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内弟子制度 14
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| ●尚道館で教える五つの創意と工夫 1.「目立たない」と言う態度 目立たないと言う態度は、武術修行の基本である。武術家は映画俳優やテレビ・タレントではない。また自分の所属する団体の為に、媚びを売ったり、名前を売る為に隷属的な輩(やから)に成り下がる事とも違う。自分は自分であり、だからこそ自立して、有頂天に振り回される事なく、確固たる自分を形成しなければ成らない。しかし現代と言う世の中は、物質至上主義をひた走っている為、自分自身の値打を金銭に換算し、格闘をギャラに置き換える肉体信奉者も少なくない。 また昨今は、競技武道や格闘技が観戦スポーツとして持て囃(はや)され、その勝者は英雄視されるようになったが、武術で云う「目立たない」という事からすれば、既に「武」の意味を失い、芸能タレント同様の扱いを受けている。 愚かしい限りであるが、その愚かさの特徴として、英雄視されて有頂天に舞い上がった人間は、言動や動作、服装、髪型(特に男女を問わず茶髪が多い)、態度、生活振りが派手で横着に成り下がるという現実がある。これに誰一人として、免れた者は居ない。 武門の礼法では、こうした手合いを「ことごとし」(事事しい)として評価は低く、嫌われる対象となった。また、英雄視されている多くに人間は、肩で風を切るが如く歩き、肩肘を張っている。これは礼法の説く「自然さ」とは言い難い、傍若無人な振る舞いである。 日本では、昨今の現状を見てみると、殺傷事件などが多発し、一般市民が通り魔などにも襲われる事が多くなったが、それでもアメリカなどの国に比べれば、多少は治安が良い方であるように思われている。しかし肩肘を張り、肩で風切るような歩き方をしていると、アメリカならば命を狙われて、ボディ・ガード無しでは、とてもでないが歩けないのである。この点が島国日本と、人種の縮図であるアメリカ大陸の違いと言えよう。 アメリカは民族の縮図であり、いろんな考え方を持った人間が寄せ集まっている。習慣も違えば、宗教観も異なり、多民族国家である。したがってスラムの底辺には、スポーツ格闘技の有名人を殺傷して、自分がこれにとって代わろうとする異端的な考えを持っている人間も少なくない。 アメリカで試合を興業する格闘家の多くは、自分専用のボディ・ガードを持っていて、稼ぐだけ稼いだら、さっさと目立たぬ田舎に引っ込み、静かに余生を送っているのである。そしてマスコミに騒がれる事を嫌う。 ところが日本は、これと全く違う。 若干の治安が保証されている為か、アメリカのようにスポーツ格闘家は姿を控えめにする事はない。謙虚とは程遠く、羽手で横柄で、態度も傲慢(ごうまん)である。テレビの娯楽番組やスポーツ新聞の話題の的になり、あるいはマイナーな武道雑誌に掲載されて、これに気を良くしてか、有頂天に舞い上がり、有名人タレントを気取りでいる。 これまでの素朴な下積み時代の自然な態度から一変して、服装が羽手になり、肩肘を張って、態度も横柄になる。そして庶民を見下すだけ見下し、その態度は、今流行(はや)りの政治家顔負けの、極めて傍若無人である。一億総タレントの時代である。我も我もと目立ちたがり屋が多くなった現代、何か世間を騒がして、その話題の中心に、自分が居座ろうと考える輩がいるかも知れない。話題の中心になり、強者を倒す方法は、倒せば何でもいいと考えるであろう。刃物を使おうが、飛道具を使おうが、スポーツ・タレントを付け狙い、僅かな隙に犯行に及ぶかも知れない。 いつか彼等も、アメリカの格闘技選手並に命を狙われ、「下剋上の的」にされるであろう。 さて、尚道館・陵武学舎では「謙虚」を旨とする。横柄な態度は禁物である。自然な物腰を尊び、肩を怒らせない姿勢を徹底的に指導する。公民に紛(まぎ)れれば、完全にその中の人となるような佇(たたずま)いを指導する。 人間の肩には、人間の態度が一番先に現れるものである。 礼法では、肩から手頸(てくび)にかけての箇所を「水走り」という。この箇所は、人間を形成する人格の現れる場所で、個人の態度を形成する箇所だ。 次に、起居振る舞いにおいて、その動作は「途切れる事がない」という「流れ」を、動きの中で表現できる事が、最も「自然」として尊ばれる。自然な動きを「よし」とし、途切れを作らない事が、合理性を重んじる武術では、最も大事な要素となるのである。 またこれが、武術的に云って「隙のない動作」に通ずるのである。そして「目立たない」という態度の中には、同時に「頭が低い」という態度が必要で、特に傲慢(ごうまん)にならないようにしなければならない。 2.控え目と謙虚 慎(つつし)む事を知ることは、人間として大事な「修行の一つ」である。 特に武士道を全うする人間は、謙虚さと、常に控え目という姿勢は重要課題で、「脳ある鷹(たか)は爪を隠す」の例え通り、目立たぬ事が大事である。 ところが、昨今は自分が何かの武道を遣っている事を表に出し、これをひけらかす人間が少なくない。本人は風雪に鍛えた拳ダコを人前に曝(さら)して、強(こわ)持てを狙っているのであろうが、決まってこの種の人間は、性格が好戦的で、必ず喧華に巻き込まれて、何等かの傷害事件を起こす。また、弱肉強食の論理を信奉している為か、態度も、物言いも弱い相手には横柄である。 しかし、自分の知らない所で「恨みを買われている」という事も知っておかなければならない。アメリカのように、ビルの陰から、いつ飛道具やナイフで狙われるか分からないのである。 こうして考えて来ると、「控え目」と「謙虚さ」を保つと言う武人の行動律は、隙のない態度にも繋(つな)がり、これが同時に護身術の役割を果たしている事が分かる。最大の防禦は、先手攻撃をかける事ではない。控え目で謙虚で、慎み深い事だ。 この事が理解できれば、謙虚さと控え目から、その動きも、スピードに頼るものから滑らかさに重んじる動きへと変化する。スピードに頼っていなければ相手に負けると言うのは、「未熟」な証拠であり、自分の観察眼が鈍感である事を物語っている。 達人に達している者の動きを観察すると、決して速くない。観察眼が疎(うと)い素人目には、「鈍(のろ)い動き」と映る。ところが、実際は決してそうではない。 達人の動きは決して速いものではない。非常に滑らかなのだ。 流れるような動きがあるから、素人目に見て、「あんなに遲くて、よく間に合うものだ」とか、「ひどく、のろのろしている」と映るのである。 そして「動きが遅い」と映るのは、スピードの頼らなくても済むような、時間や空間の「間」の取り方が非常に旨いからなのである。 一口に控え目と、素人は蔑視するようであるが、実は「控え目」にはこうした形に現れぬ、別の空間や次元で、「動きの余裕」に繋がる事を教え、余裕のある動きこそ、武術では最も大事にしなければならない行動律であると説いているのである。 また謙虚に振る舞う事は、観察眼を養う切っ掛けを作る事になり、同時に人間研究にもなる。 観察眼を養う最初は、自分が謙虚でなければ養う事は出来ない。出しゃばったり、自分が、自分がと、「我」(が)を通していたのでは、こうした眼は養われず、謙虚に、じっくりを相手の言語や動作、服装や態度、生活スタイルや仕事振りなどを観察しなければならないのである。相手に譲る事だ。聞き上手になる事も、然(しか)りである。 こうして高い見識を養って行く事が、武術の礼法に通じるのである。 しかしこれが理解出来ない未熟者は、バタバタと騒がしく、スピードに頼る動きに眼を奪われて、それでいて結局肝心なツボを外し、最後は無慙(むざん)に敗北するのである。この種の愚行を遣(や)やらかす人間に、スタンドプレーを遣りたがる人間が挙げられる。またこれは、未熟さと言うより、生まれながらに性根の腐っている証拠であろう。 要人物として、この種の人間も、武門の礼法からは外される下衆(げす)の種類である。 武門では、「着座」一つにしても「控え目にせよ」と言う教えがある。 これは自分の分相応と言う位置よりも、一等下位に下がり、席に着く教えである。 「席」とは、自分のポジションであり、地位や順位であるが、同時にこれば「自分の場」と言う事にもなり、この「場」は万一の場合、敵との間合(まあい)ともなる。 したがって武門では、喩(たと)え上席に薦(すす)められても、これを薦められたからと云って、直ちに上席に昇る事はしないものである。辞退し、引き下がるのが礼儀である。これは武門の礼法に限らず、世間一般で行われている世の中の風習であるといえよう。 これは「分際を知る」と云う事にも繋がるのである。 これを語るのに面白い話がある。 ある暴力団の組長に、カラオケの好きな人が居た。この組長は北島三郎の『兄弟仁義』が十八番(おはこ)だった。この組長は毎年恒例の忘年会を伊豆のある温泉地で催した。この席には組幹部や正式組員の舎弟達が招待された。そしてこの席には、この程やっと、準構成員から昇格して金バッチを貰ったある正式組員も居た。 大広間で数十名の全組員が勢揃いし、組長ならびに幹部の挨拶も終え、いよいよ無礼講の酒盛りが始まった。「乾杯」の音頭と共に、司会者役の幹部は、カラオケで各々の「のど自慢」を披露するように皆に告げた。宴席からこれを祝して満場の拍手が湧き起った。いよいよカラオケ大会の始まりである。 そして例年の如く、トップバッターは組長だった。 司会者役は恒例通り「是非組長に」とお願いする。組長は「今夜は無礼講であり、若いもんに歌わせろ」と、一応は辞退してみせる。しかし司会者役は、更にお願いする。組長は、司会者役の勧めを断って、「若いもんへ」と再び辞退する。 そしてこの時、この度、正式組員になった若者を見つけ、顎をしゃくって「お前が歌え」と云うようなゼスチャーをした。 この正式組員になったばかりの若者は、これまでの忘年会の経緯(いきさつ)を知らず、組長の勧めに応じ、「では、自分が歌わせて頂きます」と云って立ち上がり、事もあろうに、組長の十八番だった『兄弟仁義』を歌うと、カラオケ係に指定した。辺りは水を打ったように静寂になり、それに反して「お前が歌え」と指示を受けた若者が、イントロに続いて、陽気な伸びのある歌声を響かせ、辺りは一面にこの組員の歌がこだました。 これだけで大広間の面々は、恐怖と共にその顔が凍り付いた。司会者役は泣き出しそうな顔になって呆然(ぼうぜん)となった。組長は席を蹴って室外に出て行った。 カラオケのコードは直ちに引き抜かれ、会はこれで打ち切られたが、その一曲の歌が問題を残した。 組長は「お願いされる立場」を無理に演出しているわけで、口に出して、自分から希望する事はないのだが、「頼まれれば仕方ない」という、希望とは裏腹な意思で自分を表現するのである。止むに止むを得ず、「そんなに言うなら仕方がないな。どうれ、それならば……」とやっと腰をあげる振りをするのである。 ところが組長は、自分の唯一の十八番を、駆け出しの組員にとられ、組長としての面子(めんつ)を失ったのである。その後、この若い組員が、どのような暴力を受け、「半殺しの目」にあったか想像に難しくない。 若い組員は無礼講を真(ま)に受け、組長の事を考えて、わざわざ古い歌を選んだつもりだったが、これが仇(あだ)となり、袋叩きにされ、小指を詰めらて、破門された事は云うまでもない。 控え目を忘れ、箍(たが)を外すとこのような目にあうと言う、典型的な出来事であった。控え目か否か、これには「人を試す策略」も含められれおり、安易にこの言葉には乗らないものである。乗れば、以上のような目に遭うことも、世間ではよくある事なのだ。 だから武門では、こうした先を見越した教訓を叩き台にして、「控え目」と「謙虚」という言葉で戒めているのだ。 武門では控え目を忘れて、上席を薦められ、安易にこれに乗る事を「一人上臈(じょうろう)」として嫌う為来(しきた)りがある。 何故ならば、「一人上臈」は、「上臈女房」(良人(おっと)より身分の高い女官の意)の略の、逆の意味を指すからである。 上臈とは、身分や地位の高い事を指すのであるが、この他にも中臈(ちゅうろう/修行の年数の多少によって上・中・下に分けた、中の位の者あるいは官位の中位の後宮などに仕える女官)、下臈(げろう/年功を積むことが浅くて地位の低いことの意味であるが、普通は「下郎」の当て字が使われ「下種」(げす)を指す)という言葉があり、江戸幕府大奥の職名を指す言葉でもある。 更に「一人上臈」には、知識や才能をひけらかす「前煌(きら)めき」の意味も含まれ、スタンドプレーを働く者や、目立ちたがり屋は、武門では最も嫌われ、卑しめられる対象である事が分かるであろう。また、控え目を忘れると、とんでもない出来事に遭遇する事がある。 3.途切れのない自然さ 「途切れがない」という事は、「型が無い」ということである。 そもそも西郷派大東流合気武術は、「型が無い」武術である。西郷派大東流は、他の大東流と比べ、大正期に作られた柔術百十八箇条などの型を設け、型を反復する事でこれを修得すると言う方法はとらない。固定した型を決められ、これを反復練習する事は、型以外の方法で攻撃された場合、全く役に立たないからだ。 こうした時代遅れの骨董品は、技自体の極めも甘く、単に型を反復する為に、「型を覚える」というう事に終始し、詰めも厳格ではない。 また、見識の備わっていない人間は、とかく「動作」を教条化したがり、この範囲内で形式化したがる。そして、教条化すれば覚え易いと錯覚する。 しかし、これには落とし穴がある。 教条化し、形式化すれば、この動きは途切れのあるものになり、「ことごとしい」ものになってしまって、「目立たざる躾」が、逆に目立ってしまうのである。 「ことごとしい」とは、「事事しい」という文字を書くが、つまり、「おおげさ」であり、仰山(ぎようさん)」であり、「たいそう」である事を指す。 昨今の大東流を見てみると、ある指導者が自流の作法に、居合道の進退動作を取り入れ、更に、技の掛け終わりに、「見栄を切る」動作を取り入れているが、これは正に武門の礼法から外れる、「ことごとしさ」で、見る者に大袈裟の観(かん)を与える。また芝居掛かり過ぎて「猿芝居」の観が否めない。 恐らくこの指導者は、一通りの辛酸をなめた事の無い、底の浅い人なのであろう。そして「見栄」を切った場合、飛道具に対しては、まさに滑稽ともいうべき的の対象になり、手裏剣ならば、見栄を切って倒れる迄の間に、四、五本は打ち込まれるであろう。 相手を制して、こうした見栄を、「何処からでも、いらっしゃい」という風に解釈するようであるが、「何処からでも、いらっしゃい」ということは、何も、攻撃側が術者に手刀(てがたな)を打ち込んだり、手頸(てくび)だけを握りにいくのではあるまい。遠くから、手裏剣を打たれる的に、術者のこうした見栄が、絶好の標的となった場合、一体術者はどう対処するのであろうか。 そして手を叩き、両手を広げて「大見栄を切る」その背後は、武術的に見て「がら空き」であるが、この術者は、後ろから手裏剣が飛んで来たとしても、こうした絶好の標的になるような見栄を切るのであろうか。 4.機転 武術の礼法の基本は、この裏側に、教養と見識に支えられた思想が流れている。この思想こそ、「機転」といわれるものの別称であり、武門では機転を最も大事にする。 礼法と云えば、堅苦しく、細かな取り決めで縛られているように考えがちだが、基本的には一種の「思想」であり、古人の積み重ねから起った「教訓」を集大成したものである。したがって実地の運用には、これを実践する者の応用力が問題となる。 応用力の欠ける者は機転が利かずに、猿真似として、何処か、他から別のものを持って来なければならないであろうし、訝(おか)しな、仰々しい、芝居役者顔負けの「大見栄」を切らねばならなくなるのである。 相手を掛け捕った後に「見栄を切る」あの動作は、必ずしも「残心」(ざんしん)とは違うようだ。 武術では「残心の残せ」という。我が流も残心は煩(うるさ)く、腰に脇指を対当していれば、これを抜刀して敵に対して残心を残すが、無刀の場合は、「てがたな」を振り上げ、残心をとっている。 これは撃突した後に、敵の反撃に備える心の構えを教えたものである。また、その後の敵の反応に応える「構え」をいう。そして闘志を失わない敵は、再度反撃する恐れがあるからだ。 しかし、我が西郷派大東流は、一般に行われているような大東流の「見栄」を切る事はない。「てがたな」を敵に対して振り上げるのは、あくまで「残心」である。これは芝居がかった見栄とは異なる。 また、「型に嵌(はま)った見栄」は目立ち易く、武門の礼法にはそぐわない。「ことごとし」甚だしい限りである。見識の無さや教養の無さが、こうした歌舞伎の見栄と見間違うような、平和惚けの国「日本」の、何処かの武道演武会で、滑稽にも繰り広げられているのである。そして応用力に乏しいから、こうした「見栄きり芝居」以外に、新たな発想が浮ばないのである。 呉々も、「飛道具の標的にされないように、ご用心を」と、追言申し上げたいのである。 倒されたり、抑えられたりした敵の反撃は、単に刃物や拳銃と行った物ばかりではない。時には砂とガラスを細かく砕いた「眼潰し」を相手に投げ付ける事もあるし、「筒飛し」と云って、「藁(わら)スボ(藁で作ったストローのようなもの)の中に、トリカブトなどを毒薬を仕込み、これを相手の眼や口の中に、隙を見て吹き付ける術も使われた」と古典にはある。 また、着物の裏に縫い合わせた小刀や、鍼(はり)もあるのである。こうした「隠し物」と云われた、隠し武器がいつを襲い掛かって来るかも知れないのである。こうした術者の隙を狙う、卑怯な武器が幾らでもある武術の世界で、芝居ががかった「見栄を切る」のは、隙をつくる原因にもなり、標的にもなるので要注意なのだ。 機転の利かない様は、また、人間の発想を乏しくする。更に、伝承と伝統の違いも、武術には克明に現れる。 伝承一辺倒は、次の時代の伝統を作り上げる事が出来ない。応用力が乏しくては、時代について行けず、臨機応変の発想の転換が出来ない。したがって伝統武術になり得る要素に欠ける。 一般に伝承と伝統は混同され易く、これを同じものと考える素人は少なくない。そもそも、この辺が見識の無さであろうが、伝承は例えば、江戸時代の形をそのままを現代に残していると言うものであるが、伝統は古いものを研究しつつ、時代に臨機応変して、次の時代に残す為にこれに改良を加えるものである。改良を加えるからこそ、それは「伝統」となりうる。 しかし骨董品の儘(まま)では、時代にそぐわなくなり、時代に取り残されるのである。 機転とは、物事に応じて、機敏に心が変化し、これが機知として働く様を云う。そしてここに人間としての「進化」の現実がある。進化を怠った人類は、次の時代の「亜人類」でしかないのだ。 5.配慮 人としての配慮や気遣いは、「心くばり」と言う面で、隙を作らぬ心構えを教える。隙を作り易い人間は、配慮や気遣いが欠けるからだ。 |