大東流霊的食養道で言う、天地から許された食べ物
雑穀類が、人間の歯形を率直に現し、米、麦以外の穀類に、豆(小豆・大豆・黒豆など)、蕎麦(そば)、胡麻、落花生などがある。

 天地から許された食べ物は、人間の性(さが)より遠い、穀類と野菜類と、周辺の海から採れる海藻類のみです。そしてこれからも、人間に最も適した食べ物は、穀類と野菜類と海藻類のみです。
 したがって天地から許された以外の食べ物(四ツ足などの肉や乳製品、鶏肉や卵、鯨や大型の高級魚など)を食べると、それ自体で宇宙の玄理や、秩序から反することになり、病気や怪我や争い事が起こります。これを総じて不幸現象といいます。

 特に“四ツ足”などの哺乳類は、同じ水冷式の哺乳類である人間の性さが/相とも。もって生れた性質や宿命)と同じ感情を持ち、屠殺される時に、己の肉を食べる人間に恨みの念を残します。したがって仏教でも動物への殺生禁断(五戒のうちの不殺生戒)を設け、これを禁止していますが、既に日本では邪馬台国の頃から、神に通じる回路(霊的感受性を高める)を開くためには食肉をしてはならないという考えがありました。これが「遠くて近いものの食」という思想で、これを「身土不二」と言いました。

 牛や豚や羊や山羊(やぎ)などの四ツ足動物は極めて人間の性に近いものです。同じ感覚と感情を持っています。彼等は屠殺の前日になると、自分が殺されることを悟り、大粒の涙をこぼします。そして自分を食べる人間に対して「恨みの念」を残します。
 逆に穀物や野菜や海藻などは植物性なので、人間の性より遠くなり、こうした感情は動物に比べて極小値に近いものになります。
 だから「遠くて近いもの」を食べるという思想が生まれ、これが身土不二へと発展しました。

 人間の肉体は自分の生まれた土地、あるいは棲んでいる住環境と密接な関係を持ちます。その土地の風習、風土、環境、磁場などの影響を受けて生きています。したがって人間はこうした棲んでいる土地の条件下で様々な影響を受け、いわばこれが渾然一体となっています。これが大自然という大きな生命体の中で呼吸し、霊気を受け、人体を養いながら、人生を修行の場として人間道を全うしているのです。

 自分の棲んでいる土地を霊的な見方で探究すれば、その土地の土産神(うぶすな‐の‐かみ)の気(霊気や磁場)を頂くことにより、自分の気を養うことになります。これが人は、「土から生まれた」という所以であり、人は土から生まれて、土に戻るという順環の中で生きているのです。その土地の風土や環境の中から育まれた農作物を食べ、己の魂を養っているのですから、人はまさしく「土が肉体化した」と言えましょう。

 この事から、世界の人民は、それぞれの国や地域において、民族としての風土や環境や習慣においてそれに順応し、自分達の生まれた土地の食べ物の栄養分と、土地特有の特異な霊気を受け、それを食べるような、大自然生命体の仕組になっているのです。

 しかし近代は、十六世紀の大航海時代を幕開けに、地球を行き来する交通機関が発達を極め、地球間の距離が非常に近いものになってしまいました。またこれ等の発達により、「旬のもの」という感覚が薄れ、食べ物に季節感がなくなってしまいました。他国の食べ物が容易に手に入り、乳製品を食する人の食べ物が、農耕民族に食べられたり、また、夏食する物を冬に食したり、海辺に棲む人が山間地の食べ物を食べたりして、風土や習慣に狂いが生じ始めました。

 もともと、慎ましく、正しい食物を食すればよかったものを、地域を越え、国境を越えて、その国では本来必要でなかった食べ物を食べ始めたのが、争い事の始まりになり、金持の一民族が何もかも独占してしまうという現実の中に、混沌とした世情・世界が出現したのです。
 今日の混沌とした社会情勢は、こうした民族の風習や風土を越えた、濁りある食べ物を人間が口にし、血液を汚し、霊的神性を低くして、災いの種を蒔き散らしているからです。そして日本人の飽食や美食主義は、当然責められるべきです。

 もともと人間にとっての必要な栄養バランスは、穀物や野菜や海藻のみで十分に摂取できるようになっており、これ以外のものを食する必要は全く無いのです。
 人間が健康体を維持し、栄養補給をしていく上で、その栄養素は総て穀類や野菜類や海藻類の中に含まれており、蛋白質、澱粉、ビタミン群、ミネラル、鉄分、アミノ酸、脂肪などは植物性食品で賄うことが出来ます。

 一方、食肉類においては蛋白質や脂肪は非常に多いものの、逆に植物性に含まれる栄養素は殆ど抜け落ちています。
 植物性食品のみを食べていると、栄養不足になる、としたのは現代栄養学の妄想であり、科学的根拠がありません。

 植物性食品の優れた面を食肉類に比較すると、喩(たと)えば大豆は食肉類よりも良質の蛋白質を多く含み、古来より「畑の肉」(この肉の意味は、人体のものと同じものを指す)と称されてきました。
 また現代人は、カルシウムを摂取しようとして牛乳を多く飲みますが、牛乳内の含有カルシウム量は思ったほど多くなく、カルシウム量を多く含むのは遥かに海藻類の方が優れていますし、それに準ずるものに貝類や、背中の青い小魚類が上げられます。
 そして海藻類の中では、ヒジキが牛乳の12倍以上もカルシウム含有量が多いことが栄養学では確認されています。

カルシウムが豊富な「ひじき煮」には、多くの栄養素が含まれている。

 更に穀類の一つである玄米を上げれば、玄米の中には良質の澱粉質を多く含有し、更にはビタミン群が含まれ、それに準ずるものとして、ミネラル、鉄分、アミノ酸、脂肪も含まれています。このように植物性のみの摂取で総ての栄養素は賄(まかな)えるのです。

 しかしこうした現実の中にありながらも、現代栄養学は植物性食品の中にビタミンB12のみは植物性食品の中には含まれていないことを厳しく指摘し、これを以て「栄養不足になる」と豪語しています。その理由は、ビタミンB12という栄養素は卵やレバーなどの動物性食品のみが含有している栄養素だからです。
 ところが、こうしたビタミンB12は、発酵食品である味噌や納豆の中にも、そして海藻類の中にも含まれていて、敢えて卵やレバーなどの動物性食品を摂る必要はないのです。

 以上述べたことを整理すると、植物性食品は栄養学的見地から見ても、動物性食品に比べて格段に優れていることは一目瞭然であり、その上に言霊の、濁りのない、清らかな、正しい発声が可能であるということが上げられます。
 そして大事なことは、食生活を、「毎日がご馳走」から通常の日常食である「粗食」に戻すべきなのです。

 粗食とは、古来より日本人が食べてきた「日常食」のことです。
 この日常食とは、私たちが考えてしまう「和食」とも異なります。今日で言う和食とは、和食の名を騙(かた)った欧米食であり、肉や乳製品、あるいは油脂類がふんだんに使われています。こうしたご飯付きの欧米食を、和食として考えてしまうのですが、実際は「ご飯付きの欧米食」です。
 そして眼で視て分かるように、「ご馳走」であることは疑う余地もありません。毎日がご馳走では、栄養過多あるいは動蛋白過多で健康を害してしまうことは言うまでもありません。

 今こそ「日常食の大事」を考え直す時です。
 食事には、「ハレ」の食事と、「ケ」の食事があり、「ハレ」の日と言うのは祝い事等の晴れがましい時の食事です。つまり、特別な日の「ご馳走」と言うことになります。

 一方、「ケ」の食事と言うのは、毎日食べる「日常食」のことです。つまりこれが粗食を現しているのです。
 スキ焼きを食べる。あるいは、タイやヒラメなどの刺身を食べ、ふぐ刺しを食べて、それに舌鼓を討つ等は「ハレ」の日の食事であり、こうした食事は毎日行うものではありません。
 ところが美食に走り、誰もが食通を気取ってくると、食卓もいつもまにが晴れがましくなり、毎日が「ご馳走」の様相を呈してきます。これがまた、日本人を美食に走らせ、飽食に走らせていると言えます。近年の日本人の食生活は、毎日がご馳走の食生活をするようになっています。

 食生活が「ハレ」となり、飽食に走るようになると、様々な成人病への危険が危惧(きぐ)されます。
 健康を守り、それを維持していく食事は、毎日がご馳走の中にあるのでなく、日常食の「粗食」の中にあるのです。
 また「食養道」の基本は、粗食の中にあります。そして食養道を通じて、中庸(ちゅうよう)を維持し、職に偏りをつけないことです。

 今日では、食肉を初めとする動蛋白食品は食べるべきではないと言う声が上がっている一方、これに対して玄米菜食のみを押し通す考え方がありますが、これらは極端な偏見がある種の偏りとなって、主義主張に固執している観があります。

 これでは「身土不二」の思想から言っても正しくなく、中庸を維持しているとは言い難いものがあります。
 問題は、日本の気候風土にあったものを、食すると言うのが大事であって、あくまでも日本の自然条件に則した農業や漁業に、食生活の基本を委ねることが大事です。

 何を食べたら美味しいかと言うことではなく、いつの時期に何が採れ、その「旬の味とは何か」ということを知ることが大事です。
 今日は、いつでも一年中、どの季節の物も売られて時代ですが、時期違いの食品を食べるのではなく、日本の気候風土から収穫された物を出来るだけだべるように心掛けたいものです。

 本来料理の献立と言うのは、組み合わせによって成立するものであり、単品で昨日は肉料理、今日は魚料理、明日は野菜料理と献立を決めて、それに変化をつけるものではありません。

 食養道では、玄米雑穀ご飯を主食にし、副食として味噌汁、漬け物を基本とし、それに小魚介、貝類、海草類、野菜(青物といわれるもので、葉茎菜・果菜・根菜・花菜に大別される食品)、また芋類、豆類などの、陸と海から収穫された食材を献立として、普段の「日常食」を実践することなのです。

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