西郷派大東流の儀法 4



●大東流合気二刀剣……二刀合気

 合気二刀剣・中段水平挟み構え。
 合気二刀剣・一刀流との組太刀。

 二刀合気は大東流独特の剣操法であり、多敵と戦う際、この躰動は重要な働きをする。
 この躰動の中には、術者が動きべき想念の総てが含まれている。
 二刀合気とは、術者が左右に同じ長さの剣を持ち、左右を同じように動かすのではなく、各々の独自の変化(陰陽の変化)によって敵の動きを封じ、また、次々に制していく。従って合気道の技法ように、左右対称の、技の掛け捕りではない。
 所謂、「合気の掛獲」であって、柔術の左右裏表ではないのである。

 一般に合気道と言えば「相手の力を利用して投げる」等と称され、「纔かな力で敵を倒すもの」と思われているが、あくまでこれは素人考えであって、相手の力を巧みに利用し、崩れた状態から技を掛ける点に於ては柔道も全く同じであり、これは合気道の専売特許ではなく、更に厳密に言えば、これは正しくない。

 「相手の力」を利用する場合、相手が常に行動していなければならない。行動の無い相手に対し、これに技を掛ける事が出来ない。従って、大東流は相手が動くように陰陽の変化を用いて敵を動かし、吾(わ)が術中に誘い込み、最後は型に填(は)めるのである。

 さてこれを注釈する前に、植芝合気会系も含めて大東流や琢磨会等は、総ぐりみで「合気道」と呼ばれる事がある。
 事実、福島県霊山神社の境内には「全国合気道発祥の地」という碑が立っているし、一般人には大東流も合気道も区別が付かず、十把一からげに合気道と見なされる事が多い。

 そして一般には、孰れも「合気」を名称としている為、大東流も合気道も区別が付かず、同じように映るのである。従ってその修行法も同一と思われ、そこに存在する手順や技術用語までが同じものである、と想像されがちである。

 しかしこれらは体系的な流れや、歴史観、武術思想からも天地の差ほど異なるものである。それは二刀剣を持って修行する事を知らない合気道と、二刀剣を持って修行する事を、多敵の戦いに於て重視する大東流とでは、この空間における攻防法、つまり「制空圏」の考え方が根本的に違っているのである。

 合気道は徒手をもっての、円運動の動きの域から出るものでなく、一方、大東流は徒手を更に延長した二刀剣の中に、その捉えた敵への対処法がある。
 従ってその制空圏は徒手を以ての、前後・左右・上下・斜め前・斜め後だけの八方向だけではなく、これに延長という二刀が加わり、これが多敵之位のおける「合気八方」のなるのである。そしてこの二刀には、己の手足が血の通った生き物のように延長されて、多敵では有効な制空圏を収めるのである。

 さて次に、制空圏に迫ろう。
 好戦的なフルコン系空手家達は、よく制空圏を口にする。
 それは接近戦等を主体とする柔道や相撲等に比べて、打撃系の格闘技の方が制空圏が拡いからだと言う理由からである。だから近付く敵には、防御的本能と格闘本能が働き、つい手足が出て、好戦的になると言うのである。

 しかし幾ら制空圏が広いと言っても、高々手足の付け根を軸にした2メートル前後である。もし制空圏の広さを言うのであれば、槍や長刀(なぎなた)の修行者のそれは、その制空圏が打撃系に比べて、如何程の比較になるのであろうか。

 そして剣(二尺三寸程度の木刀)対長刀(七尺前後の薙刀)の試合からも分かるように、長い得物(武器)程、効果が大きいのである。

 打撃系は制空圏が拡いから、他人に接近されると格闘本能から好戦的になる(いわゆる喧華好きと言いたいのであろうが)、しかし柔道のような接近戦を主体とする格闘技は、接近が主である為、人に近付かれてもこれを嫌い、射程距離内の意識が薄いとするのは、打撃系愛好者の独りよがりとも感じられる。

 もし制空圏の事を取り上げるのなら、日本刀を持って斬り合いをする激剣や、試刀術を修行して居る修行者の制空圏は、打撃系格闘技よりも狭いと言うのであろうか。
 しかしこれらの修行をして居る人は、打撃系の愛好者に比べて慎み深く、好戦的で傲慢ではないが、一体この差は何処からくるのであろうか。

 また打撃系の愛好者の中には、猟銃を趣味にしたり、海外での拳銃試射を愛好する人が多く、自らの徒手空拳に添えて、何故、拳銃試射を愛好するのであろうか。事実、ハワイなどで行われている日本からの、拳銃やライフルの射撃ツアーは盛会である。実弾を射撃し、目標を射抜いて競技としてこうした企画が、日本人対象に一部の旅行会社で展開されているが、こうした実弾射撃ツアーに参加する打撃系格闘家も少なくない。

 この考えに固執した連中は、特に打撃系格闘家を愛好している人が多い。
 この根底には試合あるいは挑戦の於て、何が何でも勝たなければならないと言う残忍な思想があって、万一負けたら相手を殺す、と言う意図が含まれているようにも思える。

 最早こうなると、武士道や武技は、人命尊重の範疇では考えられなくなり、日本刀やその他の刃物に対して、飛道具で対抗し、一時の激情で、負かされた相手を、何が何でも、仕返しの意味で倒すと言う、暴力的な決着への魂胆が見え隠れしているようだ。

 また此処に見えざる遺恨が生まれ、因縁を限りなく悪くして行く方に、己の魂を投じなければならなくなる現実がある。もはやこうなれば、「武の道」などとは言い難く、悍(おぞま)しい怨念と怨霊の世界が、吹き上げてくる感じがする。

 格闘技で言う制空圏。それは徒手空拳の場合、高々前後・左右の2メートル前後の事であり、ジャンプを含めても3メートルには満たない制空圏である。それは日本刀の制空圏に比較して適うものではなく、また槍や長刀の比ではない。

 さて再び二刀剣に戻ろう。二刀合気は左右に各々同じ長さの太刀を持つ。
 十六世紀の戦国時代には、これは「矢払い」の為に使われたとも言うし、「多敵に対峙した攻防法」とも言われている。

 要するに合気八方の乱斜刀であり、自らを戦いの中心に置いて、次々に敵を躱すのではなく、敵の集団の中に斬り込み、敵を意の儘に動かして、勝ちを収める空間を作るのが、合気二刀の制空圏である。

 それは丁度、球を成す、雪達磨の「転がりの威力」によく似ている。転がり落ちる周囲の、何もかもを巻き込んで、自らは益々膨れ上っていく、あの構図である。その回転の威力で、周囲は次々に巻き込まれていくのである。これが二刀合気を用いる場合の、乱斜刀のイメージである。

 武術はその武技が何をイメージし、その次元が何処にあるかで異なってくる。
 次元が低く、力業を何処までも押し通さなければならない武技はその範疇で、地獄のような肉体を駆使する、いわゆる筋トレと称する反復練習に明け暮れなければならないし、次元が高度になれば滅び行く肉体を脱して、霊的なものに委ねて《半身半霊体》に、より接近する事が出来る。二刀合気は合気二刀剣をマスターする為の制空圏把握の、前技ともいうべき想念法である。





●大東流合気二刀剣・陰陽乱斜刀……旋回刀操法

 この想念法を更に具体的にしたものが、「合気二刀剣・陰陽乱斜刀」である。
 乱斜刀は左旋と右旋が交互に繰り出される剣の技法であり、剣線が交互に螺旋を描くようにして動き回る動作である。

 この乱斜刀は小手先や腕先にあるのではなく、あくまで腰から下の下半身に伎倆の要があり、正中線と正安定をはかることは言うまでもない。

 左右の螺旋を激しく繰り返すので、腰が安定していることはいうまでもなく、肝心なのは膝の安定であり、これは「弓身之足」を以ってこれに回帰される。そして上半身の動きは、下半身の重心の安定の上に成り立った結果の延長であり、二刀乱射を以って振り廻すだけが乱斜刀の極意ではない。要は下半身にあり、その移動は足運びである。そして乱斜刀を行うとき、吾が体内には内在する力が湧き起こり、そこから躰動法が生まれるのである。

 また乱斜刀の繰り出しは「拍子」であり、拍子がズレれば、呼吸が狂い、呼吸が狂えば吐納が乱れ、吐納が乱れれば陽気の循環が滞り、集中力に大きな障害が現われることになる。
 そのような愚を抑えるためには、呼吸の長短を「気吹」(いぶき)によって整え、吐気と吸気を逆にした逆腹式呼吸で調整した呼吸を行い、速やかに重心を移動して中心力を一旦左足に戻せば、再び拍子を作る事が出来る。これを「陰陽乱斜刀」と謂い、西郷派大東流の秘伝とされている。



●大東流合気槍術

 槍術は、槍、または手槍を以て敵と戦うための技術であり、大東流の体捌き全般に影響を与えている特異な技法である。

 元々「突く」ために考え出された槍は、構造や用途の面で日本刀とは大きく異なる。
 槍の特徴は、正対した敵の武器を巻き上げ、払い流してしまう操法にあり、敵の攻撃を一歩後退しながら体を左右に開いて躱(かわ)し、直ちに反撃する「抜き技」、敵が持っている剣に槍を巻き付けて払い落とす「巻き落し」などの技術が存在している。

西郷派大東流合気槍術・上段の構え。
槍術・左中段の構え。

 また、西郷派大東流では、通常の槍の操法に加え、約五尺を基本の長さとする「手槍」の技術を重視している。
上・地肉置豊な両刃の菖蒲造槍と下・表山三角型裏地平造槍。
 古来、野外の戦場にて重要な役割を担っていた槍の技法ですが、長さ二メートル以上にも及ぶ長大な槍は室内戦に向いていない。そのため、江戸期に至り、狭い室内での攻防法が確立され、それが手槍の術へと変化していったのである。
 手槍の操法は本来が一対一の攻防における技術ではなく、多勢を相手にする時の状況を想定しているため、この技法に習熟することにより、敵の攻撃を紙一重で躱す「受け流し」を会得することが出来る。

 槍の名門「宝蔵院流」にこれらの技術を学んだ大東流は、独自の体捌きを他の技法にも応用し、武器に対する捌きの原形としている。 






●槍の体捌き

 今日に伝承される柔術の多くは、現在の柔道とは異なった伝承形式をもつ武術である。古流の流れの柔術は、剣(この中には槍や薙刀が含まれる)の裏技で、元々「和術」とも呼ばれ、その中には「殺法と活法」が同じように伝えられていた。殺法は人殺しの術であり、それはまた、先人の智恵の集積であり、その智恵は多くの敗北の記録や、失敗の記録の「戦訓」と謂われる教訓であった。

槍構え・大上段。

多数の敵を相手にする。

 今日スポーツ武道の多くは勝者を英雄視する考え方があるが、これは競技を展開する事で、その次元を戦国時代の乱世の兵法に逆戻りさせただけであった。これは下剋上に貫かれ、弱肉強食論を強調しているに過ぎない。そして、その修行で培った人間性は全く相手にされない。

 しかし若者は年をとり、確実に死に向かって人生を歩いている限り、今日の勝者は、明日の敗者なのだ。今日は「生の哲学」で人生を生きようとする為、何事も「先送り論」になり、今日一日のことを、今日一日で片付けようとはしない。「やれば出来る」「人間には無限の可能性がある」「輝かしい明日がある」等と嘯いた考え方に陥る。此処に現世の人間の盲点がある。またこれが生の哲学の実体である。

 だが「死の哲学」はどうだろうか。日々に、心に死を当てていきる生き方は、「朝に生まれ、夕べに死す」の生き方であれば、総てが新鮮に見えるのではあるまいか。
 何も失うものがない、総てを捨て去って、生きる生き方こそ、生き生きとした、爽やかな透明度がその生き方に拍車を掛けるのではあるまいか。つまり無私になって、奉仕し、道標なり、人類に貢献してこそ、その爽やかさは一層透明度を増すのではなかろうか。此処に山本常朝が説いた『葉隠』が息づいている。大東流の秘術は、この精神構造の中に存在するのである。

 さて、大東流の体捌きや転身はその源流を宝蔵院流の槍術に見る事が出来る。槍の構成は、穂(槍の刀身に当たる部分)、鞘、柄、中心(茎)、鏃(鐓=石突)から構成されている。槍はその自らの利き腕に応じて、中握を握り、返す、捌く、突いてしごく(槍手繰り)、振る、廻す、はねる、飛ばす、刺す、切る等の動作を繰り返し、その構え方は、中段正眼、中正眼、下段、霞上段、霞中段、霞下段、送上段、送中段、送下段」等の構えがあり、その構えと、敵の槍を受ける際の体捌きがある。

 体捌きには点足
(踵を付けない身軽な爪先の足)で躰を躱す受け流し、廻り、背筋受け、巴返し、清流水返し、撥ね返し等があり、その足捌きは送り足、歩み足、開き足、踏み込み足、継ぎ足、点足法、転身法等がある。また槍の操法では、受け流し、巻き落し、払い流し、擂り上げ、掬い上げ、抜き返し、打ち落とし、山掛け、打ち返し、出鼻払い、なぎ打ち、切り返し、二段突き、大車返し、大車返し、大車止め等がある。槍の特徴は敵と正対した場合、敵の武器を巻上げ、払い流してしまうところにある。あるいは巻き落しを行う。
 その醍醐味は抜き技や巻き技に見る事が出来、敵の攻撃を、一歩後退しながら、躰を左右に開いて相手の武器を外し、直ちに反撃する抜き技、そして打ち落としと続く。また巻き落しは敵が構える剣を狙って巻き落し直ちに反撃に転ずる。巻き落し、直ちに突き返すのだ。
 そして心は冷徹な「動中静」の、静かなる「明鏡止水」の境地に自ずと至っているのである。

 さて、大東流はこの宝蔵院流の槍術に学び、あるいは柳生流の剣や棒に学んで、独自の体捌きを完成させた。その独自性が、得意な体捌き、足捌きに現われている。本来宝蔵院流は、十文字熊槍を基本とする特異な流派であるが、江戸期に至って、室内での格闘の為に袋槍や手槍が考え出され、狭い部屋での攻防法が確立された。この長さ約五尺を基本の長さとする槍の操法が、野外の戦場とは異なった攻防の技術を生み、それが薙刀等にも影響を与えていく。

 この五尺を、室内での攻防の技法に当てはめたのが手槍の業であった。またこの槍捌き、体捌き、足捌きはその儘、大東流の捌き全般に伝えられ、これが武器に対する捌きの原形になったのである。更に構え方も、極めて無構えに近い構え方をするのは、合気二刀剣に於ける「下段の構」あるいは槍の「下段の構」が原形となり、特異な構えを形作っている。



●大東流手槍術
 手槍の操法は、本来が一対一の攻防に於ける技術ではない。己自身を円陣の中心に置き、その円陣の中央から放射状に己に向けられた敵の剣先を己自身が受け止めて、捌き、あるいは払い、それを自在に受け流す術である。この場合の槍捌きは、右旋と左旋を組み合わせ、右旋の拡散、左旋の収縮を利用して左右に払い受けていく。この払いがその儘体捌きに連動されて、足捌きを形作っているのである。従って、この捌きは、紙一重で槍の穂先を躱す「受け流し」の技術となる。

 大東流の多数之位はこの紙一重で受ける、受け流しの技術が課せられるのである。また、これを習得しない限り、大東流の多数取りは会得出来ないのである。

【註】大東流には槍術に付随したものに、合気手槍術や、手槍を原形とした五尺と六尺の杖と棒に合気棒術がある。これらの槍術を基盤とした技法に槍を用いて敵を転倒させたり、敵の刀を絡め捕って動きを封じる術がある。