精神障害と霊障
金融経済と狂える社会現象
 精神科の病名の中の一つに、「心因反応」なるものがある。
 心因反応(psychogene Reaktion)とは、欲求不満や葛藤(かつとう)などの心理的あるいは精神的原因によって起る精神障害のことで、神経症および心因性精神病を含むものを言う。

 近代資本主義は金融経済を極度に発達させ、これを資本主義の社会構造に導入する事によって巨大資本が生まれる現実を作り上げた。
 一方、金融経済が大きな進展を見せると、実体経済を金融経済が縛る現実が生まれ、実体経済は金融経済の助けなしに一人歩きする事が出来なくなった。傲慢な資本家であっても、金の前には平伏すと言うのが資本主義市場経済の実体であり、金がなければ何事も始まらないのである。

 金融経済が招いた金融社会は、消費者金融・住宅金融・証券金融など、金融を主な業務とする会社を到来させ、国民の多くはこの中で「借金漬け」になって行く現実がある。
 本来、大衆は無知であった。無為の中で生きる存在であった。ところが教育機関が充実し、大衆の知的レベルが上がって行くと、そこには「知識」というものが横行しはじめた。知識の誘導され、知識によって新たな知識が生まれるようになった。そして人間の社会的共同生活の構造や機能は現代に至って、極度に様変わりした。

 ドイツの社会学者であり経済学者であるウェーバー(Max Weber/リッケルトらの影響を受け、経済行為やそれに関わる資本主義をプロテスタンティズムの中に見つけ、「理念型論」を提唱し、学界に大きな影響を与えた。1864〜1920)は、その著書『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で、経済行為や宗教現象の社会学的理論が社会的共同生活の中に、大きく関与し、これが資本主義を発達させたと論じている。そしてその中枢と為すものは、宗教現象での「契約」であり、契約のよって資本主義は発達し、同時に金融経済と言うあらたな金融市場を開き、資金の貸借取引の行われる市場までが登場するようになる。国内金融市場・国外金融市場、長期金融市場・短期金融市場などがこれである。

 しかし一方で、これらは「契約」によって履行される行為を伴う。一旦契約すれば、言葉どおりに実行し、あるいは契約通りに実行されなければならない。しかし法的には、債務者が債権の目的あるいは内容たる給付を実行することを指し、これが契約上明確になっているので、弁済と同義である威力を持ち、履行は債権の効力の面からいうのに対し、弁済は債権の消滅の面からいう法律的な膝行力を有している事が分かる。

 契約に従い、何事も順風満帆に運ばれれば問題無いのであるが、時機(とき)として躓(つまず)き、履行遅滞や履行不能が起る。履行遅滞とは、債務不履行の一類型で、履行不能の場合を除き、債務者が履行期に債務を履行しないことを言い、「債務者遅滞」とも言われる。また、履行不能とは、債務不履行の一類型で、債務者の責めに帰すべき事由によって、債務の履行が不可能となること言う。
 現代の憂鬱は、こうした履行遅滞ならびに履行不能になった場合の、債務者が二進(にっち)も三進(さっち)も行かなくなった場合に起る。ここに不安が付きまとう。
 経営者は企業の行く末を案じるようになり、倒産を恐がり、個人はローンや借金返済に頭を悩ます。見通しが立たなければ、極度な心因反応が起る。

 更に現代社会は、訴訟社会でもあるので、隣人間や人間関係の上で争うが絶えない。恐喝や暴行、殺人や傷害事件、交通事故、倒産、不倫、家庭不和、怪我や病気等は総べて、その後の不安の種となる。こうした形で、人間が追い込まれていくと最後はどうなるか。ここに心因反応から発達した、神経症や分裂病が大きな口を開けて待ち構えている。追い込まれた人間はこれに捕まり、その穴の中に落ちる。
 以上の要因で精神に障害を来たす事もある。
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