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●骨盤・肩胛骨・頭蓋骨を弛み放しにしない食餌の改善法

 人間は一日のリズムの中で、ある種の周期を持ち、骨関節は開閉作用を行っています。
 一日の食事スケジュールは、「朝食抜きの一日2食の粗食・少食」に心掛け、内臓疲弊を避ける為にも、一日18時間程度の「18時間断食」を心掛けるべきです。したがって、朝食は摂らず、その時間は「排便タイムである」ことを肝(きも)に銘ずるべきです。

 また、排泄を促す為に、この時間にドクダミ茶などの薬草茶を飲用するか、玄米ジュースなどの液体栄養分を摂るべきでしょう。白米や白パンなどの、固形食品は不適当です。これは若者でも同じであり、若年の時期から、こうした食餌法(しょくじほう)に徹底する事は、より人生を有意義に遣う事に役に立ちます。

 次に、一日2食の食餌法だが、昼食に澱粉質(でんぷんしつ)の主食の食品を多く摂り、夕食に副食の食品を多く摂るようにします。昼食は主食対副食の関係が8:2の割合で、夕食はその関係を逆にして2:8とするとよいようです。これは「18時間断食」をする準備の為です。

 一般に信じられている「肥る」と言う現象は、運動不足から起るものと信じられているが、実は必ずしもそうではないようです。「肥る」のは、「食餌の誤り」が原因です。肥る人は運動をしても肥るものであり、運動すればエネルギーを遣いますので、また、運動量に応じた食事の量を必要とします。

 肥る原因は、人体の生理的な代謝機能を無視した事から肥るのです。この最たるものは、現代栄養学が云う「朝食をしっかり摂る」ということに付け加え、「一日30品目程度の食品を摂る」としている食指導の誤りから起るもので、まず、これを是正しなければならなりません。

 人間の生理機能で、「朝方」という時間は、大切な排泄タイムであり、この時間に固形の食品を摂るのはよくありません。
 例えば、何処かのホテルか旅館に泊まり、そでこ出された朝食の品数の多さを考えてみれば分かる事です。果たして、あれだけの食品を朝食として全部平らげたらどうなるか、誰が考えても分かる筈です。明らかに食べ過ぎとなり、これを毎日一年365日食べ続けたら、一体肉体はどうなるか、誰が考えても容易に察しが付く事でしょう。

高級ホテルや割烹旅館で出される朝食の品沢山のメニュー。日本人は、出された物は全部食べないと「もったいない」という心が働く為、これを全部食べてしまう。
 こうした料理は「持て成し料理」であり、年に数回ほど食べる物で、毎日食べる物ではない。
 昨今の拝金主義は、金銭で換算すると言う、料理の度合いにも顕われている。病気の根元は、こうしたところにも、人心にも巣喰う、食事病の現実がある。

 もし、これを食べ続けて、病気にならないとする人が居たら、是非お目にかかりたいものです。また、早朝から重労働に縁が無い多くの現代人は、多過ぎる朝食を摂取すれば、内臓が疲弊(ひへい)するのは当然でありましょう。

 したがって食に溺れる事なく、粗食・少食に徹底すべきです。中年期・壮年期を迎え、この年齢を過ぎ、それでいて一食分の食事に、主食のご飯を二杯も三杯もお代わりする壮年以上の人は、明らかに食べ過ぎであり、根気も気力も衰えてしまう事は、その実証に難しくないはずです。

 気力が萎(な)えるのは、食べ過ぎによる内臓疲弊から来るものです。一食分の三度三度の食事の中で、二杯三杯と、ご飯をお代わりして、その人が健康であり得ることは決してないはずです。
 特に中年期を過ぎて、頭脳職等のサービス業に従事する人が、主食を二杯三杯のお代わりは、自らの鈍重と無能を物語っているようなものです。こうした社員は、奔走してもそれはポーズだけであり、総(すべ)ては徒労に終って、いい仕事は出来ないはずです。

 中年を過ぎると、食餌法(しょくじほう)に心を配ることは大切であり、これを無視すると、85歳まで生きれる寿命を持ちながらも70歳前後で潰え、結局15年も若死することになります。こうした愚を冒さない為にも、「何を食べるか」と云うことに、心配りをしたいものです。

 そして、動蛋白は必ずしも、摂取する必要はありません。こうした食品は、舌を一時期、酔わせ、喜ばせ、味覚を麻痺させる魔力は持っているようですが、それに酔わされていては、やがて85歳までもつ自らの寿命も60歳か、65歳で費える事になります。仮に、人工的に生命維持装置などの力を借りて、70歳まで生きたとしても、15年もの寿命を縮めて人生を終わる事になります。まさに「早死」ではないでしょうか。

 現代人は欧米的な科学に振り回さて生きて来ている為、総(すべ)てアメリカナイズされたものが、正しいと信じ込み、また「カッコ良い」と思っています。これを矢鱈(やたら)に模倣することばかりに執念を燃やし続けて来ました。こうした模倣を、欧米からは「猿真似(さるまね)」と揶揄(やゆ)され、それでも未だに、この傾向が脱けきれずにいるのです。

 そして、若者だけに限らず、60歳に達した「団塊の世代」も、この範疇(はんちゅう)にあって、欧米を模索することや、権威筋の欧米的な思考や言論に振り回され、晩年期にありながら、未だに死生観の解決も出来ず、悲惨な人生を送っている高齢者も少なくないようです。
 特にその最たるものは、食生活の誤りから来る、愚かしいまでの現代栄養学に信奉している現実でしょう。



●戦後の日本に齎された栄養学が現代人を病気に駆り立てた

 現代人は、世界に冠たる日本伝統食が、なぜ失われ、食の欧米化により、病気大国を作ってしまったのか、この根本原因を考えたことがあるでしょうか。
 何千年も脈々と日本人の間に受け継がれた、世界に冠たる健康的な日本型食生活を、なぜ現代人は簡単に捨ててしまったのでしょうか。

 その上、現代という時代は目紛しく展開され、ストレスが溜まり易く、自然から離れ、健康から離れているのが実情のようです。
 日本では、昔から体質にあった食生活が望ましいと言われて、それを日本人は連綿と伝承して来ました。日本で採れる食材を基本にして、正しい食生活を営んで来ました。それにより私たちの体質は形成されて来たと云っても過言ではありません。

 食生活のあり方は、健康と云うその延長線上に置かれ、自然と共に、適合した体質を作って来たのです。ところが戦後の栄養指導は、欧米一辺倒であり、この食指導が様々な現代病を引き出しているのです。

 しかし、欧米人と日本人は、地理的に位置する気候や風土が異なっていることは明白です。これを無視して、日本人に欧米人と同じような食指導がなされ、間違いだらけの栄養学が実しやかに吹聴されています。その影響力は非常に強く、肉を食べなければスタミナがつかないなどの間違った固定観念を植え付けました。

 更に、カルシウムの補給には牛乳【註】燐蛋白質の一種であるカゼインは人体に不必要。カゼインは牛乳の蛋白質の80%を占め、酸を加えると凝固沈殿する。栄養上重要なアミノ酸をすべて含むとされるが、カゼインは人体には不必要で、これを取り込むと日本人の多くはアレルギー反応を引き起こす。また牛乳の持つミネラルの組成は人体向きでなく、事実、乳幼児がこれを飲むと、水分・電解質代謝に混乱が起り、水膨れ体質となって、歯や骨が脆くなり、牛乳で育った子供が成人すると常に腰痛に悩まされることになる)が、整腸作用のあるヨーグルト【註】温暖地域に棲む日本人に、この食品は適合しない。この食品が適合するのは伝統的に遊牧を生業(なりわい)とし、寒冷地域に棲み続けたヨーロッパ人である)を、などという訝(おか)しな「非常識」が罷(まか)り通る結果を作り出しました。
 しかしその結果、日本人の健康度はどうなったでしょうか。

 糖尿病患者はこの50年で、30倍の急成長です。昔は少なかった欧米型疾患が、若年層にも広がり、若くして動脈硬化、高血圧、心臓病、肥満を心配する事態になりました。私たちは学校で、食生活や現代栄養学の知識をいろいろと学んできました。
 しかし、それが本当に正しかったどうか。
 はっきり言えば間違いだらけの現代栄養学の上に乗せられ、肉を食べないと栄養失調になる等の、動蛋白信仰が、念仏のように押し付けられたのでした。

 その結果は、いちいち述べるまでもありません。どこの病院でも、満員御礼です。これほどまでに、病気に苦しむ人が増えてしまった時代は、現代をおいて、他の時代にはなかったことです。

 今から百年前ほどの人間の寿命は、60年ほどと云われていました。太平洋戦争の頃には40年と、短くなりますが、戦争で戦死したしする為で、病気で死ぬという事ではありませんでした。
 これに比べると、現代人の寿命は85歳前後まで生きられるようになりましたが、これは百年前のような自然の力によっての、自力での寿命ではなく、人工の生命維持装置を借りての、医療が齎(もたら)した人工的な寿命です。日本人の平均寿命が長くなったと云っても、長寿村の健康とは異なることを知らなければなりません。

 そして、食の誤りは、種々の病因を派生させるばかりでなく、体型にも、骨格的にも種々の畸形を作り出しているのです。その最たるものが、食の誤りと、食事時間と食事法から起る骨盤・肩胛骨・頭蓋骨の異常なまでの弛みです。
 若さを取り戻し、健康を、医者なし、薬なしで維持するのならば、まず、これまでの食の乱れを正し、雑食を止めて、正食の慎みある食餌法(しょくじほう)を日々実践しなければなりません。



●戦後の食糧政策と共に、家畜化される日本人

 日本人の家畜化に貢献しているのが、現代栄養学であることは疑うよりもありません。その最たるものが、獣肉や乳製品の奨励です。また、「肉と野菜をバランスよく摂る」というキャッチ・フレーズも、現代人の現代病に拍車を掛けています。

 西洋と東洋の食事法の違いは、地理的に位置する場所の違いや、気候風土の異なりにありました。ところが、明治維新以降の西洋化の奨励は、日本人の食文化までもを狂わし、食生活の欧米化に趨(はし)らせたのでした。

 東洋では古来より、特に日本に於ては、穀物菜食の「正食」を実践して来た歴史があります。しかし西洋を見ると、そこでの食文化の伝統は、あくまで「雑食」です。日本と西洋とでは、「正食」か「雑食」かに、大きな食文化の違いがあります。

 また、日本とヨーロッパの地理的な位置を考えますと、日本は温帯地域であるのに、ヨーロッパは冷寒帯地域です。こうした冷寒帯地域では、植物の主体となるものも極冷性のジャガイモ等の食品に頼らねばならず、またそれに併せて、極温性の牛・豚・羊・鶏等を飼育して、これらの獣肉に頼らねばなりません。そして、その食性は「雑食」となります。

 この雑食性の食文化が、実は体内にナトロン塩を蓄積してしまう元凶となってしまうのです。ヨーロッパでは古代から畜産などの肉産業が盛んで、一方、交易などを通じて、商売が盛んでした。物々交換以外に、貨幣経済が発達した地域もヨーロッパからでした。貨幣により、商品の売買がなされ、食品売買も例外ではありませんでした。

 貨幣経済は、一方で貧富の差を齎(もたら)しました。特に、金貸を商売としていたユダヤ人がヨーロッパで活躍するのは、十七世紀に入ってからです。
 アメリカ独立戦争、フランス革命と、ブルジョワ革命が起り、貨幣経済が盛んになる頃から、カトリック教会や王侯貴族との間に逆転劇が起りました。その後起った、ダーウィン進化論は、「適者生存」の意味から、弱肉強食的な思想が生まれ、やがてこれが社会ダーウィニズムへと発展していきます。

 そして「適者生存」は、弱肉強食の思想を押し進めつつ、更に貧富の差を露(あらわ)にし、社会ダーウィニズムの中で金融経済を確立していくのです。
 これも偏(ひとえ)に、動物を捕らえて、食べるという思想の中から生まれました。
 さて、十八世紀以降、金融経済が盛んになると、動物を食べると言う考え方にも、二種類の発想が生まれます。

 動物食の代表品として、価格の安い「塩」と「脂」【註】または油)の二種類があって、この双方の違いを知らずに食して来た近代の歴史があります。
 ヨーロッパでは、下層階級は金銭的な事情により、食パンよりも安い、ジャガイモなどの薯類【註】「イモ類」には日本に古くからある里芋などには「芋」の字を用い、外来種であるジャガイモは馬鈴薯(ばれいしょ)ということから「薯」の字が用いられ、薩摩薯(さつまいも)や自然薯(じねんじょ)なども東南アジア産なので、「薯」の字が充てられているので、外来種ということが分かる)を多く摂取しました。

 この場合、ジャガイモなどを摂る時は、塩と油の摂り方を多くしなければならないのですが、薯を食べずにパンだけを食べている時の、同等量以下しか摂りません。また、薯を余計に食べれば食べるほど、肉類も摂取しなければならないのに、これも金銭的な事情が許さないとあって、肉類が少なくなり、薯類ばかりが多くなります。こうして知らず知らずのうちに、下層階級は、のろまになり、愚鈍になっていくのです。

 一方、反対に薯を食べても、肉類が多くなり、薯が少なくなると、肉類摂取過剰となって、軽佻浮薄(けいちょうふはく)な人間が出来上がります。
 こうした下層階級と、中流以上の階級では、食生活の食材の有機成分に違いがあるばかりか、無機成分に対しても違いがあるのです。つまり、中流以上は、食パンを主食にし、薯類を少なくして、肉や野菜を適宜に摂ります。同じ雑食をしていても、階級によって開きがあることが分かります。この開きこそ、支配する側と、支配される側の経済格差なのです。

 支配される側は、支配する側にとって、愚かでなければなりません。ここに支配する側を家畜化する意図が読み取れます。つまり、私たちが欧米食と信じている食事法は、支配される側の下層階級の食べ物なのです。その最たるものが、アメリカの下層階級が食べていたハンバーガー等の食品です。

 また、現代栄養学で「肉と野菜をバランスよく摂る」という食思想が働くのであれば、この上に主食の量が勝(まさ)っていなければなりません。しかし、主食が勝った状態では、食べ過ぎになり、少食は徹底できません。あくまで大喰い雑食となってしまうのです。

 今日の日本は、現実的に視(み)て、十八世紀か、十九世紀のヨーロッパの植民地主義や帝国主義の時代に酷似します。その状況下にあって、食産業や美食の仕掛人によって踊らされ、様々なものを食べさせられているのです。まさにこれこそ、日本人の食事情によって変化させる、家畜化の最たるものではありませんか。

 近代資本主義の発達は、ダーウィン進化論によって齎(もたら)されました。ダーウィン進化論の真の目的は、社会ダーウィニズムであり、この社会進化論は、陰の進化論支持者達によって世相がコントロールされて来たのです。

 1902年、『シオン長老のプロトコル』(久保田栄吉初訳著、大勢新聞社発刊)という非常に不思議な本が、ロシアの神秘主義者のセルゲイ・ニコルスによって出版されました。
 そこで紹介されているプロトコル(議定書)の中には、国際主義を信奉するユダヤ民族【註】正しくはユダヤ教『タルムード』の選民思想を信仰する人々で、一般のユダヤ人とは無関係)のエリート長老たちが、世界を徐々に支配し、世界政府樹立までのシナリオが延々と述べられています。

 この『シオン長老のプロトコル』という本は、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツにおける、ユダヤ人虐殺の引き金になったので余りにも有名です。その中には、次のようなことが書かれています。

 エリート長老たちは、人種、自由、平等、友愛等の思想を取り組み、革命を煽動し、ダーウィニズムを捏造(ねつぞう)して、人間を動物以下のものとみる世界を創造した。この非人間化(家畜化)を進める為に、神が理性の主権に置き換えられた。人々の主権は、報道関係者によって統制され、その意志は専門家に任せられた。長老たちは、経済を巧みに操って、不況と戦争を捏造した。その結果、人々は、国際的連邦政府を求めるようになった。  

 この真意は兎も角として、極めて不完全な生物学上の一仮説に過ぎない、ダーウィン進化論が、現代社会の思想上に大きな影響を与え、日本だけが未(いま)だにダーウィン進化論を教科書で教えているのは、実に驚くべき事実ではないでしょうか。

 ダーウィン進化論が、数ある進化論の中で、科学的には一番根拠が疑わしく、最低と思われる非現実的な進化論です。しかしこれが、義務教育の理科の教科書の中で、実(まこと)しやかに教えられているのです。

 ダーウィニズム的な実証主義は、「木を見て森を見ず」の批判に値します。ごく限られた世界でしか、物が見えなくなると言う欠点を持っています。
 ところが、批判に値する、一仮説のダーウィン進化論をもって、日本では大人から子供まで、この仮説に振り廻され、反論の余地を無くしてしまっているのです。更に不可解なことは、誰もが一仮説の進化論を信じ切ってしまい、疑う余地を残していないことです。
 これはあたかも、間違いだらけの現代栄養学を信奉する、あの愚行に似ているではありませんか。