●内弟子寮・陵武学舍の指導陣

 内弟子の指導については、次の者が担当する。
尚道館陵武学舍・内弟子寮の指導陣
尚道館館長・曽川和翁
陵武学舍寮長・曽川竜磨
【略歴】
・昭和23年8月生まれ。
 米国イオンド大学教授
(数学・哲学)。哲学博士。西郷派大東流合気武術宗家。
 幼少より山下芳衛
(ほうえい)先生に師事し、会津藩家老・西郷頼母(さいごう‐たのも)編纂伝承の大東流合気武術と八門遁甲兵法五術(命・相・卜・医・山)、その他の兵学・武術を学ぶ。
 また「陽明学」「密教・房中術」「八門遁甲・人相術」の研究家としても知られ、国際軍事情報に関する戦略・戦術思想家でもある。

【お奨めの一冊】
・太平洋戦争の日米両軍の天下分け目の戦いとなったのは、ミッドウェイ海戦においてである。日本海軍連合艦隊は、この海戦において致命的な大敗北を喫するのだが、大本営海軍部の報道班は「常勝皇軍」の虚報を流し続け、当時の日本国民を欺き通した。決して国民に「大敗北の真実」を知らせなかった。
 その為に、連合艦隊司令長官・山本五十六は「真珠湾の英雄」から、“敗軍の将”に転落することはなかった。山本五十六は知将だったのか、凡将だったのか?……。

『凡将 山本五十六』生出寿著、徳間文庫。
【略歴】
・昭和62年7月生まれ。父和翁の一番下の末息子として生まれる。
 中学三年
(14歳)より、17歳の陸上自衛隊入隊まで約4年間を内弟子として父に師事。西郷派大東流合気武術指導員・参段。
 元陸上自衛隊レンジャー要員を経験。三曹試験に合格するも、“五曹
(第五教育隊)”を断念して家業の道場と刀剣商として父の後を継ぐ。掛け出しの丁稚修行を継続中。
 内弟子修行とともに、父の知人の刀剣専門店『清遊』の青柳先生に師事し、また刀剣市場オークションの“丁稚見習い”修行に励み、刀剣会の運営法や簿記、刀剣学などを学ぶ。
 モットーは、きちんとした“身だしなみ”と“坊主頭”に、ステータス・カラーの背広にネクタイは、刀剣商としての心得。

 ニックネームは“ねこ班長”
【註】その謂(いわ)れは、『猫ラーメン』の愛読者)
 陵武学舍は、寮生がニックネームで呼ばれる。

【お奨めの一冊】
・素朴なギャグが何とも言えません。

『猫ラーメン』そにしけんじ著、マッグガーデン。




●内弟子とは如何なるものか

 世の中に「内弟子」と名の付く“徒弟制度”は種々あるようだ。
 西洋でよく知られているのは、中世ヨーロッパの十一世紀、技能の後継者を養成する為の制度である。この制度は親方・職人・徒弟の階層組織に立脚し、そこで技能を修得するのである。歴史的には、「手工業者ギルド」において、である。

 しかし、中世ヨーロッパの都市では“ギルド”により運営されたが、近代産業の勃興で、十六世紀以後には急速に衰退した。そして、その後の産業革命で、十一世紀に始まった徒弟制度の伝承は、ほぼ完全に消滅する。今日では、数えるくらいしかないであろう。

 また、日本では江戸時代、商工業者になろうとする徒弟が、親方の家に起居して修業し、一定の年季を経て、初めて“一人前”になる制度のことをいう。それは丁稚(でっち)奉公や年季奉公の類(たぐい)を指すものだ。

 更に、武家では「内弟子」なるものを置いた。多くは武術指南などの宗家や家元において、これらが機能した。師匠の家に住み込んで、家事なども手伝いながら、直接“手解き”を受けて、業などの教えを受ける「直弟子(じきでし)」を、“内弟子”と言ったのである。


 さて、わが西郷派大東流合気武術では、約25年以上も前から「直弟子」の養成に当たってきた。
 ところが、二十有余年を経ても、直弟子は一人も育っていない。尚道館・陵武学舎の卒業生は、まだ一人も出たいないのだ。
 尚道館・陵武学舍では内弟子期間の2年の修行に耐えた者は、卒業祝いとして恩賜の「御信刀(ごしんとう)」を賜(たまわ)るならわしがあるが、この“一振り”を授けられた者は、まだ一人も居ない。

 これまで多くの志を持った者が、来館し、そこで「薪水(しんすい)の労をとる」ことを学んだのだが、直弟子としての意味を解する事なく、途中で挫折して、わが流の許(もと)を去った。そして「薪水の労をとる」という本当の意味を理解した者は、だれ一人としていなかった。

 多くは途中で挫折した。師匠の膝元に居ながら、直接、師匠か業を教わり、家事や雑用もこなし、この下積み生活の中で、一番長かった者は「約1年1ヵ月」で、一番短掛かった者は「半日」だった。
 この者は、発心(ほっしん)から一年がかりで、内弟子になる為に何度も以前に来館し、その度に内容をよく訊(き)き、自分なりに理解し、「内弟子とは師匠の、奴隷のようなものだ」と覚悟しながらも、いよいよ“本日から内弟子だ”という入門式に参加し、許しを得て内弟子になったその日の午前中、どこに去ったか分からないような逃げ方をした。
 それも、きちんと入門金と一ヵ月分の月謝を納めた後に、である。彼の納めた入門金と月謝は、いったい何だったのだろうか?……。

 理解に苦しむばかりである。
 こうした人間を見るにつけ、「尚道館は、たった半日で、入門金と月謝を荒稼ぎしましたね」と、羨(うらや)むような言い方をする者が居るかも知れない。
 あるいは「それは尚道館の指導法に幻滅したのですよ」と、無責任な言い方をする者が居るかも知れない。

 だが、そうした言は、無責任であるばかりでなく、「恥知らずの人間」が言うことだ。僅か半日程度で、尚道館の指導法が理解できるほど、現代人はそんなに頭はよくない。

 現代には、こうした恥知らずが多い。また、「羨むような言い方」や「無責任な言い方」は、これほど現代と言う世の中を、よく言い当てている言葉はない。それだけ人間の程度は、時代が下がるに従って、徐々に落ちてきているのだ。物質万能を最高だと信じるの世の中が、こうした奇形児を作り出したのである。

 では内弟子志望者が何故、半日で放棄して逃げ出したのか。
 それは「頭で理解する」ことと、「躰(からだ)で理解する」ことのギャップだろう。
 口では偉そうなことを言う者に限って、理想と現実の差の激しいことを思い知らされる。現実は、“机上の空論”では噛(か)み合ないのだ。憧(あこが)れだけを追って、そのオタク的な“追っかけ”をやっても、それは“虚しい遠吠え”に過ぎない。所詮(しょせん)、空転でしかない。
 したがって「体得する」という行為は、これほど難しいものなのである。

 「内弟子になりたいのです、お願いします」と言って入門を許されながら、去って行く時は“このざま”である。挨拶の一言もなかった。
 結局去った者は、自分の眼から鱗(うろこ)も取れないまま、その後の人生も、“眼に鱗を貼付けた人生”を、失意の中(うち)に歩んでいることだろう。
 現代と言う時代は、半日で逃げ出したような内弟子志望者の行為を、よく言い表している時代である。

 現代の多くの若者は、生まれた時から母親の過保護な溺愛に包まれて、甘やかされて育ち、便利で、快適で、物質的に豊かな電化生活の中にあって、その温室の中で、ぬくぬくお育って行く。促成栽培の“もやし”のような育ち方だ。そして、この“もやし”が温室育ちの延長で、大人になる。この大人は、ろくな大人でない事は、誰の眼から視ても明白である。ところが“もやし育ちの大人”は、この愚に気付かない。そして死ぬまで、この“愚”を押し通す。

 しかし、大量に生産される“もやし育ちの大人”を、いったい誰が笑う権利があるだろうか。
 もし笑えば、その者こそ“目糞鼻屎(はなくそ)を笑う”類ではないか。
 自分の欠点には気がつかないで、他人の欠点をあざ笑うことなのだ。また、あざ笑う者も、笑われる者も大した違いはないという喩(たと)えだ。
 人間は、このレベルにおいては、所詮(しょせん)“ドングリの背比べ”なのだ。こうした意味で、人は、みな不憫(ふびん)であると言える。また、この不憫を見れば、当然ここには人情の機微も生まれてこよう。だが、これでは「此処までの人間」で終わり、永遠に「凡夫(ぼんぷ)の域」からは解脱できない。

 そこで「発心(ほっしん)」がいるのだ。自分自身に纏(まつ)わり付いた「固い殻」を喰い破る「最初の心」がいるのだ。
 修行は「こだわり」を捨てる事から始まる。「我(が)」という“頑迷な殻”を喰(く)い破る事が人用だ。「こだわり」をさらりと捨てきった境地に、実は「本当の自分」が見えて来るのだ。
 内弟子は、この世の人生を生きる中で、自己の内面を深く掘り下げ、「本当の自分に出会う」ことを言うのだ。

 これを遣(や)らずして、安易な猛稽古に励んだとしても、それは“強化合宿”の類だ。強化合宿に参加しただけでは、「薪水の労をとる本当の意味」は分からない。
 師匠と同じ釜の飯を喰い、寝食を共にして、はじめて「薪水の労をとる」意味が分かって来る。「下積み生活をする」意味が、徐々に分かってくる。


内弟子問答についてはこちらを御覧下さい。