西郷派大東流の儀法 10





●合気拳法における中高一本拳の威力

 大東流の当身術ならびに合気拳法は、その特長が中高一本拳の独特の打ち据えにある。手の指の中指を突起させるように握り、最後に拇指(おやゆび)で止め固める。こうした拳を中高一本拳という。
 こうした指の突起部を作る事によって、この部分が人体の急所の一点に鋭く刺さるのである。

 また中高一本拳はその用途において、上肢を中心にした攻撃目標にその打撃点をを求める。つまり中高一本拳は、下肢より上肢を狙って攻撃する武器であり、正拳に比べて当たる面積が小さいために、頭部や上肢胸部に当たれば效果か覿面(てきめん)となる。

 人間の視野を考えた場合、左右に広く、また上下に於ては、上半身より下半身を検る視野の方が断然広くなる。したがって視野の狹い上肢を狙って中高一本拳を打ち込む事は、非常に効果的であり、構えなどで、両腕や両手が前に出ている場合、手や腕の下は死角となって、この部分のガードががら空きとなる。こうした死角の箇所を狙って打ち込む中高一本拳は非常に効果が大きく、特に胸郭部へ打ち込んだ場合非常に效果が大きい。



●躱しと脆弱部攻撃

 敵の攻撃を躱す場合は、躰を開いて「転身之術」(てんしんのじゅつ)で、これを躱す。これは敵の攻撃に対し、半身で躱すと同時に、その瞬間敵の一番脆弱(ぜいじゃく)な部分を攻撃するのである。

 徒手空拳を主体とした無手武術格闘技には、「制空圏」なるものが存在する。この制空圏は身長幅の約二倍程度と考えられており、凡(おおよ)そ、3m以上4m以内とされ、この空間において、無手格闘が行われるようである。したがって3m以上4m以内の中間をとって、3m50cmを制空圏と設定した場合、その半径は1m75cmとなり、この半径において攻防が繰り返される。

 左右の手足の長さはこれより短いので、更に近づかなければ相手の躰に触れることができないので、更に1m75cmの半分となり、これが無手の場合の間合となる。

 しかし制空圏なるものを主張し、その圏内に相手を寄せ付けない巨漢も、自分の手足の長さ以内に相手が侵入しない限り、攻撃を加えようがなく、侵入という次元において、制空圏を主張する者も、それを無視した者も、同等であるということが分かる。

 制空圏なるものを主張していても、喩えば、人体の一部を限定したルールで闘っている格闘技と、人体全体の至る処を攻撃目標と考え、無差別に、場所を選ばない武術ととでは、おのずからその次元は異なっている。

 そして、どんなに頑強に鍛え上げた巨漢でも、眼があり、鼻があり、耳があり、口があり、その他の数百に及ぶ経穴部を持っている。

 眼やその他の腔、及び経穴は何人といえども同じように急所であり、ここを攻撃されれば、深層部に届き、攻撃意欲を喪失するのである。

 喩えば、弱々しい細い針や、ガラスの一ト欠片でも、眼を刺されれば立ち所に視界を失い、戦意を喪失するものである。まさに点穴術は、細い針であり、ガラスの一ト欠片であり、その用い方も変化に富んでいて、無差別で、攻撃箇所を選ばない術ほど、怖いものはないのである。



●経穴を正確に叩けば効果は絶大となる

 二、三歳の幼児の弱々しい指一本でも、眼に突き込まれれば、大男でも飛び上がるはずである。この思想が、大東流合気拳法の点穴術にはあり、経穴を正確に捕える中高一本拳の効果は絶大なものである。

 武術の格闘というのは、単に体格や体力の競い合いではない。力のぶつけ合い、揉み合いでもない。人間の躰の構造や生理機能を明らかにして、それを躰で熟知し、熟知した経験や教訓を生かして、科学的で理に叶った手段で、弱点を利用するのが武術のキーポイントである。これを無視して、力だけの戦闘は、武術として成り立たないのである。

 そして一度戦闘に入れば、その背後には、精神的な全人格が貫かれていなければならない。この大事を忘れると、喩え希代の達人といえども、素人に敗れる事があるのだ。



●鍛えることの出来ない四つの急所

 どんな強者でも鍛えることの出来ない「四つの急所」がある。別名、「四タマ」と言われる所で、俗に言う、「アタマ」「メダマ」「クビッタマ」「キンタマ」の四箇所である。

 アタマは、ずばり頭であり、頭部そのものを指し、メダマは眼球であり、クビッタマは頸椎もしくは、喉仏(のどぼとけ/喉の中間にある甲状軟骨の突起した所で、喉骨ともいわれ、喉頭隆起)を指す。またキンタマは金的であり、睾丸である。

 この四箇所はどんな強者でも鍛えることが出来ない。クビッタマに当たる頸椎でも、ブリッジ訓練で多少は鍛えることが出来るものの、鍛えれば鍛えるほど、頸動脈が圧迫され、脳へ流れる血液障害と、七個の頸椎にズレが起り、晩年はこの部分から障害が発生し、頭痛や顔面神経痛などの頸椎障害の病因を招く。

 さて、鍛えることの出来ない四箇所の急所が存在するということは、等しく、体格の大小に限らず、脆弱な箇所が誰にでもあるということであり、ここを攻める具体的な術を知っていれば、まさにこれは名実ともに、イザというときの「切り札」になるのである。

 徒手攻防において敵に対し、最も効果的に当身を入れることの出来るチャンスは、次の四つである。

 その第一は、敵がリラックスして筋肉に緊張がない時機(刹那であり、指ではじかれるような極めて短い瞬間)。第二は敵の動作や喋りが終了した時機。第三は吐気を吐き終わり、これから吸気が始まろうとする瞬間の時機。第四は精神的に緊張がなく奢り高ぶるか、あるいは隙だらけにして油断をしている時機の、四つの機会に対し、人間の臓器や、骨に最も有効的なダメージを与えることが出来る。

 しかしこうした刹那を防御することも可能である。人間の内臓や骨は、先ず「筋肉」という鎧袖によって保護されている。したがってここを筋力トレーニングによって鍛えることが出来る。鍛えれば鍛えるほど、頑強になり毎日驚異的なトレーニング・プログラムをこなす相撲力士やプロレスラーには、幾ら剛拳の空手家の必殺拳も、またボクサーのハンマー・パンチも殆ど通用しない。

 それでもしかし、「四タマ」だけは、彼等とて鍛えようがないのである。したがって、此処を攻めるために有効な術を知っていれば、小が大を倒すことは可能なのである。



●「当」と「刺」による殺法

 殺法諸法は、柔術(拳法)諸流派によって異なる。即死に至るものを殺法とし、単に転倒したり、気絶するだけの当てを殺法より除外している流派もある。
 ただ柔術に於ける「拳法」は「蹴破る」という意味を持たせたもので、これは外来の拳法の意味とは異なる。

 外来の拳法は一撃必殺が目的でなく、同じ急所を重ねて殴る事で敵を制する技法で、それが一旦急所から反れれば、「殺法」の効果は薄く、度々同じ処を打破しなければならないが、日本柔術の拳法躰術はその急所を捕える打力に関わらず、一度捕えてしまえば、殊に胸部や腹部の場合、それは直接的に内臓を破壊してしまう。一見鈍重に見えるこの拳法躰術は、昭和二十年代以降の在来の新武道(日本少林寺拳法や日本少林拳など)に見られない、スタイルの恰好良さと、華麗なコンビネーションと、スピード感こそないが、捕えた敵は、内臓もろともに破壊する凄まじい威力を持っている。

 さて、大東流合気拳法の殺法は、主に頭部と顔面を「当」(あて)と「刺」(さし)によって麻痺させ、あるいは仮死状態に至たらしめて殺す術であるが、その過程として、顔面動脈及び神経刺劇(生物体に作用してその状態を変化・興奮させる)によって大脳錯乱に導いたり、または頸動脈及び気管支部を圧迫して、神経刺劇によって窒息、あるいは頸椎(けいつい)をズラして脳壊疽(のうえそ)状態を起こさせるものである。


・風魔殺(ふうまさつ)これに用いる打法は掌底を用い、外側ではなく頭蓋骨全体の裡側(うちがわ)を叩く業(わざ)である。つまり脳が機能する部分を中心に障害を与え、異常を起す事を目的にするのである。

 正拳及びその他の拳打法は、主に外側を破壊する為に用いられるが、掌底(しょうてい)打法は外側はその儘(まま)で裡側のみに打撃を与える特異な打法である。この掌底の作り方は、五指折熊手(ごしおりくまて)の手形を作り、その掌底部を用いて敵の上顎骨を外し、同時に内部の血管と神経を打破する。また上顎骨付近の縫合(ほうごう)が外れる。

 この殺法が「風魔殺」といわれる所以は、人間の五官を破壊する技法であり、人間が生きて行くためには、五官の機能は欠かせないものとなる。それを破壊し、機能を失わせる事は、脳、視器、聴器、鼻腔からの嗅覚機能、口腔(こうくう)からの味覚機能が不能になる事で、その総ては頭蓋骨の裡側に集約されている。これを破壊するのが風魔殺である。




 この打法の用い方は敵が攻撃を仕掛けて来る瞬間、打たれるのを覚悟に接近し、その擦れ違い態(ざま)に五指折熊手の掌底部を頬骨(きょうこつ)の下部の窪みに押し込むようにして打ち砕く。この時、掌底部は頬に密着し、然もこの押し込む圧力によって、上顎骨と頬骨を繋ぐ平面関節が外れ、同時に下顎骨も外れて周辺の神経組織が破壊される。


・無明殺(むみょうさつ)此処への打法は、V字形に開いた折指俣が中心であり、他には五指折熊手を用いて、目標は眼球と頭蓋骨の隙間を狙って打つ。人指し指と中指を裡側に折り込んでV字形の折指俣(おりゆびまた)を作り、正中線上にある前頭骨の前面下方の鼻骨を、左右の眼球もろとも突くようにして打ち砕く。これによって鼻骨だけではなく、眼窩部(がんかぶ)の骨が砕かれ死に至る。


・焔摩殺(えんまさつ)これは「印堂」打ちで、ここを打つには中高一本拳(なかだかいっぽんけん)をはじめとして、正拳や拇指拳等が用いられる。
 この部分には額(前頭骨)中央下から伸びた「眉間」(みけん)が走っており、ここで上顎骨縫合と接している。また鼻骨や涙骨とも接しており、ここを打たれると鼻骨付近の縫合が外れ、顔面麻痺を起こして死に至る場合がある。

 印堂は人間が言霊を発する場合、ここから言霊(ことだま)の意に沿った唸波ねんぱ/深く心中に銘記される意識)が送られ、その人の唸(ねん)が強い場合、その唸は相手側の脳に影響を与え、同調させる事が出来る。従ってここを打たれる事は唸を失うことであり、運良く一命を取り止めた場合でも、脳障害や精神分裂状態になって廃人同様となる。


・泉門殺(せんもんさつ)これは「六波返し」(ろっぱがえし)ともいわれる「泉門」打ちである。ここは脳天に向かう矢状縫合(しじょうほうごう)が交叉(もうさ)する中心線上の箇所で、頭蓋骨を形成する前頭骨と左右の頭頂骨の繋ぎ目を突き、この部分の平面関節を「ずらし」、あるいは「外す」という殺法である。
 ここを叩くには、五本の指を折り込んだ五指折熊手という、指先を固めた「刺し」の手形を用いる。この五指折熊手というのは、単に五本の指を折り込んで固めるだけではなく、拇指(おやゆび)に段違いになったズレを施して、他の四本とは異なる固め方をする。泉門付近には前頭骨からの冠状縫合(かんじょうほうごう)と、後頭骨からのラムダ縫合があり、矢状縫合を中心位置にしてその前後には「大泉門」と「小泉門」がある。この部分を泉門殺で前方の前頭骨よりに叩いた場合、大泉門付近の繋ぎ目が外され、後方の後頭骨よりに叩いた場合、小泉門付近の繋ぎ目が外される。孰れも脳障害を起こして死に至る。


・無界殺(むげんさつ)この殺法は、一撃によって上鼻骨縫合をと眼下巣帯状骨を打ち砕く打法である。この打法は、人指し指と中指で指俣を作り、敵の鼻骨を刺すようにして打ち込む。打ち出した瞬間に捻りを加えて突き上げると、上鼻骨縫合が外れ、また眼下巣帯状骨が破壊されて死に至るというものである。

 指俣(ゆびまた)の手形は正拳等に比べると究めて弱い手形であるが、無界殺にこれを用いる場合、差程の強度を持つ必要はなく、正確な角度で打つ出すことが出来れば、纔な力で上鼻骨縫合を外したり、破壊することが出来る。


・霞殺(かすみさつ)この部分を打破するには中国拳法の双峯貫耳と同じ様な双拳の裏拳を用いて、側頭窩の蝶形骨大翼(ちょうけいこつだいよく)を破壊する。または左右両方の拇指拳を同時に打ち出してこの部分の破壊を行う。これを行う事によって、蝶形骨大翼付近の縫合が外れ、同時にこの上に流れる海綿静脈洞(かいめんじょうみゃくどう)の静脈血管が切断され、顔面動脈及び神経に刺激が起こり、大脳錯乱が起こる。

【註】縫合を外すという、大東流の特異な打法は、風魔殺、無明殺、焔摩殺、泉門殺、無界殺、霞殺からも分かるように、たとい即死に至らなくともその威力は絶大であり、交通事故による顔面部の損傷で顔面神経痛になったり、鞭打(むちう)ち症等に見る長期化する病状は、時間と共に廃人に導くものである。これ等は表皮部分である外部の縫合の外れだけが病因になるだけではなく、縫合が外されるという事は、その内部に収まっている諸器官が破壊されるという事であり、整骨的ならびに外科的治療は究めて困難である。


・眼球殺(がんきゅうさつ)ここへの攻撃は指俣を遣って、指先を直接眼球の中に刺し込む。これによって失明するばかりではなく、時には脳に達して死に至ることもある。これは前頭骨前面の眼窩と涙骨と蝶形骨大翼の縫合を外し、激突の場合は脳に達するのである。この場合、前頭骨と頭頂骨を繋ぐ側面部分の縫合が外され、その衝撃は第一頸椎に達し、正中線上にある鶏冠(けいかん)を破壊して下垂体窩に達し、その打法が激に達すれば矢状縫合を突き破り、後頭部を貫通する。

 眼球部の涙骨は、眼窩の裡側壁の前方の一部を成している薄い骨板が涙骨で、左右に一対ある。手の小指の爪程の大きさで、涙嚢(るいのう)の収まるための溝があり、この溝を以て涙骨という。顔面骨の中では最小の骨であり、究めて壊れ易い骨であり、正確に狙いを定めれば指で簡単に打ち砕くことが出来る。


・鼻腔殺(びこうさつ)眼球殺と同じく、指俣を持って鼻腔付近から脳に達するように下から突き上げるようにして刺し込む。時には脳に達して死に至ることもある。ここに指を差し入れると、先ず中鼻甲介(ちゅうびこうかい)である篩骨の一部が破壊され、次に鼻腔の奥にある下鼻甲介が突き破られ、鋤骨が切断されて、指俣は鼻骨と涙骨の縫合を外して顔面中央に侵入する。これが脳全体を破壊し、即死に至たらしめるのである。

 鼻骨には左右一対の長方形の小骨があり、この2枚がヤネ状に連なって、鼻根部を形成する。鼻先の尖った部分は軟骨で、鼻骨とは関係しない。その為、最も反面では柔らかい部分であり、眼球と併せて突かれれば防禦不能であり、同時に縫合が外れるという脆さを持っている。


・釣鐘殺(つりがねさつ)この殺法は金的(睾丸)を一撃して、あるいは握り潰して(正確には握り潰し、この拳状態の儘で体内に押し込む)呼吸停止による気絶、あるいは即死に至たらしめる。これは交感神経及びに精系動脈の激盪によって起こるもので、「突き放し」を行った場合のみ、釣鐘殺で死に至らしめることが出来る。

 「突き放し」とは、突いた時、あるいは蹴り込んだ時、直ぐに手足を抜かないで、その儘の状態にしておく事を謂(い)う。抜き戻しが早ければ早い程、敵は蘇生される確率が高くなり、戻しの遅いほど蘇生(そせい)不能となる。


・会陰殺(えいんさつ)「会陰」は、任脈(にんみゃく)と督脈(とくみゃく)の起始に当たる経穴で、体内の正中線の裏表を一周するようなコースを辿る。躰前面を司る任脈が合計24経穴があり、督脈は躰後面を司り、合計27経穴がある。任脈と督脈の作用は躰全体に及び、その起始点が会陰であり、人間は会陰を打ち砕かれる事で行動が不能となる。

 さて、鎧・甲冑の構造は古今東西を問わず、上から仕掛けられる攻撃に対しては充分に対処できるように作られているが、真下からの攻撃に対しては全く無防備同然の構造になっている。

 戦国期の白兵戦における組み打ちは、矢が尽き、弾が尽き、太刀が折れて、最初は柔術組み打ちに至るのであるが、投げ業の目的は、敵を顛倒させ、その倒れた隙に素早く脇指、鎧通(よろいどうし)、短刀、小刀(こがたな/小柄といわれる柄に、刃物部の穂先が差された小刀)、共小柄、貫級刀(かんきゅうとう)、針などの刃物を股の下、あるいは脇の下に刺す事にあった。この部分は全く覆っている物が無く、容易に刺せた。無手の場合も同じであり、倒され、脚を開かれて、股間の急所がガラ空になれば、容易にこの部分に当身を加えることが出来た。

 しかし柔術諸流派の投げ技の目的は、敵を投げて地面に叩き付ける、あるいはその後に拳等で止めを差すというのが詰めの形、あるいは残心の形であり、股間に止めを刺して、絶命させるという殺法の意味は持たない。

 従って、多くの当身は「当てるよりも、早く引け」と教え、また現在普及している寸止め空手でも、スポーツ化していく実情の中で、打ち出した拳を素早く脇の下に戻さない場合、「技有り」のポイントにならない為、引き戻す動作ばかりを強調して、本来の一撃必殺の殺法の意味から大きく掛け離れてしまっている。
 釣鐘殺及び、会陰殺は「突き放し」が肝腎であり、その貫通力を絶大にするためには、「引き戻し」だけの素早さでは余り効果を上げる事が出来ない。