据え物斬り動画のページ 


 わが西郷派大東流では、礼儀を知る武人の心得として、試刀術を行うにあたっては、斎戒沐浴をし、身を浄め、“紋付・袴”を着用し、白足袋を履き、白襷を掛けて、正装して試刀術を行う。

【上の動画:試刀術演武者】
 粗糖術者:岡谷信彦。

【中の動画:試刀術演武者】
 三位一体の試刀術者:岡谷信彦、福島維規、中橋雄介。

【下の動画:試刀術演武者】
 試刀術者:岡谷信彦、椎名和生ほか。
 これは飛び道具をつかった不断の稽古模様である。
 据え物斬りは、かつては土壇(どだん)などに罪人の屍(おろく)を置いて、刀剣の斬れ味を試す為に用いられた。
 剣術では、「剱(けん)の道」の剣として、据え物が単に刀の斬れ味を試すだけではなく、精神高揚の術として研鑽される。また、「巌(いわお)の身」を動かす剣として心ある武人の礎(いしずえ)になった。そこには「心・技・体」の三者が伴わなければ、不可能であった。これを「奥儀」と呼んで、昔から重視してきた。この奥儀は、修行を積まない者に伝えても、理解できないから、古人は「免許を与える際」に奥儀を口伝(くでん)として伝えたものである。その口伝の中に、剣術は剣術の真髄が横たわっている。
 西郷派大東流の剣儀(けんぎ)の特徴は、ただ標的を斬るだけでない。実戦を想定して、まず投擲武器を用い、然(しか)る後に斬りつけていく鍛錬をする。最初から斬るだけの白兵戦では「負けない境地」が確立る出来ない。
 かの「人斬り半次郎」の異名をもつ中村半次郎は敵対者として対峙した相手と闘う前、周囲の物をありったけ投げ付けて対戦したと言われる。

●試刀術は心・技・体の為(な)せる技である

 試刀術における袈裟斬りの正しい斬り付けは、切断媒体に対し、必ず30度から40度を侵入角度を厳守し、あとは「日本刀の理(ことわり)」に任せるのである。そして「引き斬り」をすることが大事である。日本刀は刃筋を糺(ただ)し、正確な折り目をつけて理通りに用いれば、必ずその理において斬れるように作られている。こうした理を無視して、自分勝手に腕力などの力で斬ろうとすると、日本刀は切断媒体を斬り付けただけで、「弾く」性質を持っている。これは侵入角度の間違いから起る。

 日本刀で媒体を切断する場合、「濡れ巻き藁」の場合は、普通、畳み茣蓙(ござ)が使われるが、これを竹の心棒と共に巻きつけ、一昼夜、水に浸し、水をよく吸った、切断媒体を垂直に立てて試し斬りをする。この場合の、「畳み茣蓙表の巻き数」は、二枚程度で、ほぼ人間の首の太さになる。人間の首を斬り落とせるか、否かは、この二枚の畳み茣蓙を袈裟斬りで斬れるか、否かに懸(か)かる。首が斬れるか否かと云うことは、最後の最後で、介錯をしてやる場合の最終的な目安になるのである。

 例えば袈裟斬りをする場合、最も斬れ味がいい侵入角というものがある。つまり、「刃筋の正しさ」である。刃筋の角度を誤っては、また媒体との間合を誤っては、どんな名刀を用いて斬り付けたとしても、一刀両断に切断することは出来ない。刃筋を誤った角度できりつけると、大方は弾かれ、そして醜く曲げることになる。日本刀はただ打ち込んだだけでは、弾かれて曲げるだけなのである。その為に刀技に優れた術者は、まず、敵もしくは切断媒体に触れた場合、茶巾絞(ちゃきんしぼ)りの要領で、柄の手の裡(うち)を絞り込み、それと同時に「引く」という動作を行う。「絞る」と「引く」という動作が伴わないとき、それは単に媒体に当たるというだけのことである。この最たるものが、「元の鞘(さや)に納まらない」という愚かしい現象である。

日本人は古来より連綿と続いた古式の伝統に則り、日本刀と倶(とも)に誇り高く生きる為に。

 日本刀は、刀法が悪ければ、元の鞘に戻らないのである。
 かつて武士は、切断物質を仮にうまく切断できても、元の鞘に納まらないような斬り方をした場合、それは最大の恥とされた。これは「卑怯者!」と、名指しされたと同じくらいの恥辱(ちじょく)であった。
 本来武士は恥辱に対して敏感であり、日本刀を用いて物を切断して失敗したり、弾かれて醜態を見せた場合、これこそ「卑怯者!」に匹敵するくらいの最大の愧(は)じであった。武士は「愧じ」に対して非常に敏感だったのである。





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