教養としての「能」の世界に、武門の作法と云う起居振舞を見る。そして、そこには《癒し》とともに、流れるような美しさがある。(写真は修羅物として有名な、義仲戦死前後の巴の働きを脚色した『巴』)


●押忍の精神

 内弟子修行で、最も重要になるのは、「礼儀」と、起居振舞(たちい‐ふるまい)による「作法」である。つまり、この世の中の物を計る尺度の基本は、その根本に「礼」が存在している。
 この「礼」こそ、あたかも水が低きに就(つ)くように、また樹木が秋になると“枯れ葉”となって大地を覆うように、そこには「自然の摂理」が横たわっている。
 現象人間界は、その一切が「自然の摂理」によって動いているのである。

 しかし、昨今はこうした「自然の摂理」を顧みることが少なくなった。何事も、人為的に、人工的に、管理し、加工し、一切をコントロールすることは“科学的”とする考えが蔓延(はびこ)るようになった。
 それは“現代”と云う時代が、十九世紀の遺物である“唯物論”の後遺症によって動かされれいるからである。

 未(いま)だに物質一辺倒主義で流されている背景があり、この傾向により、精神的なものは益々軽んじられているのである。物質万能主義である。精神に対する物質の根源性を主張する立場の「唯物論」が、未だに主体である。この思想体系を支持する者は、物質から離れた霊魂・精神・意識などの一切を認めない。
 この考え方に染まると、意識は高度に組織された物質(脳髄)の所産と考え、認識は客観的実在の脳髄による反映であるとする“物的”なものに固執するようになる。

 “物的”なものに固執する考え方は、近世の機械的唯物論(特に18世紀のイギリスやフランスで起こった唯物論)や、マルクス主義の弁証法的唯物論を経て、脳科学に基礎を置く、現代の創発的唯物論に至るまでさまざまな形態をとって、哲学史上に絶えず現れてくる考え方である。

 物質文明の傾向は、「近代」と云う時代において、欧米から持ち込まれたものである。それはある時は「科学」と云う名を借りて、あたかも科学的であることが、物事の真実のように語られたからである。しかし、この思考法は、一歩でも間違えば、通俗的用法として、卑俗な処世法としての打算的あるいは享楽主義的な態度を指すことになり、「世渡りの詭弁」として用いられ易いその最たるものが、「科学的」という言葉に代表されている。

 そして日本人ほど、「科学的」と云う言葉の好きな人種は居ない。科学オンリーであり、物質こそ万能で、科学が総て解決するような錯覚を植え付けるのである。そうした日本人への培養の裏に、科学と云う名を借りた唯物論が大暴れし、根底に、それがら猛威を振るっていると云う証拠に他ならない。だから、科学であるよりも、“科学的”でなければならないとする、論理が罷(まか)り通っているのである。

 特にアメリカ的なものに転がって行く多くの日本人は、それをひたすら追いかけることが“先進の文化”と思い込んでいる。
 それらの特徴は、流行やファッションなどに多くみられる。その多くはアメリカ的なものであり、音楽や芸術の多くは、その最たるものであろう。こうして多くの日本の文化は、“アメリカナイズ”されることで、戦後の文化を形作ったと云える。その一方で、同時に欧米流の処世術が導入された為、野心旺盛な者が、“力”に物を言わせて主導権をとるという資本主義が発達し、資本家はそうした人間によって、あるいは一握りのエリートによって、今日まで資本の独占がなされてきた。「弱肉強食」という言葉はそれをよく言い表している。

 アメリカ東部のエスタブリッシュメントという組織集団は、その論理を展開させるものの、その最たるものであろう。意図的に“力”で導く流脈を持っている。世相は、力によってコントロールされているのだ。
 この傾向によって、世論が操作される背景がある。これらの組織が、既成勢力として、アメリカ国家や市民社会を代表しているかのような錯覚を植え付け、また、さまざまな分野や次元で、意志決定を下し、更には政策形成に影響力を及ぼす既成の権力機構ならびに権威的組織など、体制および勢力、また既成秩序などとして人類の上に君臨しているのである。

 したがって、処世術にしても、こうしたところから始まり、これが人類全体を包み込もうとしている。意図的に誘導され、意図的に画策されて、ある一定方向に向わしめるのが、この組織の政策上の思惑である。そして力による「弱肉強食論」が生まれた。

 いつの頃からか、処世術の根本には、半分以上がl“疑い”と“妬(ねた)み”で生きる人間像を作り上げ、それがいつの頃からは“恨(うら)み”も加わり、固定観念や先入観で物事を思考する拡大膨張の世界を導き出した。その意味で現代と云う時代は、物質的に、なおも拡大し、膨張する傾向に加速度が懸かり出した。
 この加速度は、時代をスピードアップさせる狙いがあるから、その速度は益々早まるばかりである。スピード時代にあって、人々は、豊かさと便利さと快適さばかりを求めるようになった。物質的な恩恵が第一義となっている。

 しかし、その裏側に、このスピードについて行けない人間も出てくる。スピード時代の特徴は、時代全体が「遠心分離機」と化すのであるから、遠心分離機が高速回転を始めると、当然、その中から外に弾(はじ)き出される人間が出てくる。時代について行けなくなり、孤立する人間が出てくる。時代が下れば、下るほど、外観はともかくとして、中身は粗悪になるのである。特に精神の荒廃は、この粗悪とイコールで、世の中の不穏はこうした集合体によって形成される場合が少なくない。
 その最たるものが、今日多く見る、凶悪犯罪の低年齢化であろう。そして時代の高速回転から弾き出された多くは、性格粗暴者になり易い要素をもった者が多くなっている。「礼儀知らず」は、こうして作り出されているのである。

 「押し忍ぶ」ことを忘れた現代社会は、一方で疑心暗鬼を作り上げ、その心因性の内部には、疑心が起ると、ありもしない恐ろしい鬼の形が見えるように、何でもないことまでも疑わしく恐ろしく感ずる世の中を作り出したと言える。

 現代人の多くは、半分、疑いと妬(ねた)み出生きる選択を余儀なくされている。その為に、礼儀が失われた。素直になることを忘れた。自分の心を御破算(ごはさん)にし、リセットしてゼロから始めることをしなくなった。安っぽい経歴と学歴にこだわり、その頑迷さで世の中を乗り切ろうとしている。
 ところが、これこそ幻覚であり、多くは幻影を夢見て、最終的にはその夢が実現しない現実を生きている。現代こそ「青雲の志」が廃滅した時代といえよう。

 現代人の特徴として、文明や科学と言う名において、それに寄り掛かる傾向が強くなった。恩恵を、物質への寄り掛かりにより、満足しようとする傾向がある。
 しかし、この傾向により、現代人は傲慢(ごうまん)で自惚(うぬぼ)れが強く、やたらにプライドが高いのもその傾向に一つであろう。その上、思い込みが激しい。情報過多の時代、こうした情報の寄り掛かり、固定観念と先入観で、自身を白紙の状態で、自分を見詰め直すことが出来ず、常に愚かしい情報に振り回され、ますます異常な固定観念を塗り固めて行く。そして、“善良な市民”という言葉は、いかにも聞こえがいいが、裏を返せば「無力な、可もなく不可もない小市民」であり、その中身は“小心者”である。
 こうした時代背景にあるものは、やはり「礼儀」の欠如からであろう。

 礼儀知らずは、素直な自分になることが出来ない。自分を「無」にすることが出来ない。何かの自尊心がいつも邪魔をし、その“殻”から抜け出せない。自分を素直にし、無にして、初歩からゼロにして、学ぶと言うことが出来る者は、今日では稀(まれ)である。
 また、現代と云う時代を代表する特徴として、この世には、いい歳をして母親から乳離してない大人が多いということだ。

 年齢的もに身体的にも、すでに“大人”という体形をしているのだが、その一方で、経済的にも、心理的にも、まだ親に頼る者が多い。親と繋(つな)がり、親の資産を宛(あて)にして、それに寄生する大人の恰好(かっこう)をした、大人になりきれない大人は多い。

 社会的にも立派と称される仕事をし、第一線で活躍している学者にも、若手のバリバリの医者にも、出世コースを歩いている一部上場企業のエリート社員にも、この手の人種は居て、時々、青臭いことを喋る者がいる。
 勿論、第一線で活躍している人間だけではない。定職を持たないフリーターにも、この手の人間は多い。フリーターの多くは、年老いた親の年金を宛にしたり、老後の貯えにとっておいた僅かな老人の小金に寄生して、それを食い潰している者が少なくない。

 現代の乳離できない現象は、精神的に自立できない大人達によって作り出されているのである。此処に、親離れできず、また、子供離れできない、「現代の癒着」が存在しているのである。こうした産物は、多くは母親の過保護にあり、この過保護は、乳離できない大人を作り出した、一つの社会現象といえよう。

 そこで尚道館・陵武学舍は、次のことを、常に内弟子自身に問いかけるのである。

一切を無にし、白紙にせよ。「素直」こそ、内弟子の研究心の原動力である。
 過去に、何処で、誰に学び、どんな経歴を持っているか、そうしたものは一切問題にしない。素直さを要求される内弟子修行に、そうしたものは“無用の長物”である。心を常に白紙にリセットして、無から有を作り出せ。
何事も「自前主義」が大事。他人の世話にならないことだ。
 20歳を過ぎたら、母親から乳離して「自立更生」の意識を明確にさせる。立命の精神は、自分の足で立つことだ。
 また、「自前主義」を常に心掛ける。人に頼られても、人に頼るな。人に貸しを作っても、人に貸しを作るな。陵武学舍では、「自分の足で立つ根本精神」を教える。
不文律の大事。伝統に基づく「不文律」を弁(わきま)える。稽古事は、権威主義で構築されていることを忘れるな。道統の伝統ある権威を穢(けが)してはならない。
 それは、自分の信じるものを穢していることに他ならず、結局、自分自身を無意識に穢していることになる。
厳格なる礼儀作法を弁えよ。
 その為には、無断で人に背後に回り込むな。無断で人の室内に侵入するな。寝ている人間の頭部に近付くな。万一こうした場合は、人から自分が敵と思われる。これらは、「やってはならない禁忌」だ。目的から反れる事柄だ。
 また、目上の者が坐っているのに、自分だけ立つな。目上と話す時に、躰を揺すったり、腕を組んだり、腰に手を当てて話すな。こうした事は、悪気がなくても「横着」と思われる。
 何事も「断る」ことの大事を知れ。頭を低くして「謙虚」を学べ。
 人から「あいつは虫の好かん奴だ」と思われて、誤解を受けるのは、まだ自分の礼儀の「至らなさ」を引き摺っているのである。頭
(ず)が高いのである。早急に改善すべし。
 そして、その人の礼儀正しさと、頭の低さが、そのまま人格を作り、品格を作り上げているのである。品位のない人間ほど、軽蔑の対象になるものだ。
分際意識を知る。
 内弟子は「内弟子の分際で」という、分際意識を持つことが大事で得ある。分際意識を持つと、素直に、謙虚に、頭を低くして、他人から誤解を受けずに人生を過ごすことが出来る。その上、分際を知る者は、人から信用を受けることが多くなる。
 「人から信用される」ということは、実に大変なことであるが、分際意識を持てば、「慎み深い人間」という評価がつき、これにより信用を勝ち取ることが出来る。
 内弟子は、決して奢(おご)ってはならない。目上の人間だけではなく、同輩や、後輩にも、こうした意識を持つだけで、「頭が低くて、頼れる人間」と信頼が抱かれる。
 人生の勝利者になる為には、分際意識を知ると同時に、「頭を低くする」ことを学ぶべきである。
見送り・出迎え・行き先の告知の大事。
 祖父母、父母、あるいは自分の師匠筋に当たる人に対しては、見送り、また帰宅や帰館の場合、出迎えるのが基本である。
 往時の武人は目上が出かける時は「いってらっしゃいませ」と見送りの挨拶をし、帰館した時は「お帰りなさいませ」と挨拶をしたものである。
 また、行き先は必ず伝達し、更に予定時刻より早くなったり遅くなったりする時は、その旨を出先から連絡するのが礼儀である。更に、遠方から訪問する時は、その旨を予め告知しておき、その告知当日には、到着予定を出先から伝えると云うのが礼儀である。
理不尽な暴力に出会った場愛の対処法。
 暴力に対処しようとして、腕力を用いる前に、頭を使え。自分の吐く、「言葉」を武器として使え。しかし、この言葉は、単に争いを増長させる感情的な言葉であってはならない。相手に「礼」を説き、道理を諭(さと)して、冷静になることを促(うなが)す言葉でなければならない。その為には、口先で言い争う感情的な言葉でなく、冷静さを失わぬ言葉でなければならない。また、謝って済むならば、出来るだけ頭を低くして謝れ。意地を張らずに、相手に折れて謝ることも、護身術の一つだろう。
 自分一人が逃げれば済む場合は、意地を張らず、努めて逃げよ。普段から、逃げ足の早さだけは鍛えておけ。
 そして、まず相手にならぬことを第一とせよ。逃げられる時は、出来るだけ逃げられるように努めよ。それで自分が負けたことにはならない。
 どうしても逃げられぬ場合や、相手にならなくなった場合は、状況把握をして、覚悟を決めて立ち向かえ。自分の連れに弱い者が居た場合は、決して弱い者を見捨てるな。
 覚悟の上で戦わねばならなくなった時は、事の推移や、事情を証明してくれる証人を作れ。一対一の場合、相手が素手である場合は、道具や武器は使うな。
 相手が多勢に無勢である場合は、道具や武器を使うことを躊躇(ためら)うな。但し、重傷を負わせぬ程度の努力は、最後まで捨てるな。こうなった場合、目的は相手側の戦意を失わさせるのが、第一の目的であることを忘れるな。そして“いざ”となったら捨て身になれ。自分の損得を勘定に入れるな。
卑怯な振る舞いをするな。恥辱(ちじょく)に対する感覚に強くなれ。
 「恥知らず」な、礼儀に欠ける行為はするべきでない。同時に、「敬礼」の意味を理解せよ。「礼」はお辞儀のことではない。また、返礼でもない。
 「礼」は本来《屈体(くったい)の礼》に発する。その内容は、「拝(はい)」と「揖(ゆう)」である。敬礼作法の大事を知れ。これを知れば、卑怯な振る舞いはするまい。礼儀と言う「物差し」で、計ればなり事も失敗することはあるまい。

 「礼儀は護身術である」と陵武学舍では教える。無駄な争いをしない為には、まず、自分が礼儀正しくあるべきだ。これだけで、人との摩擦は避けられる。
 「敵を作らないようにする」心掛けは、まず、礼儀を正すことである。礼儀という尺度で、物事を計れば、当然そこには「人の行うべき道」が見えてくる。「採(と)るべき道」が見えて来るのだ。

 内弟子は、常に修行の意味を問われるが、その中心課題はあくまでも、自身の力で自立する体制を構築させて行くことにある。その第一歩は、誰にも頼らず、自分の足でしっかりと地面を踏ん張ることだ。こうした自立が出来てこそ、修行の第一歩が確立される。そして、これが確立されたら、次は傲慢(ごうまん)で横着なことを語るのではなく、慎み深く、謙虚に生きる人生を模索することだ。

 俚諺(りげん)に、「能ある鷹は爪を隠す」と云うのがある。まさに、この事である。本当に実力を貯えた人間が決して奢らないし傲慢(ごうまん)なことは云わない。本当に実力のある人は、やたらにそれを現さないものだ。才はあっても、ひた隠す。慎みもある。
 言動も至って穏やかであり、起居振舞(たちい‐ふるまい)も、たどたどしくなく、また、武張ってもない。
 往時の武人は、起居振舞のたどたどしい人間に対して、「ごとごとし」という、悪しき評価を下した。
 つまり、「肩で風きる」ような、威勢がよくて、得意な態度を見せるものを軽蔑したのである。

 街で、横柄(おうへい)で、肩で風きるような態度で闊歩(かっぽ)している人間を見たら、それは人から見られて、「軽蔑の対象」と心得るべし。また、得意絶頂に有頂天になっている者は、やがて転落する暗示が側面に漂っているものである。
 人間が「運命の陰陽」に支配される生き物であるから、得意絶頂にあるとこほど、身を慎み、謙虚に、頭を低くして生きるべきなのである。

 陵武学舍での内弟子教育の基本的な中心課題は、「礼から始まって、礼に終わる」ということだ。「礼」が総ての物事を計る《物差し》である。
 したがって、「礼」なくして、真の武の境地には辿り着けない。
 だが、「礼」は、一般に行われている“挨拶”の行為だけではない。その中には、人間の人格と品格が問われる基本精神が絡んでいる。人格の品格無くして、武の修行は成り立たない。

 しかし、これは規則によって強制するものではない。「失礼があってはならない」という精神で貫かれるものである。規則で雁字搦(がんじ‐がら)めにしても、人間は育たない。規則で雁字搦めにすれば、人間は、そこで要領ばかりを覚える。自(おの)ずと逆らっても損だ、という姑息なことを覚える。その次に、うまく立ち回ろうとする。それは自らの判断と、自意識を崩壊させるものである。
 また、自らの努力や、的確なる判断力、あるいは円満な性格は育つはずがない。

 ところが多くの武道団体やそれに類似する組織では、規則や会則などの規範を設けて、会員を雁字搦めにしている場合が少なくない。こうしたもの規制しているのでは、人間は自由にのびのびと、自分を発揮することが出来ない。
 また、礼儀正しいと自負していても、それはその集団の中でしか通用しない、恣意的な、単なる習慣に成り下がっていることが多い。そして、自由を制限している場合が少なくないのだ。

 そこそも「礼」は、自らの自発的な行為の現れである。自発的な行動律であるから、それは人として行わなければならない見識と教養である。則(すなわ)ち、そこにはこれが行動律であるため、鋭敏で、しかも柔軟な直覚を必要とする。同時に、自他のと境界意識を持つことで、そこには「けじめ意識」が働いている。
 また、礼儀作法の中での「作法」は、作法として、これを固定させるものではない。つまり、作法とは、実は変化するものなのである。

 往時の武人の心構えによれば、作法の「作」という言葉の意味は、動作の「作」とか、所作の「作」であって、またこれは場合の「作」でもった。則ち、「作(な)す」と順じだ。
 これから考えると、作法と云うのは、動作ならびに態度の基準と云うことになる。つまり、どういう場合に、どういう動作をし、態度をとるか、また、日常が非日常に変化した場合に、自分自身の振る舞いはどうあらねばならぬかの、一種の方法論である。これは一つに定着するものでなく、その時と場所と場合において、変化しなければならないのである。

 この「変化する」なかから、その場その時に応じての感覚や教養などによって、様々な変化の形が生まれて来たのである。そしてこの「礼」は、やがて一つの流れを見せ、それが「礼法」へと進歩して行くのである。その古式のものは、弓馬刀槍を事とする武門から生まれたものである。これが「古式の礼法」となった。あるいは「古式の作法」となった。

 但し一口に、古式の作法と云っても、この中には、武家の作法ばかりでなく、公家社会の作法もあれば、宗教界の作法もある。また、華道や茶道の作法もあり、更には商人や職人、猟師や歌舞伎の世界の作法もある。その主張する内容は、必ずしみ一致するものではない。
 しかし、おおむね共通する事柄は、他人の迷惑にならず、また他人に迷惑を掛けないというものであろう。他人に迷惑を掛けないと云うことは、則ち、「自分の立場」を弁(わきま)えると云うことである。

 換言すれば、他人の立場を犯さず、自らも他人から犯されないことを云う。此処二は立場意識や筋目意識がある。それらの意識の中で、合理性と、流れるような美意識が存在するのである。また、こうした意識は、時代の移り変わりとともに変化をきたし、一部は無用の長物となって消えてしまったものもある。あるいは消え去る運命にあったと思われる。

 そこで後世の人間がやるべきことは、各分野で、先人の遺産を正しく受け継ぎ、それを時代の変化に合わせて、「伝統」として時代に即応したものに作り替えて行くことである。その意味では、単なる伝承であってはならず、「伝統」というものを洗練させて行く必要があるのだ。
 そして、往時の武人が伝えた作法や教訓の中から学ぶべきものは、単に、これを一々頭の中で考えて記憶として写し取るのではなく、「体伝」として“躰で写し取って行く”ものなのである。
 これこそが、時と場合に応じて変化する臨機応変さであり、変化に即応させてこそ、また「礼」は、“いざ”というとき最強の護身術のなり得るのである。



●礼儀としての“去る時”の態度

 物事には始めがある以上、終わりがある。ある時、発心(ほっしん)して始めた稽古事にも、やがてそれを辞める時が来る。問題なのは、発心し、何事かに志(こころざし)を立て、その門を叩き、入門を請うて入門をした時よりも、そこを去る時の態度が、その者の人格と品位が顕れるものである。
 つまり、入門する時よりも、辞める時の態度が難しく、また、それだけその人間の品格が評価されてしまうのである。

 そして、武術や武道の世界で、「辞める時」の態度として、去る者の大半は所謂「後足で砂を掛ける」醜態で去って行く、無態(ぶざま)な持ち主たちである。この類(たぐい)は「裏切り者」である。
 一口で、何処で、誰に、どよのうなことを習ったかと云うことについて、そうしたことは大して問題ではないのだ。問題になるのは、「去る時の態度」である。

 諸種の事情から、退会と云うことが起こるが、稽古事では、道場やそこに指導者への疑問や批判から、他の道場へ移籍することはあり得ることである。また、内弟子の場合、稽古について行けなくなったり、厳格な行動律に疑問を抱いたり、「教えない教え方」や「盗んで覚える学習法」が理解できなかったり、以上の理由から挫折し、辞める場合が起こり得る。
 こうした状況に陥った場合、努めて、かつて所属した団体に対し、その後、批判がましい言動は慎まなければならない。これが古来武術界の鉄則であった。

 しかし今日では不心得にも、かつての師範筋や団体を悪しき態(ざま)に公言し、自分の拙い技術を売り出す為に売名行為に走り、これをマイナー武道雑誌などに投稿して、かつての仲間たちを尻目に、別流の稽古活動を始める者がいる。こうした者こそ、極めて目障(めざわ)りな愚行をなすもので、これが所謂(いわゆる)「後足で砂を掛ける」という恥ずべき振る舞いである。まさに裏切り者の醜態といえよう。

 古来、武術の世界では、これが各種の「紛争の火種」となって、その後も大いにもめることになる。
 人間にとって、「批判能力」というものは極めて大事な事柄の一つであるが、ただ反感が持たれるような批判、即ち、一般で言う悪口であるが、こうした悪口と、本体の批判能力とは、筋論として、これは別問題なのである。
 批判無き所に進歩はないが、悪口こそ、その進歩を妨げるものである。批判と悪口は別問題である。

 しかし、今日では、《首から下が頑丈で》という輩(やから)の武術や格闘技愛好者が増えているため、本来の意味の「後足で砂を掛ける」という行為が、どれほど醜いか、理解している者は少ない。
 したがって、批判と悪口を隔てるものは、前者が知性であるとするならば、後者は感情的な口先論となろう。ところが、マイナー雑誌などを見てみると、こうした感情論が先行し、殆ど知性が感じられないのがこの手の愛好者の特徴である。
 知性と感情は違うのであるから、よくよく注意しなければならない。

 ちなみに「2ちゃんねる」の思い込みによって掲示された悪口は、その殆どが「便所の落書き」に匹敵する無責任なものである。そしてそれに躍(おど)らされ、安易に信じる軽薄な人間もいる。思考能力が短見で、単純で、近視眼的な見方しか出来ないのであろう。

 往時の武芸者は、「三年修行するよりも、三年間懸かって自分の師となるべき人物を、こまめに歩いて探せ」と言ったものだが、昨今では、簡単にデマや流言に乗せられて師を替える風潮が見られる。そして、平気で師を替え、かつての師の悪口をいい、自分が第一人者のような態度でマイナー雑誌に投稿してケロリとしている者がいるが、こうした「お山の大将」では、誰からもまともに相手にされなくなるだろう。

 去る時の態度こそ、また、去った後の態度こそ、克明に人間の姿が映し出されるものはない。去る時の態度は、実に難しく、簡単に「若気の至り」という言葉で言い捨てられないのである。まさに《覆水盆に返らず》である。一度してしまったことは、取り返しがつかないのだ。
 したがって、古人が言った「三年修行するよりも、三年間懸かって自分の師となるべき人物を、こまめに歩いて探せ」といった格言は、此処にきて正しさを増す。

 「去る時の態度」や「去った後の態度」は、一生涯、ついて廻るものであり、この種のことは、「日が経てば自然に消える」というものではない。自分の終生を担って行くほかない、自身に課せられた「重い十字架」となることを忘れてはならない。

 入門を志すものは、入門を志す「発心」とともに、その門を去る時の態度も、同時に用意しておかなければならない。つまり、辞める時の態度こそ、一歩間違えば、それだけで一生涯、ついて廻る「十字架」になることを忘れてはならないだろう。それだけに、安易な態度は慎み、「お気軽に」などというものにつられて、そうした動機で、簡単に入門に走るべきでない。

 内弟子は外から道場に通ってくる、一般の道場生の立場とは異なる。“誰でも、お気軽に入門できます”といった、こうした立場で入門を許可できる類(たぐい)のものではない。入門に際しては、厳格な審査がある。その審査の結果、合格者は師匠のお膝許(ひざもと)においてもらうことが許され、以後、寝食を共にするのである。その為に一般の道場生よりも、師匠との結びつきは親密となり、また師匠とともに濃密な時間を過ごすことになる。ここに「立場意識」も生まれ、それがどういう関係か明白になってくる。同時に「師弟関係の大事」が分かってくる。

 だからこそ、一般の道場生とは異なり、入門動機もしっかりとした理由が要(い)り、一大決心をして入門した以上、安易に入門する時のことばかりを考えず、万一途中で挫折し、陵武学舍を去らなければならなくなった時の退会時の回答も考えておかねばならないのである。
 特に、人間は「去る時の態度」を問われる。

 一口で、《立つ鳥跡を濁さず》というのは易しい。立ち去る時は、自分の居た跡を、見苦しくないようによく始末というこの格言は、表面的に捉えれば、今まで自分が遣(つか)った場所が、汚したままか、そうでないかを問われているわけだが、内面的には、「去る時の態度」は、その心の裡側(うちがわ)まで問われるのであるから、師弟関係の心の裡側のことを、どう解決するか、そうした事も考えておかねばならない。これは決して簡単なことではない。それだけに、入門時、入門動機とともに、万一途中で挫折し、去らねばならなくなった時の解決策も考えておかねばならないのである。

 内弟子入門希望者は、入門時の「入門動機の理由」とともに、「辞める時の態度」も同時に用意すべき「回答」であり、「入門すると言う行為」は、よくよく注意して懸からねばならない。

 そして、今日では、内弟子に限らず、外から通う一般の道場生に対しても「破門」と言わず、辞めた者を“除名”とか“除籍”というのが通例であるが、許し難い非礼や不都合があったときには、門人資格を剥奪(はくだつ)する、あるいは追放すると言う処分方法は、今日でも厳存しているのである。
 こうならない為には、「体験入門」などを通じて、実際に自分の眼と躰で確かめ、厳しさへの覚悟と、そのイメージを作り、それらをきちんと構築し、数日間の「下積み生活」を経験することも、《転ばぬ先の杖》となろう。

 なお、陵武学舍は、武道や格闘技マニアが想像する《強化合宿寮》などとは根本的に異なる。トレーニング中心の強化合宿寮ではない。猛々しい武張った人間を養成するのではない。
 したがって、「薪水(しんすい)の労をとる」ことが修行の中心課題であり、朝起きれば、まず、道場内の清掃、便所掃除、風呂掃除、その他の掃除が待っており、これらの一切を終了した上で、いよいよ『内弟子四箇条』の斉唱が始まり、その後、午前中の稽古が始まる。

 また、稽古が済んでも、寮内には賄(まかな)い婦の“おばさん”などがいて食事を作ってくれるわけでもなく、食事の一切は自分で準備し、支度しなければならない。何事も、人に頼らず自分で解決する。
 したがって、内弟子は買い物にも出かけるし、料理も作る。食事の作法も知っていなければならず、師匠に捧げる献茶(けんちゃ)の為の御点前(おてまえ)の作法も理解していなければならない。行事のある時は、その準備に走り回り、行事が終了するまで、息の抜けない時間が続く。同時に経済感覚も発達していなければならず、出来るだけ無駄を省き、節約や倹約にも心掛けねばならない。
 そして師匠の身の回りの一切の介助をし、こうした日々の生活を通じて礼儀作法を学び、本当の意味の「薪水の労をとる」を学んで行くのである。

 陵武学舍の修行は、一口に「わずか二年間」というが、この二年間を見事耐えられた者は、世界広しと雖(いえど)も、誰一人出ていないのである。この二年の修行に耐え、卒業した者は、これまで一人も居ないのだ。
 それだけ現代という世の中は、五十年前、百年前に比べて、物質的な恩恵にあずかることを第一に考える時代であり、往時の武人達が培った精神の厳格さや、修行の厳しさを本当に理解するものは、殆ど居ないということを物語っている。

 そして、わが流では、内弟子制度の修行に耐えた者が、一人も居ないだけではなく、「去る時の態度」や「辞める時の態度」の立派だった人間は、内弟子ばかりでなく、一般道場生を含めて、誰一人居なかった。
 これが今日の「現代」と云う社会が、精神面から、この毎の本質をはっきり見詰め、正しく判断できないと云う人間が多過ぎることを物語っている。

 わが流では、内弟子を志願する場合、その意思表示や、決意の固さを審査する為に入門審査を行い、「その志」を訊(き)くようにしている。一人一人面談をし、口頭で幾つかの質問をし、厳重な審査の結果、その合格者を、陵武学舍の内弟子資格合格者としている。しかし、それでも数週間目か、数ヵ月後に挫折者が出る。これだけ厳重な審査をし、厳選しても、やはり、「二年間の厳しい修行」が絶えられないのである。
 わが流の内弟子制度は、“日本で一番厳しい”とか“世界で一番厳しい”などと、自惚れた意識は微塵(みじん)も持っていないが、それでも途中で挫折するものが殆どだ。それだけ日本人が“ヤワ”になったということだろう。

 現代人は、豊かさや快適さや便利さを求め、物質的な恩恵や、肉体的に自分の身に余る躰(からだ)を甘やかすことばかりに奔走している。「楽」を好み、「苦」を嫌い、享楽や快楽ばかりを追い求めている。それを“幸福の象徴”と誤解している。

 また、死からひたすら逃げ回り、自分がいつかは死に向い、「本当に死ぬという現実」を忘れ、一夜の春の幸福感を享受しようとしている。
 しかし、これこそ死を逃げ回る死生観に解決をつけることが出来ず、終わりなき「生」にこだわって迷いに迷い、迷いぱなしで、《けじめ》のつかない六道(りくどう)を輪廻(りんね)をする“終わりなき生き方”といえるのではあるまいか。

 物事には必ず始めがあり、終わりがある。けじめを大事にする中に、人間の生きて行く道理があり、そこに《始末》の大切さがあるのである。始めと終わりを、きっちりと辻褄(つじつま)を合わせ、けじめをつけることが大事である。