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●玄米の効用

 現在、玄米はアメリカやヨーロッパでは、健康食に挙げられ、「ブラウン・ライス」という呼び名で持て囃(はや)されています。
 玄米は籾殻(もみがら)を除いただけで、精白してない「米」の事であり、一般には「黒米」と言われています。そして玄米を主食とする食事法を「玄米食」と言います。
 しかし日本では、この「玄米食」に関心をよせる人は決して多くありません。
 むしろ精白した白米が主流であり、口当たりのよい、食品ばかりが好んで食べられています。

 さて、玄米ですが、玄米は生きている米です。精白した白米を土に蒔いても発芽しませんが、玄米はそれ自体が生きている為、土に撒(まく)くと発芽します。
 この事から、米はその表皮部分である「フスマ」(麩/精白する時に、残る皮の屑)を取り除けば、生命力が失われてしまうという事が分かります。


 また、精白米にはビタミンB群という成分が殆ど皆無であり、これが欠乏すると脚気(かっけ)、胃腸障害、自律神経や機能障害等の病気や、種々の難病を招きます。白米とは、単に「澱粉の塊」の「粕」(かす)を言うのです。
 精白米はまさに「粕」であり、この文字からも解るように、「白米」はという字を横にすると「粕」という字になります。

 カスとは、栄養素を奪い取った後の不要物質であり、また主成分の多くが、口当たりの良い澱粉質である為、精白米は究めて味が淡泊です。その為、濃い味のソース味ベースの、焼肉等の動蛋白が食べたくなるのです。
 この欲求は、総ミネラルが玄米に比べて半減している事が原因で、こうしたミネラル分が不足しますと、慢性病体質への最大の病因となります。

 これを順に挙げますと、まず白米は繊維不足の為に、腸内や血液の大掃除をしてくれる食物繊維が大幅に少なくなっているので、腸の蠕動運動(ぜんどううんどう)を障げ、便秘を起こし易い状態を作ります。そしてこうした要因が、食肉の腐敗物質と重なりますと、腸内に排便を促す蠕動運動が弱まりますから、脚気体質になるばかりでなく、倦怠感や疲労感が現われ、その結果、肩凝りや腰痛、眩暈(めまい)、手足のむくみ等が現われます。

 では何故こうした状態を招くのでしょうか。
 それは「米」という食品には、ビタミンEが大量に含まれているのですが、その大部分は胚芽とヌカ部分に含まれています。
 ところがこれを精白して白米にしますと、これが欠落してしまうのです。つまり白米とは、確かに美食として味わい、舌触りのよさを楽しむには、程よい味覚食品であるかも知れませんが、栄養食として白米を取り上げた場合、これは「老化食品」である事が分かります。

 この老化食品の最大の欠陥は、白米を食べると、直ぐに血糖値が上がる事です。
 何故なら、白米は消化がよすぎる為、食後に血糖が急増し、インシュリン(insulin/膵臓(すいぞう)のランゲルハンス島のB細胞から分泌されるホルモンで、今日では糖尿病の治療に用いることで知られている)が膵臓から分泌されて、血糖値を抑えようとするのですが、これが繰り返し行われますと、抑止切れなくなり、やがては糖尿病を煩う事になります。
 しかし、病因はこれだけに収まりません。
 この時、動脈壁のインシュリンも緊急動員される為、動脈は非常に脆くなり、動脈硬化まで引き起こします。

 インシュリン・ホルモンは、分子量5733の小さな蛋白質で、肝臓・骨格筋・脂肪組織などに作用して、ブドウ糖やアミノ酸やカリウムの取り込みを促し、更にはグリコーゲンの合成促進や分解抑制に働きます。また脂肪や蛋白の代謝にも作用し、結果として血糖を減少させる働きがあります。
 ところがインシュリンが、三度三度の白米の摂取で常時分泌されますと、持続的な高血糖や糖尿を呈する代謝疾患が発生します。つまりこれが糖尿病の実態です。

 今日の日本では糖尿病は、ポピュラーな病気になってしまいました。
 日本人全体では、糖尿病患者数が700万人と推定され、中高年の約1.2%がこの病気にかかっていると言われます。しかしその割りには、本当の怖さは殆ど理解されていません。

 糖尿病の原因は、白米等の摂取によって、胃の裏側にある膵臓から分泌されるインシュリンの働きが不足する為です。
 このインシュリンは血液中の糖分を筋肉や肝臓に送り込み、糖分を活動エネルギーに変える働きを持つホルモンです。そしてこれが低下すると、血糖値の上昇を抑え切れなくなって、糖尿病に至ります。この結果、常に水分が不足しがちになり、「やたら喉が渇く」という症状が現われます。
 喉の渇きを覚えたら、まず糖尿病と思って間違いありません。

 糖尿病の非常に怖い事は、始めのうちには「病気」と気付かない事です。しかしこの初期の段階で、既に合併症を煩っている場合が少なくありません。
 糖尿病はインシュリンの欠乏ならびに作用阻害があり、糖や蛋白や脂質の代謝異常を伴い、口渇や多飲や多尿を呈します。

 またこれに併せて、網膜症(網膜剥離と言われる病気で、眼底の網膜色素上皮が網膜視細胞層から剥がれ、その間隙に液化した硝子体(しょうしたい)が貯留する病変。強度の近視者などに、特発性に起るほか、糖尿病患者などに続発する病気)や腎症(腎臓炎・腎臓結石・腎臓癌・腎動脈硬化・ネフローゼ・尿毒症など)や動脈硬化を併発し易い病気です。そしてこうした事に気付き、発見した時には、下肢の壊疽(えそ/腐った状態)といった致命的な疾患を頻発させます。

 糖尿病には二種類の依存性があり、インシュリン依存性とインシュリン非依存性があり、前者は発症が急で症状が重く、インシュリンの投与が必要になりますが、後者は経過緩慢で、必ずしもインシュリン投与が必要ではありません。しかし腎症を併発しますから、腎機能不全に陥り、体外的な腎透析が必要になる場合があります。

 腎透析とは一般的に「人工透析」の名で呼ばれ、人工の装置(人工腎臓)を用いて、患者の血液を透析し、本来腎臓から排泄されるべき有毒物質を除去する治療法です。この治療法は腎機能不全の患者に、一定の間隔(数日間)を置いて反復して行う必要に迫られ、血液透析等とも称されています。

玄米
白米



●白米が齎す様々な霊的災い

 白米は欠陥食品です。
 その欠陥を示す白米の病気に、代表的なものとして「脚気」(かっけ)があります。
 脚気は室町・戦国時代の昔から、堺の豪商等に多く見られた病気であり、これは江戸期に入って「江戸煩(えどわずら)い」と言う名前で、全国に知られるようになります。この「江戸煩い」の「江戸」は「穢土」(えど)とも解釈されていたのです。

 穢土とは、けがれた国土あるいは三界六道(さんかいりくどう)の苦しみのある世界という意味で、凡夫・魔道人(まどうにん)が住む娑婆(しやば/苦しみが多く、その一つが「病」であった)と解されていたのです。
 徳川家康が江戸幕府を開いた江戸は、実は幾重にも埋立てられた魔界地形であり、「江戸は諸国の入り込み」という言葉がるように、戸は諸国の人が入りまじっている所であり、邪気なるものがここには紛れ込みました。

 江戸は、家康が天正十八年(1590)江戸に入り土木を起して以来、慶長九年(1604)から江戸城を大きく改造し、以降四代家綱の頃まで、諸大名に課しては大工事を起し、江戸幕府二百五十年の間、幕藩体制が取られたのですが、その中心的な役割を担ったのは、江戸の豪商たちであり、彼等の食事は、武士には見られない「白米食」を常食とする習慣でした。またこの習慣が「江戸煩い」を齎す事になります。
 日本の食の乱れは、実にこの時に始まりました。

 貨幣による拝金主義思想も、この時に生まれています。そして夜を浮かれ騒ぐ、最初を齎したのも、江戸の元禄年間の頃からでした。華やかな喧騒に浮かれ騒ぎ、遊郭などに出入りして当時の風俗を満喫し、喜びを感じると言う風習は、この時に始まったのでした。この「喧騒」は、時代が東京に代わってからも同じでした。

 これは、白米が齎した霊的災いと言えるでしょう。
 明治の世になっても、霊的災いは続きます。そして「江戸煩い」という病的現象は、その後、全国に飛び火して、地方までが「白米」に固執する事になります。
 更に、当時は武士の俸禄(ほうろく)という習慣があった為に、軍人は幕末期の武士と同じく、「白米で禄」を貰うという考え方があり、白米食は当時の日本陸軍の中で定着します。

 また日清・日露の戦争においても、日本陸軍には多く発生した病気であり、ビタミンE不足から、戦う戦意すら失わさせる病気でした。日清戦争当時、足の弱った兵士が続出しました。陸軍は脚気に冒されていたのです。
 明治時代この病気は、陸軍に限っての病気でした。海軍はイギリス式のシステムを採用していた為、パン食が中心であり、脚気にかかる兵士は殆どいませんでした。

 さて、昨今の現代の若者が特に無気力になったり、無感動になったりする多くの原因は、この「白米」に禍根があるからです。
 明治維新以来、日本人は欧米食の模倣と、それに併せた「ライス」と言う感覚で、白米を澱粉として食べてきました。
 澱粉は炭水化物である、アミロースとアミロペクチンの集合体にしか過ぎません。

 したがってこうした炭水化物は、その燃え粕が、体内に停滞して炭水化物代謝を疎外し、徐々に蓄積されるため肥満しやすい体質になります。
 肥満は根気を失わせるばかりでなく、疲れ易い体質を作り、貧血等に陥って、スタミナ切れとなり、バテやすくなるのです。夏バテ等を回復させる為に、安易に焼き肉等に走りますが、これこそスタミナ切れを起こす元凶となってしまいます。

 また無気力を誘発させる病気に貧血があります。
 貧血は血液中の赤血球数や血色素濃度やヘマトクリット値が、正常より減少した状態を言います。
 赤血球産生の低下とともに、赤血球破壊が亢進し、出血が原因で、鉄欠乏、ビタミン不足、造血器の障害、中毒、感染症、悪性腫瘍等によって起る要因も挙げられています。こうした疾患を煩うと、皮膚蒼白・心悸亢進・眩暈・倦怠等の症状が現われてきます。総てこれは「白米」の仕業です。

 さて、こうした欠陥だらけの「白米」を是正する為に、白米が悪ければ「パン」があるではないか、という考えに至ります。
 しかしこれも早計です。
 確かに小麦には胚乳部もあり、麩(ふすま)もあります。また白米に比べて、ビタミンB群の含有量も多く、ビタミンEも含んでいる事は確かです。しかしこれは、玄米に比べて充分な量とはいえません。
 まして一般に市販されている小麦は、殆どが漂白されていて、その成分組織は玄米や玄麦(イネ科に属するオオムギ・コムギ・ハダカムギ・ライムギ・エンバクなど)より遥かに劣ります。
 白パンも、病巣の元凶なのです。

 今、食事が現象人間の姿を変えようとしています。
 白米や白パンを主体にして、肉と野菜をバランスよく摂ると言う現代栄養学に従った食事をする人と、こうした食事を一切辞め、霊的浄化を目的にした玄米穀物菜食を徹底して、粗食・少食を実行する人です。
 前者は白米や食肉や乳製品等の食事を主体とする為、亜門宮(あもんきゅう)での人体温度調節機能が不安定で、冬には厚着をしたり、夏にはクーラー無しの生活には耐えられない躰になってしまいました。
 逆に、後者は粗衣であり、冬でも靴下なしで頑張れ、また夏は暑さにも強いと言う体躯を持つようになりました。

 そして大都会東京に、これからも居残る人と、ここから厭気(いやけ)がさして離れて行く人の二つの人種に分かれ始めています。
 つまり同じ現代人でありながら、大都会の喧騒に心惹かれてやって来る人と、これに嫌気がして、ここから離れようとする人です。どうやら前者は、気付かずに淘汰される側に廻ったてしまったというのが実情ではないでしょうか。



●玄米の持つ霊的な特異性

 玄米には様々な特殊的要因を持っています。それは人体が必要とする多くを包含しているからです。
 人体は、炭素、酸素、水素、窒素、ケイ素、塩素、ヨウ素、鉄、リン、硫黄、カリウム、カルシウム、マグネシウム等の諸元素から成り立っています。
 こうした元素を満足させ、養う為には、これらの成分を多く含んだ食物を摂取しなければなりません。この摂取を怠ると、成分欠損によって、無病ならびに顕然には生きていく事が出来ません。

 また人体の構造を見てみますと、口から肛門までの間は一本の管(くだ)ではなく、構造も、機能も、作用も、整理も、各々の部分には特異な働きがあり、各部分は独立した消化液を生成し、特殊な成分のみを消化し、吸収することになっています。各成分を複合作用ならびに融合作用によって、消化吸収すると言う分担区分が厳然(げんぜん)として区別されているわけです。

 それ故に、玄米を精白して白米を食べたり、肉でも野菜でも、柔らかくて舌触りの良い部分だけを食べていると、成分が単一になりますから、それを消化するに当たり、一部のみが過度に働いて、働かない部分は萎縮を始めます。こうしたことが成分欠損に陥れ、また、白米、食肉、野菜の食べ易い箇所、果物、高級魚の身、糖分を主体とする菓子類等は成分が単純である為、常に不足感を感じて過食傾向に趨(はし)らせる要因を持っています。

 人体を構成する各種成分を殆ど完全に近い形で所有している主食品は「玄米」であり、玄米はまさに健康な長寿を目指し、行動して行く為には非常に理想的な食品です。

 さて、玄米の食し方は幾つかありますが、ここで「癒しの杜の会」が特異とする《玄米の食べ方》を、ご紹介しましょう。

 
玄米の食べ方の手順
1. 玄米をひと晩、明日食べる分を水に浸けておく。この場合、玄米をよく研いで、海洋深層水あるいは井戸水(汚染されてないもの)またはミネラル水につけると良い。こうすると、玄米には発芽作用があり。発芽をする働きがあります。これは玄米が生きていると言う証拠であり、栄養分を削ぎ落とし白米にはこうした働きがない。白米は死んだ米なのである。
2. 生気溢れる玄米のこうした状態は、食べる前に研いで、圧力鍋やIHタイプの電気釜で直ぐに炊くと言うことより、はるかに玄米の持つ成分を引き出す効果が大きく、完全な栄養食となる。玄米はひと晩置いて食べるべきであり、ひと晩置いた玄米は、釜で炊かずに「なま」でも食べる事が出来る。
3. こうした状態にして食べる玄米は、一食に食する玄米の量が非常に少なくて済み、まず少食に繋がり、それは同時に「節食」に繋がる。一食に僅か小さじに4〜6杯くらいで済み、それだけの量で充分な栄養が摂れ、御数の量も梅干や沢庵、胡麻塩やハクサイ漬けと言ったもので済み、まさに仙人食なのである。
4. 仙人食で食事の量を少なくすると言うことは、それだけ内臓の疲れを和らげ、大食の人に比べて、内臓を疲れさせることがなく、昼間に眠たくなったり集中力が散漫になると言うことがない。昼間に眠気を催し、これを防ぐ為にコーヒー等で眠気奪りを足る人は居るが、これこそ悪循環であり、逆に内臓を刺激物で痛める結果になる。
5. 粗食・少食は内臓を長もちさせる為の最も有効な方法であり、生気を含む玄米だけを中心に摂取するから、玄米の主成分が即座に吸収されることになり、健康保持の為にも妙薬であることは疑いようもなく、同時にこれは頭脳を明晰にする為の思考的な強化法にも繋がり、大食漢の人と、こうした玄米菜食を中心にした粗食少食主義の人と、その思考能力を比べれば、遥かに後者の方が優れている。
6. 玄米の発が効果を促して食する特異な食餌法は、一日二回の食事のうち、このようにして昨晩下処理をした玄米に、少量の副食をつけ、あとは野菜少量でよく、あるいは野草を活用してこれに少量つけるだけでも構わない。特に野草は、ハウス育ちの野菜と異なり、太陽エネルギーを充分に摂取した植物であり、そのエネルギーの強さはスーパー等で売られている野菜の数十倍ものエネルギーを持っている。
 そうしたものに、綺麗な水(海洋深層水、汚染されていない井戸水、ミネラル水など)があれば充分であり、これだけで人間としての健康体を維持出来るだけではなく、病気の人がこれを実践すると、全く医者いらずで、健康体を取り戻せる。

 長寿を全うした人達の共通した意見は、「医者の言うことを聞かないことでした」と、共通した意見を持っているのは、現在の医療技術が発達した今日において、如何にも皮肉的な響きを持っています。こうした事からも、医者が病気を治すのではなく、病気は自分で治ると言う、自然治癒力の現実があるということが分かります。

 喩(たと)えば、ガン疾患については、自然治癒力が働かないとしている共通の根拠は、現代栄養学の示す食事をしてからであり、こうした栄養学に則った食事を一切辞め、自然治癒力が派生するような食事に切り替えれば、ガンと雖(いえど)も、自然治癒力が派生して、自然と恢復(かいふく)の方向に向かうのです。