夫婦アルカリ論 2
食を知る

 現代栄養学の根底に掲げるものは、無機成分の軽視と、人間に必要な栄養成分は有機性の蛋白質・脂肪・澱粉の三種に重点をおいている事である。
 特に滋養第一と考えるこの学説は、蛋白質は専ら動物性の肉類から摂らなければならないとしている事である。食肉第一主義で、それに附随する牛乳やチーズなどの乳製品を大いに奨励している。その一方で、「肉と野菜をバランスよく」という第二の食指針を示し、肉と野菜の両方をひたすら摂取することが、病気にも罹
(かか)らず、健康で、末永く長寿が保てるとしているのである。
和食ブームによって和食が持て囃されているが、今日の和食は完全な精進料理でなく、和食を模した欧米流の肉食料理であることを忘れてはならない。その証拠に、精進料理に魚肉はない。精進料理の基本は、穀類と野菜類だけで造られた料理を精進料理と言うのである。肉食を絶つなどして身をきよめることが精進の基本であるから、魚肉などの魚介類すら登場しないのである。

 また食物の消化・吸収について論じているが、食物が消化し、吸収される為には有機性の蛋白質・脂肪・澱粉だけではなく、無機性の塩類(食べ物を焼いて残った硬化成分)が必要である。
 現代栄養学者たちは蛋白質・脂肪・澱粉などの有機性の栄養分の分量は多く、無機塩類は少なく考え、その中でもカリ塩とナトロン塩との関係は更に小さく評価しがちである。無機成分が有機成分に対して働く作用は、過小評価しているのである。塩類の性質と効力に対しての化学的な研究が軽視されているのである。また、石塚左玄が食養道について説いて来た無機成分が有機成分に対して、どれほどあれば食養上、バランスが良いか、殆ど知らないままである。

 現代栄養学の掲げるテーマは、蛋白質・脂肪・澱粉の三者の比率がどれくらいであればよいかが問題なのであり、その中でも蛋白質の割合をどれくらい多くするかであり、特に動蛋白摂取こそ、健康と長寿に繋がるとしていることである。しかし、この予想は見事に裏切られている。これは現代に蔓延
(はびこ)る難病・奇病の現代病の、完治の難しさを見れば一目瞭然であろう。

 この世に蔓延る災い、病気、などの難事や不幸現象は、全て食べ物に由来しているといえる。
 つまり食べ物が悪くなったと考えられるのである。昨今は外国から多くの食べ物が輸入されるようになった。その多くは日本人の周波数
(波長、または霊的波調)に合わない低次元なものばかりが入ってきている。農作物の多くは農薬や食品添加物がたっぷりと使われ、また牛肉を始めとする豚肉や鶏肉は肉質を柔らかくするために大量の女性ホルモンや抗生物質がふんだんに使われている。

 これらの輸入食品の多くは農林水産省や厚生省で規制されている農薬残留許容値とは全く異なり、毒性の強いマラソン剤、キャプタン、青酸、IPC、ベノミルなどが用いられ、その使用許容量は日本の十倍から二十倍といわれている。また外国産の家畜飼育や魚の養殖には多くの抗生物質が使用され、更に加工過程で使用される食品添加物は三百種以上のものが使用されているという。特に危険といわれているのは中国産の食用肉で、発癌性の高いDDTが使われているという。

 飽食の時代にありながら、身辺をよく見回すと、農薬や食品添加物が大量投与されていたり、食肉類
(ハムやソーセージ等の加工食品も含む)や卵類、牛乳や乳製品(チーズやバターなど)のような血を汚すものばかりが入ってきており、これらは霊性を低下させるものばかりである。そしてまともの食分は何一つ無いという悲惨な状況になっている。

 太古の日本人よりはじまった産土
(うぶすな)思想であった身土不二の法則は、今や大きく崩れ去り、その土地で作られた作物を食べることが出来なくなったというばかりではなく、農薬などの汚染で健康な土地は悉く死んでしまい、健康な農作物が生産できなくなってしまったという現実に直面している。

 年々国内で賄
(まかな)える穀物の自給率は低下し、1960年代には80%であった筈の自給率が、1980年代には30%に下がり、1990年代に入ると29%以下に落ち込むという由々しき状態になり、多くは外国に依存していかなければならないという現状に至ってしまった。
 EU農業では共通農業政策が発足して以来、年々傘下国は自国の自給率を高め年率約3.3%以上を伸ばしてきた。そして大方の国が100%以上を確保し、現時点では穀物生産自給率を完全にクリアーしているという現状に至っている。

 しかし日本は米についての自給率は百パーセントを達成しているが、小麦は十二パーセント、豆類七パーセント、味噌・醤油・豆腐・納豆の原料である大豆に至っては僅か四パーセントという悲惨な有様である。
 食生活の欧米化と誤った栄養学の流布は日本人に大量の動物性蛋白質を摂取するような現実をつくり、それらを食した結果、血液は濁り、血の濁りから種々の現代の奇病が生まれてきたのである。

 つまり肉類や大型高級魚などは、著しく体液を酸性化させ、血が濁るという現実を知らなければならない。血が濁るということは血が穢れる
(汚れる)ということである。
 昨今の食生活の後始末を考えたことがあるだろうか。食べたもののを入れた、容器としてつかった器の後始末はどうだろうか。昔のように、水だけで洗い流せるだろうか。油汚れを強力に落とす洗剤が必要なのではあるまいか。

 食器は洗剤で洗い流すことが出来るが、一旦胃袋に収まった動物性脂肪の油汚れは、いったい人体の何処の機能をもって洗い流すというのだろうか。
 人体が健康体を維持していく食生活においての栄養補給源は、蛋白質、澱粉、ビタミン、ミネラル、鉄分、アミノ酸、脂肪などであり、これらは植物性、あるいは動物性食品の中にも含まれている。特に動物性食品の中には蛋白質や脂肪分が大量に含まれているといわれている。これが植物性食品に比較した場合の「高蛋白・高脂肪」と謂われる所以である。

 しかしながら、肉類の中から人体に吸収されるのが蛋白質だけであるならよいのであるが、それと一緒に腐敗菌の根源になる、硫化水素、アンモニア、第二級アミンなどの有害物質も同時に吸収されてしまうのである。これが血液を汚染し、血管にこびりつき脆
(もろ)くさせて、高血圧や動脈硬貨、脳梗塞や糖尿病、蜘蛛膜下出血などの成人病を生みだす原因なのである。ここに西欧風の食生活にに溺れる日本人の実体がある。

 フィーリングやファッションで食生活を西欧にいつまでも模倣していると、最早霊的な高次元波長は失われ、低次元の波長に併せて生活していくしかなく、悪しき低級霊たちと交流が起り、障害、事故、不和、争い、淫奔などの様々な不幸現象がわが身に跳ね返ってくるのである。

 では、
「食を知る」とは、一体どういうことか。
 例えば、魚の塩辛い干物と、古い沢庵漬けと糠漬の物とは、米や麦の主食を少なく、魚や野菜の副食を多く食べる雑食指向の人は、その人がよく運動をしても、消化不良になって吸収し難いという事である。

 ところが、同じ物を食したとして、米や麦の主食を多くして魚や野菜を副食にした場合、その人があまり運動をしなくても、消化が早くよく吸収することである。

 また石塚左玄は、田舎と都会の若者を比較して、田舎から都会に出て来て都会の食餌に慣らされ、次第に甘好きになった学生は、消化不良を起して余り吸収はされないが、ずっと田舎に住んで居る青年は塩辛いものが好きであるから、同じ物を食べても、消化し易く、よく吸収するといっている。

 更に、数の子やゴマメ
(「古女」とも書き、小形のカタクチイワシの乾製品。正月などの祝賀用とする。田作たつくり)や御節おせち/正月や節句のごちそうに用いる煮しめ料理。ゆでかちぐり・昆布まき・てりごまめ・ごぼう・蓮根・芋・人参・くわいなどを甘く煮たもの)などの料理は、雑煮餅、ぼた餅、団子のような食品を食べる人は、よく消化されるが、餅類を好まない人は不消化で吸収され難い。

 料理における食材の取り合わせによって、どうすれば軟らかく、また強化吸収の良し悪しを推測すればいいかについて、石塚左玄は次ぎのような食材の組み合わせと、調理法を提案している。

 例えば、昆布を煮る時、小豆または大豆を入れると早く軟らかくなり、古沢庵を軟らかくするには、大豆またはエンドウ豆を入れて煮ると早く軟らかくなる。
 次に蛸
(たこ)を煮る時、里芋(さといも)あるいは栗または大根を一緒に入れて煮ると、いわゆる「芋蛸」のような料理が出来上がる。

 また肉類を煮るのに、蒟蒻
(こんにゃく)、牛蒡(ごぼう)、大根、ねぎ、カブのような野菜を混ぜ合わせ、なお早く軟らかくしようと思えば、大豆を入れて薩摩汁さつまじる/豚肉・鶏肉などに大根・ゴボウ・ニンジン・サツマイモなどをまぜ、みそ仕立てにした汁物。元来は骨つき鶏肉のぶつ切りを用いた)のようにすると、その肉は非常に軟らかくなり、しかも風味がよく、非常に消化し易いものとなる。

 ところが、次ぎのような料理は、海側に近い平野部に住む都会人で、運動量の少ない美食家や熱性の病人
(熱病者を指し、漢方用語で、病気を熱病と寒病に分けて考える)は、消化し難いものとなる。

半熟卵に塩を振ったもの。
白米粥(はくまいがゆ)に塩と生卵を入れたもの。
醤油を入れた卵焼きに、大根おろしを付けないもの。
牛肉や魚肉の佃煮に、生姜(しょうが)や山査子(さんざし)を入れないで煮たもの。
牛鍋に味噌を入れずに、最初に肉を脂肪で炒めて牛汁をつくり、その後、豆腐、蒟蒻、ねぎなどの野菜類を入れて煮ると、肉は縮んで固くなり、肉体労働の少ない美食家は消化不良を起す。
普段でも、肉を多く、野菜を少なくした、塩気の薄い副食を多く食べ、主食の米が少ない人は消化不良を起す。

 孔子は、「その醤(しょう)を得ざれば食らわず」と云っている。これは雑食には塩気を加えないとよくないと言っているのである。孔子の云う「蘇」は「将」に通じ、武将の「将」と同じ意味である。つまり塩が食物の毒を制すると言う意味である。これは武将が暴悪を平らげると言う意味と同じに用いられている。

 酸化が早い日本と云う地理的な位置と、温帯気候で、温帯地方に見られる四季がはっきりと分れ、寒暖の差が緯度の高くなるにつれて甚だしくなる日本の気候は、ヨーロッパとは異なる。ヨーロッパでは、雨量が少なく、涼しく、寒い地域が多い。これ等の地域に棲む人は、塩気の少ない牛乳、果物、ジャムや白パンのような食品に嗜好(しこう)を凝(こ)らして常食しても差し支えないであろうが、日本人はこうした地域の人とは、異なっていると云うことを知らねばならない。

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