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「大東流合気二刀剣」
著者:曽川和翁/進龍一
発行:愛隆堂
様式:46判/252頁
発行日:平成9年4月25日
定価:1,575円(税込) |
●解説(本分より抜粋)
奥義<合気の術>に入っていく為の一つの行法に「合気二刀剣」がある。
この特徴は、単に一対一の剣ではなく、二人以上の一対多数を相手にした「乱」の実戦剣法であり、最終的な「十方之陣」を想定した剣法である。この陣を破ることを「多数の位」、または「多敵の位」という。
二刀剣は、本来同じ長さの剣を左右の手に持って行う「対車の円陣」の技法であるが、必ずしも木剣や真剣を持っていなくてもかまわない。一旦合気が完成し、二刀剣の体捌きと刀法を会得してしまえば、無手無刀の場合でも、自らの手を刀にみたてて行う二刀剣は可能である。
白刃取りは素手で戦う以上、多少の皮膚は切られてしまうことを覚悟しておかねばならない。これを当り前だと割り切れば、これだけで心は気丈になり、刃物を身に受ける恐怖心と切られた際の精神的ショックを幾分にも和らげることが出来る。切られればその箇所によっては出血多量になる場合もある。しかし「転身」すれば敵の切り込みを直角に受けずにすむ。更に付け加えるならば「転換」すれば後退り状態になるが、「転身」すれば「逃げ腰」「及び腰」にならずにすむ。後退りすれば、体重の重心が爪先ではなく、踵に掛るからだ。こうなれば押し捲られて一巻の終りである。刃物は眼で見ても、心で見ないことだ。実戦に於て先入観や固定観念ほど、人の判断を狂わせてしまうものはない。
また白刃取りを行う際、大東流には敵の刃物の構え方で、その熟練度と攻撃方法を予測する《十方之目付》がある。
刃物に対する防禦は一筋縄ではいかない。このことは柔剣道の高段位を取得する警察官が、武道や格闘技の経験のないド素人の容疑者を取り押さえる際に格闘して、簡単に刺し殺されて殉職する事件が度々起こっていることから考えれば頷ける筈である。これは剣道にも柔道にも、柳生流の無刀捕りに匹敵する《白刃取り》の「柔」の術がない為である。
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「大東流合気之術」
著者:曽川和翁/進龍一
発行:愛隆堂
様式:B5/158頁
発行日:平成11年3月20日
定価:1,890円(税込) |
●解説(本分より抜粋)
「ただ一つのこと」合気の術理が分かるなら、大東流の無数とも言うべき、膨大な、しかもどれをとっても驚嘆すべき技法の秘密が理解できるであろう。これを語ろうとするものがこの書である。
近年、大東流に対する関心が高まりつつあるが、資料が少ないことと、大東流自体の秘密主義のために、武道雑誌などでみられる評論にも的外れのものが多く、誤った大東流の姿が広まる恐れを感じ、この本を著すことにした。
大東流は、近年以降、多くの武道家とその技法に影響を与え続けている。柔道、合気道、少林寺拳法の修行者は、それを知らずに関わりなく、大東流の技法を学んでいる。
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「合気の秘訣」
著者:曽川和翁
発行:愛隆堂
様式:B5/158頁
発行日:平成13年9月25日
定価:1,890円(税込) |
●解説(本分より抜粋)
そもそも「合気」とは何であろうか。
合気の表現は、各々の指導者によって異なる。
ある人は「タイミング」や「呼吸力」と謂うし、またある人は「気」一字を用いて、「気が総て」と、この説明に回帰する。更にある人は、「転換」と「絶妙な体の躱し」を謂い、円運動や螺旋運動を提示して、「円之理」を巧みな言葉を使って、このような物理的な合理性から、はたまた大本教(大本)の宗教論までを持ち出して、これを説明しようとする。しかし現実問題として、初心者や素人には分かり辛い。
「気が総て」と謂ったところで、そもそも「気とは何か」と謂うことになり、それは眼に見える物でもなく、「気の力」だけでは説得力に欠ける。
また「心・気・力」等と、禅問答のようなことを謂って見ても、その合致をみるにはどうしたらよいのか、その哲理と物理的合理性は武術とどう関係するのか、また一様にして謂う「底力」や「火事場の馬鹿力」とはどういうメカニズムで構築されているのか、そしてこれらの言葉を力説しても、気が肉体とどう関わり、心とどう関わっているのか、これを明確に説明しない限り、雲を掴むような話になって、修行の根幹から大きくかけ離れる事になってしまう。
ある人は、更には合気を基督教的な宗教観で捕え、合気の「合」を「愛」と称したり、老荘思想の「宇宙森羅万象論」を持ち出して、万物の融和や調和を強調して、既に「戦闘」する事を忘れたり、人類社会構造の要に「融通無礙」や「調和円満」を早々と持ち出して、これをそ人類の進むべき真の平和の道と、宗教的な色彩を強め、それを豪語して憚らない人もいる。第一、武道の中心課題である「戈を止める」という意味は、人間が欲望を原動力として、他を威圧し、制圧する事に対峙して生まれた言葉である。口先ばかりの平和論を唱えていても、現実問題としての暴力は治まらないが、如何なものであろうか。
またある人は、神秘主義を持ち出したり、触れられた瞬間に手が痺れ、力が抜けて動けなくなるという「硬直合気」や、一瞬にして大勢の敵を潰したり、倒したり、重ねたりする「重合気」を得意とする人も居るが、概ねは武田惣角や植芝盛平の武勇伝に、あわよくば便乗しようとしている人達であり、これ等の人達が、自らの技法を実演して、大相撲の力士やプロレスラーや柔道無差別級の巨漢選手を「触合気」(=躰の一部を触れただけで倒してしまうという伝説上の合気)で倒したという話は一度も聞いた事がない。この現実から考えると、凡その指導者は、武田惣角や植芝盛平の武勇伝にちゃっかりと便乗しているのが、大東流や合気道の修行者の実情であると謂ってもよい。
だからと言って、「筋力トレーニング」と「それによって鍛えた腕力」と「スピード」が総てだと謂う分けではない。人間は動物である以上、しっかりとした骨格の上に鍛えられた筋肉を身に付ける事は大切である。しかしそればかりに囚われて、ボディービル・コンテストのような肉体造りばかりに専念しても駄目である。武術家の体躯は、欧米人とは異なる、身軽で、機敏な体格が必要である。
先ず武術修行者は、単に筋力と筋トレ的な反復練習に陥ること無く、「修行」という観点から、もう一度自分自身を見つめ直し、心を静粛にして「武」の何たるかを考え、本当の意味での「秘伝」に触れる事が望ましい。 |
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「大東流 入身投げ」
著者:曽川和翁
発行:愛隆堂
様式:B5/158頁
発行日:平成14年10月25日
定価:1,890円(税込) |
●解説(本分より抜粋)
著者は「入身投げ」を想う時、子供の頃、テレビのプロレス中継で見た力道山の「空手チョップ」を思い出す。
しかし力道山の空手チョップは、実は空手の手刀打ちではない。合気術の「てがたな打ち」なのだ。
力道山は武田流合気術の大場一翁師(本名幸行。最初号を翁之としたが後に一翁に改名。昭和21年に旧宗教法人合気天真教を創始し、昭和23年に八光流柔術の免許皆伝を授ける。昭和24年に講道館柔道六段、八光流、九鬼神流棒術を合わせ武田流武道を創始して第十八世宗家を名乗り、昭和26年に武田流合気之術第四十三世宗家を名乗る)に、入身投げの一種である、天地分断の「てがたな打ち」の「表の技」(手刀尖先三寸の刃に当たる部分で頸動脈を打ち据える)を学んだ。これは頸動脈の部分を天地上下に分断する大東流の「天地斬り」(絶妙剣の躰術)でもある。
天地を分断された敵は、「てがたな」が頸動脈の打ち据えられた瞬間、既にそこで脳震盪を起こし、足が掬われてしまう。力道山は「天地斬り」を自分にあったものに改良し、そして「空手チョップ」を編み出した。 |
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