内弟子制度 34



内弟子・質問解答だより6


 
Q26. 内弟子の入門審査について質問いたしますが、入門審査には体力テスト等はあるのでしょうか。この事を詳しく教えて貰えませんか。

A26. 入門審査は、内弟子を希望する本人の人格並びに品格を議せる事を第一義としています。したがって、体力や体格の優劣を審査するテストはありません。但し、二年間の修行期間に耐えるだけの体力や、明確な目的意識と信念の度合いを貫く心意気は必要であり、内弟子希望者が目標を掲げて修行に邁進出来るか否かの、判定を口頭質問を通じて、その可能性を確かめます。

 内弟子になる為の条件は、次の通りです。

【わが流が内弟子として適当と判定する人】
1.武士道を全うし、卑怯未練の感情が激しくなく、憂国の念を持ち、現在の混沌とする不穏な社会を少しでも自浄努力して、あるべき姿に復元したいと思考する人。また、最後まで「信念」を曲げず、「至誠」をもって、真摯に最後まで「誠」を尽くす人。

2.中庸の体躯を維持し、健康に気を付け、自己管理が出来る人。また玄米を正食とする穀物菜食主義(近海物の背中の青い魚や貝類等の海産物を含む)に徹する事の出来る人。粗食小食に耐えられ、「腹八分」が徹底出来る人。

3.ある程度の標準的な体力を持ち、呼吸器障害(呼吸法を重視する為、喘息や蓄膿症のある人は不可)や肩・臂・腰・膝などに障害を持ってない人。したがって、才能や素質に関係なく、また過去に運動経験の全く無い人(武術歴・武道歴・スポーツ歴・格闘歴などのない人でも、身体に故障がなければ内弟子として好ましい)でも、上記の二項目に該当する人は、わが流が内弟子として求める人として好ましい。また、体躯の体格としては中庸であり、持続力や継続力のある人。

鈍臭くても、最後まで諦めず、コツコツ精進する努力型の人。自分を見つめ直す事の出来る人。自分の十年後、二十年後を想像出来る人。悪環境にも目下ず、信念を貫く人。

5.中距離(5?)程度のランニング等を完走出来る人。早く走れるに越した事がないが、鈍足でも諦めずに完走する信念を持った人も歓迎。

6.最低限度の人格と品格を持っている人。あるいは、食事の作法と礼儀を知っている人。

7.運営能力があり、経済感覚が正常で、他人には優しく、自分に厳しく、倹約や節約に努めることが出来る人。あるいは、これ等の先天的な要素を持っている人。

 以上、人物本位で選抜・審査します。


【内弟子として不適合な人】
1.体形・体格的には中庸(ちゅうよう)で、痩せ過ぎや肥満体の人は不適合である。適合者の体形は中庸で、体重は64kg以上75kg以下であること。大食漢や浪費家、食肉等の動蛋白信奉者は不適合であり、糖尿病や脂肪肝を患っていないこと。

2.鬱病(うつびょう)や神経症の人、その他の精神障害を持っている人は不適合である。あるいは静止していても、体が揺れたり、一点に静止することが出来ない人も同じである。性格粗暴者や精神異常者、変質者も不適合である。喫煙者ならびにアルコール依存症、あるいはパチンコ依存症等のギャンブル狂も不適当である。

3.呼吸器系や耳鼻咽喉系に障害を持っている人は不適合である。わが流は呼吸法を重要視するため、呼吸における吐納は非常に大事なものである。蓄膿症などで鼻づまりをしていて、口でしか呼吸が出来ない人、喘息の持病を持っている人は、呼吸法の間違いが生じやすく、精神障害を起こしやすい為である。また、喫煙者も不適合である。更に、食事の際の咀嚼時に、口が開いたり、ぺちゃぺちゃと音を立てて食べるような、品格のない鼻づまり人間も不適合である。ただし、弱視や難聴は体感(第三の目や第三の耳)で克服できるので問題がない。

4.過去に格闘技やスポーツ、その他の事故や怪我で、肩・肘・腰・膝を負傷し、膝や腰を痛めて「静坐」が出来ない人、肩や肘を負傷していてこの部位を動かすと痛みを感じる人は不適合である。 特にわが流は、長時間静止する「静坐」を行ったり、剣術における剣の素振りを行い、あるいは棍法である腕節棍・五尺杖・六尺棒などを修練し、更には槍術などを修練するので、肩や肘に障害のある人は不適合である。また、足の裏や足の指に水虫や魚の目等の病気を持っていて、足の病気に罹っているものも不適合。

5.性格的に頑迷で頑固、思考的に先入観や固定観念が強く、優柔不断である人は不適合である。また、「修行をする」という認識がなく、掃除・洗濯・炊事・炊飯・買い物・料理などの日常の一切を、自分から進んでやろうとしない者は不適合である。自尊心や先入観が強過ぎ、下積み生活の苦労を自分から買って出ない者は不適合である。

6.出身地においてきた妻子や、恋人が気がかりな人は不適合である。また、恋慕の思いが激しい人も不適合である。

7.多額のクレジット・ローンを抱えていたり、他人から多額の金銭を借り、あるいはサラ金などの高利の債務を抱えていて、経済的に困窮している人は不適合である。

8.礼儀知らず、恥知らずは不適合である。恥辱に対して鈍感な者は不適合である。また、姿勢の悪い者、靴の踵を引きずって歩く者、「けじめ」をつけることを知らない態度の毅然としない者は不適合である。更に、負かされたことに責任を取らず、責任回避をする者は不適合である。

9.観察眼の疎いものは不適合である。慎重さに欠け、配慮に欠け、先を読もうとする心がなく、緊張感がなく、見逃しや聞き逃しのある粗忽者(そこつもの)は不適合である。

10.暗記能力に頼り、口先ばかりで、知識と実践を分けて別々に思考するような、不言実行が伴わない者のは不適合である。また、他人の話をよく聞かない、聞き上手でない者は不適合である。 更に、文武両道の精神に欠け、技だけを学んで強くなろうと思い、思想を学ぼうとしない者は不適合である。

 以上が、内弟子として不適合な人であり、内弟子修行には一点の曇りもなく、卑怯未練な太どもなく、晴れ晴れとした気持ちと態度で臨まなければなりません。また、内弟子とは厳正な審査によって、「選ばれたエリート」であることを忘れてはなりません。
 つまり、内弟子とは「選ばれたエリート」である為、最初から統率力や指導力や運営力、更には無から有を造り出す創造力や企画力に富んだ基本的要素が必要であり、今は磨かれずにそそ儘になっているが、それを内弟子修行を通じて磨き上げていくというものでなければならず、技術的な才能や素質の有無は別にしても、既に品位を備え「エリートたる要素」が最初から備わっている人でなければ内弟子は勤まりません。
 したがって、誰にでも出来るというものではなく、リーダーシップのある、ごく限られた人になってきます。

 内弟子とは、稽古に通ってくる外の弟子とは異なり、「宗家先生にお仕えして、薪水の労をとる」と言うことが基本となるので、日常の一切のことを任され、これを日々の仕事とします。つまり武士道で掲げる「奉仕の精神」が必要になるのです。この事が分からなくなると、「内弟子」イコール「強化合宿の強化選手」と勘違いしてしまいます。そして、この勘違いは、自分の日を棚に上げて、やがて挫折に繋がる事は必定です。
 また、修行途中でアルバイトが主体になったり、病気や怪我などで帰宅日数が多くなると、「破門」あるいは永久追放の「絶縁」 を申し付けることがあるのでご注意願います。


 最後に一言申し添えますが、尚道館・陵武学舎は、強化トレーニングをする、強化選手の為の強化合宿所ではありません。また、技だけを教える、高級技法の為の教伝も行っていません。かつて松下村塾の吉田松陰が説いた「至誠」の二文字を打ちに秘め、憂国の情と、憂国を改善して行く求道者を求めているのです。
 あくまで指導の目的は、「薪水の労を取る」ことだけであり、師匠に仕えながら、人情に機微を学び、そこから物事を観察する「観察眼」を養い、自己を深く掘り下げると言う事が、その目的です。そして、その根底には「思想」と言うものが存在しているのです。

 呉々も、甘い憧れや、希望的観測を抱いて、情緒的かつ、空想的な感情に流される事なく、繰り返し本ページを熟読下さい。そしたら今まで、あなたが安易に見逃して来たものが、「ああ……、そうだったのか」と思い当たるかも知れません。
 まず、以上の目的意識を持ち、その目的は一つの信念で貫かれていなければなりません。

 さて、入門審査は次の要領で、約半日掛かりで行われます。
1.持参した書類の提出(1.履歴書(必ず手書きし、写真の添付されたもの。手書きの文字は、本人の性格を顕わすもので、字は体を顕わすという。ワープロで作成されたものは不可)。2.現在棲(す)んでいる市町村の住民票(個人のモノでよく、戸籍が記載されているもの)。3.入門願書身許保証人の捺印のあるもの)
2.口頭質問(政治・経済・軍事・武術の基礎知識)
3.「合気揚げ」による持続力の審査を30分程度。
4.食事による礼儀作法の有無。食事を挟んで箸遣いや咀嚼状態、および人格と品位を観る。
 以上を審査し、内弟子として適当であるか否かを判断します。



Q27. 内弟子を辞めて行った人たちの、辞めた原因を教えて貰えませんか。

A27. 陵武学舎を辞める原因は多々ありますが、多くは内弟子を志した人の考え違いや、指向の違いに問題があると言えます。そして、内容を充分に把握してない事や、殊に多いのは、スポーツ武道や格闘技等の強化選手を養成する強化合宿寮と勘違いして、憧れだけで押し掛けている事です。

 そして非常に残念な事は、自分で挫折しなららも、「獅子身中(しししんちゅう)の虫」に成り下がる事です。
 「獅子身中の虫」とは、獅子の身中にすんで、これの恩恵を蒙っている虫が、かえって獅子の肉を食ってこれに害毒を与える意のことで、これは仏教から出た言葉(『梵網経』より)であり、仏徒でありながら仏法に害をなす者の喩えであり、また、集団や組織では、内部にいて恩恵を享受しながら、世話になった事も忘れ、害をなす者の喩えです。

 わが流の内弟子制度の挑戦し、途中で挫折する者は、異口同音にして自分の非を棚に上げ、世話になった事を度外視して、「何も教えて貰えなかった」などと吹聴します。多くは、自分の非への認識不足であり、特に特待生と云う特別な待遇と優遇を受けながら、「獅子身中の虫」に成り下がって、不満を並べたてるのは心外の限りです。こうした類は、人間として最も恥ずべき者である事は疑う余地もありません。
 そして結末が、かくも「醜くなる」のは、まず「内弟子制度の内容」を繰り返し熟読しておらず、飛ばし読みした者に以下のような結果が顕われました。

 まず、これまでに挫折してしまった各々のタイプを分析しましたので、参考にして下さい。

挫折した者のタイプ
仮入門中ならびに修行時の生活態度
依頼・依存型
他人への依頼心が強く、自分で計画する「自己カリキュラム」も、指導者の指示を受けなければ、何一つ事を運ぶことができないタイプ。何から何まで他人の世話になり、自立更生的な思想がなく、「甘え」の側面が拭い切れず、自立心がなく、依存的な考え方しか出来なかった。受身型の人間は不適合。
理解不足・勘違い型
「薪水の労をとる」という事への理解不足、また武術と武道の違いが解らない先入観で、スポーツ武道や格闘技の強化合宿の、強化選手寮と勘違いして、ハード・トレーニングを求めて来たタイプ。筋力とスピードだけを信じ、躰を動かす事は好きだが、「陰」から「陽」に転ずる静止の動作や起勢、長時間の静坐(せいざ)が出来なかった。また、「一日な作(な)さざれば、一日喰らわず」の意味を解らなかった。
ロマンチズムへの憧れ型
夢や空想の世界に憧れ、現実を逃避し、甘い情緒や感傷を好む傾向の強かった者。古人の強者や伝説の武勇伝に対する空想が強い。また異境や異次元にユートピアを求め、現実離れした「気の世界」への信奉者。体力や肉体力を否定し、「気」で全てが動かせると思い込み、夢や空想が先行したタイプ。
アクション指向型
アクション武道映画や格闘技映画の見過ぎから、アクションだけを最優先し、思考や思想を何も持たないタイプ。派手な動きが好きで、肉体信奉者に多い。観客意識が強い為、人が見ていると張り切るが、自分一人の地道な稽古を嫌った。更に、思想的な領域は皆無。「文武」の内、殺伐とした「力の武」のみを追求。
高級技法追求型
大東流の高級技法のみを追求し、基礎稽古や基本業の修得を疎かにしたタイプ。地道な基礎固を嫌い、既に理解済みと高を括る。
また、高級技法は基礎的な低級技法から発展したと云う事を知らない者。基礎が出来てないので、先を追いかけても無駄であると云う事を気付かない。
アルバイト多忙型
内弟子修行よりは、アルバイトが優先してしまい、朝早くから夜遅くまでアルバイトが多忙で、内弟子修行を疎かにしてしまった者。わが流の内弟子のアルバイト規定の禁を犯していた。
入門前に他人から多額の借金をしていて、その返済の為にアルバイト多忙になっていた。特待生優遇措置を願い出たので、快く許可したが、朝から晩までアルバイトが多忙だった。したがって「教わる時間」などない。中には、驚く事に内縁の妻に仕送りをしていた者が居た。
体力欠如・故障型
基礎的な、走れない、長距離行軍が出来ない、登山が出来ない、素振りが出来ない、受身が出来ない、静坐が出来ない、握力がない、基礎体力がない等の体力が欠如したタイプ。また、病気を潜在させていたり、躰の各々の部位(殊に多いのは、肩・臂・腰・膝)に関節炎等の外傷障害を抱えた者。
経済的困窮型
入門する前に大ローンやサラ金の債務を抱え、その支払いに追われ、途中で修行を断念せねばならないタイプ。《貸借対照表》や《損益計算書》の読み方を知らず、衝動的な浪費人間に多い。物財に目を奪われつつ、その一方、精神的な領域や無形のものに金をかけると言う意識が薄い。
例えば馬術を習うのに、乗馬すると乗馬クラブでの料金が掛かるので、使用料を払うのを嫌い、この時は困窮を理由に、見学すると言う無態な態度だった。
恋人や妻子への未練型
未練や嫉妬心が強く、気になって後ろ髪が惹(ひ)かれ、郷里や実家をしょっちゅう往復する者。恋愛至上主義であり、かつ性格的には卑怯未練。
二頭追う者は一頭も得ず型
内弟子をしながら、大学受験や大学院受験を目指し、これを内弟子修行と併用していた者。当然そこには、無理が生じ、二頭追う者は一頭も得ずの例え通り、両方一度には成就しないものである。
優柔不断型
迷いや誘惑による事が多く、決断できず、試行錯誤を繰り返してばかりで、事を運ぶことができず、「此処は」という肝腎な時機にチャンスを逃がすタイプ。決断力の欠如から起る。
頑迷型
先入観や固定観念が激しく、過去の習性や考え方が改まらず、頑迷な固定観念から抜け出せないタイプ。繰り返し注意しても生活習慣に改善が見られない者。また、過去の栄光に浸り、経歴や知識を振り翳す者。武道経験者や格闘技経験者に多い。
鬱病並びに神経症型
隠れ肥満等の潜在的な病気を持ち、自分でもこれに気付かず、神経症を煩ったり、時には鬱状態にあって、気持ちが浮かれたり沈んだり、常時浮動しているタイプ。やがて沈鬱の迷宮に迷い込み、そこから出られなくなる。
大食漢型
多喰いの生活習慣が改まらず、また動蛋白好みで、粗食小食に徹し切れないタイプ。修行半ばに病気で躰を壊す者。そして糖尿病や高脂血症、動脈硬化や大腸癌の隠れ保菌者も少なくない。
共同某議型
親友同士や仲の良い者同士が、同じ将来を夢見て、二人同じように入門し、その後、辛い事に耐えられなくなり、二人で逃亡を計画して挫折するパターン。一人の場合は、どちらかの悪影響を被る事はないが、二人が同じような形で修行している場合は、必ず壁に突き当たると、悪い方の影響を受けて挫折する。こうした事から考えると、人間は必ず悪い方に引き摺られて、「向上の芽」を摘み取られてしまう生き物であると言う事が分かる。2の倍数は分裂もするが、また2の数をもって共同某議も図るのである。
イギリスやアメリカの法の中には「共同某議」という特殊な犯罪行為を挙げ、二人以上の者が不法な共同目的の遂行の為に合意することであると定義している。そしてこの法律は、行動に奔(はし)らなくとも、合意だけで犯罪とされると定義されている所が特徴である。
また、共同某議の中には、「共謀共同正犯」というものがあり、二人以上の者が犯罪を共謀し、そのうちの誰かが共同の意思に基づい犯罪を実行した時、実行行為に関与しなかった者を含めて、全員が正犯として処罰されるとしている。
自己未発見型
自分自身が何者なのか、深く考えず、自分に甘く、他人に厳しいタイプ。自己を掘り下げたり、あるが儘(まま)に、素直に生きれず、扮飾して、常に自分は他人より優れていると思い続ける者。気位ばかりが高い。また、自尊心や劣等感が強いばかりに、「分相応」や「身の程」と云う事を知らず、欠点や、自分の非を指摘されれば、潰れてぺちゃんこになり挫折する。
武道オタク型
情緒的な感覚が強く、武術や武道に対する憧れを持ち、古人の武勇伝に自分自身を重ね、古武術文献や古流の秘伝に注目し、あるいは古伝書や古文献を漁(あさ)り、単にポーズで武術や武道を愛好するタイプ。しかし、このタイプは、実際に自分が躰を遣って、長時間修練をするとなると、直ぐ音を上げる人間である。三度の飯より、武術や武道が好きだと豪語する人間に多い。
自分勝手・我が儘型
我が儘(まま)で、自分勝手に行動し、頼まれた事を遣らないで、頼まれない事を自分勝手にする。例えば、買物に行って目の赤いイワシを買って来て、その非を指摘されても、自分に責任はないと言い張り、あるいは整体術は自分の趣味ではないと言って、自分で整体術を覚えようともせず、また他人に整体術を施す事もなかった。好きな事、易しい事のみを好んで遣り、食べ物の好き嫌いも激しい。最後の最後まで、日々戦場が分からず、「生活の智慧(ちえ)」や「非日常での智慧」を学ぼうとしなかった。
また、指導時間を自分の都合に合わせて指定し、指導内容にも注文を付け、好きな稽古メニューだけをこない、厭(いや)なものは飛ばすと言うタイプ。


 以上が、挫折し、あるいは自分の心身に限界を感じ、辞めて行った者の分析ですが、非常に残念な事は、以上の理由によって辞めて行った殆どの者が、自分の非を棚に上げ、「後足で砂をかける」行為を働いて、わが流の門を去って行く事です。
 日頃から陰に日向に、世話になり、多くの恩恵を受けながら、それを度外視して、「何も教えて貰えなかった」と悪口や悪辣(あくらつ)な批判を吐き捨てて、辞めて行く事です。
 そして更に悪辣なのは、跡に残る後輩の内弟子に暴力を振るい、刑事事件同然の暴行を働き、後に刑事告訴されると言う、武術家とは程遠い礼儀知らずの者もいました。

 内弟子に志願する者は様々な動機で入門して来ますが、また挫折する場合も様々な、修行者としての欠落した考え方があり、挫折を齎す根源には、やはり人間の性(さが)として固執する、先入観や固定観念によって振り回されると言う場合が少なくありません。

 しかし、こうした考え方の違いや、修行者として欠落してしまった思考は、入門前には中々顕(あら)われないもので、仮入門が許されて、何週間か何ヵ月か経ち、同じ屋根の下で、同じ釜の飯を喰(く)ってみると、普段では見る事の出来ない、そうした隠れた悪辣な一面が浮上して来ます。これをわが流の指導者は、「先祖帰り」と言います。人間が、輪廻(りんね)の輪の中で、繰り返し生まれて来るのも、こうした理由によります。

 「先祖帰り」をする樣子は、普段では中々見る事が出来ません。しかし、何週間か、何ヵ月か、一緒に暮らしていると、それが浮き出て来て、無意識のうちに、今まで巧妙に自分の表皮を作っていた、作為(さくい)のボロが禿(は)げ墜(お)ち、霊的な一面が外に姿を顕(あら)わします。昨今は、霊的に言ってこうした「先祖帰り」の霊的保菌者が少なくなく、これまで真面目と思われていた人に多く見る事が出来ます。今まで温和しい、学力優秀で、性格の穩やかな人が、突然凶悪事件を起こすなどの現象は、こうした因縁から発します。
 時代が混沌(こんとん)とする中、先祖の業(ごう)を引き摺った現代人は、いま増加の一途にあります。今日の物質文明の行き詰まりや、人倫などの乱れは、こうしたことに起因しています。

 更に、挫折して行った多くに者達に共通している事は、「他人に厳しく、自分に甘い」という殻(から)を被った者達であり、そして、「過保護な母親から、充分に甘やかされて育った」と言う跡を引き摺っていました。

 また、人間的なこうした一面は、本人も気付かないうちに、潜在的な因習として抱え込んでしまったもので、挫折者の殆どは「自分の非」を気付かず、また生涯、過去の因習を引き摺って人生を終える人間だと思われます。
 そして繰り返し、輪廻(りんね)の輪に捕らえられ、再び同じ境遇を辿らされ、苦悶(くもん)の中に身を沈めて行きます。

 人間の「修行」と言うものは、まず「白紙になる」必要があります。多くの柵(しがらみ)や未練を抱えていたのでは、道を踏み外してしまい、ボタンの掛け違いが起ります。こうした愚を冒さない為にも、晴れ晴れとした無垢(むく)な気持ちで「修行一筋」に打ち込む必要があります。
 しかし、人間は成人以上の者が、生活の不規則から生活習慣病や成人病に罹(かか)ったりする事から、知らないうちに様々な精神的肉体的な病を煩(わずら)っている事が少なくありません。自分では健康を思っていても、大なり小なり、知らないうちに何等かの問題を抱えている人がいます。

 こうした、今までの世襲から解放されて、新たに発心し、自己を改善させようとすれば、当然、過去の俗習を改め、柵(しがらみ)や未練を断ち切る「特殊な術」が必要となって来ます。これをわが流では「忘術」と呼び、過去の先入観や固定観念から解放されて新たな進展に向かって修行者の再起挽回する手段を講じています。

 わが流に於いては、挫折か、継続かという分岐点に立たされた時、その明暗を分けてしまうものは過去の習慣や因習であり、これを逸早く解決し、過去の先入観や固定観念をどれほど早く断ち切るかが問題になって来るのです。過去の柵にしがみついていても、問題解決にはならないのですが、人間は精神的に弱い一面を持っていて、これらが障害となって挫折して行くのです。したがって「忘術」を身に付け、自らの歪(ひず)んだ心を矯正する事が大切となります。

 だからこそ、わが流では修行期間中、「白紙になれ」「無心になれ」「私心を捨てよ」「甘えを捨てよ」、そしてそれに徹する事が出来たら「更に自分と言うものを掘り下げて、本当の自分を発見せよ」と教えているのです。



Q27. 内弟子を辞めて行った人の内容を伺いますと、西郷派大東流の内弟子とは、確固たる覚悟と信念が必要であるということを自得させられますが、同時に、「辞める時の態度」が武道家ならぬ、人間性を疑うような分析が出されていますが、十人が十人、百人が百人、「拝師の礼」を知らず、また、「薪水の労をとる」本当の意味を知らず、自分の恥を恥とも思わず、上記に分析するような辞め方をして行ったのでしょうか。
 自分は、現在武道をしていますので、指導者の先生から、礼儀の事を教わるのですが、上記を読ませて頂くと、何となく悲しい気持ちになるのですが、態度の立派な人は一人もいなかったのでしょうか。

A27. 人が何事かに目覚め、発心(ほっしん)し、門を訪ねるというのは、それなりの覚悟があったと思料します。
 しかし、目覚めた事も、発心した事も、門を訪ねた事も、「自我」が強く、固定観念や先入観で凝り固まっていては、それを解き解(ほぐ)すまでに、かなりの時間が必要になります。年齢が高くなれば高くなる程、こうした作業は大変であり、現代人は壊れ易い心と身体をしていますので、昔の人より軟弱になっています。まず、自分自身が軟弱であると言う事を分からせる為に、かなりの時間を必要とします。

 しかし、こうした時間を「無駄な時間」と結論付ける人が少なくなく、これを省いて、技術面の「良いとこ取り」だけを目的にして、基礎の基礎を蔑(ないがし)ろにします。こうした基礎固の作業を現代人は嫌うのです。この為、砂上の楼閣の上に、自分の固定観念から出来た歪(いびつ)な技を組み立て、完成を急ごうとします。腰が浮ついていて、非常にせっかちなのです。

 日常並びに非日常に、本当にためになる実学を学ばず、ケンカか、試合に勝つ為のみのテクニックだけを追い求めて来た者達。

 指導者の言より、自分の考え方を先行させ、主体的に主観的に自分勝手に、わが流の表面だけを追いかけた者達。

 技術面ばかりを追い求め、礼儀を軽視し、「武運と言う徳」を積むと言う事を知らなかった者達。武術家は徳がなければ、武運は無いも同じです。

 そして「拝師の礼」を知らず、「薪水の労をとる」ことから逃避した者達。

 「我」が強ければ強い程、「挫折への道」を自分自身で引き寄せていたのです。こうして辞めて行った者達の態度は、決して立派なものではありませんでした。特に、経済的・金銭的な事情で、入門金を半額にしてもらったり、更に、特別に全額免除(規定外と特別優遇措置)してもらったりして入門し、月謝の額も半額にも満たず、こうして特別な計らいによって優遇を受けた者に限り、辞めて行く時の態度は、実に見苦しい者がいました。

 経験者の指摘や、改善注意に耳を傾けず、自分の考え方だけが正しく、自分の方が、より正義に近く、他は総て間違っているという考え方をする者達でした。こうした人間の深層部に隠れた姿も、入門時には中々姿を顕わさず、同じ屋根の下で、数週間か、数カ月か、同じ釜の飯を喰ってみれば、日を追うごとにその姿が明確になって来ます。そして、何よりも残念な事は、優遇されながらも、全くの感謝を感じない者達でした。
 また、辞めて行く時の態度が醜く、世話になった事への挨拶もなく、「退会届」や、仮入門時に貰った「盃の返却」【註】内弟子として入門を許されれば、奇数月の午前六時「盃之義」があり、修行を断念して去って行く場合は「盃返却之儀」がある。本ホームページ参照)ものなく、無断で出て行くその日の朝、自分で引っ越し用のレンタカーを借りて来て、無言で去って行きました。この者のは、数ある内弟子の去り方で、最低の醜態を曝(さら)した人間でした。後にも先にも初めてでした。

 しかし、中には態度の立派な人も、何人か居ました。
 正規の入門金を払い、正規の月謝を払い、一円の金も値切らず、マイペースで自分なりに努力していました。しかし、稽古中に躰を傷(いた)め、治癒(ちゆ)に進退を繰り返し、悪化から、自宅と内弟子寮の行き来をしていましたが、ついに肉体的な事情で辞めて行きました。本人は、それでも残りたい風でしたが、これ以上居ては足手纏いという事で、身を引いたのでした。好感の持てる、立派な態度であった事だけが、せめてもの吾(わ)が方に、救われた気持ちを残しました。

 あるいは、「もう少し若ければ……」という言葉を吐露(とろ)して辞めて行った人も居ました。修行を断念した事に言い訳をせず、礼儀正しく、態度が立派で、「かくありたい」という見本のような、毅然(きぜん)な態度で去っていった人も居ます。
 この人は、今まで、短い間ではあったが、世話になった事の、心からの礼を述べ、残っている者にも挨拶をし、また宗家先生やその御家族には世話になった証として、簡単な菓子箱まで買って、「立つ鳥跡を濁さず」という清々しさで、去っていった人でした。この人の去った後には、清々しさと、爽(さわ)やかさがいつ迄も残っており、心にジーンと感じるものがありました。

 人は、発心して入門する時の、「態度の立派さ」だけではなく、やはり、人生にはアクシデントはつきものですから、「去って行く態度の立派さ」も必要ではないかと思います。むしろ入門時よりは、「去って行く時の態度」の方が、高く評価されるのではないでしょうか。

 態度の立派な人、態度の醜い人というように、人様々であり、入門時の動機も様々であれば、去って行く時の理由や態度も様々です。しかし、その背後には、やはりこれ迄の関わった人間形成上での、個々の家庭の、親の躾(しつけ)が影響しているようです。「お里が知れる」というのは、その人の貧富の差による「お里」ではなく、人間性の立派さ、態度の立派さ、態度の毅然さを云っているのではないでしょうか。



Q28. 特待生は、どのように選抜されるのでしょうか。また、費用面の優遇はどうなっているのでしょうか。

A28. 特待生については、既に述べた、A26【わが流が内弟子として適当と判定する人】のいずれかの条件を充たしている人に限られます。
 また、憂国の情が厚く、科学万能主義や物質衆生主義に流される現在の世の中に警鐘を鳴らし、人間の精神的領域を取り戻そうと、崇高な思想や、自分なりの哲学を掲げている人です。侠気(きょうき)や男気の有無も、特待生に選ばれる為には重要な要素の一つです。

 更に、こうした情熱を持ちながら、現時点で経済的に多少の難点があり、かつ費用面の割引を願い出ると言う人が該当します。

特待生の種類
費用面と内容
調査の有無
半特待生
入門金全額負担。月謝の半額免除。
調査あり
一部負担特待生
入門金半額免除。月謝の三割負担。
調査あり

 特待生は原則として、家庭の事情や育った環境により、金銭的な困難者が対象となります。ただし、浪費壁からローン負債を抱えたり、サラ金負債を抱えている人はこの対象に含まれません。
 特待生を希望する人は、事前に相談し、適合者か否かの審査を受け、人格調査などもありますので、その指示を仰ぐ必要があります。

 なお、特待生になると、希望者に限り、稽古に必要な必需品やパソコン等は、陵武学舎の機材が貸与されます。
 ただし乗馬料金は、部外の乗馬クラブを特別に使用する為、割引がありません。また、修行に必要な、金銭を惜しむ心貧しき人は、内弟子になる資格がありません。