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●玄米正食のすすめ

 人間の躰(からだ)には自然治癒力がある事をご存じでしょうか。
 こうした自然治癒力がある事を無視して、現代医学者達は現代医学の恩恵に預かっている、細菌によって起こる伝染性の病気や、急性に疾患である病気と同様、内因性疾患である慢性病や成人病と言った病気までも、こうした現代医学の最先端医療技術で解決しようとしています。

 ところが現代医学が苦手とする、こういう範囲の疾患には、殆ど効果が上がっていないと言うのが実情なのです。
 特に、ガン疾患には対しては殆ど無力であり、現代医学では、ガンは、早期発見して早期治療を行なえば必ず治ると言っています。しかしこうした早期発見を行なって、何らかの医療措置を行なった場合、治療後、五年以内にその殆どが患者が死に絶えると言う実情があります。

 したがって、私たちの頭の中には「ガンが一番怖い病気」という「悪想念」が作り上げられます。また「一番怖いという病気がガン」という図式は、国民の意識調査や、マスコミ等でも紹介され、おまけに現代医療の治療を受けた癌患者の手記やエッセー等も紹介され、「ガン恐怖」の恐ろしさは、国民の間に根強く浸透しています。

 早期発見、早期治療。一体この因果関係は、何処から起こる根拠なのでしょうか。
 果たしてガンは早期発見後、早期治療を施せば、健康体の人と同じように生き続ける事が出来るのでしょうか。
 実際にガンに罹ると、現代医学の手厚い最先端?の治療を受けながら、治療を受けた多くの人は、治療後、急速に悪化して、見る影もないほど衰え、大変な苦痛に嘖(さいな)まされて、発見から緊急摘出手術、そしてその数日後から数ヵ月後で死亡すると言う結果が出ています。そして五年以内には、その殆どが死に絶えます。

 しかしこうした惨状を、自然医学の立場に立って考えれば、非常に不自然な考え方から成り立っている現代医学は、先端治療の医療思想の中に、何か大きな無理があるように思われます。
 無理をせずに、正しい治療を行なえば、ガンと雖(いえど)も、他の慢性病と同じように、スムーズに自然治癒して行くものなのです。ところが現代医学は、ガンだけに限り、自然治癒力は絶対に働かないと断言しています。

 私たちの躰に起こる肉体上の変化は、ガンも同じように考えられますから、他の慢性病と決定的な違いはありません。適切な自然食治療を行なえば、完治すると言う、別の見解を述べる医学者も少なくありません。
 人間の躰は医学的に見ても、「生命体」であり、生命体は「生体」と「命体」が合体したものですから、「生きているからだ」というものは、本質的に見て「もとに戻る」という働きがあり、壊れた箇所を復元する能力を持っているのです。

 人体と言うものには、「可逆性」というものが備わっています。条件次第で「もとに戻り」、「より健康な方」へ移行する働きがあるのです。しかしこうした可逆性がありながら、条件を悪化する方向に向けますと、「急速に健康失墜」の方向に偏って行きます。だからこそ、「病気になる」という現象が起こるのです。
 またこうした「病気になる」悪条件を解消すれば、逆に健康になれると言う現象が起こります。

 「病気になる」現象の実態は、悪条件があるからであり、これに歪んだ悪想念が重なるから「病気になる」のです。
 病気とは、普段の健康体が病的に変化したものであり、したがって悪条件を除去し、悪想念を払い除ければ、今度は逆方向に病的状態が、健康へと移行して行くのです。こうした病体が「健康体」へ移行する事を「可逆性」と言います。

 一般に自然治癒力のいう言葉は、薬も飲まないのに「自然」に風邪が治る、切り傷が「自然」に治る、ということを指して使われます。しかし、これが内因性疾患である「慢性病」となりますと、こうした言葉は、形(なり)を潜めます。ましてこれば「ガン」ともなりますと、正常な思考は、どこかに吹き飛んでしまいます。そして絶対に治らない、後は死ぬだけと言う、諦めに似た厭世観が襲い始めます。

 更に困った事は、「不治の病だ」とか、「ガンには特効薬がない」等の世間一般的な流布が混乱の極致に陥れ、頭の中を錯乱させ、ガンは告知するべきか、それを知らせずに置くべきか等の医療倫理の争点となり、告知・非告知の社会問題にまで発展します。
 いずれにせよ、こうした切羽詰まった状態から、多くの人は、現代医学に一縷(いちる)の望みに我が身を委ね、任(まか)せ切った挙げ句に、予測した、予定通り?に悲惨か結末を迎えます。

 ガン疾患を予定説から考えますと、ガンで死ぬのではなく、ガンになった事で死ぬと言う現実が姿を現して来ます。人間はガンで死ぬのではなく、「ガンになった事」で死ぬのです。これがガン疾患と、予定説の明白な関係です。
 多くの人はガンになった事で、死の覚悟を決めます。そして「怖い」あるいは「不治」という想念が、次第に人体を蝕んで行きます。
 こうした事を冷静に考えて行けば、あなたは「どこか、これは変だぞ」とお気付きにならないでしょうか。

 人体と言う「生命体」の本質から見て、これは「絶対に変だぞ」と気付くはずです。
 日本ではマスコミが無視してしまいましたが、アメリカの信頼のおける医学雑誌『ライフ』には、アメリカ人医師(メソジスト病院長)のサティラロ博士の、玄米と菜食でガン(睾丸癌と前立腺癌)を治したと言う、リポートが公開されました。これは世界的な話題になりましたが、日本では医師会や医療技術界の圧力がかかり、この報道は一切なされませんでした。

 「ガンは治る病気」なのです。
 人間の持つ人体は、治るような生理的機能を持って、私たちは生命活動をしているのです。ところが病変を改善できずに、先端医療の手に委ね、その結果を、ただ待つだけでは、如何にも消極的であると言えないでしょうか。
 そして「ガンを治る病気」にする為には、まず、浄血が先決なのです。
 浄血すれば、その条件下において、「ガンは治る病気」となります。玄米と菜食だけでガンは、可逆性の条件が出揃った場合に限り、完治の方向へ復元して行くのです。それは丁度、放蕩息子が悪の限りを尽くして、やがて改心して善人に戻るように、です。



●肉食は万病のもと

 肉常食者は安易に肉体力の養成を目指します。
 一方、穀物菜食主義者は、健全な体躯を養成しながら、質の向上した躰の養成に励みます。
 如何なる肉体美の持ち主でも、35〜6歳の肉体的な臨界点を超えれば、やがて衰退に向かって、肉体力は衰えの方向に向かいます。そして肉体が衰え始めると、同時に気力も衰え始め、しいては「戦意」を失う事にも繋(つな)がります。

 したがって、肉体だけを鍛えても無駄であり、「体質」を鍛えなければならないのです。
 つまり魂を鍛え、粗食・少食にも耐えていける、「省エネ体質」に変貌させて、齢(とし)をとっても「元気」であるという躰を造らなければなりません。

 氷河期の人達は、食糧が入った時だけが、食糧補給の時機であり、それ以外は何日間も、何週間も一切食糧を補給せずに、元気に活動をしていました。丁度、氷河期の人達を近代の人間に喩えるならば、まさに「またぎ」となります。
 彼等は口の中に食べ物が入り、そうした時だけが元気でなく、口に食べ物が入らない時でも元気だったのです。

 では、どうして、こうした事が可能だったのでしょうか。
 氷河期時代の人々は、食糧にありついた時だけが栄養補給のチャンスでした。
 この場合、食べ物の中に含む澱粉(でんぷん)や糖分等は、消化・吸収の過程で、血中のブドウ糖になりますが、食糧が何日も、あるいは何週間も手に入らない場合、その期間においては、これまで体内に蓄えておいた蛋白質や脂肪を分解して、これを血糖に変換したり、血糖値を維持するという人体構造を持っていたのです。

 人間は、元来こうした人体構造を持って生まれて来たのですが、先祖のこうした構造は、今日、三食主義に変わり、常に、口の中に六時間おきに食糧が投げ込まれますから、この機能が退化して、作動しなくなってしまったのです。
 つまり貯蔵栄養分から血糖を造り出す働きが、機能麻痺に陥っているのです。

 ダンベル体操や筋トレをやり、平素から動蛋白を多く摂り、飽食に明け暮れている人は、人体構造に欠陥がある為、簡単には絶食状態には持ち込めないのが実情です。
 したがって、一言で「断食」と言っても、現代人がこれを行うと、大きな危険が伴います。

 そして現代のように、世界各国の食べ物が溢れ、温室栽培で旬の味覚が失われた食材が点在する中、過食や飽食が日々連続されれば、当然、血糖値を造り出す回路は一方通行だけになってしまい、貯蔵栄養分から自由に血糖が造られないというのが今日の現代人の実情です。
 これはまさに、退化した現代人の実像といえるでしょう。



●正食としての玄米の効用

 慢性病の治療効果は、主食としての食事が正しく実践されているか否かにかかります。
 そして未精白穀物の中で、「玄米」は特に重要な食品になります。したがって玄米を正食にし、これをベースにした穀物菜食を穀物菜食することによって、慢性病はやがて姿を消して行きます。
 その為には、まず「玄米食」を正しく理解しなければなりません。


 玄米にはビタミンB群、ビタミンE、鉄、カルシウム、食物繊維などが豊富に含まれています。また玄米の効能としては、動脈硬化の予防を始めとして、疲労回復、老化防止、便秘予防等に大きな効果があります。
 しかし一部の現代栄養学者が、白米に比べて玄米は消化がよくない事を上げ、また食物繊維の中にガン予防に効果的なフィチン酸を上げ、この成分はカルシウムの吸収を妨げる難点を上げ、消化の点に於いても、美味しいと感じる食感の点に於いても、精白米の方が良いとしていますが、これは大きな誤りです。


 さて、「米」の種類を分けますと、米にはうるち米と餅米に分けられます。また、うるち米は搗精法(とうせいほう)によって、玄米、胚芽米、精白米に分けられます。
 玄米は外皮(もみ殻)だけを取り除いた米であり、胚芽米は玄米から糠層(ぬかそう)を取り除いた米であり、精白米は糠層も胚芽も取り除いた米です。

 しかし玄米と精白米を比較しますと、その栄養成分は精白米の方が非常に劣っている事が解ります。食物繊維含有量は未精製のものほど豊富に含まれ、脂質はリノール酸(linoleic acid/必須脂肪酸)やオレイン酸(oleic acid/不飽和脂肪酸の代表的なもの)などの不飽和脂肪酸などが多く、血中のコレステロールの増加を防ぎます。


 以上の、玄米の持つ食品としてのバランスがお解り頂けたと思います。



●食事療法を実践する場合の基礎知識

 食事療法の原則は、玄米を中心にした食事を実践するわけでですが、この場合、玄米100%を主食にするのではなく、玄米60%に、雑穀40%の割り合いの雑穀を加え「玄米・雑穀ご飯」にすることが大事です。
 雑穀類としては、小豆、大豆、ハト麦、玄麦、粟、稗、黍等を加えて複合化することが大事であり、こうすることによって、基礎体力や抵抗力が高まります。

 雑穀類は、野性味から考えると、玄米以上に優れた太陽エネルギーを吸収する野生の威力を兼ね備え、また各々の異なった組成で、粗蛋白やミネラル度含み、微量元素や酵素を豊富に含んでいます。
 特に、ガン等の場合、ハト麦はこれを予防したり、ガン細胞を正常細胞に教導する働きがあります。また玄麦は高血圧に效果のある食品で、各々に持つ特有の薬効性で、玄米成分と協力した形で、慢性病を治療していきます。その際のポイントは、「よく噛む」という事であり、唾液と混ぜ合わせることが大事です。単に、「玄米を食べている」と言う事だけでは、効果は半分以下になってしまいます。

 食事療法として玄米食をする場合は、「雑穀玄米御飯」にすることが重要なポイントです。その時の注意点としては、玄米60%に、雑穀40%の割り合いの雑穀を加えます。その場合の雑穀の内容は、同じものだけではなく、数種の雑穀を組み合わせます。

 また玄米ただ、圧力鍋で炊いて食べるのではなく、まずひと晩水に浸けて、発芽させることが大事です。玄米は生きている米であり、ひと晩水に浸けておくと、発芽しようとする生態エネルギーを発揮し、このエネルギーを頂くのです。また、大豆や小豆も同じようにします。

 そして更に大事なことは、治療食である場合、「よく噛む」ということであり、咀嚼法(そしゃくほう)として50〜100回程度、よく噛んで、唾液と混ぜ合わせることが大事です。早食いではなく、長時間かけて食事をすることも大事な要素です。

 健康な人の場合は、毎日の玄米食を、時には日本蕎麦(そば)にしたり、黍餅(きぼもち)や玄米パンを主食代わりにしても構わないのですが、慢性病の人はそうもいきませんので、一日二回(昼食と夕食で、朝食は野菜ジュースにする)、「玄米・雑穀ご飯」を徹底しなければなりません。そして玄米や雑穀を加工するのではなく、できるだけ自然に近い形で摂取することが大事です。