内弟子制度 36



内弟子・質問解答だより8



Q31. 西郷派大東流が他の武道や流派に比べて、非常に礼儀を重要視し、これを人生のより所にして、精進している事は決して悪い事ではないと思います。
 しかし何故、こう迄に礼儀を重んじ、物質文明最優先の世の中で、ある意味で、時代に逆行して生きて行かなければならないのか、この辺が僕のような若い世代では、今一つ、ピンときません。

 また、かつての「武家の礼法」とか、「拝師の礼」などと言うのは、旧封建時代の悪習ではなかったのでしょうか。
 「薪水の労をとる」という修行法も、追求すれば、どうも、弟子を奴隸のように扱い、酷使する感じが否めないのです。
 そして、内弟子のような修行をして、現代の科学文明の中で、いったい何n役に立つのでしょうか。

 礼儀や作法を知らなくても、この世は、多く金を稼いだ人が一番偉いし、武道や格闘技にしても、強い人間が優れていることは絶対にくつがえすことができません。現代と言う世の中が、実力主義と言うのも、絶対に正しいと思います。
 以上のような評価が下されるのですから、結局、闘うことは勝つ事が目的であり、勝てない人間が幾ら偉そうに理屈を並べ立てて、礼儀だとか、人間形成だと言っても、一人よがりの何ものでもなく、人生はそんなに甘くないと思うのですが。
(21歳、格闘技愛好家)

A31. あなたの考え方を決して否定しません。
 それはわが流の信条とする武術の世界と、他のスポーツ武道や、格闘技などの世界とは、根本的に戦闘思想が異なるからです。
 事実、相撲の力士でも、あるいはプロレスラーでも、一勝(いっしょう)も出来ない力士やレスラーに、観戦客は見向きもしませんし、弱くては人気者になる事もできません。

 それはどういう事かと申しますと、例えば相撲の世界は、土俵の上の実力が基準になっているからです。それはまた、相撲興行が観客無しでは成り立たないと言う構造になっているからです。敗けてばかりいる力士に人気が集まるはずがなく、やがては弱肉強食の理論に従って、この世界を去って行かなければなりません。これは相撲に限らず、プロレスやプロボクシング、その他の格闘技も同じ事であり、また柔道や剣道や空手などの、スポーツ化し、競技化した近代武道と言うものにも同じ事が言えます。

 そして「観客が居て成立する」という世界のものは、元々は「芸能の世界」と地続きのものであり、ここには「人気者である」と言う事だけが問題にされます。幾ら入門が早いからと言って、その力士が弱くて、観客を楽しませる事が出来なかったら、力士としての存在価値が無くなってしまいます。
 芸能の世界では、客を動員できないような者は、一生涯、陽の目の当る生活は出来ないのです。
 これが競争する事の基本的な考えになります。これを「競争原理」と言います。
 この世界では、他に負けまいとして張り合う気持ちが無くなれば、それで終わりなのです。

 競争原理は人間が生活する至る処で取り入れられ、この構図の中で、人は一生涯、生活するように強要されます。勝負や優劣を互いに競い、争う事が、人間社会の基本原則なのです。競争心を失えば、退化するのが、資本主義自由思想の掟(おきて)なのです。

 これは学業の世界でも同じです。
 現実を見れば、学校は、今や学力本位であり、何故こうした現実が展開されているのかと言えば、成績本位の考え方に則して、「学力こそ至上である」という文部科学省の意図に沿って教育が行われているからです。

 また、こうした考え方が先行しますと、多くの学校は、テスト成績と、人間としての尊厳性は無関係であると考えるようになり、テスト成績での序列だけが問題視されるようになります。
 したがって大学進学を考える、高等学校普通科や大学予備校では、こうした考え方に則って学習指導が行われ、これに序列があるとするならば、今も変わらず、東大合格率順ではないでしょうか。

 ところが武術は、そのテーマが「修行」であり、人間形成と真剣勝負での命の遣り取りの美意識を重要視しますから、当然、人としての礼儀が大きなウエイトを占めるようになります。これが殺人剣から活人剣に変わる大きな進歩だと言えます。

 武術は「修行をする」と言う中に精進の中心課題があり、弱肉競争の理論にほだされて、試合をし、それに勝って、テレビで放映されたり、スポーツ新聞に掲載されると言うものではありません。
 柔道やレスリングなど、その他のオリンピック種目になっている格闘技では、勝者はテレビで放映され、新聞にもスポーツ欄にその勝者の顔写真と名前と経歴が掲載されます。勝者は国民の人気者になり、英雄としての目が注がれます。

 しかし「修行」というものには、自己の向上を目指して行うのでありますから、テレビに放映されたり、新聞に掲載される事もありません。
 地道な稽古を積む、こうした修行には、観客アピールのガッツ・ポーズもありませんし、観客受けする下心もありません。武術の世界では、「媚(こ)びを売る」ことは卑(いや)しい事とされているからです。その精神が、「勝って奢(おご)らず」です。
 そして、「修行する」という行為は、「孤立無援」なのです。信じる者は、自分自身です。だから、真剣の打ち込み一つにしても、吾(わ)が剣をひたすら信じて打ち込んで行きます。

 それは「自己を深く掘り下げる」という事を目的にしているからです。したがって「恥じ」となるような見苦しい態度は慎(つつし)まなければならず、こうした態度から「恥辱(ちじょく)に対する感覚」が敏感になり、やがてこれが「武門の礼法」になって行ったと考えられます。
 その真髄(しんずい)こそ、「弱きを助け強きを挫(くじ)く姿」ではなかったのでしょうか。

 わが流ではこうした態度を、「毅然(きぜん)な姿」として尊びます。しかし、ここに来て古来からの「礼」が崩れてしまった観が否めなくなりました。武道の愛好者達から、「礼」が蔑ろにされ始めたからです。

 武の世界は、古来より「礼に始まり、礼に終る」と言われて来ました。また、今日に見られる武術や武道団体にも、なにがしかの自信を持って、「礼に始まり、礼に終る」と標榜(ひょうぼう)していますが、今の武道界を広く見回すと、これが一種の幻想であった事に気付かされ、興醒(きょうざ)めしてしまいます。
 礼儀正しいと自負している団体でも、その集団にしか通用しない恣意的(しいてき)な習慣の挨拶(あいさつ)であったり、単なるお辞儀を「礼」と位置付けているようです。

 そして昨今は、スポーツの立場としての格闘技や競技武道が多くなり、武の道と言うものを、「求道(ぐどう)精進の道」と考える流派は数える程になってしまいました。
 社会全体が物質至上主義と科学万能主義に流され、大人も子供も、この縮図の中に巻き込まれようとしている実情があるのです。

 そしてこうなったのは、いつの頃からかと、反芻(はんすう)しますと、それは戦後の日教組が指導した教育下の、平等教育と平和教育が標榜(ひょうぼう)されはじめた頃ではなかったかと思われます。この戦後教育の平等主義と平和主義をまともに喰らったのが、団塊の世代ではなかったのでしょうか。

 世の中が目紛(めまぐる)しく動き回り、時代は親から子へ、子から孫へ、孫から曾(ひ)孫へと流れて行く、その中で、まさに「団塊(だんかい)の世代」から「団塊の世代ジュニア」と世代交代が繰り返され、その段階ごとに、各々の異なった考え方は発生するのは、時代の常であると思います。

 日本は太平洋戦争に敗北し、終戦直後の生活はドン底の観(かん)がありました。毎日毎日、食べる事に事欠き、多くの日本人は空腹を抱えて汲々(きゅうきゅう)としていました。ところが1956年になると朝鮮動乱が勃発して、日本中は神武(じんむ)景気に湧き返ります。
 ちなみに、神武景気の謂(いわ)れは、日本はじまって以来の好景気と言う事から、この名前がつけられ、1956年から翌年にかけて、この好景気は続きます。

 また1958年から61年にかけては、高率の設備投資に導かれて、岩戸(いわと)景気という空前の好景気が派生します。これは神武景気を上回る好況という意味で名づけられた好景気です。その後、日本は高度成長の波に旨く乗り、この路線をひた走る事になります。

 昭和三十年代の高度経済成長にともない、大きな経済発展を成し遂げました。その頃、昭和二十二年から二十四年頃に生まれた子供達は、成長経済の恩恵を受けて、少年少女時代を送る事になります。この時代に生まれた子供達(baby boomer/1947〜49年にかけてのベビー・ブーム時代に生れた世代で太平洋戦争の後遺症で、「産めや殖やせや」の時代に生まれた戦後の申し児。日米共に高齢者社会を誘発する元凶とも)を「団塊の世代」と謂(い)います。日本人大衆が、物質文明の恩恵に預かった最初の時代と言ってもよいでしょう。

一時期、日本は、団塊の世代の企てた革命一色の嵐で埋まった。左から東大安田講籠城事件(S44.1.18)と、東大構内の全共闘(全学共闘会議の略称)の抗議デモ(東大医学部から始まった)


 この世代は、学生運動に明け暮れ、全共闘の時代を青年期として送り、当時の学生や労働者が、マルクス・レーニン主義に入れ揚げ、日本はこの時、赤旗の波に呑まれ、革命一色の嵐に埋まりました。こうして育った団塊の世代も、今は六十歳前後になり、孫を持つまでの年齢になりました。
 当時の若者達は、時の権力者に楯(たて)を突き、政府や政治(特に自由民主党や民主社会党)の在(あ)り方を批判し、企業や経営者を悪魔の化身(けしん)として蔑(さげす)み、社会主義の総帥であるソビエトを、親しみと尊敬を込めて、「ソ同盟」と称賛しました。

 しかし、今では社会主義や共産主義に入れ揚げる若者など多く居りません。当時のソビエトで実験的に試みられた社会主義は、単なる虚構理論であったと言う化けの皮が剥(は)がれしまったからです。
 そして当時の革命に明け暮れた若者達は、革命の火が収まると、再び学園に戻り、大学を卒業して喰う為に、大企業へ、官僚へと言う道を進み、あるいは中小企業などの資本家の許(もと)に与(くみ)されて、働かねばならない現実に妥協して行ったのです。

 それから三十有余年の月日が流れましたが、その世代も、子供が成人して就業年齢に達しました。
 団塊の世代は、大学やその他の上級学校を卒業し、既に社会人として働く子供を有し、その子供にも子が出来て、団塊の世代は孫までが出来き、その孫は幼稚園や小学校に通うと言う年齢に達しました。

 当時、資本主義や自由主義陣営の在(あ)り方を徹底的に批判して、フォークソングで反戦歌を歌っていた、団塊の世代と同じ年齢のミュージシャン達は、今は大学教授として精神科医師の世界的権威になったり、左翼革新系の弁護士になったり、各省庁の高級官僚として権力を握ったり、大企業の重役になったりしています。そして酒の一杯も入ると、当時の事を思い出して、団塊の世代ジュニアや弱年の若者に対して、昔を懐かしむような革命談義が始まります。

 彼等が異口同音にして話す革命談義は、総てが暴力的なものばかりです。
 集団で、近くに停めてあった乗用車をひっくり返し、火を点(つ)けた話、数人で警察官を袋叩きにし、重傷を負わせた話、警察等が繰り出す権力側の車輌に火焔罎(かえんびん)を投げ付けた話、大学構内で女子学生を数人で輪姦した話、教授や助教授を監禁して土下座をさせたり、暴力を振るって焼きを入れた話、リンチで仲間を暴行したり、他の左翼集団と内ゲバをした話などが、次々に、誇らしく飛び出して来ます。
 こうした話は、一見痛快な武勇伝を思わせますが、総べて暴力であり、今日の刑法に当て嵌(は)めれば、重大な犯罪(多くは殺人や殺人未遂や障害罪で重罪)になります。

 ところが、団塊の世代は、当時の若気(わかげ)の至り(年若であるため、血気にはやって思慮分別を欠くこと。また、それによって起す過失)に対しても、反省するでもなく、一種の自慢話として、当時を振り返り、中には革命の呪文(じゅもん)から解放されない進歩的文化人やシンパサイダーを気取る人も少なくありません。

 また資本家やブルジョアを嫌っていた彼等が、今では天下のNHKの解説員になったり、民放の著名なニュースキャスターになり、自らはブルジョア路線をひた走りしています。そしてこうした彼等は、当時、学生や労働者を煽(あお)り、学生や労働者向けに発行されていた若者向けの政治雑誌の編集者であり、現場の暴動やデモに参加する彼等とは一線を画しつつも、常にマスコミを通じて、若者を煽った張本人でした。

 しかしこうした張本人達も、当時はソビエトこそ、世界中でもっとも格の高い正義の国であると断定し、自由主義陣営の資本家こそ、悪の手先であると決めつけていました。ところが皮肉にも、張本人達が今日選んだ道は、階級闘争とは全く正反対のブルジョワになる道でした。ここに団塊の世代や、団塊の世代を煽った彼等は、何とも滑稽で、矛盾に充ちたパロディーと同居しています。

 そして彼等も、一様に、資本主義下の物質文明や科学文明の恩恵に預かり、ソビエトが崩壊してしまった今、誰よりも豊かに、快適に、便利に、自由主義陣営の物質的恩恵に預かっています。
 団塊の世代が子供を儲(もう)けた時は、昭和四十年代後半から五十年代初頭であり、マイカーやカラーテレビやクーラーなど、3Cの物質文明の恩恵に預かる、物財に囲まれたマイホームで、一家団欒(だんらん)を楽しむというような生活に変わっていました。

 団塊の世代である親達は、家庭内での躾(しつけ)や礼儀を重んじると言った事よりも、物質的豊かさに囲まれて、「寄らば大樹の蔭」という安全地帯での生活を子供に求めた為、幼児期から塾に通わせ、「有名小中学校に入学し、そこでいい成績を貰って、高校大学へと進み、そこでもいい成績をとり、大会社に就職して、安定した仕事を見つけなさい」というような未来展望を、我が子に強要したものでした。

 そして、まず、平均的な教育を受けさせる為に、一種独特なパターンが生まれ、子供が生まれて、学校に通いはじめる頃になると、団塊の世代の親達は、子供に、学校でいい成績をとるという事を切に願ったものでした。これが団塊の世代が招いた「受験地獄」という現実でした。

 学校でいい成績をとれば大喜びし、有名大学に合格すれば大喜びすると云った団塊の世代の親達の心境には、一種独特の優越感があり、そうした我が子を「誇らしく思う」という感情でした。
 また、大学でいい成績をとれば、大学院に進むでしょうし、あるいは最終的には安定した大企業に就職して、子供の将来は、輝かしい未来が待ち受けていると信じて疑わないものでした。

 そして大企業やキャリア官僚としての道や、医者や弁護士になって行く道が開け、親の意に沿い、こうした出世街道を進む、自慢の我が子が登場しました。
 しかし残念な事に、こうして安定した仕事に就いた我が子も、特に母親の過保護な家庭教育のせいで軟弱に育ち、あるいは粗暴に育ち、人間を観察する「観察眼」や「心の配慮」という人格形成への教育を怠った仇(あだ)が、我が子にも伝搬され、犯罪の低年齢化からも分かるように、今日のような世相不安を作り上げてしまいました。その伝搬作用は、団塊の世代から団塊の世代ジュニア、団塊の世代ジュニアから団塊の世代ジュニアの子供へと作用したのです。
 昨今の青少年の態度の悪さや、礼儀の悪さは、伝搬作用の数直線上に見て取る事が出来ます。あるいはこれが、第二次世界大戦終了後のベビーブーマーが生み出した世界的な傾向かも知れません。

 団塊の世代ジュニアは、ひとまず就職し、我が子が仕事に就くようになると、本来ならば金を稼ぐだけではなく、貯蓄をする時期なのに、何処からかのクレジット会社から、クレジットカードが届くようになりました。そして自分の給与に併せて、クレジットカードで生活する習慣が身について行きます。

 団塊の世代ジュニアの生き方は、まさにこうした時代であり、大学時代から仲間内で合コンを楽しんだり、卒業旅行に出かけてみたり、異性とデートを楽しんだり、そのうちに好きになった同士が結婚すると謂(い)った、「新人類」といわれた時代を通って来たのが、団塊の世代の、我が子の実態でした。そして将来は、バラ色の人生が暗示された希望が見隠れしていました。

 ところが団塊の世代ジュニアも、結婚し、子供が出来、小学校に通う頃になると、団塊の世代の親達の意に反した軌道を歩くようになります。
 「安定をした仕事に就く」という親達の念願は、結局、物質文明に身を委(ゆだ)ね、そこで「人生のラットレース」を企てるという程度の安っぽいものだったのです。

 団塊の世代同様、団塊の世代ジュニア達も、物質文明の歯車の一員に与(く)される仕事場へと向かう事になります。
 企業に利益を齎(もたら)す為に働き、所得税や市県民税と謂(い)う税金を払う為に働き、マイホームやマイカーのローンを銀行に返済する為に働き、一家団欒の食事を週一回郊外のレストランでし、その支払いをクレジットカードで支払う為に働き、あるいは夫婦や家族でクレジットで買物をする為に働くという皮肉な現実が横たわっていたのです。

 結局団塊の世代が、我が子に諭(さと)した「一生懸命に勉強して、いい大学に入り、いい大学から大企業に就職して、安定した職業に就きなさい」という、「寄らば大樹の蔭」という目論みは、実は人生の殆どを我武者羅(がむしゃら)に働くと言う「ラットレース」に参加させただけの事だったのです。

 革命の嵐の中で青春時代を送った団塊の世代の親達は、当時、デモと暴動に明け暮れ、戦前・戦中育ちの両親から、躾や金銭哲学について何一つ学ぼうとしませんでした。倹約や節約と云った概念も薄く、結局、彼等は日本資本主義という独特な社会構造の縮図の中で、「消費の為の消費」の渦に巻き込まれていったのです。

 こうした団塊の世代の親達も、青春時代には共産党や革命勢力の手先にされて、集会やデモやビラ貼りに酷使され、また彼等の彼岸であった階級闘争はついに実らず、今度は皮肉にも資本家に跪(ひざまづ)く現実でした。そして敵対関係であった資本家に酷使され、それによって過労死や突然死を招き、中間管理職の身分で斃(たお)れて行った、かつての名も無い革命戦士も多く居たのでした。

 また団塊の世代の経験した一つの特長は、この時代に到って、「家長制度が崩壊した」という現実でした。つまり、「父親としての権威」と「父親の坐」というものが家庭から崩壊した時でもありました。
 当時のテレビコマーシャルの流行(はや)り言葉に、「亭主元気で、留守がいい」といった主婦側の言葉まで生まれました。

 家庭内では母親の権力が絶大になり、家庭崩壊が始まったのも、この時からでした。そして母親は、我が子を益々過保護に、鈍感で不躾な人間に育て上げていったのです。そしてこういう家庭環境の中で育った当時の団塊の世代ジュニアは、今は子供を持つ親として、再び物資文明の渦の中に巻き込まれると言う、皮肉な現実を招いてしまったのです。

 こうした渦は、一種の遠心分離器的な、加速度がつく様相を呈しており、弾き出される三代目(孫)が多く目につくようになりました。昨今の犯罪の低年齢化や、現実に凶悪事件を起こす性格粗暴者や精神異常者の多くは、団塊の世代ジュニアの子供達です。

 団塊の世代の孫達は、早い年齢で、もう大学生や高校生の年齢に達し、団塊の世代ジュニアに育てられたこうした年齢層は、生まれて以来、物質文明の恩恵に預かり、消費の為の消費に、何の疑いも抱かず育った世代です。
 家庭では過保護に育てられ、金や物の方が、自分より大事と考えるような育ち方をしています。したがって精神領域の考え方は、更に軽薄となり、物質至上主義に徹し、科学万能主義に入れ揚げる事こそ、現代人として正しい生き方であると信じて違いません。こうした世の中が到来すれば、礼儀や作法は二の次となり、修行する事や精進に向かって努力すると言う意味が薄れて来ます。

 つまり、「武家の礼法」とか「拝師の礼」が、無意味なものであるという考え方に陥ってしまうのです。
 そして礼儀を重んじ、「人としての道」を踏むと言う態度より、勝つ事だけに、その真価を求めたり、強い者を英雄視する自惚(うぬぼ)れた考えが先行してしまったのです。

 昨今は、スポーツ武道やスポーツ格闘技の愛好グループを見てみますと、自分の都合のよい時間に参加するような気楽さで、スポーツ感覚でゲームを楽しむと言う意識が濃厚に現れています。また、スポーツ観戦者も、スポーツを観戦する事で、自分がサポーターとしてゲームに参加し、自分の贔屓(ひいき)選手に、激励の声援を飛ばすという事に、ストレス解消を求めるといった現象が起きています。

 これは現代の若者にとって、かつての往年(おうねん)の世代が経験し得なかった、屈託(くったく)のない、自由で、伸び伸びとした新しい武道観や格闘技観が創られているならば、それはそれで非常に良い事かも知れません。
 しかしながら、このような場合にも、目的意識は基本的には人間形成にあり、美意識を重んずると言う事がこれまでの日本武術に、古来より求められて来た、「武術を学ぶ事への目的意識」であり、ここにはやはり「礼節」と言うものと、「けじめ」というものが必要になって来ます。

 少なくとも精進を日々の修行の課題として、「日々戦場」の心掛けをもって、真正の武の道を志す武術の世界と、スポーツや芸能の世界のものとは、そこに存在する考え方や作法や、更には礼儀正しさが存在するという実情は、必然的な相違点と言えましょう。
 修行や精進の世界のものは、格闘技やスポーツのゲーム感覚とは基本的に異なり、武術修行には古来よりの伝統としての古人の智慧(ちえ)が息づき、これをベースに作法と言う、段階的なステップを踏みながら、目的意識に沿って努力して行くものです。

 またこうした意識が、師から検(み)て、弟子を選ぶ選考条件になり、弟子を志す者も、師の膝元に身を寄せて、そこで修行する事を許されたという「誇り」を抱かなければなりません。そしてこの「誇り」という背景には、その人の真価を問う、「始め」と「終り」の作法並びに礼儀がなければならないのです。
 そしてこの中で、最も難しいのは「終り」を締めくくる「けじめ」であり、「去る時の態度」の立派さが問題になってきます。

 ここで、礼儀で最も重要な事をお話しましょう。
 人生で最も難しいのは「去る時の態度」です。入門する時よりも、途中で、自分の都合や、挫折等によって、止むを得ず去らねばならない事態が発生し、この時の態度がどうあるべきかが、非常に難しく、この時の態度が第三者から厳しく評価されます。そしてこの時の態度が、立派な人は今までに殆ど居ないと言うのが実情です。実際には、百人中一人居るか居ないかという、非常に少ないものです。
 そしてこの「九十九人」対「一人」の分割率が、愚者と賢者を隔てているようにも思います。その証拠に、賢者は愚者からも学びますが、愚者は賢者から決して学ぼうとはしません。

 世の中には、「怨(うら)み節」を唸(うな)るだけの人、憎しみの感情を他人にぶつける人、自分の失敗を他人に転化する人、自分の非を顧みない人は、その殆どが、単純な批判屋に成り下がっています。その感情の鉾先(ほこ)を「己に問題はないのか」と、自分自身に向ける人は非常に少ないようです。
 実際には、その方が、はるかに人生の収穫は大きいのですが、こうした収穫を一切捨ててしまって、愚者は何処までも愚者として突き進み、己の小さな我(が)を、自分の思う感情の意地で押し通そうとします。

 ここに「人生の半端者(はんぱもの)」に成り下がって行く現実があります。
 半端者の姿を自分の武器と思い込んでしまった人は、それが錯覚であるにもかかわらず、自己満足型の思考を武器にして、錯覚したまま、充(み)たされぬ人生を、充たされぬ思いで彷徨(さまよ)う現実に、やがて遭遇します。そしてこういうレベルの人は、自分の足許(あしもと)に忍び寄る、変化の兆候も読み取る事が出来ません。

 さて、尚道館・陵武学舎には入門時の「盃之義」と、退会時の「盃返却之儀」があります。
 この中でも、最も重要なのは、入門時の儀式へ臨む態度より、止むを得ず道場を去って行く時の姿であり、「去る時の態度の在(あ)り方」を重要視しています。

 退会時の「盃返却之儀」については、既に述べておりますが、人間は「立つ鳥跡を濁さず」という形式的かつ物理的な身辺の整理も大事ですが、それよりも況(ま)して、去る時の「精神的態度」は更に重要です。この時の態度が、それ以降の、人間のレベルを決定付けます。

 多くの人間は、入門時には、ひたすら頭を下げ、入門を請(こ)います。純真で、自分の信念の強さを誇張します。これは不思議な事に、お金を借りに来た人の態度と酷似します。

 しかし入門後、何かに躓(つまず)き、挫折して辞める段になると、今度は今までとは打って変わって豹変(ひょうへん)し、これまでの内弟子生活を一切否定して、「怨み節」が始まります。これもまさに、お金を借りに来た人の態度とそっくりで、支払日が来て、返済する段になると、借りる前は「自分は返済日を必ず厳守する」と豪語していた人が、支払日に返済もせず、借金を踏み倒す輩(やから)に成り下がっているのと、どこか酷似するのです。

 そしてこうした辞め方をする人の共通点は、一年後、二年後、三年後……五年後と、時間が経つに従って、後悔するか、あるいはいつまでも感情的に逆上して、「後足で砂をかける」という辞め方をしている事です。

 尚道館・陵武学舎では、一身上の都合による依願退会の場合、「破門」や「絶縁」はありません。また、内弟子を志し、しかし、何かの都合により去らねばならない時は、「退会届」を提出し、「盃返却之儀」を執(と)り行って、入門時とは逆の儀式を行い、自分はこの門より去る事を宣言して、去って行く事を礼儀の一貫として義務付けています。

 これは、一度はわが流の門を志し、しかし、途中で一身上に、何等かの不都合が生まれ、それにより去って行くのですから、その人自身の将来を考えての「思いやり」です。
 辞めていった彼等も、また時が来て、他の流派の門を叩く事もありましょう。
 わが流では、新たな門出を出発する可能性もあるという考えに立ち、原則として、如何なる辞め方をしても、「破門」や「絶縁」にはしません。これはその人個人の将来を考えての事であり、名誉を傷つけたくないからです。

 ところが、こうしたわが流の門を去る時に、実に情けない、心の貧しい、人間として間違った辞め方をする人も決して少なくないのです。
 特に、肉体信奉派でフルコン空手の柔術版をやりたくて、強化選手を憧れて来た人は、わが流のこうした「思いやり」を軽視する人も少なくありません。自己に独特の強弱論を持ち、どこかに間違った過信のあると思われます。

 また内弟子を遣っているうちに、師からの注意事項に感情的なものが先走りし、感情的な態度を露(あらわ)にして、辞めていく人が少なくありません。そして両者に共通している事は、必ず悪口を言い、辞めた流派に、後足で砂をかけて辞めて行く事です。

 また、前者は自己過信に陥っていますから、どこの門を叩いても長続きせず、自分自身で次々に、悪因縁を重ねている自分の非に気付きません。因縁を次から次へと「成就しない方向」に引っ張り、その中に落ち込んで行きます。
 そして後者の場合は、師と感情的に対立し、師の教えに疑いをもって、何処までも否定し、「その考え方は間違っている」などと言う暴言を吐く人です。こう言う人が、その後、「後足で砂をかける」と言う態度に出るのは想像に難しくありません。

 しかし、挫折にしろ、考え方の違いにしろ、この世は「人の縁の繋(つな)がり」であります。

 宗家先生の口癖(くちぐせ)ではありませんが、辞めた後にも道場へ顔を出し、「こんにちは」と出入り出来、たまには宗家先生から、「ちょっとメシでも喰おうじゃないか」と誘われるくらいの「去り方」だけは心得ておきたいものです。これ以上の「最高の辞め方」はないでしょう。
 これが出来れば、内弟子については、一身上の都合で断念したとしても、その人間としての評価は、内弟子の修行期間を総べてクリアーした人と、同格の人間性が備わった事になります。
 少なくとも、何処かで偶然に出くわし、そこから、こそこそと逃げ出すような情けない辞め方は、人間としてやりたくないものです。

 行き掛り上から、一時の感情に逆上し、反旗を翻(ひつがえ)すような辞め方と言うのは、その時に、幾ら正論を並べ立てても、その後、自分の正論が思うように運ぶ事は先ずありません。それは自分が自称する正論だからです。自称に、道理や、人を納得させる説得力はありません。
 中途で「辞める」という行為は、まさに「機が熟していない」のですから、一般的には何事もうまくいきません。
 また、こういう者に限り、早朝や真夜中、レンタカーを借りて来て、ゴソゴソと荷造りし、一言の挨拶もなく、まるで夜逃げでもするように不作法で無礼な去り方をします。

 そしてわが流が、過去の経験の結果から断言出来る事は、わが流を以上のような辞め方で逃げて行った人間の殆どが、最終的には、自分の「人生の帳尻」をプラスに変える事の出来た人は、殆ど居ないということです。

 だからこそ、「盃返却之儀」を執(と)り行って、「後足で砂をかける」という、人間としての最低の行為を働かせないばかりでなく、「破門」や「絶縁」と言う不名誉な状態にも陥れず、その人が将来、別の門でも学べるように「けじめ」をつけさせ、退会をする儀式を執り行っているのです。

 したがって「礼儀」こそ、人間の最大の美徳であり、また、自分自身の律し方であり、多くの人の客観的な目が、その人に注がれた場合、その人の態度の評価は、「辞めて行く時の態度」に全人格が掛かっていると言っても過言ではないのです。

 わが流がこうして、礼儀を重要視するのは、「人間の態度の立派さ」に、多くの有識者の目が注がれると言う事を、声を大にして言いたいが為です。礼儀が重要なのは、始めだけではなく、武は「礼に始まり礼に終わる」と言われるのですから、腕前だけを挙げる事ばかりに目を奪われず、人間としての「態度の立派さ」にも目を向けたいものです。