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『志友会報』 内容: ・合氣語録(サンプル) ・小説「旅の衣」 様式:A3版 ・両面印刷 ・表面カラー ・裏面白黒 発行日:毎月15日発売 (毎月郵便にて送付) 年間購読料:3,150円(税込) |
| ●志友会報・解説 『志友会報』は西郷派大東流合気武術の同人紙である。 本紙には、西郷派大東流の儀法(ぎほう)や、武術家としての精神構造ならびに、その行動原理などを紹介し、日本国内はもとより、海外においても、西郷派大東流合気武術を研究する愛好者や修行者によって広く読まれている。
一般には、「武」は“武道”と言う名前で置き換えられ、武道の歴史や、その心構え的精神面を説いたもの、あるいは技術解説したものは多々あったが、これらをよく考えて見ると、多くは、スポーツと同様にして捉(とら)え、科学するスポーツで述べられているものが少なくなかった。 科学するスポーツの原点は、「物体移動の物理力学」である。 例えば空手であれば、その破壊力は、質量mの物体が、早さvで動いている時に持っている破壊エネルギーEは、E=1/2・mv2(二乗)で現された。 また、「崩しの理論」は重心の移動であり、重心軸の移動により力のモーメント(moment/定点からの位置ベクトルと着目する物理量とのベクトル積として表される)の、左右の揺さぶりによってこれが行われると定義した。 しかし、日本武術とスポーツ武道は、必ずしもスポーツ科学とイコールではない。スポーツのレベルで如何に複雑に物理的に解明しようとしても、それだけでは補いきれないものがあった。スポーツ理論は一見、科学的に見え、運動物理学のレベルで解説されている事から、武道は科学として解き明かせばその技術的な全貌は総て解明できるのではないかと言う錯覚が抱かれた。だが、それだけで解明できないものがある。それは超能力とは異なる、「秘伝」の存在だった。 秘伝は到底スポーツ科学で解き明かす事の出来ない分野である。西洋スポーツと同じ筋肉トレーニングとは別なものが存在している。しかしこうしたものを、現代では「トリック」といい、あるいは「超能力」の分野にまで誘い入れて、「科学では解明できない」などと嘯く。ここに超能力の名を借りた、現代の想像上の怪物が存在している。 しかし「合気」という秘伝は、想像上の怪物ではない。これは才能や素質に振り回される難点はあるが、日々精進し、怠(おこた)りなく日夜努力を重ねていけば、やがては正しく理解できるようになる。そして地道に、日々実践して行けば、「礼儀正しさとは何か」「武士道の根本原理とは如何なるものか」という、スポーツ科学とは一味も二味も異なる高次元のものが見えて来るようになる。 西郷派大東流合気武術の正しい武術観を理解し、真摯(しんし)に武術を探究して行けば、その究極は、やはり西郷派大東流の武術観と武士道観に行き着くのである。 『志友会報』は西郷派大東流合気武術の「合気之術」と「合気揚げ」に関する“肩霊(かただま)の理”を説き、その儀法(ぎほう)の全貌を公開する為に、これを毎月会報に載せて、心ある理解者に提供している。 「武術とは何か」、此処に本来の修行者の発心(ほっしん)の原点があり、それはやがて「人間とは何か」という事に回帰されるのである。人間を探究せずして、真の武術の理解はあり得ない。人間研究こそ、武術を理解する上での近道となる。そして、一切の行動原理は、人間研究の中に包含されている。 しかし今日の武術界や武道界を見てみると、未(いま)だに強弱論が中心であり、強いか弱いか、勝ったか負けたか、技術面がどうのこうのと、とにかく「人間研究」は二の次で、人格や品位は全く相手にしていない。ここに現代武道の、礼儀知らずの恥部が存在している。 昨今は、素人が、いっぱしの武道家気取りで、マイナーな武道雑誌に次元の低い持論をあげつらっている。心身ともに指導者の域に達していないものが、いっぱしの武道理論を展開している。しかし、内容をよく吟味すると、まさにド素人の域を出ていないものばかりである。実戦を知らない机上の空論である。 これは「プロの喧嘩師」と「ド素人のケンカ知らず」くらいの違いがある。 喩(たと)えば、プロの喧嘩師ならば、止(とど)めを刺す前に手を止めて、人は容易(たやす)く殺さないものである。ところがド素人は、特に感情に余裕の無い為、いま一歩とうい見極めが出来ない。この程度のレベルの者は、相手が弱り、息も絶え絶えになったと見ると、この時ばかりと、恥も外聞もなく相手に刃物を突き立てる。 「弱い犬程、よく吠える」と言うが、弱い人間程、完全に息の根を止めないと安心できない小心性を持っている。自信がないからだ。
自らの身辺に踏み込ませ、秘密を暴露(ばくろ)し、これまでの悪事を回想し、ワルぶりを自慢し、個人的な隙をわざわざ御丁寧に披露する人間がいる。隙を与えておき、手の裡(うち)を教え、容易に攻め込まれる状況を作り出しながら、しかし、飼い犬に手を噛まれないように警戒する者がいる。 この手の人間は、こうした行動を「信頼のポーズ」と自慢する。自己のワルぶりを、何もかも曝(さら)け出し、寝首を掻くかも知れない人間に対し、「お前をこれだけ信頼しいるぞ」という信頼のポーズを見せる。 また、この手の人間は成り上がり者に多い。あるいは労せず、親の資産を受け継いだ者も多い。信頼のポーズこそ、小心者である所以(ゆえん)だ。 信頼のポーズを見せるアクションは、寝首を掻かれるのが怕(こわ)いからである。だからこそ、反逆心を摘(つ)み取る為に、扱い方で、言外な含みを持たせ、身辺に近付けて重臣として起用するのである。ここには小心者の、「反逆心を起こさないでくれ」と言う、祈りと期待が込められているのである。 この種の人間は、横柄な口を叩く、自称武道家に多い。 また一時の勝負に勝ち、それに酔い痴(し)ている人間に多い。これは「人間」と言う実態を、よく研究していないからである。だから時として、杯中の蛇影(はいちゅうのだえい/『晋書楽広伝』に出て来る故事で、蛇の姿が見えた杯中の酒を飲んで重病になった人物が、その蛇が壁にかけた弓の絵が映ったものだと分ったとたんに治ったということによる。疑えば、何でもないことでも神経を悩ますもとになることのたとえ)に戦々兢々(せんせんきょうきょう)となる。 現代は疑心暗鬼(ぎしんあんき)の時代である。 人間の影の数だけ、現代社会は個性の葛藤(かっとう)がある。自分の思い通りに事が運ばれたり、理想が現実化したり、願いが満足に充(み)たされる等と言った事は、滅多に起らないものである。 人間の願う理想的な姿と言うのは、要するに人間の抱く願望であって、それは神棚や仏壇に手を合わせて神頼みをする事と、何等変わらないのである。 しかし、何も期待しないでいいと言うわけではない。「期待しない」等という言(げん)で、簡単に片付けてしまう程、人間は単純でない。 人間の持つ打算的な複雑さを、「期待しない」という一言で、簡単に始末できるものではない。実際問題として、人間は、実に手に負えない代物(しろもの)である。 人間の煩悩(ぼんのう)の深さは、願望や野望と紙一重であるから、煩悩の淵(ふち)は実に深いものなのだ。だからこそ、野心家ほど、ドロドロとした淀(よど)みで覆われている。そこまで見抜き、洞察して、複合的に観察する事により、人間の輪郭(りんかく)が分かって来る。人間を此処まで掘り下げてみて、はじめてその人物像の等身大の大きさが分かって来るである。 人間は、身近で観察すれば、本当の値打はあまり分からないものだ。遠くから、客観的に観(み)て、はじめて未発見のものが見えて来る。人への再発見は、此処に由来する。 敵、味方の感情だってそうだ。 敵と味方と言う感情で人間を観ていると、視野も判断力も狭隘(きょうあい)になり、その評価は過小になったり、過大になったりする。過小になれば齢(よわい)を重ねた老賢人を観て「じいさん」にしか映らないであろうし、過大になれば単なる普通の「じいさん」が聖賢君子に見えて、崇拝・信奉の対称になる。人の愚かしさは此処にある。 要するに、受け取る側の裡(うち)に備わる伎倆(ぎりょう)と洞察力の有無に従い、限定が如何様にも動かされると言う事だ。 この狭隘から起る限定が、かつての老練・老獪(ろうかい)な武術家や武道家を、時として侮(あなど)り、あるいは時として崇拝すると言う、誤りを起こして居る事である。その最たるものが、「武勇伝」であろう。 「武勇伝」は、つまり一種の自慢話である。自慢話に歴史的史実はない。どこまで追求しても、自慢話の域を出るものではない。また、こうした自慢話から「神話」や「伝説」が作られる。捏造(ねつぞう)される。そしてこれを素人が信じる。
綱武出版発行の『志友会報』には、こうした「神話」や「伝説」で捏造(ねつぞう)された、「武勇伝」の謎解きも合わせて掲載している。そして捏造の最たるものは、現在寔(まこと)しやかに囁(ささや)かれている「大東流」の発祥と歴史、あるいは、それにまつわる「神話」や「伝説」である。 果たして大東流の、「清和天皇開祖伝説」が歴史的史実とすれば、何故、今日に伝わっている大東流柔術の剣は、直心影流の「表の型」なのか。 清和天皇は平安前期の天皇である。平安前期と言えば、武装の直刀の為、刀法は存在せず、今日に伝わる「反り」のある「弯刀」とは別のものだ。当然柄握りも異なる。 直刀は片手柄だが、平安中期以降は剣が刀に変わり、直刀から弯刀に移行した時代である。当然柄握りも、この頃から片手柄が両手柄へと変化している。もし、清和天皇開祖説が正しいとするならば、直刀での剣に対する防禦法も伝承されていなければならない。剣と刀は、その操法が異なるからだ。 剣は「突く」と「薙(な)ぐ」が中心であるが、刀は右袈裟や左袈裟に見られるような、あるいは真っ向枯竹割に見られるような「斬る」が中心である。そして「斬る」は、弯刀に移行した後に編み出された技である。 また清和源氏の流れを汲む、新羅(しいら)三郎源義光の「大東の館」の伝説が正しいならば、当時は「後三年の役」(奥羽の清原家衡いえひら・武衡と一族の真衡らとの間の戦乱。「前九年の役」に続いて1083年(永保3)より87年(寛治1)の間に起り、陸奥守源義家が家衡らを金沢柵かねざわのきに攻めて平定)真っ盛りの頃である。 源義光(頼義の三男で、新羅明神の社前で元服し新羅三郎という。1045〜1127)は平安後期の武将であり、知謀に富み、射術(弓術)をよくし、笙(しよう/雅楽の管楽器の一つで、奈良時代に中国から伝来)に長じた武人である。また、数々の武功を立てている。 世はまさに合戦真っ盛りであり、普段でも甲冑(かっちゅう)を身に纏(まとい)い生活していた時代である。だが大東流は素肌武道(近代に登場した平服で行う「護身術」で、甲冑を身に纏いこうした武装がない武技)であり、合気は平服で行う武術である。甲冑を着けて生活する時代に、なぜ素肌武道が存在するのか。まさに、時代を取り違えた歴史的認識を疑われる、実に幼稚な説ではないか。 大東流と言う、如何に優れた柔術であっても、この歴史の歪曲(わいきょく)によって、これまで高く評価された儀法と名誉と権威は地に墜ちてしまうであろう。 一説によれば、大東流合気柔術の源流は、甲州・甲斐武田家にあるという仮託(かたく/真実を歪めてかこつけること)が罷(まか)り通っている。ところが、甲斐武田家は軍馬弓槍を特異とした源義光以来の武勇に優れた武家である。また義光は、射術で武功を立てた後、刑部少輔となり、佐竹氏・武田氏・小笠原氏などの祖である。その家柄の伝統を受け継ぐのが甲斐武田家だ。 平服で行う、合気と言う柔術の洗練された高級技法が、どうして戦国時代に存在していたのかという疑念がうまれるが、これが存在する余地がなかった事は明白である。武術史を扱う場合、仮託と実伝を明確に区別する事が大事である。 大東流の流名自体は、明治維新以降、産声(うぶごえ)を挙げた新しい流派である。また、儀法の編纂は幕末から明治である。 大東流が歩いた過程の中に潜む、隠された真実は、必ずしも「神話」や「伝説」の領域を出るものではない。後年に作られたものが多く存在する。寔しやかに囁かれるこうしたものを、どう捉え、洞察するかで、大東流の歴史観に関する認識が変化するはずだ。 志友会報編集者/はな |
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