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『志友会報』平成16年6月15日号

●時代に合わせての簡化思考
 近年の武術や武道と言われるものは、本来の武技の意味が忘れ去られているため、高度な行法を有するものは、研究されなくなり、その一方で、映画やテレビに見る派手なアクションをするものについては、若者を中心に積極的に採用され、本来の主旨から外れた方法が持て囃(はや)されている。
 そして「秘伝」の持つ意味は益々軽視され、肉体を動かしての、心臓に負担を掛ける心臓肥大症になるものばかりが、秘伝にとって代わられている。

 また合気道の、特に初段から3段程度の大学クラブ活動の初心者の演武は、技が掛からないのに大袈裟(おおげさ)に飛び込んだり、触れてもいないのに足払いで跳(は)ねられたりの誇大動作は、非現実的で舞踊の領域のものであり、真剣に格闘技を志す修行者から冷ややかな嘲笑(ちょうしょう)の目で見られている現実もある。

 これらのことから考えると、純粋な昭和30年代の全盛黄金期の合気道一本主義で押し通し、狐疑感もなく練習に励んでいる人は、実に稀(まれ)である。
 合気道は健康法や女性の美容法としては、それなりの効果があるのにも関わらず、武術としての実戦効果は時代にそぐわなくなって来ており、投技を考えてみても柔道の比ではない。

 合気道や大東流や八光流の投技の多くは、手首を取らせたり、捕まえたりしての非現実的な防禦(ぼうぎょ)技が多く、相手の懐(ふところ)深く飛び込んで肩に担いだり、腰で払ったり、あるいは足で太腿(ふともも)や膝(ひざ)等を攻めて、払い投げるという決定的な「払い投」が無いのである。また頭上から落とし込む《岩石(がんせき)落し》という柳生流の「柔」(やわら)に見られる業(わざ)も省略されている。

 ここで認識せねばならないことは、崩しによって相手の誘導に弾みを付けたり、相手の動きのタイミングを巧(たく)みに読み取ってそれに合わせ、一人若くは大勢を制することは並大抵のことではないということである。

 また大東流(松田豊作)、八光流(奥山吉治・号龍峰)という伝承経路を辿った少林寺拳法(中野道臣。一般には金剛禅少林寺初代管長・宗道臣師家として知られている)に於ても、合気道と同じく型通りの関節技や投技があり、実戦では極めて効果が薄い観がある。

 人と人が生死を賭けて格闘する場面は、双方の一歩も譲らぬ気構えから考えて、大量のアドレナリンホルモンが分泌される状態にあると考えてよい。アドレナリンの分泌で神経が鈍感になった双方が、関節技や投技を掛け合って止めを差すのは、極めて難しい問題である。徒手空拳の一撃必殺に於ても同様である。

 このような非現実的な技法が徘徊する今日、合気武道界は大きな転期を迫られている現実がある。
 西郷派大東流の立場からいうと、初心者段階からの無手無刀の柔術の技法は「手解(てほど)き」以外を除いて無理があり、剣の業(わざ)を習熟した後に無手無刀が可能になる、ということを修行の基本課題にしたいものである。

(編集者/はな)   




『志友会報』平成16年8月15日号

●秘伝科学が抜け落ちてしまった現代の武道界や格闘技界
 「戈(ほこ)を止める」と書く、武の儀法は、今日、まさに「戈を止めないもの」に成り下がっている。古人の智慧(ちえ)は、すっかり失われ、西洋流の愚かしい強弱論が、一時の幅を利かせている。
 秘伝科学の意味からすれば、「合気」もその古代科学の宇宙の玄理から出発したものであり、ここには原始太陽の神代からの、発生以前の理がある。

 さて、原始太陽はその後、宇宙創造の根源として、三柱の神を創造した。この神こそが、天之御中主神(あめのなかぬしのかみ)を中心軸に据(す)えた神であり、その軸を左右に転じる神が高御産巣日神(たかみむすびのかみ)であり、神産巣日神(かみむすびのかみ)である。

 この三柱の神は、それぞれが独立した神でありながら、一体となって活動する神である。
 天之御中主神は中心に坐(ざ)する神であり、同時に人の中心に坐する神である。また、高御産巣日神は何処までも高く、気(け)高く、健く、外に発する遠心力を伴う働きをする。

 更に、神産巣日神は「カミ」である事から「噛む」であり、噛みしめる内包する、あるいは中心軸に向かう事を目的として働く神である。この三柱の神の働きによって、「合気」が構築されているのであり、これが一致した時、「躰動」(たいどう)として人間のから発気されるのである。

 「合気」を秘伝科学として考える根底には、宇宙の三柱の玄理(げんり)があり、これが臍下丹田より発気されて、高御産巣日神が具現化されれば「脱力」となり、これが合気力貫となる。
 また密着し、入身として懐(ふところ)に入り、力が凝縮されれば神産巣日神の働きが具現化されて、高度な集中力を発気する事になる。
 これを西郷派大東流合気武術では、「秘伝」と称するわけである。


●今日の合気武道界の現実
 《合気》は極めて難解な技法である。その構築を考えて見ただけでも、気の遠くなるような習得の為の各段階に於ける各々の《修法》《行法》がある。それがまた習得の為の修練法を複雑にする。

 ある指導者は基本である「一本取り」を十年かかっても遣れと言うし、またある指導者は「力の無用論」を力説して憚(はばか)らない。合気武道界(八光流を含む)では各々が異なった見解を示し、異なった宗教観(神道、大本教、キリスト教等)を以て雄弁力で他を圧するようなところがある。

 さて、合気を表看板の売り物にしている「合気道」について、まず触れてみることにしよう。合気道は大きく分けて、その指導者が戦前派と戦後派の二つに分かれる。これは合気道の開祖植芝盛平の精神的成長の度合で、各々の時代に於ける指導法が異なっている為である。

 戦前の合気道は大東流柔術であり、戦後は一変して新興武道として神道の「行」を模倣した。
 特に、大本教(正しくは「大本」)の宗教観で捕えた精神修養的合気道になった。その精神修養的な考え方が《武産合気》(たけすむあいき)であった。

 戦後の合気道の特徴は、大本教の宗教観が全面に打ち出されていて、本来武術であった筈(はず)の当身業(武術に使う七十箇所。そのうち重要活二十四箇所)を含む柔術が、いつの間にか《神楽舞》(かぐらまい)に摺(す)り変わったということである。
 この《神楽舞》は回転する事によって神懸(かみがか)り、《産霊之理》を以て、幽遠な境地に至るとする神事に準えていることが昨今の合気道(特に合気会)の実情である。

 これは修行者の植芝盛平自身からすれば精神的領域の中での進化であったかも知れないが、戦前合気道を大東流柔術として学んだ人達や武術として捕えた人達は、この《神楽舞》が、武術とどのように関連しているか、その意図が理解できず、合気会植芝ファミリーに狐疑を示しているのが現実である。

 合気道を実戦武術として考えた場合、いくら口で「他人と相対して強弱勝敗を争う格闘技で無い(次元が違うと云いたいのだろうが、格闘技の世界は、和すること、愛することが理解できない修羅の世界である)」と逃げ口上を申し立てたところで説得力がなく、その真価が如何程のものか、格闘技修行者から合気道自体がそれ程、高く評価されて無いのが現状のようだ。

 その為に、難解な合気を理解できない若い指導者達は、「突きや蹴り」は空手に頼り、「投げ」は柔道に頼り、気の理論は「気の研究会」や「西野式健康法」等の「気の存在を力説する団体」に頼っているというのが実情である。これについては、大東流も然(しか)りである。

 また大東流及び合気道指導者の中には、これら団体の技術を積極的に取り入れて、普及している人も少なくない。
 こういう事態に陥ったのは、護身術としては極めて有効な大東流の「危険技を防止した」という名目で、技の前に必ず行われなければならない「当身技」等を省略した結果である。
 特に「合気の当て」というものを省略・簡化したことは有効な極め手を捨ててしまった事にも等しかった。

 合気道では動きを奇麗に見せる為に、専(もっぱ)ら「手首・肘関節・肩関節を極める」「手首や肘を取って投げる」「タイミングに合わせて呼吸投げで投げる」「相手の不注意の隙(すき)を突いて崩す」等の非現実的な、腰から上の上半身の技が中心である。こうした投げ技の類いは、実戦には極めて掛ける事が難しい、技法でもある。

(編集者/はな)  




『志友会報』平成17年3月15日号
●負けない境地
 スポーツ格闘技や競技武道の選手や愛好者は、もともと「勝つため」を目的に日夜練習をするものである。相手に打たれたり、投げられたりしては上手といえず、あくまでも「勝ち」を求めて練習をするものである。

 しかし武術は勝つためより、「負けない境地」を得るために修練するのであって、そこには容易に敵から攻め込まれない「位」(敵に対して優位な体勢を得ること)を会得するために、日夜稽古を重ねることを本義としている。人間の行動原理の、最も大切な行動規範(anomie/人々の日々の行動を秩序づける価値観)は、実はここに置かれ、「負けない境地」への探究が武術の真の目的なのである。この点も、武術がスポーツ格闘技や競技武道と、種を異にしているのである。

 スポーツ格闘技や競技武道では、何が何んでも勝たなければならないし、また勝たなければ英雄の座にもありつけない。
 ところが武術は、最初から勝つをことを目的として修練するのでないから、そこに置かれる次元は「負けない境地」への探究が、第一の目的となる。

 では、負けない境地とは何か。
 喩(たと)えば、応接間で人間二人が対峙(たいじ)したとしよう。その時、相手の孰(いず)れかが、口論の末で暴力に及び、攻撃に出たとしよう。この暴力に対して、攻撃を受けた方はどうするか。ここに、対処する武術修行者の姿勢が隠されているのである。

 応接間に通されたそこには、接客の状況判断から、双方共に、二つの湯呑み茶碗が出されているはずである。負けない境地を知る者は、攻撃する気配を感じたら、即座に湯呑み茶碗を叩き割り、その欠片を握って、相手の眼に向かって切りつければ、これが最高の防禦(ぼうぎょ)となる。

 しかし現代社会において、こうした行為が法的に正統防衛になるか、否かは、非常に難しいことなので、咄嗟(とっさ)の場合、臨機応変に身の周りの道具を臨事仕立ての武器にして戦う術(すべ)を知っているということだけで、有効な「切り札」を持っていることになる。それは遣わなくても、有事になれば「知っている」と言う、相手より一等高い境地である。

 それは喩(たと)え、実際に遣わなくても、それを知っているという心の余裕が、相手とは一ランク違う優越感を抱くことになり、また最後の最後まで追い詰められれば、これを遣うかも知れないという恐れを、相手に恐怖を抱かせることができる。

 つまり「窮鼠(きゅうそ)猫を噛(か)む」状態に追い込めば、幾ら腕力が優っていても、「お前も、決して無傷では済まないぞ」という威圧を与え、その術を知っていることが、秘伝で言う「切り札」なのだ。

 これは一種の核爆弾にも匹敵しよう。核は実際には、実用的な兵器ではない。しかし核を所有することで、敵対国や仮想敵国に恐れを抱かせ、戦争を抑止する効果が充分に果たされている。「切り札」とはそうしたものであり、危険すぎて実用的でないからこそ、その威圧は充分に効果を発揮するのである。

 ここに「切り札」の「切り札」たる所以がある。
 西郷派大東流合気武術における拳法とは、その当身術や点穴術の総てが、ケンカの道具として、日常生活の中では余りにも危険すぎて、決して実用的とは言えないところがある。またロープの張ったリングの中で、試合のルールに則って格闘し、拳の打ち合いや、足蹴りの応酬(おうしゅう)で、対戦者をリングに沈めるものでない。試合馴れした訓練はしないのである。

 しかし、一度非日常と周囲が変化した場合、恐れるべき威力を発揮するのが西郷派大東流合気武術だ。
 またこれが、巷間(こうかん)に流布する格闘技と全く違う戦闘思想を挈(たずさ)えて、最も危険な「切り札」として、日常では遣えないが、非日常に至った場合に有効な手段となる要素を持っているのである。


●大東流槍術と白兵戦術
 戦場において両軍の戦術が展開され、白兵戦ともなると、一騎討ちの形が取られる事がある。またその白兵戦の中でも、稀に騎兵対歩兵同士の一騎討ちが行われる事がある。

 大東流にも槍術において、騎馬侍と徒侍の一騎討ちを想定して、これは「騎馬侍」(きばざむらい)対「徒侍」(かちざむらい)の関係で、こうした形の攻防は存在している。

 この攻防は、人類が戦いをはじめた古来より存在する。
 さて徒侍とは、歩兵の意味で、家録が十人扶持以下の下級武士である。普段は騎乗が許されず、徒歩戦において白兵戦になった場合に配備された特異な槍術あるいは抜刀集団である。

 この集団は、戦いが最初は飛道具の弓矢や鉄砲のが打ち込まれた後、長槍の雑兵同士の槍術戦が行われ、次に騎馬武者の突撃が行われ、こうした展開後、白兵戦となり、「騎馬侍」対「徒侍」の攻防戦が展開された時、徒侍の槍と、騎馬侍の太刀との戦いが展開されるのである。

 徒侍は騎馬侍の太刀に対抗して槍をもってこれに応戦し、騎乗の武者を薙(な)ぐ、あるいは突くのである。徒侍が六尺か、八尺の槍で突き上げる場合、捻りを入れるのは勿論の事、西郷派大東流では突く瞬間に「エイっ」と気合いをかけて息を吐くのではなく、吸う、独特な吐納を行う。吐くと、腕捌きと突きの発気力が半減するからだ。

 一般に呼吸は、吸うより吐く方が気合いが入り、威力が或ると信じられている。
 ところが吐いた場合、気合いの大声に反比例して、効果的には気勢が漏れているので、思ったより威力的でなく、気勢が対象物の媒体に負けた場合、一気に腰砕けとなる。しかしこの腰砕け状態を度外視して、吐く方が気合いが入り、気勢によって敵を殲滅(せんめつ)させる事が出来ると信じられている。

 気勢で敵を殲滅できる場合は、敵は大声に驚き、心理的に動揺した時だけであり、一旦大声になれてしまえば、同じ手は二度と喰わないのである。したがって古来の秘伝によれば、気勢は内なるところに秘めるもので、外には出さないものとされている。この呼吸が、出る際の陽の行動の裡側(うちがわ)として、陰陽相反する「吸う呼吸」である。

(編集者/はな)  




『志友会報』平成17年7月15日号

●頸椎に歪みを与える
 人間の頸(くび)の部分の頸椎(けいつい)は、七個の脛骨(けいこつ)からなる。脛骨は、下部の椎骨の上に位置する骨であるが、椎骨は場所によって大きさが異なっている。

 脛骨は頸椎(けいつい)といわれ、棘突起の先は二つに分かれ、横突起の先にも前後に分かれて基部に横突孔(おうとっこう)がある。この横突起の前半は頸椎に所属すべき肋骨の萎縮(いしゅく)したものと、医学的には考えられている。そしてこれは、稀(まれ)ではあるが、延長して肋骨あるいは脛肋となる場合がある。

 第一頸椎は「環椎」(かんつい)といわれるもので、環状ののもので、椎弓と外側塊からなり、椎体がない。椎弓の上面に靴の底状の上関節窩がある。これは後頭骨の後頭顆を受けて環椎後頭関節を形成している。この関節は頭蓋(ずがい)の前後左右の傾斜運動を助けるものである。

 次に第二頸椎は「軸椎」と呼ばれる。これは上面に上関節面があって、環椎の下関節面との間に関節を形成している。
 また椎体の上端部が上に突出していて、歯突起となり、環椎の前弓後面に接して、歯突起を入り込ませ、そこに正中環軸関節を形成している。環椎と軸椎とを重ね合わせてみると、これは丁度カメの頭を持ち上げたような形をしていて、環を首に掛けたような形をしている。

 これは頭蓋の回転を行い、環椎後頭関節とを合わせると、頭蓋の前後左右の傾斜、あるいは左右の回転を行う場合に以上の動きを助ける働きをする。以下順に 最後の第七頸椎まで並び、第七頸椎を「隆椎」という。隆椎は棘突起が特に長く、また先が分かれていない特長をもつ。

 これは項の下部に突出し、皮膚の上からもよく膨れて、その位置が明らかになる。特に頭を前屈させた場合、突出が著明となる。他の頸骨の位置を定める場合、例えば、ある椎骨がカリエスなどの病気をで変形して突出する場合、これが何番目の脛骨であるか、決める事が出来る位置を示し、この部分の突起を目安にして、各椎骨の棘突起を指で押しながら数える事が出来る。

 さて、西郷派大東流奥伝儀法には「頸固」なる儀法が存在する。これは頸(くび)を固めるので、表面的には絞業(しめわざ)の一種として見られがちだが、これは絞業ではない。頸椎を攻める技であり、頸椎を歪に曲げ、それの頸椎全体に与える技である。固め合気の儀法であり、術者は敵の背後の回り込み、頸を捕らえて、術へと誘う。

 まず、その時、術者は敵の顎(あご)の下に、右腕を差し込み、左腕でそれを支えると同時に、左手で敵の側頭部分を右方向に強く押す。押す場合、右手頸と左腕を交叉(こうさ)させる事が肝心であり、これには「梃の原理」が働くので頸椎部が激しく歪(ひずむ)む。
 この儀法を医学的に見た場合、頸椎を必要以上に引き伸ばし、歪めると言う働きが加わるので、敵は、まず第三頸椎から第六頸椎までが引き伸ばされ、歪められるという現象が起る。かつてこの儀法(ぎほう)が使われる場合、頸椎を外し、骨折させると言う目的をもっていた。

 第三頸椎から第六頸椎まで歪められると、この梃の原理が充分だった場合、第一頸椎と第二頸椎は外れてしまう。これにより頸が畸形(きけい)し、同時に腕で絞め上げられると言う状態に陥るので、呼吸する事が出来なくなる。次に、頸動脈が圧迫されて、腦(のう)への血流が滞る。この血流の滞りは、やがて「脳壊疽」(のうえそ)状態をつくり、敵は失神すると同時に、脳活で活(かつ)を入れても、第一頸椎と第二頸椎が外れてしまった場合、意識が戻らなくなる。

 やがて腦(のう)の血流の滞りは、腦を死滅させ、敵は植物状態になると言う最悪な場合が発生する。
 絞業(しめざわ)や頸固(くびがため)等の技は、敵に接近しなければこうした状態には陥らないと、甘く考える制空圏主張者は少なくない。しかし、手足の長さを含めてその直径はその者の身長程度であり、絡み憑(つ)きやや絞め憑きなどの儀法を甘く見ると、最後は術者の思い通りに運ばれて、自分の命を落とす事になる。
 「運命」とは、吾(わ)が命が運ばれる事であり、運命の「運」は、この文字を解体すれば、「軍が走る」ということだ。

 軍が走るのであるから、これには最大の警戒が必要であり、絞業や固業(かtらめざわ)を術理とする武術は一度接近し、絡め取られてしまうと、大きな損失を招くので要注意が必要である。
 読者諸氏は、武田惣角が北海道小樽で、柔道家の青年に簡単に絞め落とされて、敗れた事を思い出して頂きたい。
 一旦、絞業(しめわざ)や固業(かためざわ)が開始されてしまえば、術者の思う壷になり、これから逃れる術はないと心得るべし。


●通り抜けの術の真偽
 武田惣角の武勇伝を信奉する信奉者は、実に多い。特に、津本陽の小説『鬼の冠』の出版以来、これに入れ揚げ、武勇伝にちゃっかり便乗する輩(やから)が増え、大東流の系図を自分の方に振り向けたり、あるいは「大東流○○会」と名乗る、本来大東流や大東流に無関係な、大東流柔術、大東流合気拳法の主宰者を増やす事になった。そして、その極め手になる論証は「通り抜けの術」である。

 人間が壁の中を通り抜ける事がない、と科学万能主義を持ち出して認識すれば、通り抜ける事はないであろうし、科学的根拠は未だ曾て仮説の上に成り立つ、ニュートン来の古典物理学だと一蹴(いっしゅう)すれば、この論理の是非については根本的に覆る事になる。

 だが、これを更に検証していくと、壁の中から突然顕(あら)われ、壁の中に突然消えたと思わせる「通り抜けの術」は、実は観(み)るが側の思い過ごし、あるいは肉の目の錯覚であり、その時、肉体は観る側の視界から消えたと云うべきであり、実際に通り抜けたと云う事にはならない。

 その時の状態を考えれば、三次元空間は四次元以上の空間に侵食されている為、実際には消えてなくなったのではなく、その場合の肉体ないし媒体は、まだその場所に居たのだと考える事が出来る。視界から消えたとするのは、単に肉の目の錯覚に過ぎないのであり、物質界の肉体が通過不可能な壁の粒子の中を自在に通過できる訳がない。

 しかしこの事は、観(み)る側に「錯覚を与える」という見知から考えれば、その足跡は「自在に壁を出入りする」という錯覚を植え付け、更には、人体の神経系ですら自在に操る事が出来ると云う事になる。

 大東流では、こうした「操る」ことに関して「四次元空間に敵を沈める」と云った。「幻術」(げんじゅつ)ともとれるこの技術は、次のようにも説明する事が出来る。

 喩えば、腕や胸蔵(むなぐら)などを掴むと、掴んだ相手は一本のロープに吊るされたような形になる。吊るされたような形になって、意識的に手を離せば、自ずから落下するような錯覚に捕われる。落下するのが嫌であれば、頑張ってロープを握りしめ、宙吊り状態でいるしかない。こうして自らの動きを、自らで封じてしまう事になるのである。こうした知覚意識は、一体何処から起るものなのであろうか。


●崩しのテクニック
 これは大東流柔術の手解きの中で、相手が崩れる状態の隠された儀法(ぎほう)が存在するが、この儀法は柔道の崩しとは似ても似つかないものである。

 柔道の技法構築は、その「崩しの理論」が、「出足払い」「支え釣り込み足」「払い釣り込み足」等の足技に、その基本が置かれている。直立体の人体の、直立姿勢を崩すと言う目的が柔道の基本構成になっている。

 これはまず、相手を掴み、次にバランスを崩しておいて、一旦相手を不安定な状態に導き、その隙(すき)を窺(うかが)って肉体力で技を掛け、顛倒(てんとう)させると云う力の競い合いであり、「崩し」にその総ての基礎が集中し、柔道の顛倒までに至るプロセスを追えば、まず、「崩す」ことを足に向けて仕掛け、次にバランスを喪(うしな)った不安定な状態に導いて、その隙を窺い、何等かの技を「出足払い」のように「掛ける」と云うのが柔道の一貫した流れであり、その主体は物理的な「崩し」にある事が分かる。

(編集者/はな)  





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