夫婦アルカリ論 3
敗北者とならない為に守護霊の加護を願う

 水野南北
(幕末の食養道の推奨者)は、守護霊の加護という項で「守護霊とは何か」ということを挙げている。

 広大な宇宙の中で、人間は決して一人ぼっちではない。自分の行動を見守り、人生においてある種の生き方を示唆してくれる、目に見えない守り神がいる。これが守護霊である。
 いわばこの守護霊は、まさに自分にとっては、かけがえのない身元保証人とでも言うべき有り難い存在なのだ。

 守護霊は霊的体質でない限り、見たり交信したりすることはできないが、しかし、目に見えない糸でしっかりと結ばれており、心を平静に保てば、時として感受性を豊かにして、宇宙の高次元のエネルギーと直結されることがあり、インスピレーションの感応する条件を整えさせてくれることすらある。

 人はその時に潜在意識を最大幅に増幅させることができ、偉大な発明や発見をすることがある。歴史的に、人々に数々の貢献を齎した偉大な発明家や発見家および芸術家は、守護霊に導かれて人類に寄与することが多い。

 では、守護霊とは、一体どんな霊であろうか。
守護霊は守護神の使わした霊界からの使者であり、自分より七代から十代前の先祖であるといわれている。

 この先祖は、死後自らの修業と努力によって少しずつ格を高め、やがて幽界から霊幽界に至り、最後は霊界に入る。この霊界より、顕界に生きる私たちに対して、霊的援助を行うのが守護霊の役目である。
 但し、これは一方的に霊界から霊的援助を行うのではなく、顕界を生きる人間側が霊性を持たない限り、守護霊から発する霊的援助は届かないことになる。

 また、命令的に霊的援助をお願いしても、心が曇っていたり、心が何かにかき乱されている場合は、これらの援助は人間側に届かない。届かないばかりか、下手をすると、悪霊の憑衣を受けて犯罪を犯したり、健康を害したりすることがあるのだ。そうならない為には先ず、人間側が謙虚な心を持ち霊性を拓
(ひら)き、それを高めていかなければならない。

 即ち、それを授
(さず)かるような態度を人間側が作らなければならないということである。霊的な準備が整って、初めて守護霊からの霊的援助が受けられるというわけである。これが霊的真理というものである。

 往々にして凡夫
(ぼんぷ)と言われる者は、霊魂のことを口にしながらも、その霊の存在を信じず、唯物的煩悩に煽られて、欲や奢(おご)り高ぶることが多く、あるいは現実逃避の無意味で不摂生な生活を行って、人間本来の謙虚な心を失っている場合が多い。
 大食漢や守銭奴と言われる者は、昨今において益々後を絶たず、煩悩
(ぼんのう)という雑音や騒音で乱されている場合が多いのである。このように乱れた音を耳にして、真理の声など聞こえる筈(はず)があるまい。

 「真理の風は聞く耳を持つ者に吹く」という諺
(ことわざ)通り、煩悩で心がかき乱され奢り高ぶる傲慢な心では真理の囁きなど聞き取れる筈がない。心を平静に保ち霊的な通路を常に確保しておくことが守護霊から守護してもらう唯一の要因である。

 それにより生命の原動力のパイプはより一層大きくなり、守護霊からの霊的エネルギーを感応する条件が満たされるのである。この霊的エネルギーこそ守護霊からの援助であり、一般にはインスピレーションといわれるもので、生命の根源である創造力を旺盛にするものである。

  発明発見家、芸術家などはこの守護霊に守られて、霊覚的に成功をおさめる場合が多いのである。感受性を豊かにして、霊性を豊かにすることは、インスピレーションを開発することであり、これが人間に与えられた守護霊からの唯一の贈り物なのである。



●欧米人ではない日本人がパン食をすると身・家・国を弱くする

 石塚左玄の警告は、日本人の食生活が欧米化する危険性だった。
 それは欧米人のパン食が日本人には、不向きであることを指摘したことだった。パンの原料となる小麦は、大麦より遥かにカリ塩の多い食品で、これを粉砕してフスマを取り除き、無機成分である、硬化成分を減らし、上等品にしたものだった。そこで幾分か甘味が増し、これを一般素人は、食パンなどの西洋主食を、消化・吸収が非常に良い食品と思ってしまうらしい。
パンは永久の食養には向かない。

酸化作用が急速な日本の気候では、パンは万人の共通食とならない。

 栄養家の中には、パン食に優位性を誇張して宣伝する人が居る。また、パン食は、熱性病者に必要なカリ塩を補給すると言う点では、米食や麦食よりも優れていることを指摘する人が居る。しかし、これは一時的な薬のようなものであって、日本のような、古来より米食を行って来た国の国民は、決して長期に亘って永久の食養にするべきではない。

 何故ならば、食パンとなる原料の小麦は、身体を養う効力において、陰陽の両方の特性を持った粳米
(うるちまい)には到底及ばず、陰多陽少の大麦に比べても劣るものである。これを米と批准して考えれば、大麦は粳米に当たり、小麦は糯米(もちごめ)に当たる。

 比較すればこれだけ違っていて、一部の栄養家の間では、パン食は米食に比べて米や麦以上に身体を養う力があるかのように宣伝している。
 日本は地理的に見ても気候的に見てもヨーロッパのイギリス・フランス・ドイツ・イタリア・ロシアなどの諸国よりも酸化作用が大きい国である。
 また、アイスランド・デンマーク・ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの北欧とも異なる。日本の天候は和暖である。食に関しては、必ずしも万国共通ではないのである。気候風土を無視して、西洋食を行うと、目に見えない処で不幸が待っているし、当然そこには子孫に及ぶよ器せにアクシデントも起ろう。

 食養道では、穀類を穀と雑穀に分類する。米を正穀とし、小麦や大麦などを雑穀と考えるのである。特に小麦は、収穫が米に比べると少なく、栄養価においても、価格においても粳米や大麦に及ぶものではない。
 更に小麦は、大麦よりもカリ塩が2倍3分、玄米よりも5倍4分多い為に、小麦の食パンで食養した人は、日本人の場合、身の締まりに米食者に比べて劣り、軽く、軟化状態で、身長に於ては高くなるが、顔面は小さく、体力面は弱く、体質は悪いものである。

 要するに、パン食で食養をすると、西洋人のように長身にはなるが、日本人の場合はこうした長身も、晩年になって異常が出て来るものである。まず、体質が悪い為に日本のような気候風土では骨の病気や神経系の病気になり易く、また、ガン発症の確率も大きくなる。
 これはヨーロッパの涼冷な国より、湿気が多く、腐敗速度が日本の方が急速であるからだ。



●「おもゆ」は玄米から作るべし

 重病人の食事に「おもゆ」なるものがある。
 「おもゆ」とは、「重なる湯」という意味である。
 一般に「おもゆ」と云えば、煎じた後の飯粒は、煎じ出した滓
(かす)のようなもので、病人には必要無いと思われがちである。しかし、これは白米の場合であって、白米に米汁は、単に液体の沈殿物である。

 「おもゆ」の作り方は、まず、玄米をホウロクなどの容器に入れて、よく炒め、「炒り米」にすることである。香ばしい臭いがするまで炒め、こげる寸前で水を足していく。水の量は、玄米の8倍であり、20分ほどよく煮立てる。こうして出来上がったのが「おもゆ」であり、玄米スープとも云う。

 玄米をこうした状態にして、食すると本当の滋養にもなり、消化吸収もよく、病人の熱も下げ、吐き気をとめる力があり、元気と体力を恢復
(かいふく)させる事が出来る。

 『本草備要
(ほんぞうびよう)』の粳米(うるちまい)の項目を見ると、「粳米の煮汁は熱を醒(さ)まし、咽喉(のど)の渇(わか)きを止める」とある。また、「身体によく行き渡ることは、他のものより優れている」とある。

 更に『傷寒論
(しょうかんろん)【註】古医書。後漢の張機(字は仲景)著。晋の王叔和補修。全10巻。急性の熱病の治療法を記す。古来、漢方医の聖典とされる)には、「お粥(かゆ)は、体を養って薬の力を助けるものである。このごろ、ともすると病人に穀物を与えないで、いきなり薬を与えるので、その為に胃が敗れて死んでしまう例は甚だ多い」とあり、病人に穀物の粥を勧めることを述べている。

 かつて日本では、山国で交通の不便なところで雑食をして居る人は、一度、命に関わるような大病をした時、まず玄米粥を作ってそれを飲ませ、それで助からなければ、天命だと思って寿命が尽きたものだと考えていた。

 玄米には、寒病も熱病も共に中和し、その上で、熱を解き、解毒すると言う特効性がある。このように玄米に特効性はかなり古くから注目されていた。
 桓武天皇
(かんむてんのう)の詔勅(しょうちょく)にも「帝民を養うには、よき穀物を本とする」とある。この時、米以外の雑穀や野菜類は末(すえ)のものであり、邪味である魚肉類は、更に末であり、獣肉となると、またその末と看做されていた。
 したがって、玄米はフスマを取り除かない、籾殻
(もみがら)を除いただけのものが良いとされた。

 しかし、昨今では玄米の効力を精白することで台無しにし、真っ白な飯米を、本当の米だと思っている。また、この真っ白な飯米を粒糊飯に湯水を注いで煎じとったものを「おもゆ」と思い込んでいる人が多い。こうした飯米で煎じた湯は、もともと効果が無いばかりか、これを与えると、かえって熱が高くなって異常に発熱したり、吐き気を止めるどころか、逆に激しくさせて、病人を衰弱させるものである。

 これは純然たる澱粉質ばかりを、片栗の湯のような、米汁を与えたからであり、こうした場合、これまで以上に容態が悪化する。それは玄米と云う穀物が持つ、有効な特性を剥ぎ取った精白米を与えたからである。

玄米スープ

 本当の「おもゆ」は、活力挽回の大効力が秘められている。しかし、玄米から作る「おもゆ」の真髄を知らず、薬だけを与えると、『傷寒論』の著者・張仲景(ちょうちゅうけい)が指摘するように、「胃が敗れて、過って死ぬ」のであろう。

 病人用の「おもゆ」を作る場合は、まず玄米を「炒り米」にする。香ばしい香が出るまで、ホウロクの上で炒り、その後、鍋に移して水を入れ、20分程度、中火で煮込むのである。この煮汁が本当の「おもゆ」であり、また「玄米スープ」と云われるものである。
 この時に、「炒る」理由は、玄米に含まれている中身の成分を早く抽出する為である。

 玄米100%の「おもゆ」が食べ難い場合は、白米を少々混ぜ合わせて作った粥でもよい。
 但し、病人が結核のような陰性病である場合は、食塩でなく、醤油か味噌を加えて作り、チフスのような陽性病には、白米も食塩も入れず、玄米だけの「おもゆ」を飲食すれば効果があると言う。
 これは玄米自体が、
「夫婦アルカリ」のバランスのとれた食品であるからだ。

詳細はDaitouryu.net【大東流霊的食養道-石塚左玄と日本の食体系】をご覧下さい。

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