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●天地から許された食べ物

 天地から許された食べ物は、人間の性(さが)より遠い、穀類と野菜類と、周辺の海から採れる海藻類のみです。そしてこれからも、人間に最も適した食べ物は、穀類と野菜類と海藻類のみです。
 したがって、天地から許された以外の食べ物(四ツ足などの肉や乳製品、鶏肉や卵、鯨や大型の高級魚など)を食べると、それ自体で宇宙の玄理や、秩序から反することになり、病気や怪我や争い事が起こります。これを総じて不幸現象と言います。

 特に、四ツ足等の哺乳類は、同じ水冷式の哺乳類である人間の性(さが/相とも。もって生れた性質や宿命)と同じ感情を持ち、屠殺される時に、己の肉を食べる人間に恨みの念を残します。したがって仏教でも動物への殺生禁断(五戒のうちの不殺生戒)を設け、これを禁止していますが、既に日本では邪馬台国の頃から、神に通じる回路(霊的感受性を高める)を開く為には食肉をしてはならないという考えがありました。これが「遠くて近いものの食」という思想で、これを「身土不二」(しんどふじ)と言いました。

 牛や豚や羊や山羊(やぎ)等の四ツ足動物は、胎生構造を持ち、極めて人間の性に近いものです。同じ感覚と感情を持っています。彼等は屠殺(とさつ)の前日になると、自分が殺されることを悟り、大粒の涙をこぼします。そして、自分を殺し、食べる人間に対して「恨みの念」を残します。
 逆に、穀物や野菜や海藻等は植物性なので、人間の性より遠くなり、こうした感情は動物に比べて極小値に近いものになります。
 だから「遠くて近いもの」を食べるという思想が生まれ、これが身土不二へと発展しました。

 人間の肉体は、自分の生まれた土地、あるいは棲(す)んでいる住環境と密接な関係を持ちます。その土地の風習、風土、環境、磁場等の影響を受けて生きています。したがって人間は、自分の棲(す)んでいる土地の条件下で様々な影響を受け、いわばこれが渾然一体(こんぜんいったい)となっています。これが大自然という大きな生命体の中で呼吸し、霊気を受け、人体を養いながら、人生を修行の場として人間道を全うしているのです。

 自分の棲んでいる土地を霊的な見方で探究すれば、その土地の土産神(うぶすなのかみ)の気(霊気や磁場)を頂くことにより、自分の気を養うことになります。これが人は、「土から生まれた」という所以であり、人は土から生まれて、土に戻るという順環の中で生きているのです。その土地の風土や環境の中から育まれた農作物を食べ、己の魂を養っているのですから、人はまさしく「土が肉体化した」と言えましょう。

 この事から、世界の人民は、各々の国や地域において、民族としての風土や環境や習慣においてそれに順応し、自分達の生まれた土地の食べ物の栄養分と、土地特有の特異な霊気を受け、それを食べるような、大自然生命体の仕組になっているのです。

 しかし近代は、十六世紀の大航海時代を幕開けに、地球を行き来する交通機関が発達を極め、地球間の距離が非常に近いものになってしまいました。また、これ等の発達により、「旬(しゅん)のもの」という感覚が薄れ、食べ物に季節感がなくなってしまいました。他国の食べ物が容易に手に入り、乳製品を食する人の食べ物が、農耕民族に食べられたり、また、夏食する物を冬に食したり、海辺に棲(す)む人が山間地の食べ物を食べたりして、風土や生活習慣に狂いが生じ始めました。

 もともと、慎ましく、正しい食物を食すればよかったものを、地域を越え、国境を越えて、その国では本来必要でなかった食べ物を食べ始めたのが、争い事の始まりになり、金持ちの一民族が、何もかも独占してしまうという現実の中に、混沌(こんとん)とした現象世界が出現したのです。
 今日の混沌とした社会情勢は、こうした民族の風習や風土を越えた、濁りある食べ物を人間が口にし、血液を汚し、霊的神性を低くして、災いの種を撒(ま)き散らしているからです。そして日本人の飽食や美食主義は、当然責められるべきです。

 もともと、人間にとっての必要な栄養バランスは、穀物や野菜や海藻のみで充分に摂取できるようになっており、これ以外のものを食する必要は全く無いのです。
 人間が健康体を維持し、栄養補給をしていく上で、その栄養素は、総て穀類や野菜類や海藻類の中に含まれており、蛋白質、澱粉、ビタミン群、ミネラル、鉄分、アミノ酸、脂肪等は植物性食品で賄(まかな)うことが出来ます。

 一方、食肉類においては、蛋白質や脂肪は非常に多いものの、逆に、植物性に含まれる栄養素は殆ど抜け落ちています。植物性食品のみを食べていると、栄養不足になる、としたのは現代栄養学の妄想であり、科学的根拠がありません。

 植物性食品の優れた面を食肉類に比較すると、喩えば大豆は食肉類よりも良質の蛋白質を多く含み、古来より「畑の肉」(この肉の意味は、人体のものと同じものを指す)と称されてきました。
 また現代人は、カルシウムを摂取しようとして牛乳を多く飲みますが、牛乳内の含有カルシウム量は思ったほど多くなく、カルシウム量を多く含むのは、遥かに海藻類の方が優れていますし、それに準ずるものに貝類や小魚類が上げられます。
 そして海藻類の中では、ヒジキが牛乳の12倍以上もカルシウム含有量が多いことが、欧米の栄養学では確認されています。

 更に、穀類の一つである玄米を上げれば、玄米の中には良質の澱粉質(でんぷんしつ)を多く含有し、多くのビタミン群が含まれ、それに準ずるものとして、ミネラル、鉄分、アミノ酸、脂肪も含まれています。このように植物性のみの摂取で、総ての栄養素は賄えるのです。

 しかし、こうした現実の中にありながらも、現代栄養学は植物性食品の中にビタミンB12のみは植物性食品の中には含まれていないことを厳しく指摘し、これを以て「栄養不足になる」と豪語しています。その理由は、ビタミンB12という栄養素は、卵やレバー等の動物性食品のみが含有している栄養素だからです。
 ところが、こうしたビタミンB12は、発酵食品である味噌や納豆の中にも、そして海藻類の中にも含まれていて、敢えて卵やレバー等の動物性食品を摂る必要はないのです。

 以上述べたことを整理すると、植物性食品は栄養学的見地から見ても、動物性食品に比べて格段に優れていることは一目瞭然であり、その上に言霊の、濁りのない、清らかな、正しい発声が可能であるということが上げられます。



●穀物菜食の実践

 穀物菜食を実践すると、どのような利点があるか挙げて見ましょう。



 
穀物菜食主義で得られるもの
1. 血液が清浄に保たれ、浄血されて、抗ガン体質を造る事が出来る。
2. 血液が浄化されるから、霊的波調が密になり、神気を受ける確率が高くなる。
3. 全般的に病気に罹りにくくなる。仮に罹っても恢復(かいふく)が早い。
4. 怪我、事故、不倫、家庭不和、裁判沙汰、警察沙汰等の争い事がなくなり、不幸現象が小さくなる。
 また、こうしたものに遭遇しても、最小限に被害で止める事が出来る。
5. 大きな災難が小さくなるのであるから、災いに対する防禦・護身に無駄なエネルギーを遣わなくてよくなる。
6. 腸内から酸毒性の腐敗物質を駆逐する事が出来、躰が軽くなって、疲れにくくなる。
また、身軽になる為、腰痛、肩凝り、肘痛、膝痛等の体重が圧迫する痛病から解放される。
7. 判断力、決断力、直感力が高まり、根気と忍耐の精神力が養える。
8. 運を開く事が出来る。穀物菜食主義は後天的に末広がりの運勢を持つ。
9. 精神力と共に、度胸が出来、心が豊かになって、肚の坐った人間性ができ上がる。
10. 霊的神性が高まり、霊格が一段と増す。

 以上のように穀物菜食は科学的にも有効であり、他にも細々と挙げれば、切りがありませんが、歴史的に見ても、神霊学的に見ても、人類にとっては、非常にプラスになる面が挙げられているので、この真理は疑いようもありません。

 こうした真理を挙げながらも、中には、それでもやはり牛肉か美味しい、ローストビーフはカロリー豊富で美味、寿司の大トロは格別、仔牛(こうし)のソテーや、中国風の青葉焼牛柳(チンチョイシャオニュラオ)、その他の肉と野菜等をバターや油で炒めたり焼いたりする料理は止められないとして、穀物菜食をしても長続き出来ないのではと、はじめから諦めてしまう人がいるかも知れませんが、こうした人には敢えて穀物菜食を御勧めする気持ちは毛頭ありません。

 しかし、せめて四ツ足の肉を断ち、玄米正食に切り替えるくらいの気持ちは、心掛けてもらいたいものです。



●正しい食餌法(食事法)

さて、私達は食事の前に合掌して「いただきます」という言葉を発します。
 この「いただきます」は、食物から「命を頂いている」から「いただきます」と言うのであって、人間に代わって、その命を投げ出した食物に対しての感謝の意味を現わした言葉であることを忘れてはなりません。
 だから当然、食事をするには「正しい食べ方」と言うのがあって、少なくとも、次に挙げる三点には注意を払いたいものです。

 
正しい正食法の概念
1. 自分の棲(す)んでいる土地で採れた穀物野菜類並びに海藻類を食べる。これは身土不二の思想。

 したがって、四ツ足を間接的に食べることは、人間には許されていない。また、三白癌の元凶である食品も口にしない。添加物食品やインスタント食品も口にしない。


2. よく噛んで食べる。一口50回程度の咀嚼(そしゃく)で、咀嚼法を実践する。咀嚼法には「一二三(ひふみ)の食べ方」という食事作法がある。

 よく噛むということは、コメカミにある海綿静脈洞(かいめんじょうみゃくどう)を刺激し、脳に血液を送り込む作用を促す。そして「噛む」という作業は肥満防止にもなる。


 咀嚼回数を標準体重の人と、肥満の人とで比較すると、一回口に含むごとに標準体重の人は男性で15〜22回、女性で16〜25回。肥満の人では男女とも3〜7回と少なく、咀嚼回数の減少が肥満に繋がっている。
3. 早食い(くん呑み/本来哺乳動物は「くん呑み」出来ない口腔構造になっている。ところがやわらかい食べ物が急増したため、流動食的に「くん呑み」する早食いの悪習が出来た。果たして人間以外の哺乳動物に咀嚼の際、「くん呑み」する動物がいるだろうか)に趨(はし)らず、ゆったりとした気持ちで食べることが大事であり、食物から命を頂いた感謝の気持ちを忘れないこと。

 また、食事の際に、テレビを見ながら等という、誤った一家団欒は禁物である。咀嚼回数が減り、食べることより、見ることの方に注意が向かうからである。


4. 腹八分を心がける。

 一日三食以上の過食は禁物。排便反射を高める為に、朝食は飲物にして、一日二食が理想。これは、まず「節食」に繋がる。粗食・少食に徹しますと、消費や浪費を促す「資本主義の輪廻の輪」から抜け出す事が出来る。
 昨今は飽食の時代である。世の中は不景気であろうと、企業倒産が起ころうと、日本国民の多くは、一度味わった飽食から逃れることは出来ないようである。巷には、至る所に様々な飲食店やハンバーガーショップが軒を連ね、美食や美食擬きを庶民に提供している。そして食べ過ぎで死ぬ人はいても、食べられないで死んだ人は、居たためしがない。
 誰もが食べ過ぎで病気になり、それらの齎す難病・奇病で苦しんでいる。これは日本だけの不思議な現象と言えよう。したがって私達は、口から入る物、そして出て行く物に注意を払わなければならない。これを怠ると、不幸現象に見舞われる。また、これによって、私達は「食」が如何に大事であるか教えられる。

 戦争、交通事故、不倫、その他のトラブルや裁判沙汰、災難、難病・奇病と言ったものは、食と密接な関係があり、これが乱れ、慎みがなくなると、こうした不幸現象が現われてくる。そして、人間が食する理想的な食餌法は、一日二回の昼食と夕食のみ。朝食は食べずに飲食物を用いるのが、同化作用と異化作用から行っても理想。

 また霊的神性を高める為にも、粗食・少食の腹八分で止めることが大事であり、残りの二分は神への捧げに用い、何よりも動物性を口にせず、舌先三寸で、その美食・美味の、味覚のウソに騙されないことが肝腎である。騙されれば、四ツ足を食べ続ける結果を招き、波調を粗くして霊的神性を曇らせ、霊格を下げてしまう。霊格が下がれば、当然、見通しが悪くなり、勘が鈍り、様々な不幸現象を招き寄せる。
 不幸、不運と思っている多く人は、こうした「禁を犯している」からであり、四ツ足を食べながらも、幸福になりたい、強運を招きたいと思っても、それは空しい負け犬の遠吠えである。
 強運、開運の秘訣は、実は食事法と密接な関係があったのである。

 さて、大自然から人間に許された食物は、穀類と野菜類のみであり、日本民族は食体系を穀物菜食主義で護り抜く必要性があります。その大きな理由は、言霊を真に活用するために、一切の動物の肉を排除し、血液を濁らせてはならないからです。
 動物の肉を摂取すれば、血液は今までに述べた通り、濁り、穢れ、体内のあらゆる箇所を汚染して、霊的神性を曇らせるからです。

 霊的神性が曇れば、「見通し」の利かない状態になり、澄んだ言霊が破壊されるからです。清浄な血液の通う人体を養うには、肉食を避けることは勿論のこと、三白癌(さんぱくがん)と言われる白砂糖、塩化ナトリウムを主体とする漂白精製塩、白小麦粉で作られた白パン等も不可となります。言霊七十五清音を正しく、完全なものにする為には不可とされた食物を避け、霊的神性をより以上に向上させて、清音なる発声器官を通じて宣(の)りを上げる祝詞(のりと)や神示を三千世界に響き渡るようにしなければなりません。

 人間一人一人の行動は言霊に委(ゆだ)ねられ、動物性や三白癌が入らぬ、濁らない言霊のみが真の意力を発揮します。行動と言霊を一致させる為には、「言霊が濁っていない」ということが必要不可欠になるからです。
 しかし今日、美しい日本語は忘れ去られて遣われなくなり、横文字だけが支配する欧米文化が幅を利(き)かせています。こうしたことが、日本文化や日本精神を否定し続け、唯物弁証法に翻弄(ほんろう)された、悪しき大衆操縦だったのです。

 マルクスの社会主義・共産主義虚構理論は、実は言霊破壊に端(たん)を発していたのです。肉を食べれば血が穢(けが)れ、魂は曇り、霊的神性は低下するという医学的根拠において、この思想は背後からサポートされ、階級闘争というプロレタリア独裁という虚構理論を捏(でっ)ち上げ、前衛主義を則って、ひと握りの支配層と、その他多数の奴隷層を構築し、ひと握りが全体を自在にコントロールするという現実が社会主義国家で生まれました。

 こうして虚構理論に、ある種の済(すく)いを求めた知識階級が殺到しましたが、それは精神文化を破壊し、しいては言霊を破壊するテーゼの一環に過ぎませんでした。
 そして社会主義が崩壊した現実を見ると、この虚構理論は一種の「外圧・外流」であったことが分かります。

 もともと神から降ろされた気は、直流的に人間の心に届いていました。しかし食を乱し、外圧的思想に入れ上げ、虚構理論に信憑性を抱き、それに人民の済いがあると信じた時、その唸波は歪を生じます。その歪は横道にそれ、「外流」となります。
 外流は霊界・幽界(霊幽界)・地上界とある中の、幽界と地上界の間を流れる邪気の流れであり、食によって霊的神性を曇らせた人や、心に歪のある人、波調の粗い人、影のある人がその想念に冒され易く、ついには外流の影響に強く左右されてしまいます。

 想念は言霊を基本とした想像の作用を伴いますから、本当はもともと存在しないものですが、想念を作り出すことによって顕在化します。無き世界が具現されるのです。
 この具現は、信奉し、入れ込む人が多くなればなるほど、巨大化して、霊的組織が構築され、その信奉の範囲で物質界に実体化して現われてくるのです。
 そして、無いはずの地獄も、地獄的想念を持っていれば、また、そういう信奉者(肉食主義者で波調の粗い人)が増えれば、実際にそうした世界が現われます。

 ヨハネの「初めに言葉ありき」という、言霊を思い出して下さい。