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居間の畳の上に置いた大火鉢式の「置き囲炉裏」。囲炉裏の中で燃える炭火を見ているだけで和やかな気持ちになって来る。


●囲炉裏のある生活

 囲炉裏(いろり)を構成する道具は、まず何といっても、その象徴の道具は自在鉤(じざいかぎ)でしよう。そして囲炉裏の炉(ろ)の中では、カシなどの木炭が燃え、その火の燃焼を助けるのが藁灰(わらばい)です。
 備長炭(びんちょうずみ)などの木炭を燃やす場合は、一般の灰だけの灰では直ぐに火が消えてしまい、これを完全に燃焼させることはできません。その為に、藁灰を遣うのです。
 姥目樫(うばめがし)を材料として生産した熊野産の良質の木炭は、最初は中々火が点(つ)き難いものですが、一旦火が点くとその火力と、長もちの点においてはこれに勝るものがなく、また、火の粉が飛び散ったり、煙りを出さないと言う点でも、広く用いられています。

自在鉤
自在鉤と鉄瓶

 さて今日では、家族全員で「食卓を囲んで」と言う日本の伝統が見直され、家族団欒(だんらん)や、仲間同士のコミュニケーションの場という役割が求められるようになり、いま囲炉裏が見直されるようになりました。

 昔の囲炉裏は、調理や暖房としての設備が主体だったようです。しかし今日では、精神的な豊かさを求め、また「火を見て和(なご)む」という、心の領域に囲炉裏が用いられるようになりました。つまり囲炉裏とは、「火を操る日本の文化」を包含し、そこには日本人の文化が息づいていることを顕(あら)わしています。
 ここで紹介する囲炉裏は、本来は「大火鉢(おおひばち)」と呼ばれるもので、現在では「置き囲炉裏」とか、「囲炉裏テーブル」とか、「囲炉裏座卓」などと呼ばれているものです。



●木炭の効果

 木炭の主成分は炭素であり、ごく微量のアルカリ塩を含んでいます。本来、木炭の木材としてはナラ、ブナ、カシ、クヌギなどの木材を炭化した物が主に使われていますが、近年では竹を炭化した竹炭も注目されています。

 例えば、魚などを直火で調理する場合、「炭火で焼くとおいしくなる」と言われています。これは、炭が燃焼する時に発する輻射熱ならびに赤外線の効果です。
 赤外線(近赤外線と遠赤外線)は、熱として食品に吸収されやすく、近赤外線においては食品表面に焦(こ)げ目をつくって、旨味成分を密閉する効果があります。
 また食品に与える効果として、遠赤外線の高い加熱効果により、内部から食品を暖め、タンパク質を分解します。これにより旨味成分のグルタミン酸などを生成します。

 一方、焼き物調理では、ガスの炎が水分を含むのに対し、木炭は水分を含まないため、カラッとしたパリパリ感のある焼き上が、実は食品に旨味(うまみ)を与える大きな秘訣だったのです。

囲炉裏の火で沸かす鉄瓶の世界



●炭焼きの技術

 かつて「炭焼き」は、“山人”として、一般社会からは隔絶された存在でした。彼等は深い山奥に棲(す)み、一年の大半を山中で過ごした人達でした。そして、この仕事に従事する彼等の多くは男であり、「炭焼き」は男の仕事とされると同時に、山の掟(おきて)から、女は山に近付くことさえタブーとされていました。
 つまり「炭焼き」は、神聖視された職業でした。

カシの木炭。良質の木炭ほど、火の粉が飛び散らず、静かに長く火保ちするものである。

 「女が来ると炭の出来が悪い」とか、「女を近付けて作った炭は釜が割れる」などと言って、女性は炭焼き場に近付けるものではありませんでした。
 また、炭焼きと謂(い)う生業(なりわい)は、「マタギ」や「木挽(こび)き」と同じく、独特の山言葉(やまことば)を使い、多くの「作法」や「山の掟」、更には「禁忌」を厳守し、発祥以来、独特な形で特殊化された職業でした。

 作法や山の掟、更には禁忌などと言うと、何でもかんも雁字搦(がんじがら)めにされて、形骸化された特殊性に、現代人の私たちは一見うんざりしてしまいそうですが、その一方で、現代人は現代人で、家だの土地だの、地位や名誉だのと、自ら柵(しがらみ)に雁字搦めにされ、その自由と、心の豊かさに於ては、一等も二等も、彼等の生き方のほうが上ではなかったのだろうかという懐疑の念すら浮かび上がってみます。

 本来、彼等はその生業において、生産効率も、利潤の追求も、ノルマも、何もありませんでした。決してあくせくせず、欲も気負いもなく、その日一日の、炭を焼く煙りだけを上げて、生きる人生を選択した人達でした。こうして「炭焼き」の伝統が伝えられてきたのですが、今日ではこうした事も、すっかり廃(すた)れてしまったようです。
 その意味で、現代の炭焼きは、かつての特殊化された人の集団ではありません。そこには一日のうちの多少のノルマもあり、生産者としての利潤追求もあるようです。

 では、かつての「炭焼き」達は、なぜ特殊化された人達だったのでしょうか。
 それは「木炭」という燃料が、特殊な用途にしか遣われなかったと言う実情がありました。そもそも木炭は、身分的に謂(い)って、茶の湯や高級料理に遣われたり、鍛冶師などの鉄の鍛練職人たちに遣われ、あるいは刀剣の鍔(つば)や、小道具類などの金属細工師らに遣われ、これ自体が、特殊性を帯びていました。そうした意味で、木炭は特殊な身分階層の一部が、これを遣っているに過ぎませんでした。

 ところが十六世紀に入ると、茶の湯の普及により、木炭が珍重され、当時の料理人の煮炊きにも木炭が遣われました。
 また、豪商や豪農の富裕層や、武士階級の上士の間にも広まり、暫(しばら)くこのレベルの階級で止まっていましたが、明治以降の西洋化の波の押し寄せで、火鉢(ひばち)や炬燵(こたつ)にも遣われるようになりました。

 それまでは、多くは薪(まき)を遣い、薪は雑木を適宜の大きさに切り割って乾燥させたものでした。その為、「たきぎ」や「わりき」という名称で呼ばれていたのです。この意味からしても、木炭は遥(はる)かに薪(まき)より高価であった事が窺(うかが)えます。

 では、木炭の製造する行程を追ってみましょう。

炭にする生木(なまぎ)は三週間ほど乾燥させる。この場合の木は、主に樫が遣われ、備長炭(びんちょうたん)のように高級な炭になると、姥目樫(うばめがし)が遣われる。
次に「あげ木」という作業に入る。これは原木が灰にならないように、上に細い枝木を詰める作業である。この場合、カシ、クヌギ、ナラなどの原木を3週間ほど乾燥させ、炭焼き窯(かま)の中に、隙間(すきま)なく垂直に立てる作業が行われる。垂直に立てる原木の下にも、細い枝木が敷かれる。下に敷かれた枝木を「数木」という。
原木を垂直に立てる「木組み」が終わったら、窯の入口に石を積み、泥で塞(ふさ)いで点火口を作る。泥で塞ぐ場合、炊き口だけは開けられ、「点火」の作業に入る。
点火が開始されてから、窯を暖める為に時間が掛かり、その日程は2日ほどである。この間、火を窯の中で勢いづける為に、扇風機などを用いて火力を増す風が送り込まれる。また、つきっきりで火の状態を「炭焼き師」は監視し、火力が弱くなれば、薪(たきぎ)を入れて火力を上げる。こうした状態で2日間燃やし続け、次に窯の点火口を塞いで「蒸し焼き」にする。これには炭焼き師の熟練が要求される。
2日間、燃やし続ける変化は、火入れして、一晩は黄色い煙りが猛烈な臭気を放ってもくもくと立ち上がり、やがて煙りが「白」になり、次に「青」になる。こうして最後には、青が抜けて「透明」になる。この透明の状態で、窯の中の温度は370度にも達すると言う。この状態に達した時に「蒸し焼き」にするのである。
 炭焼きの技術の確立は、火を入れて薪を燃やし続け、煙りの色を見て、最後の「蒸し焼き」にする、この過程の中に独特の技術があると言えます。

 こうした炭焼き技術の裏には、様々な確立までの言い伝えが残っています。
 昔、炭焼き師が幾ら炭を焼いても、灰になるばかりで炭ができず、そのことに悲しんでいると弘法大師が顕(あら)われて、「煙道」つまり「穴」を付けて調節する事を教えてくれたという話が残っています。この「穴」のことを「大師穴(だいしあな)」と呼ぶ地方が多いには、その為です。
「蒸し焼き」にすること1週間。自然に窯の火が冷めるのを待つ。
次に窯の入口を壊して窯出しをする。この瞬間、炭焼き師は緊張をすると言う。天候や原木の状態により、更に、火の勢いや温度などによって、微妙に変化が顕われ、何十年この仕事を遣っても、同じ炭は出来ないと言う。
緊張しつつ、窯の入口を壊すと、その中には、折り重なるように炭が出来ている。炭の粉が立ち篭(こ)める中から、数時間掛かりで炭俵に炭を詰める。
 以上が、カシ、クヌギ、ナラなどの原木から炭ができるまでの行程です。
 炭を燃やし、一家団欒での家族で、あるいは気の合った仲間同士で、囲炉裏の鍋を囲み、春を待ちつつ、冬の夜話に興じるといったコミュニケーションが、この中に存在しているのです。

 昔は火鉢(ひばち)などに炭を入れたものでした。朝、火鉢に入れた炭は夕方になっても、灰の中をほじくると、赤々と火が起こっているのを、戦後直ぐに生まれた「団塊の世代」たちは、よく見たものでした。こうした戦後生まれの団塊の世代も、自分の親達が知っていた日本の良き伝統を忘れ、あるいは精神文化までもを捨て去ろうとしています。また、古人の智慧の悉々くも、捨て去ろうとしています。

 そして、残念な事に、団塊の世代の戦後生まれの、年齢分布で一番多いこの層は、自分の親達が教えた、火の起こし方も、自分の子供の「団塊の世代ジュニア」に教えようともせず、それすらも忘れ、高齢化の波の波の中に揉(も)まれ、朽ち果てる人生を選択している人が、大部分のようです。

 また、「炭起こし」の教訓として、夏は「下」から炭を起こし、冬は「上」から起こせと、その世代たちは親から教わりました。しかし今では、こういう事を知る人は殆どいなくなりました。
 今日の便利で、豊かで、快適な物質文明の電気の日常生活が、かつての日本の良き伝統を奪い去っているようにも思えます。



●燃える炭火はストレスを解消する

 人間は火を用いる動物です。遠い古代から、人間は火と倶(とも)に暮らして来ました。この暮らしの中には、燃える火を見詰めて、心を和(なご)ませると言う生活もあったはずです。

 都会暮しのサラリーマンが、ひりひりしてストレスが溜まると言うのは、一つには都会から焚き火をする機会がなくなったからでもあります。燃える火と云うものは、何よりも思考過剰になったり不安や心配事から解放させる働きを持っています。
 火を見つめることにより、時には赦しや、諦めを実感させることもあります。

 火には、人間が躰で会得していかなければならない、時間の流れをリアルタイムで感得できるものです。その為に、人間は囲炉裏などで火を燃やし、その中で時間の流れを感じ取り、それを躰で誰から教えられるともなく会得していったのです。したがって、火と倶に過ごす時間は、ストレス解消に時間でもあったわけです。

 聖なるコスモ(大宇宙)と感応する為に、密教では護摩行(ごまぎょう)などで盛んに火を用い、その火は、天界に地上界の供物を運ぶ使者だと信じられて来ました。火には、こうした役目と働きがあり、同時に癒しの効能も持っていたのです。

炭火で焼く鮎料理。

 また囲炉裏などの火は、同時に煮炊きする調理器具の役割も果たします。特に、炭火を使っての焼き魚などの料理は、その味が格別で、食べて美味しく感じるのは炭火の持つ遠赤外線の効果です。