正しい食事法
はまぐりの吸物

 さて、私たちは食事の前に合掌して「いただきます」という言葉を発します。
 この「いただきます」は、食物から「命を頂いている」から「いただきます」と言うのです。人間が生きていく為には、他の性命の命を必要とします。
 したがって人間に代わって、その命を投げ出した食物に対して、感謝の意味を現わした言葉が、実は「いただきます」なのです。それは彼等の「命を頂く」のであって、そのことを忘れてはなりません。

 だから当然、食事(食餌)をするには「正しい食べ方」と言うのがあって、少なくとも、次に挙げる三点には注意を払いたいものです。

1.自分の棲(す)んでいる土地で採れた穀物野菜類並びに海藻類を食べる。
 これは身土不二の思想である。
 したがって、“四ツ足”を殺して食べることは、人間には許されていない。
 また、“三白ガン”の元凶である食品も口にしない。添加物食品やインスタント食品も口にしない。特に油脂類や白砂糖類は出来るだけ口にしない。


2.よく噛んで食べる。
 一口50回程度の咀嚼(そしゃく)で、咀嚼法を実践する。咀嚼法には「一二三(ひふみ)の食べ方」(祝詞を唱えながら48回噛む)という食事作法がある。
 「よく噛む」ということは、コメカミにある海綿静脈洞(かいめん‐じょうみゃく‐どう)を刺激し、脳に血液を送り込む作用を促す。そして「噛む」という作業は肥満防止にもなる。

 咀嚼回数を標準体重の人と、肥満の人とで比較すると、一回口に含むごとに標準体重の人は男性で15〜22回、女性で16〜25回。肥満の人では男女とも3〜7回と少なく、咀嚼回数の減少が肥満につながっている。


3.早食い(くん呑み/本来哺乳動物は「くん呑み」出来ない口腔構造になっている。ところがやわらかい食べ物が急増したため、流動食的に「くん呑み」する早食いの悪習が出来た。果たして人間以外の哺乳動物に咀嚼の際、「くん呑み」する動物がいるだろうか)に趨(はし)らず、ゆったりとした気持ちで食べることが大事である。

 食物から命を頂いた感謝の気持ちを忘れない。
 また、食事の際に、テレビを見ながらなどという、誤った一家団欒(いっか‐だんらん)は禁物である。食卓にテレビを持ち込むと言うのは、集中力をテレビに奪われ、噛むことが疎(おろそ)かになる。咀嚼回数が減り、食べることより、見ることの方に注意が向かうからである。

 食卓とテレビが連結している家庭では、自ずから「租借回数の少ない家庭の躾」がなされ、この環境下で育った子供は、食べ物を殆ど噛まない為に海綿静脈洞(かいめんじょうみゃくどう)ならびに翼突筋静脈叢(とくとっきんじょうみゃくそう)での血行不良となり、「噛む運動が加わらなければ血液が心臓に戻らない」状態に陥り易く、また知能的にも未発達になることが多い。
 つまり、八方に「心配り」が出来ず、「血のめぐり」の悪い人間が出来上がるのである。
 そして家庭内の共通の会話が、テレビ以外の内容のものが存在しないと言うのも、寒々としたものを感じる。


4.腹八分を心がける。
 一日三食以上の過食は禁物。排便反射を高める為に、朝食は飲物にして、昼と晩の一日二食が理想。
 朝は玄米スープ等の液体のものを飲用し、排便を促して、まず躰を身軽にすることが大事。

 そして昼食を正午前後に、少し多めに摂り、夕食は午後六時前後に少なめの食餌にして、それ以降、次の日の昼食まで摂らないようにする。この日々の心掛けは、腰骨を外したり、弛(ゆる)めたりしない上でも特に大事。夜遅い食餌は、腰骨を外したり弛めたりする要因になるので、是非とも控えたいものである。

 これを心掛けることにより、毎日「18時間断食」をしていることになり、軽快な体躯を作る上でも、粗食・少食を実践する上でも、「節食」に繋(つな)がり、食費も抑えられる長所がある。


5.食べ物を粗末にしない。
 食べ物から「命を頂く」のであるから、その食べ物は、無駄無く、残さず、隅々まで総て食べる。したがって、一切は「丸ごと食べられる」という食品が理想である。
 食餌の量は少なめに、常に「腹八分」を心掛け、食べ残しをせずに無駄無く食べる。

 昨今は飽食の時代です。世の中は不景気であろうと、企業倒産が起ころうと、日本国民の多くは、一度味わった飽食から逃れることは出来ないようです。

 巷(ちまた)には、至る所に様々な飲食店やハンバーガー・ショップが軒を連ね、美食や美食擬きを庶民に提供しています。
 そして食べ過ぎで死ぬ人はいても、食べられないで死んだ人は居たためしはありません。

 誰もが食べ過ぎで病気になり、それらの齎(もたら)す難病・奇病で苦しんでいます。これは日本だけの不思議な現象と言えます。
 したがって、私達は口から入る物、そして、出て行く物に注意を払わなければなりません。これを怠ると、不幸現象に見舞われます。また、これによって、私達は「食」が如何に大事であるか教えられます。

薩摩薯の味噌汁。私たち日本人は、肉類・油脂類・砂糖類を出来るだけ減らして、繊維質やデンプン質をもっと摂る必要がある。このシンプルな味噌汁は、油だらけのおかずより、腸内環境においては酸毒化しない為に、油物と雲泥の差がある。

 戦争、交通事故、不倫、夫婦不和、家庭内暴力、その他のトラブルや裁判沙汰、災難、難病・奇病と言ったものは、「食」と密接な関係があり、これが乱れ、慎(つつし)みがなくなると、こうした不幸現象が現われてきます。

 そして人間が食する理想的な食餌法は、一日二回の昼食と夕食のみ。朝食は固形のものを食べずに、400ミリリットル程度の玄米ジュース等の飲食物を用いて、まず排便を促し、身軽にしてから一日の活動を開始するのが、「同化作用」と「異化作用」から言っても理想です。

 また霊的神性を高める為にも、粗食・少食の「腹八分」で止めることが大事であり、残りの二分は神への捧げに用い、何よりも動物性の“油だらけの食品”を口にせず、舌先三寸で、その美食・美味の、味覚のウソに騙(だま)されないことが肝腎です。騙されれば、“四ツ足”を食べ続ける結果を招き、波調を粗(あら)くして霊的神性を曇らせ、霊格を下げてしまします。
 霊格が下がれば、当然、見通しが悪くなり、勘(かん)が鈍り、様々な不幸現象を招き寄せます。

 不幸、不運と思っている多く人は、こうした「禁を犯している」からであり、“四ツ足”を食べながらも、幸福になりたい、強運を招きたいと思っても、それは空しい負け犬の遠吠えです。
 強運、開運の秘訣は、実は食餌法と密接な関係があったのです。

 私たち日本人は昭和三十年(1955)を境に、日本人の食生活は一変してしまいました。
 そして今や、肉や食肉加工食品、牛乳、乳製品などの欧米人が口にする食品が多くなりました。その上、本来だったら季節感を感じさせる旬の味と言う食品が、季節ごとにお目見えしていたのですが、促成ハウス栽培等の手法がとられて、今では食材から受ける季節感も殆ど無くなってしまいました。
 また、外国から大量に輸入される食品の数も増え、ある意味で、種類の豊富な“豊かな食生活?”も送れるようになった分けです。

 しかし、それで健康になったかというと、それは必ずしもそうでないようです。かつては閑散としていた病院も、今では何処の病院へ行っても満員で、病人だらけで、医商は商売繁盛の状態です。
 これで、私はちは欧米流の食生活を実践することで、本当に豊かで、健康な食生活を送ることが出来るようになったのでしょうか。

 また“科学的”という言葉が代表されるように、食生活の中に「栄養素」という専門用語的な“理論武装”が持ち込まれ、「科学」と言う名の信奉者によって、急速に食生活が変化してきました。

 そして愚かしいことは、「これまでの食の常識を変えたくない」という、GHQ以来の現代栄養学を信奉する“老獪(ろうかい)”な頂点の権威や、商魂逞しい大手食品産業の経済戦略によって、その愚かしいまでの“旧態依然の常識”は、今もなお維持され続けているのです。

 その旧態依然の常識を高らかに叫んでいる理由には、「戦後の栄養改善によって、日本の子供達の体格は、欧米人に劣らず、立派になった」とか「日本は世界一の長寿国」などという、戦後の食改革を行った栄養学者達の暴論です。それを証明するのが、現代栄養学の理論を展開する上での、愚かしいまでの「魅惑的な数字」です。

 数字にこだわり、彼等は数字と向かい合い、実際の食物には眼を向けず、「数字」から現代栄養学と言う論理を展開しているのです。しかし、今日の現代栄養学者が言うように、子供達の身長が伸び、欧米人なみに脚が長くなり、体格が向上したとして、一体どれほどのメリットがあるのでしょうか。

 本来ならば、大きくなったとか、体格が立派になったとか、体力が付いたと言うよりも、「体質」こそ問題であり、体質が健康の鍵を握っているのではないでしょうか。

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