内弟子制度 21



尚道館内弟子寮・陵武学舎


尚道館の道場正面神前の神棚ならびに神殿。


●道場とは聖なる神域

 道場とは、「修行の場」を現すのであるが、道場の由来は、そもそも禅の僧侶達によって形作られ、これは「釈尊が成道した菩提樹(ぼだいじゅ)の下の地」または「仏法の修法・修行の場所」を現し、裟婆(しゃば)とは結界(けっかい)で線引きし、結界の裡側(うちがわ)を道場と呼んだ。

 我が西郷派大東流合気武術は、元会津藩家老・西郷頼母の合気武術修行に取り入れた、古神道と真言密教の教伝方式にその教授システムを習い、他の大東流とな異なる「三礼(さんらい)の着座」と「五体投地」(ごたい‐とうち)を行い、神前に対し厳粛(げんしゅく)に礼拝する。


1.神前に対し静座する。

2.左手から差し出し、

3.次に右手を差し出す。

4.低頭をし、

5.一礼した後、

6.再び左手から差し出し

7.右手を添え、

8.低頭する。

9.五体投地したまま、

10.掌を上に向け、

11.三礼のため、

12.三回掌を上下させ、

13.姿勢を糺して、

14.柏手を、

15.打ち、

16.再び二度目を、

17.打つ。

18.再び姿勢を正し、

19.三礼のため、

20.左、右を手を出し、

21.低頭をする。

22.掌を上に向け、

23.五体投地し、

24.掌を

25.上下させ、

26.姿勢を正し、

27.左手を出し、

28.右手の順に、

29.低頭して、

30.気を落し、姿勢を糺す。



 稽古に入る前には、沐浴斎戒(もくよく‐さいかい)を行い、五体を綺麗(きれい)にし、ゆったりと、大らかな心で、これに臨む。道場にはその入口に、道場の裡側(うちがわ)と裟婆(しゃば)との結界として、その境目に注連縄(しめなわ)が張られ、一度道場に入れば、此処(ここ)は修行三昧(ざんまい)の命を遣(や)り取りする厳格な世界である。

 道場内では香炉(こうろう)あるいは線香が一本立てられ、香(こう)の香りで、裟婆との絶縁を図っている。そして、その結界より道場の裡側に、一度足を踏み入れれば、聖なる神域であり、まず道場入口の末席に我が身を置き、神前に対し礼拝をする。礼拝は古神道と真言密教の修行法に基づき、「三礼」と「五体投地」を行う。

稽古前の邪気と不浄の念を払う青磁の香炉。尚道館では、総ての来館者にも「お香」が振る舞われ、何人に対しても、分けへ隔てなく「礼儀」を尽くすのである。そして傲慢(ごうまん)こそ、「武人の最大の敵」と戒めるのである。

 尚道館では神殿・神棚中央に、先代の宗家・山下芳衛先生から受け継いだ「武神の御霊」と、大宇宙神である天之御中主神(あめのなかぬし‐の‐かみ)が祀(まつ)られ、左右に高御産巣日神(たかみむすび‐の‐かみ)と神産巣日神(かみむすび‐の‐かみ)の三柱が祀られている。天之御中主神は大宇宙を司る中心軸を為(な)す神であり、またの名を、大日月地大神(おおひつきくに‐の‐おおかみ)という。

 高御産巣日神は合気における「発気力」であり、宇宙の拡散と膨張を司り、神産巣日神は合気における膠着(こうちゃく)と密着を司り、力の集中を図る神である。それぞれ三柱の神は、天之御中主神を中心軸にして、高御産巣日神と神産巣日神が働いて大宇宙を司っているのである。

 更に、大宇宙神・天之御中主神の左右の守り神である、高御産巣日神こと毘沙門天(びしゃもん‐てん)と、神産巣日神こと摩利支天(まりし‐てん)が左右からそれぞれの「力」を司り、宇宙創造の根源を為(な)している。

 昨今は「礼の失われた時代」である。「低頭(ていとう)」という意味すら知らない老若男女が増えている。礼を知らないのは、何も若者だけではない。いい年をした壮年の大人から子供まで、礼を知る者は少ない。武術や武道を愛好していても、それは趣味の領域であり、その枠(わく)から超越して、探究を行う修行者は、ほんの僅かでしかない。「武は礼に始まり……云々」と説く、武術家や武道家すら、本当の礼儀とは如何なるものか、全く知り得ないのだ。したがって人倫が乱れ、世の中が騒然(そうぜん)となるのも当然である。

 往古の武人達が、高い品位と風格を保ち得たのは、単に殺伐(さつばつ)とした撃刺(げきし)の為の暴力を振るう為に、種々の技を磨いたのではない。厳しい稽古に明け暮れる一方、常に学問に励み、名誉と恥辱(ちじょく)に対する感覚をも、同時に磨いていたのである。

 競技武道といい、格闘技といい、その目的は人格や品格を磨く事より、「勝つ事のみ」にその重点が置かれている。叩けばいい、打てばいい、突けばいい、蹴ればいい、倒せばいい、投げればいいと云った「勝ちを競う」こうした種目の類は、角度を変えれば、人を斬り殺し、突き殺し、蹴殺すと云った暴力肯定の屠殺人(とさつ‐にん)の其(そ)れであり、原水爆や高性能兵器が開発されている現在、単に勝ちを求めて競う事は、人類にとってこれほど有害なものはない。



●自分の身の処し方を学ぶ、それが西郷派大東流合気武術だ

 「身を以て学ぶ」という修練の道が、西郷派大東流合気武術である。
 我が流の起居振る舞いは、「坐る」「立つ」「歩く」「退く」「膝行」「膝退」「膝側」「転身する」「捌く」「躱す」「引く」「出る」「退く」「押さえる」「固める」「極める」「臥せる」「挟む」「掛ける」「抱える」「倒す」「投げる」「打つ」「蹴る」「突く」「当てる」「刺す」「絞める」「潰す」「挟む」「落とす」「斬る」「薙ぐ」「受ける」「止める」「流す」「目配り」「気配」「視る」等の動作を行い、これを行動律にしているが、こうした姿を見ただけで、おおよその実力が見当つくものである。

 これを裏側から見れば、人間の行動律と言うものは、単に練習を繰り返すだけで身に付かないと言う事であり、その裏側には精神の修養と云うものがあるという事が分かる。心の伴わない修練は、単に狂気の術であり、そうした愚を犯さない為にも、まず己の裡側(うちがわ)を掘り下げ、「自分とは何か」という事について、深く探究しなければならない。

 己を探究する事を知らない者は、自分の欠点より、他人の欠点を論(あげつら)う。他人の欠点ばかりに目を向け、そこを鋭く批判する。しかし自分の事となると、寛大であり、実に甘い。そして自分が見えなくなっている。
 「自身の身を処す」といえば、厳しい練習と抑制と受け取られがちだが、こうした表面上の、表皮の部分を云うのではない。それ以前の、一挙手一投足を云うのである。

 例えば足遣いだ。
 我が流では、歩く際、「跫音(あしおと)を立てるな」と厳しく指導する。猫のように静かに歩き、人に気配を感じさせないように歩く事が大事だと教える。
 武人は幼少の頃より、こうした躾を厳しく云われて来た。跫音を立てる輩(やから)に、武術練達の士はいない。未熟者は跫音が大きく、その間抜け振りすら、自分で気付く事が出来ない。足を引き摺り、あるいは踵をついて、間抜けな歩き振りで、自分の居場所を知らせてしまう。これは、「自分が此処に居て、此処を攻撃せよ」と云っているようなものである。こうした人間は、必ず事故に巻き込まれたり、間抜け振りが祟(たた)って敵に総べて読まれて、自分の命を落とす破目(はめ)になるであろう。

 足遣いは非常に大事なものである。稽古事なら殆どがそうであり、日本舞踊にしても同じであろう。舞い手がどの程度の腕前であるか、跫音を聞いただけで分かるのである。
 また足遣いや、足捌きにしても同じである。こうした心掛けは、単に技術的な猛練習によって得られるものではない。普段からの心掛けがモノを言うのである。また、それに接する「戦闘思想」と言うものが、普段の心掛けを構築するのである。
 跫音の大きな、間抜けな人間程、早々と命を狙われ、短命で終わるのである。行動律に戦闘思想がないからだ。

 最近の競技武道や格闘技では、試合中心の格闘を演ずる為、「足運び」や「歩行」について、あまり注意を払わないようであるが、本来はその行動の中は、大変な極意が隠されているのである。自分の身を持て余し、我が身の処し方を知らない者は、表面のみの現象に囚(とら)われて、内面的な動揺に波立っている事が気付かない。人や物に接触したり、物に躓(つまず)いたり、跫音を響かせるような者は、武術鍛練中の修行者にあるまじき不用心の主である。神経の粗雑さを物語るものであり、不用心と云うべきである。身の処し方を知らない為である。

 また、身だしなみについても、身の処し方を知らない者は、清廉、質素、機能的と言うシンプルな箇所にも、無駄な贅肉(ぜいにく)を付けており、その行動は雑で、間抜けである。隙も多い。こうした雑な面や、間抜けな仕種(しぐさ)は、敵から観察されて命を落とす場合もある。
 身だしなみは服装の事だけに留まるものではない。その時、その場の、その者に最も相応しい身支度(み‐じたく)こそ、「よい身だしなみ」と言えるのであって、喩(たと)えば登山には通常の皮靴は不味(まず)いであろうし、農作業に背広着用では不味いであろう。
 したがって、その場にそぐわないモノは不向きであるという事である。

 人間は外に目が向かっている為に、他人の事は能(よく)く見えるであろうが、自分の事はあまり良く見えないものだ。主体はいつも自分にあり、自分を中心に主観的に考える傾向がある。こうした普段の主観的環境に慣(な)らされてしまった者は、配慮の無さを他人から指摘される迄は、中々自分の非に気付かないものである。
 席次とか、順序と言うものを無視したり、気付かないと言うのが実情であり、礼法を知っている熟達者から指摘されるまでは、格別不思議とも思わないし、恥ずかしいとも思わない人間が多いようだ。

 しかし自分の身の処し方の一つとして、人間の顔付きが、そうであるように、行動様式も、あるいは精神的内面性の行動律も、特有の相(そう)によって顕われて来る。それは話し方であり、普段の姿勢であり、食事の仕方であり、仕事振りである。聡(さと)い者はこうした「相」を客観的に観察するが、疎(うと)い者は鈍感であるばかりでなく、師の席や領域を侵したり、間違いを指摘されてもこれに気付かないのである。鈍麻により、要するの魂が曇り、霊的神性が退化しているのである。人間が鈍麻になるのは、食餌法に問題があると言えよう。

 こうした事実は企業家等にも見る事ができる。
 経営者が食事について注意を促さないような企業は、そもそも礼儀がないので、またあらゆる面での作法が抜け落ちている。何を喰っても自由とする企業や、食餌法に疎い企業は、間抜けな社員が多く、業績も低迷の傾向にある。
 顧客を下座(しもざ)に放置したまま、無関心でいる経営者は、やがて顧客から見放されて事業に躓(つまず)く事は必定である。斜陽は此処から始まる。

 また、国旗や先達の遺影を下座の壁に掛けて、この状態を不思議に思わず、道場を、ただトレーニングの場にしている道場主は、有識者から重んじられると云う事は決して無いであろう。人の集まる席上で、上席も末席も区別のつかないような鈍感な人間が、道場師範や師範代を行っているような道場では、幾ら武技に優れていたとしても、身の処し方や礼儀を知らない者は、やがて人から疎(うと)んじられ、晩年は辛い老後を過ごすであろう。

 昨今は無節操なご都合主義が流行している。
 知識から学んだ限られた個人的な体験に基づき、これを主軸にして恣意的(しい‐てき)な、暗愚な接し方で、その時の都合を安直に下す事が多くなっている。企業も、ご都合主義優先の利潤追求に耽(ふけ)る為、一見、臨機応変の柔軟な措置に見える諸業も、実は武術的な見地から見ると、問題だらけであり、特にスポーツジムや格闘技道場の場合は、問題や遺恨を後に残す結果を招くのである。

 民主主義の世の中は、全体の多数決がモノを言う世の中であり、多数決によって正しいかどうかを議論するのでは無く、同意者の多き方に天秤(てんびん)が傾く社会構造になっている。
 正しいか、否かであるという事ではない。一個人の判断がどんなに正しくても、多勢の意見で同意を得る事が出来なければ、その判断は弾劾(だんがい)され、闇(やみ)に葬(ほうむ)られる。
 正しいか、どうかではない。多いか少ないかの、議会制が、この社会システムの基本であり、この基本装置によって、人は動かされている。これが民主主義だ。

 したがって多数決の票を巡って混乱が起る。
 平等を理由に、背後では力関係に決着をつけるべき綱引きが行われ、水面下では巧妙な根回し作戦が展開されている。人の眼に触れないところでは公然と不正が行われる。これが、自由・平等・博愛・個人的人権の尊重と信じられている民主主義の素顔だ。
 往時の身分社会では混乱がなかったものが、近代に至って「混乱」と「混沌」を招き、この中に身を置いて、「形なし」の文化が蔓延(はびこ)るようになったのは、「民主主義」と言う名の元に寄生したご都合主義者達の悪しき個人主義的傲慢であろう。
 そして民主主義を定義するならば、一口に云って、「民主主義とは、悪しき個人主義」を云う事が出来る。

 日本人が身分によって、固有の生活圏を持ち、独自の文化を持って居た頃は、多数決等と言う票取り合戦等の混乱はなかった。ところが身分社会が、西洋の「民主」の仮面を被った植民地主義と帝国主義に襲われると、武家文化も、町人文化も、更には「河原者」あるいは「河原乞食」と蔑まれていた芸能人迄が入り混じって、混乱を来し、「型なし」のご都合主義が蔓延(はびこ)るようになった。
 しかしこのご都合主義に、ひたすら忍従を続ける、一億総中流と自称する日本国民は、この現実に自覚症状を持たない。
 ただ享楽と快楽に明け暮れ、性交遊戯で身を持ち崩すと言う現実に、自ら我が身を委(ゆだ)ね、エイズと云う不治の病と、ガンと云う不治の病の狭間(はざま)に挟まれ、無慙(むざん)に朽ち果てようとしている。これに危惧(きぐ)する日本人は、実に少ないのである。礼儀知らずの現実が、ここまで日本人を危うくしたと言えよう。

 時代が目紛(めまぐる)しく激変する中、自分を見つけ出し、発見すると云う事は中々出来なくなった。立場意識も廃れ、筋目意識も廃れた。
 現代人の多くは、我が身一つの身の処し方も知らず、時代と流行に流されて、身を持て余している。競技武道や格闘スポーツは、結果優先で物事を考える為、モノの言い方や態度上の不作法をあまり重要視する事が無くなった。礼儀は無用の長物のようになり、競技に於ては、とるに足らぬ瑣末(さまつ)な事のように思われはじめた。

 本来武術には、道の修練としての態度を反省する帰納的定義が備わっていた。ここには紛(まぎ)れもなく回帰的定義があった。また、行動律から起る、「行い」や「言葉」を吟味する「回帰」の要素が含まれていた。
 ところが武道が競技化の道を選択し、格闘技が興行を目的として催される時代、態度の反省や武技の修練法は、勝つ為のみに置かれ、実人生における大事な修練は等閑(なおざり)にされてしまった。

 武道関係者もスポーツ関係者も、口では「青少年育成」を掲げる。あるいは「社会教育への参加」を掲げたり、「礼儀」を掲げたりする。しかし実のところ、彼等の掲げるテーマが、実は何を意味するか、非常に不明瞭(ふめいりょう)である。そして具体性がなく、同時に説得力がない。
 彼等の定める武道憲章等を吟味すると、その柱になっているのは「礼節」であるが、これは具体的には人間の生活行動における、「何処の部分を指すのか」まったくもって不明瞭であり、しかも漠然として抽象的である。
 そして客観的に見て、「挨拶」を礼儀とし、「お辞儀」を礼節としているのではあるまいか等と疑いたくなる。

 ここに、我が身の処し方が希薄になった現実がある。
 頸(くび)から下だけが頑丈で、ただ人を殴ったり、蹴ったり、投げたりする事ばかりを考えて、練習に明け暮れる、芸能タレント擬(もど)きの人間を大量生産したところで、社会や個人にとって、それが最終的には一体どうなると云うのであろうか。
 果たして、金メダル選手の数を増やす事が、日本の国益にとって、どれほど寄与するという風に考えているのだろうか。またそれを真摯に受け止め、国益だと信じる日本の有識者が、どれ程いるのだろうか。

 武術や武道愛好者が生涯を通じて、これに携わっているのは、敢(あ)て云えば、それは「武術や武道が好き」という領域のものであり、「好き」という領域は、「好き」以外の何ものでもなく、それ以上でもそれ以下でもないという事である。したがって、一般に信じられているような「人格の向上」等、これらを通じて行える筈がなく、これは社会的意義から見て、武術や武道に寄せられる単にスローガンでしかない。
 要するにこれは、素人の「青少年育成」という政治レベルで考える願望であり、儚(はかな)い期待に過ぎないという事である。

 こうした短絡的な考え方は、内容の伴わない空疎なタテマエ論を展開し、青少年育成と嘯(うそぶ)くが、「武」の持つ原点の意味を知らない為に、人間の意識には自分一個の個人から離れて、社会に対し、「何を奉仕するか」と言う具体的な「奉仕」の意味を理解していない。
 武人は、そもそも人民に奉仕する「奉仕人」ではなかったか。
 礼儀を糺し、「分際」という意識を携(たずさ)えて、他の師表しひょう/人の師となり手本となること)になろうと試みたのではなかったか。

 ところが武術や競技武道が観客を意識しは始めた頃から、一般スポーツ界や芸能界とが地続きになり、これまでの武道界に根付いていた独自の価値観や自覚が失われたのである。そしていつの間にか、「観客アピール」という西洋の思想に汚染され、観客に媚(こ)び売る姿が目立ち始めた。これが喜怒哀楽の見苦しさだ。選手が右手を上げて掲げるガッツ・ポーズが、そのよき例だ。
 観客受けを狙う考え方は、明らかに観客に媚びを売る態度であり、これは本来のスポーツにもなかったものであるが、芸能界とスポーツ界が地続きになった為に、芸能のそれが、武道や格闘技の世界でも意識されるようになった。

 スポーツも、許(もと)を糺(ただ)せば、欧州の貴族社会に普及したものであり、彼等が当時、観客にアピールする事を由(よし)としたか否か、恐らく、こうした尺度すらなかった筈だ。
 ところが芸能として捉えられ始めたスポーツはもとより、武道や格闘技の世界にもこれが入り込み、そして今や伝統武術と自称するこうしたものにまで、不節操な歪んだ理屈が罷(まか)り通り、これに何の疑いも抱かない愛好者が増えて来た。

 だからこそ、わが流はこの危険性を指摘する。
 一喜一憂に振り回される事なく、地道に精進を重ねる事が本来の武の道の姿だ。これこそが武士道実践者の斯道(しどう)の在り方だ。
 我が西郷派大東流合気武術の門人は、武士道を重んじ、不本意な恥辱(ちじょく)を憂いとし、斯道に励むと言う事を第一義とするのである。
 我々は武術を通じて、スポーツ・タレントや芸能人のように、新聞やテレビで放映される事を目標に掲げて精進しているのではない。人知れず、陰に廻って努力を重ね、工夫を凝らし、「知られざる稽古」を積んでいるのである。そして秘密は、秘密である間が一番強いのである。