽しく、怪我のないように安全なルートを考え、登山ならびに途中の山稽古をはさみ、無事に、怪我や事故のないように万全の注意を払い、合宿参加者の皆様を安全に道案内いたしたい所存です。

 現代人は車の普及により、歩くことが殆どしなくなりました。現代人こそ、これまでの人類の中で、「足腰の弱った病的な人種」であることは、わたしくし自身が福智山を登り、痛感した次第です。

 今回の合宿では、平成3年以来の第二回目の福知山登頂を計画しております。
 先日私も下見に参加し、その大変さと自分自身の不摂生を身をもって体験してまいりました。皆さんにも同じ思いと、その達成感を味わって頂きたいと思います。
 宗家先生は、すでに今年の七月、2度登頂され、さらに合宿までにも、もう1度登頂する予定であると連絡があり、準備万端に整えられている様子です。

 現代人は、歩くにしても、「膝の高さ以上」に脚を揚げなくなってしまいました。仕事に追われて多忙のためか、狭い歩幅で、誰もがせかせかと歩き、歩けない時には、直に車に乗ってしまいます。こうしたことが、現代人の足腰を弱め、病気に直結するような不摂生な生活を送っています。

 現代人の不摂生は、まず夕食が遅いことが上げられます。遅い夕食時間は、腰の根の関節を弛め、これが腰痛の原因になります。また弛みぱなしの腰骨は、肩甲骨の関節の弛みに繋がり、肩凝りの原因になります。肩甲骨の関節の弛みは、頭蓋骨後頭部の関節を弛めてしまい、中年以降になると、「顔が膨らんで見える」という現象は、すなわち頭蓋骨の関節が弛んでしまったからです。
 頭蓋骨の関節の弛みは、やがてアルツハイマー型痴呆症などの脳障害を起し、生きながらにして、痴呆を体験しなければならなくなります。

 わが流は、夏季合宿セミナーのひと時の間を利用して、人間が「自然と共にある姿の大事」を説いております。是非この機会をご利用頂き、「感動の一瞬」を福智山登山の山稽古で、味わってみてはいかがでしょうか。
 合宿参加者の皆さんの、新たなる人生の 「道しるべ」がきっと見つかると確信しております。本合宿に参加される皆さんも、準備を整えた上で、合宿に参加くださいますようお願いいたします。
 それでは合宿当日に、お会いできることを楽しみにしております。

 
 

【福智山・山頂を経由しての行軍ルート】
 午前2時30分、総本部尚道館を出発。徒歩にて、菅生(すがお)の滝入り口休憩所に至る(到着時間午前6時30分の予定)。菅生の滝入り口休憩所から増渕ダム螺旋階段下到着(到着時間午前7時)。毎年恒例の班別対抗による螺旋(らせん)階段駆け足競争(陸上自衛隊員も参加します。優勝者にはビール1箱プレゼント)。次に、七重の滝にて「滝行」の滝打たれの業。その後、七重の滝登山口ルートを登り、烏落(からすおとし)経由し、烏落分れから迂回して福智山山頂へ(到着時間正午)。昼食ならびに山稽古を経て、下山。徒歩にて尚道館へ向かう。尚道館・帰館時間は午後8時30分の予定。

この行軍には、万一の場合を考えて、急病や捻挫・骨折者の為に救護班が付き従い、 車で行軍の援助や救急体制をはかる準備が整っています。

 

【本合宿の五大特徴】
 現代人に正しい生活法則を指導する。現代人は、自分で見落としている危険な「落とし穴」がいくつもある。また、現代人を取り巻く地球環境は、現代人に益々窮屈を強いり、悪化の一途に在るのは周知の通りである。

 現代人は、「科学万能主義」の迷信に酔い、色情や金銭に魅了されて生きている。その人生の主体は快楽主義である。誰もが自然との調和を忘れ、メカと情報に翻弄(ほんろう)されて、自分自身でさえコントロールできない状態になっているのである。更に、こうした悪循環の上に現代栄養学の食指導の誤りが、現代の難病奇病を派生させ、人体に不適当な食品群は現代人の肉体を長時間かけ、自覚症状のない状態で、確実に蝕んでいるのである。
 果たしてこうした生活の延長を、人生として設定してよいのだろうか。

 食生活の急激な変化と、飽食や美食に明け暮れる現代は、人間を大自然から大きく引き離してしまった。そこに私たち現代日本人は、情報過多の社会の中で迷走しているのである。
 氾濫する珍味や美食の数々。化学調味料を含んだ多くの食品群、合成着色料や合成甘味料がふんだんに使われた清涼飲料水、保存料などの各種添加物入の食品群、インスタント食品やジャンクフード。これらのどれをとってみても、人体に有害なのは明白である。
 現代人こそ、食品産業の利益優先にたった人体実験の当事者なのだ。

 一方、縄文時代より連綿と続いた日本の穀物菜食の伝統は失われ、日本人の体質は異様に畸形(きけい)した観がある。
 乳製品や食肉食品の大氾濫。動蛋白偏重の欧米型食生活。今なお消えぬ愚かしい牛乳神話。「肉はスタミナのモト」神話など、日本人の脳裡には欧米から汚染された不適当な食品を食する悪しき伝統が根付こうとしている。そして、これが脳神経や体内の代謝機能の働きを狂わし、ビタミンやカルシウムの欠乏を招いた。

 その中でも白米、白砂糖、化学精白塩などは「三白ガン」と称され、それでもこれらの食品の摂取に歯止めがかからない。無批判で、誰もが食べさせられているのである。これらの食品に加えて、タバコやアルコールの恒常的な習慣が改まらず、ガン、心臓病、脳卒中、肝臓病などの病気が死亡原因の上位を占めるようになった。

 また、子供や孫の世代においても、アトピー性皮膚炎、小児喘息、アレルギー体質、精神障害、牛乳摂取の弊害から起る骨折など、多発する悪影響は一向に収まることがない。

 現代人は真の健康を見失っている。また、環境の悪循環に自分が浸りきっていることに、一切の自覚症状を持っていない。危険なことである。
 真の健康を養える条件とは、水や空気が綺麗で、日当たりがよく、騒音のない、情報量も過剰に氾濫(はんらん)していない環境の中において保たれる。これが人間の情緒を安定させるのだ。
 明るく朗らかで、気力が充実し、愉快に、爽快に暮らせる条件は、大都会の喧騒から離れ、静寂の中に身をおくことである。

 現代社会の物質主義が見落としてきた、自我(じが)に囚(とら)われない、宇宙と合一する現代生活からの打開策が、本合宿にはプログラムされているのである。
 そのプログラムの中には、ストレス解消法があり、慢性病や虚弱体質の改善があり、疲労回復に繋がる、多くの古人の智慧が息づいているのである。

 現代人はこれまで多くの食情報に惑わされ、また医学情報に散々弄(もてあぞ)ばれてきた。一種の現代栄養学と現代医学の被害者である。カロリー一辺倒主義の被害者であり、機械医療の被害者である。あまりにも多くの間違いに翻弄(ほんろう)された歴史を抱えている。しかし、もう、そうした呪縛(じゅばく)から、いい加減に解放されても、いい頃ではなかろうか。

 また、現代という時代は誰もが「文明」という贅肉をまとい、その贅肉の重さで潰されようとしている時代である。いま現代人に課せられることは、文明という贅肉をそぎ落とし、自然の帰ることこそ、急務ではなかろうか。
 一人でも多くの人が目覚め、生きとし生けるものとしての自分の生命を全うすることに、本合宿が、少しでも役に立てば幸いである。

本合宿の五大特徴
1.
 朝は固形の食事を摂らず、液体の玄米スープの朝食。一般的に朝食を摂ることは現代栄養学の立場から、非常によい事のように考えられているが、朝食時に固形の食品を摂取すると、腰骨の関節が開き、関節のしまりを弛(ゆる)めて、腰痛の原因になる。人体には異化作用と同化作用があるので、朝は排便タイムである。日本では古来より、武術修行者に限らず、樵やマタギ等を生業(なりわい)にする人は、腰骨を守る意味からも、朝食を摂らなかった。これは西洋においても同じだった。

 山林業やマタギ等の猟師を生業とする人は、筋肉を酷使するため、朝は朝食を摂らず、水分だけを摂り、腹を満腹状態にしなかった。
 この点は武術の修行者も同じだった。朝食を摂ると、血液が筋肉に集まらず、胃に集まって消化のために使われる。こうした状態で修行しても、上達が期待できないのは明白である。腰痛が起るのは、現代栄養学が言うように「しっかり朝食を摂る」からだ。
 朝食を摂れば、腰骨の関節が弛み、この時に無理な運動や労働をすれば「ぎっくり腰」が起る。特にスポーツ選手に腰痛が多いのは、しっかり朝食を摂り、その結果、腰骨の関節が弛むからである。それに「遅寝」「遅起き」も、朝食に併せて腰痛になりやすい。

 腰痛は朝食を摂ることから起り、これが原因で腰骨の関節が弛み(特に仙腸(せんちょう)関節の筋肉と関節は弛みやすい)、次に肩甲骨(けんこうこつ)の関節が弛んで「肩凝り」の病因を作る。更に肩凝りは頭蓋骨の関節を弛め、頭蓋骨が弛むと、顔全体が膨らんでくる。顎(あご)が二重三重になる。四十歳の初老のことから老人斑(ろうじんはん)が出来る。視力が低下する。歯が弱くなる。脳の血行が悪くなり、物忘れがひどくなる。ボケ状態が始まり、アルツハイマー型痴呆症に一歩近づく。集中力や根気力がなくなる。聴覚が低下する等である。
詳細は《癒しの杜の会》HPの「腰痛・肩凝り」を参照。

 朝は朝食タイムでなく、「大事な排泄タイム」である。一日3食食べれば食べ過ぎぎであり、現代人こそ飽食に流れているので、美食を慎み、「一日2食の粗食少食」に徹すべきである。

2.

 八門遁甲の「地理の読み方」を指導する。人間は生き抜いていくためには、単に時代の流れに任せて動物的に生きているだけではダメである。快楽主義に溺れることなく、大自然の理に随い、「天地に理」を知ることが大事である。

 時代を生き抜くためには、小手先の戦闘技術だけを学んでもダメである。「天地の理」を知り、一生を通じて自分の心の拠り所と、人生の精神的な糧を、古人の智慧の中から汲み取らなければならない。地形を知り、土地の利を知り、自然観測を通じて、状況判断を下すものでなければならない。天は雨を降らし、水は高きところから低きところに流れる。この根本が説かれているのが、八門遁甲の「地理」である。

  また福智山登山および山稽古を通じて、「地理」を学ぶと共に、「山に登る」という高所に身を置くことが、「毛細血管の回路」を開く働きにも役に立ち、更には「ただひたすら歩く」ことが、徒歩禅にもなりうる。無我の境地に、わが身を置き、都会の喧騒(けんそう)から解放されることも大事である。

 歩くことは、また無我になることであり、気圧の高低を観じて、毛細血管の回路を開発すると同時に、自律神経を調整することにも繋がるのである。更に山道を歩くことは、股関節の動きを滑らかにし、溶融や坐骨神経痛の予防や治療にもなり、長年腰痛で苦しめられていた人が、登山によって腰痛が治った、坐骨神経痛が治ったという話は、よく報告されるところである。つまり、「腰骨の関節の弛みぱなしの現代人」の、腰骨をしゃきっつと引き締めるのである。

3.
 正しい滝行の修法を指導する。滝行とは、単に滝に打たれることを言うのではない。正しい滝行の修法を知らなければならない。御滝場などにいくと、新興宗教の信者等が、声高らかに般若心経などの経典を唱え、滝に打たれている姿を目にするが、あれは間違いだらけの自己流の悪しき滝行である。「泥丸(でいがん)」から直接滝の水に至れると、脳の毛細血管が破壊され、毛細管に目詰まりを起し脳障害やアルツハイマー型痴呆症の病因になる。
 したがって、「唖門宮(あもんきゅう)」を開いて、ここから「水の精気」を体内に送り込み、身体裡側の汚れを浄化するのである。
4.
 西郷派の得意とする乗馬を指導する。馬を馭すことは、“合気”掛け「八人捕り」の要領である。馬の轡(くつわ)を捉えて、「腕を返す術」を知らなければ、“合気”に繋がる修行は出来ない。
5.

  うさぎ跳び・腕立て伏せ・懸垂・腹筋や背筋などの筋肉トレーニングをせず、「呼吸法」と「修法」を中心とした古人の武術家が培った行法を第一として指導する。
  西洋式の現代スポーツの多くは、呼吸法による吐納が正しくない。そのために肉体を酷使すれば「心臓肥大症(心筋梗塞など)」になりやすい。基本的な正しい
調息呼吸を学び、心臓に負担を掛けず、また深呼吸の誤りによって起る「禅病」(江戸時代の中期、禅の大家・白隠禅師が犯した病気。後に京都北白河山中の白幽仙人に自然治癒力を高める「内観の秘法」を学んだ)の愚も犯すことなく、静かで平穏な安らぎの呼吸法を学ぶべきである。

 呼吸を正し、吐納を正しく行うと、まず心の中の不安や恐怖が消え去る。次に気力が充実し、それが全身に漲(みなぎ)る。更に弾むような躍動感を感じ、生命力が旺盛になる。
 人は、この境地に至ったとき、悠久の天地と共に、自己の裡側を掘り下げ、自分が宇宙に溶け込み、広がり行く自分を観じるのである。そして、自らは清浄で、澄み渡り、大自然と一体となる境地を体感するのである。

 

●夏季合宿セミナーを総括して指導する中心課題

乗馬を体験し、乗馬クラブ玄関前で。
 

 本合宿の中心課題は内外の「護身法」である。

 一般に「護身」といえば、外側の技術的な護身術のようなものを想像するであろうが、ここでいう「護身法」とは、単に外的圧力に対する護身ばかりでなく、自分の内側にある精神面での護身法を含むのである。

 人間は普段、多くの雑事に追われ、多くの煩悩を燻らせながら生きている。そしてこうしたものが「柵」となり、不安や悩み、迷いや恐れの原因をなしている。
 こうした種々の世襲の事象から解放されるためには、まず「精神統一」を図ることが大切である。

 そして、私達は一日のうちで、5分でも10分でもいいから、日常生活に起こった悪想念(厭なこと、悔しいこと、恨みに思ったこと、妬んだこと、不安や迷いや苦しみや悩みなど)を消去する必要がある。その一切を忘れ去らねばならないのである。
 悪想念に関しては、その日その日の出来事や、悩み事が離れる方法を知っておかねばならない。
 そして期待と歓喜をもって、精神統一に専念しなければならない。

 何もかも忘れた無我の境地は、日頃疲れた肉体をリラックスさせ、その境地で得られる小悟が一つ一つの積み重ねとなって、やがては大悟に至る。このようにして、その各々の境地で得られる「悟り」が、一切の精神上の悩みや取り越し苦労や、種々の煩悩を払い除け、魂の安定を図り、霊的な豊かさに満ちた境地へと誘ってくれるのである。

 さて、精神統一を図るにあたり、普段は、その時刻はなるべく一日の仕事が終わった後がよい。
 また時刻も同じ時間にして、部屋も同じ方がよい。
 これはなぜかというと、人間の躰からは一種の磁気(オーラ)が放射されていて、同じ時刻、同じ場所で精神統一を行うと、それが習慣となって精神統一に良い影響を与えるからである。

今日では殆どやら無くなってしまった
  「山稽古」での剣術の稽古。本来、修行の場は道場内という室内ばかりでなく、大自然を相手にした山稽古が本筋であった。
 

 次に自分の姿勢であるが、静坐を旨とし、それ以外の方法はとらない方がよい。
 特に身体が沈んでしまうようなソファーや、リクライニング・シートのような脊柱が倒れてしまう椅子に座る事は不適当であり、また脊柱が歪曲するような姿勢もよくない。更に胡座という方法があるが、この場合は尻部に座布団を敷き、膝頭の位置が腰骨より高くならないようにすることが大切である。

 精神統一において、一番簡単な姿勢は「静座法」であり、腰骨の上に脊柱を垂直に立てることが注意点である。このようにして脊柱を垂直に立てると、自然と背骨も真直ぐになり、その結果、霊的中枢には霊的神性が宿りやすくなり、また霊力も届きやすくなるからである。

 こうして精神統一の体勢が整えば、次に呼吸法に入る。
 呼吸法は深呼吸であるが、単に深く吸い込んで、吐くという方法ではなく、複式呼吸法から進化した逆腹式呼吸(丹田呼吸法)でなければならない。一般に素人考えでは、単に深呼吸をすれば爽快な気分になり、肺の古い息は交換されると信じられているが、これは大きな誤りである。

 こうした深呼吸という遣り方で精神統一を試みると、まず酸過多状態になり、また深呼吸の無駄な反復は、疲労を齎すばかりか、邪霊に邪魔されて、次々と妄想が浮かび上がってくるので、特に注意しなければならない。
 これは禅の僧侶などが「禅病」を患っていることから考えて見ても、一目瞭然である。

「山稽古」の終わった後の、 野外での 食事風景。しかし、食餌の主食は「玄米食」であり、玄米パワーが、躰の痛んだ部位を修復し、特に内蔵の病める人は、玄米食は大きな効果がある。
 

 今日の形骸化した禅は、こうした禅病になった際、その治し方や、解消法を知らないために、こうしたトラブルを起こすのであるが、このトラブルは白隠禅師が禅病を患い、後に京都白川山中の仙人からこれを治してもらったという話からも窺えるのである。したがって無闇矢鱈の深呼吸は、無差別にするべきでないのである。
 
本来、武術は道場という室内のみで行うのではなく、その真諦(しんてい)は大自然という屋外にあった。道場内稽古は、あくまで俗諦(ぞくてい)に過ぎないものであった。俗諦とは、真諦を全うする為の方便ということになる。

 特に新興宗教などで呼吸法の指導を受けた人が、酸過多状態になって、訝(おかし)な咳や喘息(ぜんそく)のような呼吸をする人がいる。
 また蓄膿
(ちくのう)のような鼻づまりで、呼吸困難に陥るような発作をともなう、呼吸の吐納(とのう)を繰り返している人を時々見掛けるが、これは呼吸法の誤りから来る病気である。
 更に、他の大東流や合気道、他武道(特に気功や、気をテーマにした武道)をやっている人で、呼吸法に誤りがあり、眼の縁が赤くなっている人を見掛けるが、これも深呼吸や腹式呼吸に誤りがあり、一種の「禅病」に近い呼吸器障害を起こしているのである。
 こうした愚に陥らないためにも、
正しい丹田呼吸法を身に付けなければならない。

 そして正しい丹田呼吸法が会得できたら、次に精神統一を図る無我の境地に入ることになる。
 但し、最初の状態は雑念や妄想が湧き起こり、精神統一を邪魔されることが起こり、その雑念などは、身体機能の動きを患わせて、次から次へと妄想が湧き起こるのである。

 さて、精神統一とは何かというと、これは雑念や妄想との闘いであり、また自己の周囲を取り巻く邪霊との闘いであると覚悟しなければならない。しかしこうした事を平気で乗り越えられるようでなくては、真の精神統一の、無我の境地には辿り着く事が出来ないのである。

炊事場での食事の準備。
 

 また呼吸法に誤りがあると、「くつろぎ」の状態が、一種の眠気や倦怠感が襲うことになり、気怠さを感じるようになるので、これは呼吸法に誤りがあるのである。こうした場合は、速やかに停止して、その誤りを指導者から訂正してもらわなければならない。
 これを怠ると、益々隙(すき)をつくることになり、邪霊に取り憑かれたり、低級霊に取り憑かれたりして、精神障害を起こしかねないので要注意である。
 そしてこうした状態を放置すると、初心者では処理できない悪影響を残すから、まず正しい指導者について、正しい丹田呼吸法を学ぶことが肝心である。

 初心者は概ね、これまでの日常での「精気」を「元気」に変えることが肝心であり、これは性質の荒いβ波を柔嫩いα波に変える必要があるのである。こうすることによって、経絡調律ができるのである。つまり経絡調律とは、天の気と地の気を繋ぎ、天意を探究する意識を養うことなのである。

 そして、これをもって「護身法」という。

 正しい丹田呼吸法を知り、護身法の何たるかを知れば、身体はすっきりして、精神的にはちょっとした物音や、あるいは敵が攻めてくるような気配すら容易に感じ取れ、敏感で隙のない状態と境地が得れるのである。また、予知能力も増すのである。
 これは脳を隅々まで掃除し、手入れの行き届いた躰の中は、精神がフル活動していて、霊的神性が高まっている状態を指すのである。

 ちなみに、霊的神性が高まると、その霊的波調は密(θ波)に気高くなり、逆に霊的神性が低いとその波調は粗く雑なもの(β波)となる。
 したがって霊的波調を密に、細かいもの(霊的微調波)にすることが肝心であり、この条件が整うと霊的神性は次第に高まり、「第三の眼」というものが開発されるのである。
 この開発の主眼が「護身法」であり、単に外の眼に見える可視的な敵に対処するのではなく、眼に見えない不可視的な邪霊や、近未来に我が身に迫る危険現象や不幸現象とも闘えるような体質を会得しなければならないのである。

炊き火を囲んでの落日の集い。
  焔を見詰めつつ、各人の武術談義は
  尽きない。

 
 本合宿はこうした不可視の敵とも闘える、非日常の習慣が身に着くように、受講者を指導することを目的にしています。
 単に、いたずらに筋トレなどのハード・トレーニングをしたり、無理な肉体を酷使して、武技格闘に明け暮れるばかりが護身術ではありません。肉体に酷使は老化を早め、みずからのオーラに歪をつくります。

 また心は病的に畸形(きけい)し、霊的バイブレーションは狂わされぱなしで、愚かな野望を抱き、好戦的で威圧的で傲慢な人間に成り下がります。
 こうした人は、観相学的にみても「顴骨」に現われ、傲慢と好戦的であることは、一目瞭然となります。
 また、この箇所が張っている人は、忍耐力のある反面、破壊的な愚行に取り憑かれ、低級霊や邪霊に操られる、晩年は最悪な人生を余儀なくされてしまいます。
 逆に、精神統一を学び、正しい丹田呼吸法を身に着けた人は、人格が高潔になり、霊的波調は細かく、短い、高貴な霊的バイブレーションをもっています。これは品性の低い、好戦的な、波調の長く、粗い人とは対象的です。

 真の護身法を学び、自分の内側を浄化して、今後とも、非日常の豹変の世界が、いつ登場しても、これに対応し、抵抗できる術を学びたいと考えている方は、ぜひ本合宿に参加し、その真価を会得してみて下さい。

 
 
西郷派大東流合気武術総本部・尚道館 謹書


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