満腹中枢破壊症と味覚中枢破壊症
 いつの時代も「腹一杯食べたい」という人間の欲望は消える事がありません。こうした願望と、体型の欲望が、食拒食症という病気をつくりました。

 食拒食症とは、食事を拒む病的な状態で、主に思春期の女性に好発する神経性食思不振症(思春期やせ症)は極度の不食と高度の「痩せ(やせ)」を主な徴候とし、強い肥満に対して異常な嫌悪感を持つ病気です。精神医学(臨床医学の一分科で、異常な精神状態の診断・治療・予防を目的とする。古くは「精神病学」と呼ばれたが、第二次大戦以後、狭義の精神病のみでなく、ひろく精神の諸問題を医学的に扱う意味で精神医学という呼称が一般化した)では、こうした心理状態は、心因的背景によるとされています。
 好きなだけ食べて、「吐く」と言う行為を繰り返し、脳中枢に異常な状態を作り出し、最後は「食べる事すら罪悪の一種」であるというふうに思い込んでしまうのです。自分の躰に、少しでも肉が着くことを嫌ってしまうのです。

 また拒食症と裏返しにした病気が、食過食症で、食欲が異常に亢進し、多量の食物を摂取する状態を、こう言います。
 精神医学では、まず、内分泌異常、視床下部傷害、精神・神経異常などによる摂食中枢の機能亢進が原因とされています。一般には「多食症」の名で知られ、食欲異常の状態を指します。
 喰っても、喰っても喰い足りない状態で、神霊学では「霊的異常」状態を指します。
 こうした病気を昔は「どんぶり腹」と言い、数世代前の飢餓で死んで、未だになお、現世の人間に取り憑き、その願望を満たそうとする、霊の仕業ともされています。
 もともと食欲異常は、食行動が正常でない状態を指します。無食欲・偏食・過食・多食・拒食・嗜好の異常など病理的異常状態で、多くは精神病理的背景を持ちます。

 さて、昔から「馬鹿の大喰い」という言葉があります。これを医学的に考察して見ますと、やはり「宿便」が「大喰い」によって腸内に大量に停滞し、その結果、智慧の廻らない人間になってしまうという状態が言えます。頭痛、偏頭痛、頭重と言ったフラツキ現象は、腸内の宿便が原因であり、腐敗物質から大量に発生したガスと密接な関係があります。つまり、宿便の大量保存は、当然頭も鈍り、自身の満腹中枢すらコントロールできない状態に陥るのです。

 昨今流行している、蒟蒻(こんにゃく/サトイモ科の多年生作物で、原産地はインドとされ、古く渡来して各地で栽培。雌雄異花で、高さ1mに達する。こんにゃく玉の粉末に水を加えてこね、これに石灰乳を混ぜて煮沸し固めて製した食品)をベースにした健康食品と称する食品が、若い女性を対象に市販されていますが、「腹一体食べたい」という願望を満たすための食品であることは疑いようもなく、蒟蒻という低カロリー・低栄養食品という特性を利用しただけであり、「大喰い癖」を延長しただけの愚行であるという、譏(そしり)は免れる事が出来ません。

 巷には愚行と言う外ない、間違った健康法、愚かの極みと言うべき美容法が、寔(まこと)しやかに流行しています。これらの健康法や美容法の中には、一日四回も五回も食事をさせて、滋養を必要以上に摂らせ、満腹時の150%〜200%の状態にしておいて、「痩せる」と豪語したものや、「好きなだけ食べて、思うように痩せる」というキャッチフレーズの下に、多くの女性の人気を集めている美容法すら登場しています。

 こうした健康法や美容法の裏側には、粗食・少食を実行して、これを辛抱するよりは、腹一杯食べて、その上に「痩せられる?」と言う、疑問符を残しつつの愚療法であり、これが愚であることの疑いを抱きながらも、魅了されて、ついには惹(ひ)き寄せられると言う「悪魔の囁き」があることを忘れてはなりません。
 低カロリーで、低栄養学食品の生野菜や海藻類、あるいは蒟蒻や寒天(かんてん)と言った食品を腹一杯食べて痩せたとしても、大食に悪癖が残って居る以上、美食へのリバウンド現象で、元の黙阿弥(もくあみ)に戻る危険性は十分に考えられます。
 更に注意すべき事柄は、生野菜や海藻類を毎日腹一杯食べるという愚行は、胃や腸の壁を荒し、そのこと事態で障害に悩まされるという現象は起こります。

 「好きなだけ食べて、思うように痩せる」という、この健康法や美容法は、この指導者が自分自身で、これを十年二十年という単位で実行し、生野菜と海藻類、寒天や蒟蒻、あるいは果物だけというものを毎日腹一体食べ、その長期に亙る臨床実験から得た実績結果で、世に送出したものなのでしょうか。

 私達、大東流霊的食養道研究グループは、過去において、低カロリー・低栄養学食品を毎日腹一杯食べ、いつの間にかその習慣が身についてしまい、その後、普通の食事が出来ずに悩み続け、結果的に胃腸や大腸を壊してしまい、今もこうした障害に悩み続けている著名な健康法の実践者達を知っています。
 この事から言って、一旦身に付いてしまった「大喰い癖」は中々自分の軟弱な意志ではコントロールしにくいようです。

 こうした満腹中枢に異常を与え、破壊する心的要因の病気の他に、味覚中枢を破壊する現象があります。
 既にこれまで挙げた通り、「うま味調味料」という実害を紹介しましたが、その他にも、白砂糖や糖分の分野にもこうした物が入り込み、低カロリーの砂糖や清涼飲料水が、「低カロリー」という文句を全面に打ち出し、熾烈な競争原理の中で、大衆に向けて消費を促します。

 さて、味覚器官に化学物質が刺激となって生ずる感覚は、鹹・酸・甘・苦の四種類の基礎感覚(これらを味質という)に分けられます。これらが混合・融合して、種々の味や旨みが感じられます。人間の味覚器官は、舌の味蕾(みらい)が主な味覚の受容器で、顔面神経と舌咽神経を介して、脳中枢に伝えられます。これを一般には「味感」と称しています。

 味蕾は「味覚芽(みかくが)」ともいわれ、舌粘膜の各種の乳頭内にある卵形の小体で、感覚細胞から成り、味覚を司ります。
 特に四種類の鹹・酸・甘・苦の中で、商品として成り立つ食品は「甘」の部分を司る「砂糖」であり、食品メーカーは人間の味覚芽が「甘」に一番多く反応するという結果から、「ノン・シュガー食品」を生産することを思いつきました。

 さて、砂糖は、蔗糖(サッカロース)の通称で、その分子式構造は、「C12H22O11」に代表されます。
 この物質は甘味が強く、光合成能力のある植物中に存在し、水に溶け易い白色の結晶を蔗糖と言います。
 この製造法は、サトウキビ・サトウダイコンなどから製し、甘味料としての成分を組成します。また、希酸や酵素により加水分解されて、葡萄糖(グルコース)と果糖(フルクトース)になります。

 これを組成する植物は、一般には「C4植物」と言われ、光合成による初期産物が炭素原子4個の化合物である経路をもつ植物で、種子植物の一部に限られ、一般には光合成の効率が高いという特性を持ちます。そのため、高温・乾燥に適応します。トウモロコシ・サトウキビ(砂糖蜀黍/イネ科の一年生作物。モロコシの一変種で、茎は糖分に富み、糖蜜の製造、製糖原料となる)などが、これです。

 また他にも、砂糖黍・甘蔗(さとうぎみ)があり、原産地はニュー‐ギニア、またはその周辺に生息し、最も重要な糖料作物で、熱帯各地に大規模に栽培され、日本には17世紀初めに中国から渡来、沖縄の主要農産物の一つとなりました。この茎の搾り汁から蔗糖を製します。
 他にもイネ科の植物の中には、炭素が3個の場合は、「C3植物」とというものがあり、イネ・コムギ・ダイズなどがこれに入ります。

 さて、甘味の高低は「検糖計」というもので計測されます。これは糖の濃度を測定する器械で、比重計と、偏光計で比旋光度を計測するものとがあります。この計測器を「サッカリメーター」と言います。この糖の濃度を測定する器械によって、「甘味濃度」は従来通りで、そのカロリー値が低いという食品が開発され、「シュガー・レス」時代を作ったと言えます。
 ところが、この食品自体も、細胞機能に直接働き、機能を鈍らせることは明白であり、白砂糖同様、細胞内のミネラル成分を排泄するように作用し、疲労しやすい体質をつくってしまいます。

 そして最も危険なことは、これが砂糖黍などから作られた、黒砂糖(まだ精製してない茶褐色の砂糖。甘蔗汁をしぼって鍋で煮詰めたもの)ではなく、漂白後の白砂糖からその組成を真似て作り出された、天然の成分を化学的に用いて処理した甘味料であるということを忘れてはなりません。蔗糖・水飴・葡萄糖・果糖・麦芽糖・乳糖・サッカリンなどもこの種類のものになります。

 さて昨今、一般的な常識になりつつある食の考え方に、「朝食をしっかり摂る」という現代栄養学並びに現代医学の考え方があります。
 この理由は、その日一日の活動エネルギーは、朝食を摂る事によって、それがエネルギー源になると言うことなのです。
 また、こうした源は午前中朝食をしっかり摂ることによって、脳の活動が高まるからとしています。脳の活動を高めるためには「糖質」が必要であり、糖質は肉体エネルギー源の中心であるとしています。

 この糖質源は白米の糖質を指し、明治時代の日本陸軍は、朝から一食二合の白米を食べていたから糖質が脳に吸収され、判断力が増して、日清戦争、日露戦争に勝てたのだという、感心できない因果関係に結び付けています。喩え、この、朝食をしっかり摂ることで戦争に勝てたという説をとるにしても、また当時の日本陸軍の兵卒を苦しめた病気に脚気があり、その原因は白米でした。
 白米の糖質分を摂取し、糖分を摂り、肉体エネルギーに変換するという考え方は、今では完全に否定されています。

 またこうした考えは、「疲れた時には、糖分を摂ると疲れが癒える」という考え方と同じであり、糖分が疲れを取るのに、何の因果関係もないのに、また一方で脳を活動させるためには糖分が必要であるとする「朝食糖分説」は、前後を刺し違えて、どこか矛盾していないでしょうか。
 一日の活動エネルギーは、朝食を摂ることによって発生するのではなく、異化作用と同化作用を考えれば、今日の一日のエネルギーは、既に昨日食べた夕食によりつくられているのです。
 昨今は、過食に趨らせる社会風潮があることを警戒しなければなりません。
戻る次へ