登頂目録

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平成20年5月4日(日)午前6時40分頃、頂上まで10分の所で福智山を仰ぐ。

七重の滝で滝行に参加したメンバー
七重の滝(5月5日の早朝)


医事評論家
(米国イオンド大学教授 哲学博士)


●春の洗心錬成会の山行き

 平成20年5月4日、早朝、鱒淵ダム登山口より登頂を開始し、午前6時52分頃、山頂到着。この度の春の洗心錬成会の山行きテーマは、「トレッキングにより、足腰を鍛えると、高血圧症の人でも血圧が下がり、心臓強化に繋(つな)がる」ということを実証する為でもあった。

 昨今は、食生活や生活の不規則により、生活習慣病に陥り、健康を害している人が非常に多くなって来ている。また、車社会は足腰を軟弱にする現代人を多く作り出している。

 その一方で、現代という時代は二十世紀後半から、病気が病院で治らないという現実を作り出した。その背景には、現代社会に増加する活性酸素の問題、食餌法(しょくじ‐ほう)の誤りや多忙とストレスが起因する現代病の根幹をなす個々の生活習慣の過酷な現状のあり方、あるいは遺伝子的に受け継がれた体質の問題などが横たわっており、こうした要因が益々現代人を完治不可能なところまで追い込んでいる。

 そして、このような様々な不確定な要因が増加した結果、もはや現代病や成人病と云われる病根は、抗生物質で叩いたり、外科的手術により切り取ったりすれば治るというものではなくなって来ている。

 確かに現代医学は、感染症のような外から襲って来る病気は克服したように思えるが、その人自身の裡側(うちがわ)に潜む病気に対しては殆ど無力である。
 特に、ガン発症、高血圧症、糖尿病、アレルギー性疾患などの、現代人に急増しつつある病気は、みなそうした内因性の病気であり、この種の病気は肉体的な部分のみに止まらず、精神の分野にまで及び、神経症や統合失調症などがそれであり、こうした病気は殆ど根治できない状態までになって来ている。

 また現代病を根治させない背景には、多くの現代人の意識に内在する、「病気になったら、病気は病院で治してもらう」と言う、病院任せ、医者任せ、薬任せの実情があるようだ。
 しかし、こうした意識では現代病が完治できないのは明白であろう。

 病院に行く前に、医者ではなく、自分自身が毎日の環境に心配りをし、自分の躰(かだら)は自分で護る義務が、個々人に背負わされているのである。
 喩(たと)えば、これまでは水と空気は正常であって当たり前という時代が長らく続いたが、この当たり前過ぎるほどの神話は既に崩れ去り、これからはこの当たり前が個々人の健康意識と健康管理に委ねられ、これが健康体の根本支柱になっていく時代であることを忘れてはならない。

 また、栄養・運動・休息といった自己管理の許(もと)で、「規則正しい生活」「正食に戻る」という生活習慣も個々人に委ねられる時代となった。そして、かつての養生訓を根本的に見直す時代になったと言えよう。
 福知山・洗心錬成会は自己管理にあたる養生訓として、新たな健康への示唆を与えている次第である。

 下界とは一味も二味も違う、福知山山頂の新鮮な空気。下界の雑沓(ざっとう)の逃れた静寂な空間に身を委ねてこそ、新たな命が新生するのであって、自然の則した生活環境を大事にすることこそ、人の健康体を得る根源なのである。

福知山山頂で(平成20年5月4日・午前7時頃)

山頂に向かう途中のひと休み。
山頂からの素晴らしい展望。

 現代日本人が健康面で認識しなければならないことは、病院任せ、医者任せ、薬負かせと云う傾向を改めることである。しかし、こうした傾向は未(いま)だに根強く、病気は病院で治してもらうと言う意識から抜け出していない。
 そして多くの人は、薬剤で病気を叩く、患部を外科手術で切り取るということを未だに信じているのである。

 しかし、現実には現代西洋医学が成人病や現代病に対しては、殆ど無力であることも、また事実であり、病院任せ、医者任せ、薬任せでは解決できない現実が横たわっている。

 現代社会の物質的文化面では、様々な物質的恩恵が現代人に与えられている。その代表格が、現代の一見便利で快適で豊かな物質的環境である。これにより、人間は自然の厳しさを克服したと思い上がってしまったことである。自然を克服したと思い上がった生活環境は、実はその背後で、現代人の私たちに様々な眼に見えない悪循環を生み出しているのである。

 同時に現代人の躰(かだら)は蝕まれ、今日では、病気の要因を叩いたり切り取ったりする医療で治らない現実を作り出してしまったのである。そして、その背後には私たちが好んで行っている生活環境の中に、大きな病魔が潜んでいるのである。



●高血圧症はトレッキングによって解消できる

 高血圧症は、大循環系の血圧が慢性的に上昇する病症である。高血圧症には腎性や内分泌性など原因疾患の明らかなものと、本態性高血圧とがある。そして高血圧症は動脈硬化、心肥大、腎硬化、脳出血などを招来する病気である。

 また、血圧亢進症という、血圧が異常にかつ慢性に亢進(こうしん)する病症を伴い高血圧の症状を齎(もたら)す。血圧亢進症には大循環系にみられるものと小循環系にみられるものとある。自然食などの食事療法もせず放置すれば、命取りになりかねない病気である。そしてその元凶は慢性疾患によるものだ。

 また、高血圧状態を放っておくと、脳や心臓、腎臓や眼といった人間の一番重要な器官に傷害が起こり易くなり、命を奪われる危険が生じる。とはいえ、薬剤等の使用は感心しない。

 普通、高血圧症の治療には一般的に「血圧降下剤」が使われる。しかし、ボケの要因を誘うので、諸手を挙げて賛成することは出来ない。
 何故ならば、高血圧は血圧を下げるだけでは、その病気そのものを治したことにならないからである。症状のみを消して、病気そのものは野放しにすると言うのが、現代医学の慢性病に対する考え方で、実は高血圧を招いている体質的な偏りは殆ど改善されないからである。この末梢治療は警報器が鳴っていて、これが煩(うるさ)いからといって、警報器のスイッチを切るようなものである。

 現代医学の不得意な分野は、ガン疾患や高血圧などの、長年の生活習慣から起こる、こうした病気の分野であり、特に高血圧では、喩(たと)えば血圧降下剤を使った場合、血圧が一時的に下がったように見え、症状が軽くなる。
 しかし、この軽くなった状態を、恢復(かいふく)に向かっていると勘違いしてしまうことである。その上、この軽くなった状態は、本来の元凶であった病状そのものを悪化させてしまう。つまり、血圧だけを下げて、肝心な高血圧は全く治っていないからである。
 「血圧の低下」イコール「高血圧が治癒された」の、この図式は高血圧には当て嵌(は)まらない。

 まず、今日の間違いだらけの現代栄養学が奨励している、「肉と野菜をバランスよく」の思考を捨て、また、「一日30品目以上の副食を摂る」という訝(おか)しな論理を捨てなければならない。
 人間は、四つ足動物からタンパク質を摂らなくても、玄米、黒豆、大豆ならびにこうしたものを加えた、雑穀ご飯などの植物性タンパ質で補うことができるのである。
 有酸素運動が主体の三次元歩行する運動などに合わせ、植物性タンパク質を摂れば、血液はサラサラになっていき、高血圧は自然に治っていくものである。

 高血圧の元凶を齎(もたら)しているのは、肉や卵などの動物性タンパク食品である。これらの動蛋白食品が、血液中のコレステロールや酸類、窒素化合物を増大させ、血液の粘りを増して血圧を高くするのである。また、一日3度以上の過食も、高血圧症の病因を招き、性腺を刺激して異常性欲を起こし、老化を早め、早死にを誘発しているのである。

 昨今の小中学生などの子供が、性に対して異常な関心を示し、小学校高学年から既に異性関係を持っている実情は、総(すべ)て動蛋白摂取の元凶であり、特に、肉の常食は人間の性腺(せいせん)を異常刺激して早熟に走らせる。そして、老化を早めているという今日の社会の風潮から考えても、動蛋白摂取過剰が危険な状態を作り出しているのは明白な事実でろう。

平成20年5月4日(日)午前の福智山山頂は初夏の陽差しを受けて、実に快晴だった。ここで深く深呼吸して、新鮮な空気を胸一杯に吸い込むと、新たな命が新生するようであった。

 老化のメカニズムには、老化を促進させる種々の要因が横たわっている。また、老化と高血圧の関係が深く絡み合っている。更に、これを促進させているのが、過食や血流傷害を起こす活性酸素である。

 次に、山路を歩くなどの三次元歩行をすると、「なぜ血圧が上がるか」ということを考えて見なければならない。
 喩(たと)えば、脈拍が速いのも、呼吸が浅く速くなるのも、あるいは熱が高くなるのも、こうした現象は躰に必要であるからこそ起こるのであって、必要のないものが無意味に起こるのではない。人体の生理機能は整然として、秩序立っているからである。
 これは言い換えると、躰を悪くする為に起こる現象ではなく、よくする為に、別の箇所(かしょ)から改善法指示の為の、あるいは危険を知らせる危険信号が起こっているものと考えられる。

 それは血圧力を高くしてまで血液を循環させて、細胞に送らなければならないと云う働きが起こっているからである。したがって、血圧だけを、無理に下げようとしたのでは逆効果であり、明らかに危険信号の警報を遮断(しゃだん)するようなものである。

 喩えば、熱が出て解熱剤で熱を下げる。あるいは血圧が高いので、血圧降下剤で血圧を下げると言う、医者任せ、病院任せ、薬任せでは本当の解決策にはならないからである。
 これは丁度、家の何処かの火災報知器が出火に反応して、警報を鳴らした時、その報知器の音が煩(うるさ)いからと云って、そのスイッチを切ってしまうようなものである。解熱剤も血圧降下剤も、まさに出火を知らせる火災報知器のスイッチを切ってしまうようなものである。音が煩いからと云って、肝心な火事を処理せずに、警報器の音だけを切ってしまう行為なのである。

 高血圧症を改善しようと思うなら、むしろ薬に頼らず、少食にしたり、山路などの三次元歩行をして、最も無理なく、自然な形で、血圧は自然と正常な状態に戻っていくのである。山路を歩くことにより、有酸素運動と新陳代謝によって、躰(からだ)全体を浄化し、血液を浄化すれば、血圧は正常値に戻っていくものなのである。

 下記の表は、5月4日の山路の三次元歩行の結果から得られた血圧の関係を示したものである。なお、福智山山頂で測定した血圧値と心拍数は次の通りである。
 また、高血圧症の人を含めて、山頂での測定の結果、血圧値の最高血圧と最低血圧はそれぞれに下がっていることが確認された。

 つまり、三次元歩行のトレッキングをすれば、血圧は下がることが確認された。心拍数が高いのは、歩き詰めであり、一時的に心臓の動悸(どうき)が烈(はげ)しくなったものと思われる。したがって、心拍数は余り問題にしなくていいだろう。むしろ心拍数は速くなったのは、險(けわ)しい山路を歩いた結果の正常な生理機能の反応と考えるべきである。心拍数は平安が保たれれば、時間と共に落ち着くものである。

測 定 者
測 定 日 時
最高血圧
最低血圧
心拍数
筆 者
(60歳)
高血圧症?
大学教授
5月3日午後9時
148
105
86
5月4日午前3時・起床時
127
86
72
5月4日午前7時・山頂
112
85
108
5月4日午前11時・帰館後
133
94
87
U N
(45歳・男)
血圧正常
会社員
5月3日午後9時
141
72
78
5月4日午前3時・起床時
121
69
78
5月4日午前7時・山頂
129
74
105
5月4日午前11時・帰館後
121
81
87
K S
(40歳・男)
高血圧予備軍
プログラマー
5月3日午後9時
172
97
130
5月4日午前3時・起床時
143
79
93
5月4日午前7時・山頂
128
79
120
5月4日午前11時・帰館後
136
85
92
N T
(38歳・男)
高血圧予備軍
会社員
5月3日午後9時
177
114
84
5月4日午前3時・起床時
153
93
79
5月4日午前7時・山頂
143
81
103
5月4日午前11時・帰館後
測定せず
測定せず
測定せず
H S
(61歳・男)
高血圧症
会社員
5月3日午後9時
196
103
73
5月4日午前3時・起床時
194
100
83
5月4日午前7時・山頂
161
83
96
5月4日午前11時・帰館後
168
95
87
曽川竜磨
(21歳・男)
病歴治療歴無し
陸上自衛官
5月3日午後9時
121
55
57
5月4日午前3時・起床時
測定せず
測定せず
測定せず
5月4日午前7時・山頂
122
61
86
5月4日午前11時・帰館後
測定せず
測定せず
測定せず
曽川 彩
(22歳・女)
病歴治療歴無し
会社役員
5月3日午後9時
101
67
74
5月4日午前3時・起床時
測定せず
測定せず
測定せず
5月4日午前7時・山頂
96
61
87
5月4日午前11時・帰館後
測定せず
測定せず
測定せず
N O
(37歳・男)
血圧正常
会社員
5月3日午後9時
123
70
65
5月4日午前3時・起床時
115
68
64
5月4日午前7時・山頂
119
53
92
5月4日午前11時・帰館後
105
94
87
表内の赤い数字は日本高血圧学会のガイドラインに基づく高血圧値の危険を顕わす。

 山路を歩くなどの三次元歩行のトレッキング運動をすれば、ある意味で血圧の降下が認められたのである。特に、高血圧症や高血圧予備軍の人は、その降下が顕著に顕われたことが分かるであろう。
 ちなみに高血圧の程度を知る目安となるのは、近年の世界の主な医学会では、次のように定義されている。

高血圧治療のガイドライン(日本高血圧学会)
最高血圧(収縮期血圧)135mmHg以上
最低血圧(拡張期血圧)85mmHg以上

 高血圧症を発症させる元凶は、多くが食生活による生活習慣である。生活習慣の中には、単に塩分【註】多くの場合、ミネラルを全く含まない99.99%の塩化ナトリウムを指す)の辛いものを食べると云っただけでなく、その背景には動脈硬化が側面に鎮座し、コレステロールとか中性脂肪などの問題が絡み付いている。

 特に、記憶力の低下を齎(もたら)すボケ老人の予備軍としての高血圧症患者は、餅類や麺類の大食家であり、甘党、かつ平素は余り水を飲まない人達である。更に食通(グルメ)を気取り、美食に眼がなく、その上にステーキやとんかつ定食などの油物や動蛋白が大好物で、白米をよく食べ、卵類や、ハムやソーセージと云った肉加工食品を食べ、ハンバーガーやサンドイッチと云ったファーストフードを食べ、あるいは外食中心の食生活をして昼食期を過ごす人達である。

 あるいは餅菓子やスナック菓子を食べ、ケーキと云った白砂糖入りの食品を過食したり、タバコに絡めて【註】タバコを止めれば高血圧は好転が見られるのだが……、その決断力がない人が多い)、日本酒やビール、ウィスキーなどのアルコールをのみ続ける人は、まず動脈硬化症の予備軍と言うだけでなく、高血圧症の候補者であり、心肥大・腎硬化・脳出血などを招来する病気に悩まされ続けるだろう。更に最悪なことは、こうした人達の多くがタバコを喫煙していることである。まさに「元凶」と云わなければならない。ボケること請け合いである。
 また、運動不足がこれに輪を懸け、日頃の不摂生が確実に寿命を縮めているのである。

 しかし、喫煙者達は愚かな論理で、タバコが止められないことを自己弁護し、タバコを未だに禁煙しきれずにいるのである。意志薄弱としか言いようがない。タバコの喫煙の誘惑に負け、自らの魂を悪魔に売り渡している行為である。そして、こうした現実にも気付かないのが、喫煙に絡む高血圧症患者の実態である。

 福智山トレッキングをして、新陳代謝を旺盛にさせて体内の汚れた水を流せば、心身共に健全になって来るはずである。山頂で大きく深呼吸し、体内のガス交換をする必要がある。また、古い気を吐き出し、山頂の新鮮で澄んだ新しい気を吸い込んで、一新を図る必要がある。そうすれば血圧は、軽く20〜30は下がるはずである。
 血圧降下剤の服用よりは、まず躰(からだ)を動かす事である。險しい山路を歩くことにより、足腰が鍛えられ、三次元歩行をする有酸素運動により、特に最低血圧は自然に下がっていくものである。

 正しい三次元歩行により、有酸素運動が機能すれば、肺の中のガス交換が行われ、新鮮で清浄な空気を吸うと、喫煙者でもその後、タバコを喫煙しても決してうまくないはずである。本来、タバコを吸ってこれがうまいと感じるのは異常であって、うまくないと感じるのが、生理機能を正常な反応である。

 筆者も、よくタバコを止めるにはどうしたらよいか、訊(き)かれることがあるが、そうした質問者に対して、「それだったら、迷わず福智山のトレッキングでもして、頂上で10分程、深呼吸し、次に10分間、逆腹式呼吸【註】この呼吸法は、履く時に腹を膨らませ、吸う時に腹を凹ませる、逆丹田呼吸である。口伝があるので指導者について教授を受けなければならない)をして御覧なさい。そうすれば、その後のタバコは不味くなって、実はタバコが本当は不味いものに感じます。これは正常な反応ですから、この感覚を失わなければ、禁煙など、分けもなくやってのけられます。喫煙の常習性に騙されず、本当の正常な、無垢な感覚で、こうしたタバコの禁煙は実行しておくべきです。また、愚かしい度を越すアルコールの摂取は、せめて人生の折り返し点の50歳くらいまでには、解決しておく必要があります。そうしないと、あなたは死の瞬間、断末魔(だんまつま)の感覚に襲われ、肉と骨が引き裂かれる七転八倒する苦痛が待ち構えていますよ。現に、肺ガンで死んで行く人は、そうではありませんか。これを考えれば、不成仏は間違いありません」と教えることにしている。

 したがって、筆者は福智山トレッキングを何回か繰り返すうちに、自然にタバコは不味くなり、正常な感覚が戻ってくると考えている。それでも、タバコが止められないとなるならば、その人は臨終間際に断末魔の感覚に襲われながら、不成仏から逃れられない「辛い死後」が待っていると云うべきであろうし、本人も潜在意識の中で断末魔を望んでいるのだから、これ以上口を挟まないことにしている。

 そして人間が60の声を聞いたら、そろそろ死後の事や、霊界の事を勉強すべきだと考えている。これを勉強しなければ、人間が死生観を解決できないのである。
 その「辛い死後」の断末魔を恐れなければ、好きなだけ、幾らでも喫煙し、肛門からも煙りを出せばよいのである。しかし、不成仏は請け合いである。
 それでもいいというのなら、どうぞお好きなだけ、喫煙して「辛い死後」を経験して下さい。



●雑食から正食へ

 肉常食などの動蛋白を中心とした食生活をしている人は、仮に「玄米雑穀・菜食」などを心掛けたとしても、「正食」から懸け離れているので、カリ塩とナトロン塩の塩基バランスを崩し、単に玄米雑穀の「雑食」を生活習慣にしているだけである。
 こうした「雑食」をしている人は、玄米の効用だけを過信し過ぎ、自分では健康体と思っている人でも、血圧を厳密に測っていくと高血圧症の症状が影に潜んでいるものである。

 俗に言う、「痩せの大喰い」という人達がこれであり、こうした人は胃下垂か、胃拡張(体組織などの弛緩(しかん)で無力症など)状態にあり、その背後に高血圧症が隠れていることが少なくない。また、心臓自体も弱っている。心筋梗塞などの症状も隠れていることが少なくないようだ。
 そして、こうした人達に共通していることは、持続力がなく、險(けわ)しい山路を歩くなどの三次元歩行を殆ど経験した事の無い人達である。
 俗に、「足腰が弱っている人」とは、こうした人を指すのである。「痩せているから」という理由だけでは、健康体とは言えないのである。

飽食を根底から見直す時代に入った。「毎日が御馳走」であっては、食傷に蝕まれるばかりである。眼を欺き、彩りよく並べられた、巧妙な和食料理も、裏を返せばその背後に、病巣の元凶である欧米食が化けたものである。紛れもない「雑食」に要注意!

 日本人は「縄文」の昔から、何千年もの間、穀菜食を食体系としてきた民族である。ところが、戦後の日本人の食生活を根底から狂わせたのは、今日に広く蔓延(はびこ)る現代栄養学の訝(おか)しな食論理である。そして、この食論理によって、日本人はある一定の方向に食生活の方向が導かれ、食生活の急速な変化が、種々の奇妙な現代病や成人病を生み出したのである。

 もやは病気は病院では治らない時代に入った。病院任せ、医者任せ、薬任せの時代は完全に過ぎ去っていると言えよう。
 昨今の日常を見渡してみても、至る所に食べ物屋が立ち並び、多くの食品が山のように溢れている。しかし、そこで売られているものは、大半が有害なものばかりである。化学調味料、合成甘味料、保存料などがふんだんに使われ、それらが功名に加工されて、各種の添加物入りの食品に化けたり、インスタント食品に化けた食品群が、所狭しと並べられ、現代人を誘惑している。

 そして、食欲の誘惑に負けて安易に口にする人も少なくない。こうした人は、自分が人体実験にされている被験者の立場に全く気付いていないのである。
 チーズやバターなどの乳製品、種々の四つ足の動物の肉、外国産の果物などは、本来日本人の食体系から考えて、こうしたものを口にしたのは明治維新以降の事であった。もともと日本人の連綿と続いた食体系は、穀菜食だったのである。

 ところが、外国産の食肉を始めとして、パンなどの小麦粉製品や農作物、外国産の果実などは、日本人の体質から考えて不適当な場合が少なくないのである。その証拠に、これらが脳神経や体内の生理代謝を狂わし、ビタミンやカルシウムやミネラルの欠乏を招き、その上で、コッテリ味の焼き肉ソースなどの白砂糖入りの食品を無批判のまま食べさせられているのである。そして、多くの国民はこれに一切、批判の目を向けようとしないのである。

 更に、こうした実情にタバコとアルコールが絡み、恒常的な摂取が加わって、ガン発症、心臓病、高血圧症、動脈硬化症、脳卒中、糖尿病、肝臓病などが死亡原因の上位を占め始めたのである。

 また、戦後生まれの「団塊の世代」と謂(い)れる年齢層が、団塊の世代ジュニアに欧米食の食体系を伝達し、更には、この団塊の世代ジュニアが、自分の子供世代に胃訝しな病気を伝達させたのである。今日の子供世代に蔓延する、アトピー性皮膚炎、小児喘息、小児糖尿病、アレルギー体質、精神障害、簡単に骨折してしまう骨の脆さなどは、戦後日本に持ちこなれた現代栄養学の元凶とその悪影響が姿を著わして実態である。飽食に溺れる悪しき現実である。

 この実態の中で、根本的な栄養学の見直しをせずに、科学万能の迷信に惑わされているのである。科学万能主義は、自然を管理し、監督することで自然との調和を破壊し、自然と反目する現実を作り出してしまったのである。その皺寄せが、現代人を襲っているのである。

 多くの現代人は、極限にまで来たメカと情報の氾濫(はんらん)に溺死状態にあり、自分自身のコントルールさえ、ままならぬ状態に置かれてしまったのである。更には、生・老・病・死の問題を解決できず、ひたすら死から逃げ回っているのである。

大自然と倶に。

 ここにきて現代人は、食養法を見詰め直し、同時に大自然と倶(とも)にある正しい姿を取り戻すべきであろう。また山路を歩くことにより、有酸素運動を行って正しい呼吸法を身に付け、身体の運動機能と調整機能をフルに作動させるべきであろう。
 それが充分に働き出すと、心の自在を得て、再び生命力が新生するのである。水が綺麗で、空気も美味しく、日当たりがよく、都会の雑沓や騒音などがなく、情報量も過剰でない環境に身を置いてこそ、真の人間としての健康が得られるのである。



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