●志友会報・解説
『志友会報』と題したこの月間紙は平成二年より始まった、習志野綱武館道場の『道場通信』が発展したもので、当時は道場内部生のみによって購読されていた月間紙 (A4版片面)であったが、綱武館を指導していた現宗家・曽川和翁先生は、やがて 愛知県豊橋市の講習会門人(八光流柔術皆伝師範・松永猛氏)に請われ神武館で指導することに なり、豊橋市での指導に合わせて、今までの道場通信を『志友会報』と改めたことに 由来する。
それでもこの会報は白黒で、B4版に少々大きくなった程度で、掲載面は以前とし て片面であり、読者が増えるに従い、紙面の大きさはA3に拡大され、白黒両面紙と して発行され続け、これを機に本紙の裏面には宗家ご自身の体験に基づいて書かれた、 小説『旅の衣』前編が連載されるようになった。
この小説『旅の衣』は前編と後編に別れ、読むうちに次第に物語の内側へと曳きず られる不思議な面白さがある。宗家の青春時代の約一年半ほどの出来事が綴られたも のであるが、これが単に作り話でないので、リアルさがあり、迫力がある。
さて表面が、これは「合気之術」から始まって現在は「合氣語録」へと移り、これ も宗家ご自身が体験した体験記に基づいて「合気とは何か」ということを説明してい る。この意味から、武術・武道経験者は必見の書といえよう。
そして宗家は、常々武術と武道の違いを繰り返し述べている。
武術とは「術」であるという。この術は「秘術」を指し、厳重に秘密を保つことを 秘術と定義している。したがってこの術は見せない、公に公開しない、教えない、研 究させないというのが秘術であり、秘密が秘密でなくなれば大衆の知れ渡るところと なり、直ぐに研究されて返し業(わざ)が編み出されるのだという。最早こうなってし まえば、術は素人にも敗れる事になるのである。
そして「術」は、そもそもは「人殺之術」であり、これを殺す方に遣(つか)えば「殺法」 となり、生かす方に遣えば「活法」となる。活殺自在なるものが「術」であると説く のである。 秘密は人に知られないから秘密としての価値があり、知られれば、秘密は秘密でな くなるのである。そして秘密は、「切り札」としての役割も兼ねる。
「切り札」は、それを遣わなければ、いつまでも「切り札」として持っておく事が 出来る。一度でも遣ってしまえばそれっ切りであるが、遣わずに取って置けば、「切 り札」は「切り札」としていつ迄も存在し続ける。
さて一方、武道である。武道は、明治維新以降、「道」の思想が取り込まれ、これ までの柔術は「柔道」と改められ、これに習って剣術も「剣道」と改められた。そし てそれ以降、両者は底辺の裾野のを広げるために大衆化路線を直走ることになる。つまり「道」を名付けられた武道は、競技化への道だったのです。
この武術と名の付くものを大衆化するためには、まず危険な業や、複雑な、長年の 修行を要する技法を排除して、誰にでも理解できる、単純で、直線的で、簡単化され たものでなければならない。また、勝ち負けを明確にするためにルールを設け、その ルールに則って試合進行が運ばれ、観戦者を飽きさせないために時間制限を行い、試 合場も平面で線引きが成され、その中で行うという試合展開が起こる。
そしてルール に則って、闘った後、勝った者を英雄と崇める為来(しきた)りになっている。こうした 試合に出場する選手は、試合で有利な研究ばかりを行い、直線的で、力と力のぶつか り合いが行われるので、西洋スポーツのように俗に言う「筋トレ」が必要になり、パ ワーとスピードの養成が急務となる。こうした考え方は、益々武道をオリジナルな武 術から遠ざけ、西洋スポーツに移行する外形を整えて行った。
こうした面が、武術と武道の違いの濃厚にさせ、今日の武道は、古来の武術を模倣 した西洋スポーツの練習法にその原点を需め、力と力の争いのスポーツ武道が展開さ れているのである。
だが、こうしたものは「術」の要素を失い、秘密が秘密でなくなって「切り札」と しての特異性をも失っているのである。
西郷派大東流は、流祖西郷頼母依頼の術の集積を「合気」と呼ぶ。合気は力に対し て「無効」にする威力がある。これを西郷派大東流では「力貫」と言っている。
志友会報には、こうした武術的理論を挙げ、これを宗家の監修の許に掲載している のが、この会報紙である。
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