野草の威力
 私達はいつの頃からか、太陽の恵を十分に受けない促成栽培(清浄栽培)の野菜を食べるようになりました。
 ただ形の良い、癖のない、ビニールハウスで育った「おとなしい野菜」ばかりを食べて、それが野菜だと信じ込んできました。
 生産者は促成栽培で成長期を早めたり、清浄栽培で野菜そのものが持つ癖や、アクを取り除き、現代人の口に合うように、非常に食べやすい、口当たりの良いものだけを生産し、こうした事が太陽の恩恵を受けない野菜を登場させる元凶となりました。こうした野菜は、エネルギー的にも「弱い野菜」です。そして野菜本来の特異性を失っています。

 さて、健康を維持していく上で、野菜はむしろ食肉より、大きな重要性を持っています。
 精神的、肉体的、社会的に健康な人は、微妙に変化する時代の流れによく適合し、環境の変化に適応しうる力を持っています。
 しかしこの適合し、あるいは適応する力のバランスが崩れると、人間は病気になります。

 また、病気とまでは行かなくても、躰が何となく重くて疲れやすい、倦怠感に陥りやすい、食事がつい不規則になって濃厚な味ばかりを好む、飲み過ぎという不摂生を繰り返している人も少なくありません。その結果、便通がよくない、夜睡れない、頭痛がする、というような生活習慣病の要因を強め、いわゆる不定愁訴の状態に陥っています。
 カルシウム不足や運動不足で、イライラがつのり、精神的にも不安定になって、ストレスが知らず知らずのうちに堆積され、精神と肉体のバランスが崩れる心身相関病が増えています。

 こうした情況の中、厚生労働省は旧態依然とした「栄養に関する疾病予防」を打ち出していますが、この中の、どれ一つとして役に立つものはありません。
 最もナンセンスなものが、「蛋白質は十分に摂取せよ」とあり、動物性食品と植物性食品を半々にとれと言うものです。
 こうしたナンセンス的パロディーを順に挙げますと、油や脂肪類は多過ぎても少な過ぎてもよくないが、油を使う場合は植物性のものを使い、動物性のものを避けよとあります。
 更に続けますと、炭水化物や糖類の摂取を少なくし、澱粉や繊維質の割合を多くせよ。ミネラルの摂取に心がけよ。特にカルシウムは十分に摂れ。ビタミンも同様に、と勧告しています。

 しかし今日の加工食品の中に、果たしてミネラルやカルシウムは十分に含有されているのでしょうか。
 牛乳一つ挙げても、乳牛から牛乳を搾(しぼ)り、その殺菌消毒のために高熱による加熱が加えられています。これを「ウルトラプロセス加熱処理」と言います。
 この高加熱処理で牛乳内の乳酸菌は殆ど死滅します。
 またカルシウムが豊富だと言っても、運動をしなければ、これは体内に取り込むことが出来ません。

 そして忘れてはならないことは、急増するアレルギー体質や白血病は、実はこの牛乳が原因であり、牛乳は人間に不向きの食品です。
 その証拠は、乳幼児や小学生児童に見られ、学校給食の牛乳が輪を掛けて、骨の軟弱化と、虚弱体質児を増加させていることからも窺えます。
 ウルトラプロセス加熱処理によって滅菌された牛乳は、乳酸菌が既に死滅してしまい、残りの牛乳成分に含まれる殆どは燐蛋白質であり、その大部分は人体に不要なカゼイン(Kasein)です。この物質は牛乳の燐蛋白質の80%を占め、酸を加えると凝固沈殿が起こり、本質は酪素や乾酪素と言われるもので、接着剤や織物仕上げなどに広く用いる物質(一部はチーズの原料にもなっている)で、人体に吸収されると、アレルギー反応を引き起こします。

 またミネラル組成も人体向きではなく、牛乳を新生児や乳幼児が飲むと、水分・電解質代謝の混乱が起こって、水膨れ状態が発生し、歯や骨が脆くなります。
 更に恐ろしいことは、ウルトラプロセス加熱処理という高熱滅菌処理によって、本来の牛乳そのものには存在しなかった蛋白質異変が起こり、乳糖そのものは乳酸菌を増殖させる力を失っています。

 多くの日本人は、牛乳内の「カルシウム神話」を安易に信じ、牛乳さえ飲んでいればカルシウムは豊富に摂れ、骨太になるという希望的観測を抱き続けました。今も、その延長上の意識の上にあり、多くの日本人は、いつの頃からか安易に、牛乳神話を信じるような思考に洗脳されてしまったのです。

 本来、カルシウムは動物性脂肪からとるよりも、野草などの「ヨモギ」(蓬/キク科の多年草で山野に自生。高さ約1mで葉は羽状に分裂、裏面に白毛がある。秋には淡褐色で小形球形の頭状花を多数穂状につける。葉に香気があり、若葉を餅に入れ、成長した葉は灸きゆうの「もぐさ」とする)からの方が豊富であり、他に例を挙げるならば、海藻類や小魚類の方が良質であり、人間は必ずしも牛乳を飲まなければならないという理由が存在しません。 
 したがって、新生児や乳幼児が飲む母乳や粉ミルクと、ウルトラプロセス加熱処理という高熱滅菌処理した牛乳とは、はっきりと区別すべきです。

 さて、現代人の病気予防あるいは健康増進には食の改善が必要であるにも関わらず、この「改善」の提言に対して、何一つ具体的な助言は行われていません。
 昨今急速に言われ始めた「野菜を摂れ」という提言においてですら、その具体的なものは何一つありません。肉食の反動から、ヒステリックに「野菜を摂れ」と言っているだけのことであり、若い女性の中で人気のある生野菜の野菜サラダにしても、こうしたものばかりを食べて貧血状態になる例が多発しています。

 では、ミネラルやカルシウムを含むと称されている野菜を食べて、何故貧血になるのでしょうか。
 この理由は簡単です。
 同じ野菜でも、日光を十分に浴び、盛んに光合成をして、大地に大きくたくましく根を張って育った植物と、ビニールハウスで土を遣わない清浄栽培という方法で育てられた植物とは、全くその品質も、植物そのものが持つ薬効的な要素も、栄養価も自ずから異なるからです。

 そして「現代栄養学」という欧米の学問が出てきたため、従来の野菜は「食性野菜」と「野草」(野山に育つ山菜など)とに区別されてしまいました。前者は現代栄養学で言う「野菜」という定義で、後者は野菜という定義はなされていません。
 そして後者は、現代栄養学の立場から敬遠され、八百屋の店頭から一斉に姿を消すことになりました。
 八百屋や、スーパーの野菜コーナーで売られているものは、形の良い、口当たりの良い、野草に比べて癖のないものが中心であり、総て季節感を無視したビニールハウス育ちの清浄栽培です。

 現代のこうした農業の実態は、季節を問わず安定した供給をなすというのが農業企業の第一の主旨で、植物が太陽の光を浴びて、その恩恵を受けるという「光合成」の働きを、根底から無視したものです。清浄栽培を中心にして、便利さだけを追求した食品です。
 現代病の側面は、実はここにもう一つの顔を持っているのです。

 まず、店頭に並ぶ植物は、日光の恩恵を殆ど受けていません。
 したがってその植物の持つ、薬効や芳香が失われ、季節の「旬」が無視されているのです。「旬」とは、その季節が一番おいしいということであり、これは同時に、その季節だけが薬効や芳香も豊富で、栄養価が高いということになります。
 植物には、発芽し、茎を延ばし、葉を広げ、成長し、結実するという季節のリズムがあります。そのリズムこそ、大宇宙の波動であり、この宇宙波動が無視されると、小宇宙としての人体も生体リズムが狂わされます。

 さて、こうした現実において、私達は一体どうすればようにでしょうか。
 ここに通常の野菜に負けない、あるいはそれ以上の能力を持った「野草」は存在します。
 野草は自然に育った植物で、植物本来の滋養がたっぷりと蓄えられています。
 私達は、自分の棲んでいる所から少し野山に踏み入れますと、そこは野草の宝庫となっています。しかし現代人は野草に関しての知識がない為、それを安易に食べられない植物と考えてしまいます。ここが落し穴であり、こうした固定観念で物事を考えると、将来の健康に対する展望は閉ざされることになります。
 したがって身廻りの野草に眼を向ける必要があります。

 また野草には、古来からの格言である「医食同根」の薬理作用があり、今日のビニールハウス育ちの野菜になはい、ビタミンやミネラルを多く含んでいます。
 ミネラルで必要なものはカリウムやカルシウムで、これにリン等も付随します。
 特に野草の中には多くのカリウムを含んでいます。
 野草の中でビタミンを多く含む植物は、ヨモギ(別名、モチグサ、繕草、蓬蒿などの呼び名がある)であり、ビタミンA、B、C、Dを含み、ビタミンAの先駆体となるカロチンは、南瓜(かぼちゃ)や人参や茶葉に含まれていますが、これよりもヨモギの方が含有量が多く、またビタミンBは玉蜀黍(とうもろこし)、大蒜(にんにく)に含まれますが、やはりヨモギの方が上回ります。

 更にビタミンCは、一般に果物の方が多いように思われますが、甘橘類のビタミン含有量にも劣らない豊富なビタミンCを含み、ヨモギの薬理成分は豊富です。また、ビタミンCに関してはヨモギに続き、その他に茶葉、柿の若葉、ワレモコウの葉、イタドリ(虎杖/タデ科の多年草で、至る所に生え、根茎は長く這う。若芽はウドに似て、紅色・微紅の斑点がある。茎は中空で節があり、高さは1mくらいで雌雄異株をもつ。夏には淡紅色または白色の花穂をつけ、若芽を食用とし、また、根は「虎杖根」として利尿・通経・健胃剤とする)の茎及び葉、スギナ(杉菜/トクサ科の多年生シダ植物で、温帯に広く分布し、長く横走する根茎から直立した地上茎を生じ、輪状に枝を出す。茎は緑色で節に鱗片状の葉をつけ、春には淡褐色の胞子茎を出し、これが土筆(つくし)で、食用とする)、ハマナス(浜茄子あるいはハマナシ/浜梨とも)の実などにも含まれます。

 以上のことから、野草はビタミンやミネラルを多く含み、薬理作用において絶大な効果を発揮します。
 つまり「野草」イコール「薬草」の図式が成り立つのです。
 しかしこうした図式を把握するためには、「野草」に関する知識が必要であり、こうした薬草は、日本古来から野山に自生し、日本の風土によって培われてきた植物です。
 一般にこうした植物の薬理効果を利用して、民間に広まったのが「民間薬」であり、中国から医術として伝わったのが「漢方薬」であり、この両者は大きく異なります。

 そして何よりも大きな違いは、民間薬は単剤(単一植物の効用)であるのに対し、漢方薬は二つ以上の薬理効果を複合して用いられるのです。
 したがって漢方薬の処方箋は医師が診断を下し、複合的な症状に対して患者の体質に合わせて複合剤を処方しますが、民間薬は単剤であるため、喩えば「せき」とか「きず」とかの、単一の症状に対して用いられ、同じ症状が不特定多数の患者に有効であるということを示しています。
 そしてその不特定多数は、食することにも有効となります。ここに東洋の「医食同根」の思想が流れているのです。
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