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道場憲章 9
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第七条 宗家一親等の門人並びにそれに準ずる会員![]() 【一親等門人・一親等会員の総合の定義】 |
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| 6.宗家一親等門人によって組織される総本部ならびに支部及び分会 西郷派大東流合気武術の組織は、宗家一親等門人によって運営される。またその各地域における活動は下記に示す通りである。(平成19年4月現在) |
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| 7.師範指導員会議 宗家一親等会員によって運営される連絡会議に、「師範指導員会議」がある。この会議は、師範(皆伝師範、正師範、准師範)並びに指導員(正指導員、准指導員)によって組織され、年度毎によってその運営方法と、地区本部並びに支部の指導方針を話し合う会議である。 またその会議の議場は、総本部尚道館に置かれ、ここに全国から師範並びに指導員が集い、宗家を中心とした運営方針は下される。 8.師範指導員のとるべき責任ある態度 「何の為に西郷派大東流をやっているのか?!」有段者ならびに指導的立場にある者は、このことを真摯に考える必要がある。また、自分はどんな立場なのか、よく考える必要があろう。 最近特に目立つのは、黒帯をとって辞めてしまう人間のいることである。有段者はあくまで修行中であり、黒帯を取得したから、それで終りではない。更にその先があることを忘れてはならない。 その為には宗家に教えを乞い、教わったことを身に付けるよう努力することは必要だろう。 段位とか、資格と言うものは取得すればそれで終りと言うものではない。取得後も更に研究を続け、日々精進する必要がある。 では、修行の終着は、どこか。 それとも師範になれば終わりなのか。また免許皆伝になれば終わりなのだろうか。合気が使えれば、それで終わりなのだろうか。 そう考えると、修行には終わりがないということが誰にでも分かるだろう。指導的立場にあっても、自身の修行は未完成なのだ。 では、終りなき修行をして、いったい何になるのであろうか。何の為に、人は修行するのだろうか。 例えば料理人ならば修行をし、ひとり立ちをし、店を出すなどすれば、金銭に反映することができるが、西郷派では道場を展開するなどで、多少の見入りはあるかも知れないが、「技術」イコール「金」という図式は成り立たない。少なくとも、武術修行は金を目的としてやるべきものではない。基本は自分自身の精進である。 一方、修行の身でありながら、更に残念に態度を晒している者がいる。合宿に来ない有段者らは、修行中の身でありながら、修行を休んでいる、あるいは修行を辞めている人のように見受けられる者がいる。しかし修行を休んでしまったら、実力はどんどん衰えていくばかりだ。実力の無い有段者とは、何なのかと考えていくと、ひょっとすると、西郷派から去る予備軍なのかも知れない。 去る予備軍にとって参加するも、不参加で終るのも、いずれも地獄である。 本来地獄と言うものは存在しないが、人間は自らで地獄絵を描き、その中に落ちる生き物であることを忘れてはならない。 |