ストーカー対策 4



●心に余裕が生まれなければ、小さな物音にも疑心暗鬼に陥る

西郷派大東流柔術の三条極めで締め上げる。

 今、あなたが乗るエレベータに、見知らぬ男が同乗したとしましょう。
 あるいは一人でエレベーターに乗り、上階に着いてドアが開き、ドアの前に見知らぬ男が立っていたとしましょう。あなたはこの時、果たして疑心暗鬼(ぎしんあんき)に陥らずに、この男を余裕を持って何者なのか、瞬時に観察し、洞察することができるでしょうか。あるいは正しい認識を、即座に下す事が出来るでしょうか。

 かつて、ストーカーとは無関係な青年の眼を失明させてしまった女性がいました。
 薄暗い裸電球の街頭の下を若い女性が歩いていました。そしてその後ろ5メートル位はなれたところを、同じ方向に向かって、一人の男が歩いていました。 
 女性は何となく恐くなって、足早に歩きはじめます。そして後ろの男も、早足で歩きはじめたような錯覚に囚われました。
 女性の恐怖心は益々膨れ上がり、この男をストーカーと間違えて、持っていた雨傘で、男を振り向きざまに男の顔に向かって、突き刺しました。男は大声で眼を押さえ、その場に転がりました。
 後ろから歩いていた男は、近所に住む善良な青年でストーカーを働くような人間ではありませんでした。しかしこの青年の眼を傘の先で突き刺し、この女性は傷害事件の犯人として逮捕されました。その後、警察の刑事の取調室で48時間、検察庁の検事の取調室で24時間、合計72時間を、国家権力から収監(法令により監獄に収容すること)されました。

 さて、この女性は何故こうした行為におよんだのでしょうか。
 人間は、恐怖を感じた時、視野が普通の状態より非常に狭くなります。それは恐怖心はそうさせるのである、周りの景色が狭まります。

 裁判では、この女性が自意識過剰と被害妄想に陥て、精神的に窮していたことは受け入れられたのですが、傘で突いたことは過剰防衛となり、情状酌量が認められつつも、執行猶予付の有罪とされ、傷害事件の犯罪者の烙印を押されました。ところが問題は、これだけに収まりませんでした。

 次ぎは民事裁判で争うことになり、失明した損害賠償請求が発生したのです。この女性と彼女の両親は、生涯をこの青年に償うことを余儀なくされ、今までの加害者から、被害者に転落して、一生を暗い過去の余韻を曳いて生きなければならなくなったのです。

 眼を突かれた被害者(本当は片目だけだった)の青年は、裁判で損害賠償を請求して、その額の支払を受けましたが、失明を理由に退職し、大金を受け取ったことで怠け者になり、株や博打に手を出し、直ぐに使い果たし無一文になりました。
 青年はその後の生活の糧を得ることが出来なくなっていたので、決着後も、加害者の女性やその両親の所に度々押しかけて、失業したのは失明したからだと、ストーカー擬(まが)いの難癖を突きつけ、法外な生活費などを無心するようになりました。

 これなども典型的な、疑心暗鬼が招いた事件です。心に余裕がなければ冷静な判断も出来ず、白を黒と見間違ってしまいます。またその逆もあります。
 そしてその挙句が、被害者を怠け者に墜落させ、加害者が被害者に転落するという、現世の地獄絵が、廻り舞台のように回転し始めたのです。
 どちらも無慙(むざん)という他ありません。

 現在の日本は、人権擁護の思想が根強く存在していて、犯罪者になるべく、加害者の気持ちはよく理解されて、人権の尊重が表面に打ち出されますが、逆に被害者の無念は殆ど相手にされる事なく、被害者の人権は無視されがちです。
 殺人事件などが起こると、殺人犯が先ず第一に人権擁護の対象になり、被害者の人権はあまり問題にされません。
 これは日本の法律が、基本人権の尊重という、法学的な仮説に基づき、世界一甘く出来ているからであり、これを逆手にとって、難癖をつければ、悪の温床になり易い実情を示していることになります。

 しかし自意識過剰で過剰防衛に及んだ場合、こうした当事者への扱いは究めて冷酷です。
 心に余裕がなければ、一瞬にして加害者の立場に追い込まれてしまうのです。
 「覆水盆に戻らず」とは、この事です。



●無抵抗主義と言うまやかしに騙されるな

1.後ろから紐などで頸を絞められたら、窒息しないようにイーの発音をして口を開く。

2.振り向き態に、顎に掌底(しょうてい)を打ち込み、

3.一気に顛倒(てんとう)させる。

 人間は病気や怪我で気力・体力を喪失すると、どうしても安易な方へ傾いて行く傾向にあります。
 また精神的に追い詰められて、窮地に陥ったり、いつもビクついたおどおどした衰弱状態にあると、冷静さを失って、安易な選択を選んでしまう結果となり、臆病な方向に流れていってしまいます。神経症などは、こうした症状の典型的なものです。

 そして臆病な人間は、とことん敵から付け入られるようになり、つけあがった敵は、無理難題を吹っかけ、益々ジリ貧状態に落とし込んでいきます。これは高利貸の、債務者追い込みの心理に酷似しています。

 さて、「現代」という時代は、一体どういう時代なのでしょうか。
 巷には不景気が荒れ狂い、アナリスト達は経済的にも、未曾有の「激動の時代」と定義づけています。そして激動の時代であるならば、これはまさしく戦時であり、戦時において必要なことは、過去のミスを、くよくよ考え過ぎないことです。
考え過ぎると、また再びミスを起こすからです。

 世の中の格言に、「同じことは二度言わせるな」「失敗やミスは恐れなくてもいいが、同じ失敗やミスを三度行うな」というのがあります。

 無反省に同じ失敗やミスを何度も繰り返すことも困ったものですが、それさえ注意して、忌まわしい過去に振り回されないことが何よりも大事です。

 人間は異常緊張の状態が長時間続くと、視野が狭窄きょうさ/すぼまって狭いこと)する現象が起こります。今まで見えていたものが、一目では見分けることが困難になり、視野が異常に狭まります。実はこうしたところに、失敗やミスの巣窟が控えているのです。
 また一度怕(こわ)い目に遭って、その恐怖から「熱物にこりて、なますを吹く」愚行に及びます。同じ失態を繰り返しやって、心が疲れた神経症の人は要注意です。
 そして、その過去の恐怖が拭い去られずにいると、僅かな脅迫観念でも一大事に思えてきて、脅迫に屈する安易な道を選択します。

 こうした安易な道は、とことん強請(ゆす)られる世界のものですから、警察に被害届も出すことが出来ず、そのために骨の髄までしゃぶり取られる未来が横たわってしまうのです。

 では一体こうした安易な状態は、どうして起こるのでしょうか。
 それは心に、余裕を失っているからに他なりません。
 心に余裕がなければ、総てが不信に思え、疑心暗鬼に陥ります。こうした場合、最も愚かな選択が、蛇影に驚く、優柔不断な性格に転換しますから、無抵抗主義や不服従主義に流されてしまい、益々不幸の坩堝(るつぼ)に嵌(はま)り込んで行ってしまいます。

 あなたは小鳥やカエルが、蛇から睨まれると、どうなってしまうか、ご存じでしょうか。
 小鳥やカエルはまず動けなくなり、その場で、まるで魔法か催眠術をかけられたように竦(すく)んでしまいます。そして困惑した挙げ句、驚いたことに、今度は蛇の口の中に、自らが飛び込んで行ってしまうのです。
 この心理は人間にも当て嵌ります

 脅されたことには、何事も屈服する。命令されたことには、何事とも服従するのでは、仕掛人の罠(わな)の底に転落して行くばかりであり、これでは先のことは何も見えてきません。まさに転落の人生です。自分の将来を賭(と)して、やはり夢と希望を見つめることは、大切な事柄の一つです。

 私達日本人は、太平洋戦争後のアメリカの思想教育の支配下で、日教組などの左翼団体がその走狗となって奔走したお陰で、無抵抗不服従主義が、世界に先駆けた最高の思想であるという先入観を培養されてしまいました。

 さて、無抵抗不服従主義とは、一体何でしょうか。
 無抵抗で居る場合、この行為が機能するのは、危害を加えようとする相手側に、幾分なりとも良心を持ち合わせ、無抵抗な人間をいたぶることが、少しでも良心の呵責に責められるという認識を持っている場合のみ有効です。

 第二次世界大戦当時、ヨーロッパにおいて、ユダヤ人アシュケナジー・ユダヤ/白人の肌を持つユダヤ教徒)が、ナチス・ドイツの傍若無人な振舞に、無抵抗不服従主義を貫いていたら、果たしてヒトラーは彼等の無抵抗に感動して、ホロコーストを取り止め、残虐な行為を直ちに中止したでしょうか?
 恐らく、逆にエスカレートし、ユダヤ人を奪い、犯し、動物実験で人間モルモットにし、大量虐殺は益々加速して行ったのではないでしょうか?

 大戦後も、カンボジアにおいて、ポルポト派による大量虐殺が相次ぎ、つい最近ではユーゴスラビアにおける「民族浄化」と称する大量虐殺が発覚し、こうした一連の大虐殺事件は、結局、無抵抗が益々虐待側をつけあがらせたという結果を招いただけに終わったのではないでしょうか。
 そして無抵抗で居る場合、虐待執行者の思い上がりを益々つけあがらせるという事例を、明白に物語っているに事件でもあります。

 しかしこうした情報は、日本の新聞や雑誌やテレビなどで、殆ど放映されることはありません。日本の報道機関では、こうしたものは故意に伏せられるという傾向にあります。
 完全に情報コントロールされているわけではないのですが、海外のこうした情報は、得ようと思えば簡単に得ることが出来る情報なのです。ところが大衆というのは、日本の愚衆政治の影響下にあって、そこまで積極的に、賢く振る舞うことができないのです。

 その結果、NHKなどの、天下の巨大民法放送局を、国営放送(確かに電波法という法律下にNHKは置かれているが)と勘違いしたり、視聴料の請求について、何の疑いも抱かず、支払うというのが、大衆という層の実態です。

 先ごろ巨大民法放送局のNHKで、「ガンジーの非暴力不服従主義運動」をテーマにした『その時、歴史が動いた』(平成15年11月19日放映)という番組が、総合テレビで放映されましたが、これに感動をされた方も多いのではないかと思います。しかし感動された方の多くが、日本人特有の「情緒」でこれを捕え、その結果、無抵抗なるものが、如何に素晴しいかという錯覚を抱いたに過ぎません。

 非暴力不服従主義は一見、崇高な思想と思われがちです。この思想の中心課題は、暴力を揮った敵を赦(ゆる)すということあるようです。そして敵を赦すということは、敵を罰することより「気高い」あるいは「崇高」としています。

 しかし裏を返せば非暴力不服従というのは「無抵抗服従」ということであり、「抵抗せずに、ただ打たれなさい」ということであり、結局、「ただ打たれる」だけの不服従では、一方的に「打たれる」ことと同じであり、暴力を肯定する服従であり、非暴力不服従主義は、即ち無抵抗不服従主義であり、これはとりもなおさず無抵抗服従主義だということになります。
 恐らく、打たれ続けても「心は屈しないぞ」という意思かもしれませんが、これは容易なことではなく、またこうし不屈の心を持っていても、相手に少しでも良心の呵責がない場合、これすらも伝わることはないのです。

 一方的に打たれ、殴られたのでは、益々当事者をつけあがらせることになり、この現実は、言いなりにならないという不服従というより、最初から打たれるという暴力を肯定したものであり、暴力のなすがままに、自分の身を委ねるということになります。あなたは言語に絶する拷問に耐えられるでしょうか。

 マハトマ・ガンジーの、歴史的な偉業とされる400kmに及ぶ「塩の行進」は、イギリス側領事体制の暴力の連鎖の断ち切りを狙ったものですが、これは当時の国際世論が、イギリス側の横暴を暴いたのであり、これが闇で葬り去られるような方法が用いられたのであれば、この偉業すら、歴史にその足跡を止めることはできなかったはずです。

 まして無銘な一般人である、権力者から見て、微生物同然の一般国民が、こうした無抵抗服従主義を実行すれば、おもしろ半分に嬲(なぶ)り殺され、犯罪のあった証拠すら発見されないまま、迷宮入の事件で終わってしまうでしょう。

 非暴力不服従とは裏を返せば、無抵抗のまま、暴力の脅しに、我が身を庇って服従するということであり、不服従であるならば、一方的に殴り続けられるという考え方です。
 平和主義、非暴力主義は、言葉の上では美辞麗句の類なのでしょうが、現実問題としては、何をされても文句を言わないという考え方であり、今日の自衛隊が掲げている「専守防衛」の軍事思想も、実はこれに由来します。
 専守防衛とは、敵から攻撃を受け、何をされても文句を言いませんと言う考え方であり、アメリカが押し付けたものでした。
 何をされても文句を言わない残忍な、言語に絶する悪戯をされ、その挙句に殺されるというプロセスの中で、こうした残忍な殺され方に、果たして何人の人が耐えられるでしょうか。

 また、あなたの大事な家族が、このような虐待にあっていたら、あなたは果たして簡単に、犯人を赦すということが、言えるでしょうか。

 ガンジーの「塩の行進」を逸速く、世界の国に先駆けて報道したのはニューヨーク・タイムズ紙でした。この新聞社は、ユダヤ勢力傘下の報道機関として有名で、いわばアメリカに棲(す)むユダヤ人の都合のいいようにコントロールされるマスコミ機関でもあります。ニューヨーク・タイムズ紙は何故、「塩の行進」を報道したのでしょうか。

 ここにはアメリカの当時の政治的な意図が見て取れます。
 ガンジーを徹底報道することで、軍縮ムードを盛り上げ、その隙に軍備を整えるという、1930年代当時の画策がありました。これはロンドン軍縮会議に、明確に現われています。そしてその裏には、日米軍艦建造競争があったのです。

 日本が日露戦争に勝利を収め、アメリカの軍艦が大西洋から太平洋への回って来て、太平洋艦隊が編成された二十一世紀初頭、日米戦争が両国の政府首脳間で密かに囁(ささや)かれ始め、排日移民法などで日米両国間は、摩擦状態に突入していたのです。

 また日本では二国標準主義というのがあって、仮想敵国を有力な隣国と見立てて軍備を整えるという考え方があり、その考え方を露骨にしたものが日本の「八八艦隊計画」旧日本海軍で、艦齢八年未満の戦艦八隻・巡洋戦艦八隻を主力とする艦隊の呼称で、1907年(明治40)の帝国国防方針制定以来海軍の建艦目標であったが、21年(大正10)のワシントン軍縮会議の結果中止された計画)でした。
 八八艦隊というのは戦艦八隻、重巡洋艦八隻で編成する強大な大艦隊のことです。

 これに対してアメリカの艦隊計画は当時、まだ未熟で、日米海戦を行う場合、これにどう対処するかの問題が起こりました。
 日本の快速戦艦に比べて、アメリカの巡洋艦は速力の遅い六隻のマサチューセッツ級、四隻のウェスト・バージニア級というもので、砲力にしても、アメリカ艦が16センチ砲に対し、日本側は18センチ砲を所有していました。海上勢力比は、兵力が二倍では「二乗均等の法則」が働きますから、当時の勢力比は日本対アメリカでは、四対一あるいはそれ以上になります。

 当時の歴史的背景はこうした両国の軍事バランスを懸念する声があり、日本を警戒するための宣伝媒体として、ニューヨーク・タイムズ紙が非暴力主義を全面に打ち出した、ガンジーの「塩の行進」を報道したのです。しかし当時の日本人には、ガンジーの非暴力主義は、軟弱な考えとして簡単には受け入られませんでした。

 こうした現実を、無視して、一方的な側面だけを報道した、NHKの放映は、片手落ちというものです。
 そして非暴力主義は、戦後の日本において、「無抵抗主義」と言う名で宣伝され、この思想が平和主義の原点をなしたのでした。
 日本人にも同じ真似をさせ、ガンジー当時の無抵抗服従主義の思想を広めようとしたのです。そして戦後教育の中で、平和主義の原点を「無抵抗主義」に求め、何をされても文句を言わず「服従」するという考え方を、日本人は記憶中枢に培養されてしまったのです。もう一度要点を要約しますが、非暴力主義と言うのは無抵抗主義のことで、不服従とは、心では暴力に屈しないとするのですが、実際には一方的な攻撃を受けて、何もしないと言うのですから、まさに相手の意の儘に動かされる服従であり、何をされても文句を言いませんということなのです。

 そしてその結果、進歩的文化人の権威と、マスコミ操作によって、無抵抗なるものが「善」で、武力による国防意識が「悪」だと安易に決め付けてしまう考え方が生まれたのです。

 NHKの巨大民法放送局が、岩波書店並みの進歩的文化人を総結集させて、巨大権威でこうした一方的な番組を放映すれば、大多数の国民は、これこそが「正義の姿だ」というような錯覚を抱きます。そしてこうした思想工作は、大多数の国民を巧みに、無抵抗へ、服従へと醸成させていくストーリーになっているのです。

 しかし私達日本人は、農家や畜産業者から買われる家畜でもありませんし、動物化されて、無力で善良な市民に成り下がる必要もありません。毅然(きぜん)とした一個の人間であることを主張すればよいのです。

 日本という国がなくなってしまい、国土も、財産も生命も奪われてしまって、何が無抵抗服従主義というのでしょうか。
 果たして、こういう公共の電波を遣い、大多数の国民を、無抵抗服従主義に引き摺り込んで行く、こうした政策を、「愚衆政治」「愚昧政治」と言うのではないでしょうか。
 つまり、凶悪犯罪や様々な事件が起っている背景の裏側では、私たちの知らない所で、こうした政治や政策の巧妙な駆け引きと、大衆を聾桟敷(つんぼさhじき)にした政治的な談合が繰り返されているという事です。

 したがって、「一大衆」「一民衆」の権利と人権とその生命は、軽んじられます。大局にとって、体制にとって、「一大衆」「一民衆」が、どうなろうと知った事ではないのです。
 戦後の民主教育の中で、多くの日本人は「無抵抗主義」「非暴力主義」を培養され、その感覚に染まり、襲われた場合、何も抵抗せず、自分の持っているものは何もかも差し出しなさいと、ホールドアップの追剥(おいはぎ)や強盗犯を擁護するような言動を吐いて、学校教育の中で指導して来ました。
 その皺寄せが、今日にも尾を曳いて居ます。
 そして、これに乗ずるかのように出現して来たのが、アメリカから上陸して来た「ストーカー」という人間現象でした。



●心の余裕を恢復するために西郷派大東流合気武術をやってみる
あなたは後ろから腰を抱きかかえられた場合、その脱出法を知っているだろうか。

 さて、こうした現実を、ストーキング行為に当て填めて見ましょう。
 個人情報データ・ベースからプライバシーの一切が奪われ、ストーカーの意の儘(まま)にされて、挙句の果てに殺されるのでは、何が無抵抗服従主義だと言うことになります。
 ストーカーは、実際に誰もが、我が身に降り掛からなければ、現実問題としては理解されないようです。

 そこで「転ばぬ先の杖」として、西郷派大東流合気武術の智慧(ちえ)を、あなたの身の周りに活かしてみてはいかがでしょうか。

 西郷派大東流合気武術は、単に一人の一天才的な流祖が編み出した技ではなく、何百年も掛けて、多くの古人達がそれに携わり集団研究の結果として、その教訓と智慧を寄せ集めた武術です。
 それだけに奥行きも深いものがあり、まさに智慧の宝庫の様相を呈しています。そしてこの智慧(ちえ)は、必ずや、イザというとき、ご期待に沿うものと信じます。
 ぜひ一度、尚道館の門扉を叩いてみて下さい。
 現在総本部・尚道館ではストーカーに対する様々な問題の相談を受け付けております。           



西郷派大東流合気武術総本部・尚道館 謹書