●第二のバブル崩壊
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▲ バブル時代の繁栄
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▲ カネ余り現象
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1990年初頭、日本経済を襲ったバブル崩壊は、金融や証券業界や不動産業界を巻き込んでの未曾有の困難に陥れたものでした。そしてこの崩壊以降、未(いま)だに長引く不況が続いています。しかし、不況を脱出したとする昨今に楽観ムードは、一部の大企業あり、中小以下は未だに資金繰りの悪さに喘(あえ)いでいます。
また、銀行やノンバンク等の金融機関も、株式に絡む不正融資事件の頻発で多額の不良債権を抱え、汲々とした現実を招き、いまもなお、その後遺症に悩まされています。
更に、不動産業界に至っては、売買が成立した新築物件の契約率が40%を下回る現実を招きました。これらは総べてバブル時代に、激しく動いた投機性の強いもので、昨今のように著しく消費が冷え込むと、恐々とした状態をつくってしまう事になります。
そして最も恐ろしい事は、実態経済から浮遊したバブル時代のツケが、いま廻って来ているということです。
そもそも資本主義の原理は、「物を作って売る」というのが経済の本質でした。ところが近代資本主義は金融経済に最優先され、統合されてしまった為に、経済の本質を忘れ、金融経済の「泡」の部分が、経済を動か推進力になってしまいました。そしてバブル以来の不況は、未だに回復の兆しが見えてきません。
更に注目しなければならない事は、バブルを境に個人消費が大きく浮遊した事でした。一般に、バブルで浮遊したのは株式・金融・不動産等と思われていますが、実は個人消費が最も浮遊が大きく、クレジットカードの発行枚数が急激に増えたのは、この頃からでした。これはバブル崩壊を機に、国民の大半が借金漬けになった一番最初の瞬間だったのです。
バブル崩壊が齎(もたら)したものは、依然、後遺症として残り、国民を借金漬けにする現実がその裏にあり、これがまた、バブル経済と奇妙に一致するのです。老いも若きも、男女の性別を問わず、国民の多くは、自覚症状を持たないまま借金漬けの現実の中に放り込まれてしまったのです。
バブル崩壊によって、企業は設備投資を手控えるようになり、お金を貸す相手を見失った銀行は、個人への貸し出しに力を入れるようになりました。これまでのサラ金の貸し出しのノウハウをそのまま利用し、サラ金会社と提携して、銀行が、クレジットカード使って個人向けの消費者金融を始めたのです。
クレジットカードやサラ金での消費者の利用合計額は、1991年頃から急速に増え始め、それから十数年経った現在は、実に年間国家予算をはるかに凌ぐ金額となり、この膨大な金額は、日本国民全体が国家予算を上回る借金を背負っている事になります。
日本の家計消費(可処分所得)における、消費信用産業に対する依存比は約十年間で29%であり、これは十年前の22.5%(この頃アメリカでは21%程度だった)を遥かに上回る数字です。この数字は借金大国と言われるアメリカの数字(27.4%)を遥かに上回るので、凄じい勢いで日本国民が借金漬けにされていると言う現実があります。
もうこの数字だけでも、生活していくのが「やっと」と言う状態です。所得の約三割近くを借金返済で持っていかれれば、生活は非常に困難になり、生活費を借金で賄(まかな)うと言う現実が起こってきます。
やっと建てた小綺麗なマイホームに収まり、豪華な四輪駆動車を所有していても、その実態は「大ローン」です。少しでも支払いは増えて、支払日に間に合わせようとすると、債務者は直ちに自転車操業に陥ってしまうと言っても過言ではありません。
日本人は、資本主義経済の最も進化した金融経済の中で、時代とともに消費に浮かれました。そして春の宵(よい)を謳歌する間もなく、多重債務を抱えて空しく散っていった自己破産者たちが同時代に同居していました。
バブル崩壊当初、自己破産者は4万人程度でしたが、その十年後の2002年には12万人を越え、三倍に膨らんでしまいました。そして現在も猛烈な勢いで破産者が増え続けています。これは一体何を意味するのでしょうか。
いよいよ個人に課せられた不良債権が徐々に弾けはじめているのです。そして実は、これこそが「第二のバブル崩壊」の始まりだったのです。
破産予備軍と言われるその数は、100万人以上と言われています。これが一挙に弾けた場合、倒産する銀行やノンバンク等の金融機関は一つや二つでは収まりそうもありません。
近い将来の倒産を懸念して、いま銀行は急速に合併して経営母体と資本力強化に務めていますが、果たしてこれだけの対策で経営の安定は図れるものでしょうか。
平成バブル当時の仕掛人は、ユダヤ系金融機関のアメリカ国籍を持つソロモン・ブラザーズでしたが、今回の場合はアメリカの巨大ユダヤ金融資本がその背後に隠れています。
現在の個人が抱える多重債務の実情を見てみると、個人債務は複数の業者にまたがっている構図でしたが、この金融市場の拡大ポイントは、これが一旦不良債権化すると、急速な勢いで増大する、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄絵は避けられそうもありません。
資本主義を高度に進化させた金融経済は、「借金」という契約社会での経済構造を作り、借金に苦しむ個人に貸し付けて大きく業績を伸ばしてきましたが、人間の金銭欲を利用して借金されるという「負の商法」は、もうそろそろ終盤が近付いています。そして、これまでのツケが一気に廻ってきて、弾けるまでの秒読み段階に入ったと言えます。
その秒読みのカウントダウンに拍車を掛けているのが、いまもなお続く自己破産者の増加です。
これはまるで、借金に苦しむ消費者に、高い金利でお金を貸し付け、業績を伸ばしてきたサラ金業者への逆襲とも言える様相を示しています。そして破産予備軍は100万人以上と言われる現実の中で、今後どれだけの破産者が増えるか、これが予想不能の為に今更ながらに無気味さを感じさせます。
サラ・クレ地獄と言う現世の金融経済の恥部は、「負の商法」が齎(もたら)したクレジットカードと言う実態のないアラビア数字の帳尻合わせで、脆(もろ)くも崩れ去ろうとしているのです。
株式や不動産の後に続く、第二のバブル崩壊は、今は序曲の段階を静かに進行していますが、やがて大津波となって逆襲する時機(とき)が襲って来るのは必定です。
●個人の没落
日本金融経済の特徴に、例えば日本株式市場では、日本人自身によって株価の価格設定が出来ないと言う現実があります。つまりこれは、日本から大量のお金が外国に流れ出していると言う事を物語り、例えば歴史を振り返れば、幕末以降の日本から「金」が大量流出した当時の状況に酷似しています。
そして日本株式市場で絶大な力を誇っているのは、日本人ではなく、外国人の強いリーダーシップによって価格形成が行なわれていると言う今日の現実です。
株価形成力を保持できる証券会社は、一部の店頭株(例えば野村証券等)を除いて殆ど存在せず、これこそが日本株式市場のありのままの姿なのです。そして外資系の証券会社は、圧倒的にユダヤ系金融機関が非常に多いと言うことです。
ユダヤ人は十七世紀後半以降、世界の金融システムの根本を作り、アメリカ独立戦争やフランス革命の頃になると、このシステムが擡頭(たいとう)し、近代資本主義の基礎を作って来ました。したがって、金融については非常に詳しく、金儲けには手段を選びません。儲け時機と判断すると、どんな手段を使ってもガッチリと巨額な儲けを弾き出していきます。
ここに実は金融経済の実態があり、資本主義のルールの同じ土俵で戦った場合、世界には、彼等に勝る者は、唯一人としていないということです。全く太刀打ちできないのです。金融の世界を独特の数学を用い、金融工学を形成して行ったのが、「国際ユダヤ金融資本」であり、このひと握りのエリート・グループと、一般のユダヤ人は無関係です。
こうした背景に憶測された「陰謀論」等が一人歩きして、「ユダヤ人脅威説」なるものが、被害妄想として浮き上がって来ました。
しかし、ユダヤ人の彼等は、金融に限り、他が太刀打ちできない儲け方をするものの、これはあくまで金儲けに関しての事であり、資本主義の原動力の深層部の実態は、別の所にあります。
1990年代の日本の株価暴落にはソロモン・ブラザーズが深く関与していましたが彼等が日本から根こそぎ奪っていった巨額な儲けは一体何処に言ってしまったのでしょうか。
金融ビジネスに関して、ユダヤ人の能力は非常に長(た)けたものですが、そのノウハウは彼等の血縁によって管理されています。十七世紀後半以降、ユダヤ人によって蓄積されてきたノウハウは非常に強力なもので、金融経済に於ては絶対に無視できないと言うのが率直な意見であり、彼等に対して日本では二つの考え方を支持しているグループに分かれます。
一つはユダヤ人国際陰謀説で、もう一つはユダヤ人を手本としてユダや金融勢力に取り入り、ここから金儲けを学ぼうとするグループです。そして後者は、ユダや陰謀説を被害妄想と退けるグループの人達です。
こうした二つの考え方を各々のグループが錯誤させながら、否定と肯定が繰り返され、結局、戦略なき国家や、戦略なき個人が没落していく社会形成をなしていくという現実があります。また、これこそが歴史の掟であり、「没落する」という現実の中に「第二のバブル崩壊」の暗示があるのです。
金融経済の特徴は、これが高度化すれば、コンピュータを駆使した仕組みによって世界経済が動かされという現実が免れなくなります。そしてこの仕組みを理解して、逸早く運用した者が、株価を暴騰させたり、暴落させたりする事が可能になってきています。
現代に生きる私たちは、現にこうした中で日常生活を送っており、その背後で、巧みな金融経済を操っているのが、外資系と言われるユダや金融資本なのです。その背景には、もう既に、日本株式市場は、日本人によって価格形成が出来ない状態にまで巣喰われているのです。
こうした現実は、やがてお金に振り回される消費生活が、個人では、借金以外に手がないとする傾向に奔る、数字に振り回される破局を招き、「個人の没落」は確実になっていきます。これこそが、一億総借金漬けの、自覚症状の伴わない崩壊の現実なのです。
個人の生活は資本主義の輪の中にある限り、日本人はその大半がギリギリの所で生きる事を余儀無くされます。少しでも支払計画が狂えば、自転車操業の陥りかねない現実が背後に隠れています。
こうした状況下で、笑うのは一体誰か?という事が浮き上がって来ます。
果たして金融経済の仕組みを逸速く理解し、これに乗じて大金を掴んだ投機家達なのでしょうか。
貨幣というこの生き物は、もともとそれ自体に実態がありません。その実態なきものが一人歩きするのが、金融経済の経済構造であり、これはあくまで個人の支払が履行されると言う現実の上に成り立っています。履行されなければ、この契約によって示された仕組みはやがて破綻の方向に向かいます。
株価の高騰に舞い上がり、時代とともに浮かれ上がり、消費を繰り返した挙げ句、やがて不履行の時が訪れ、そして空しく散っていった自己破産者達。日本人は初めてこの時、「個人の没落」という現実を目の当たりにしたのでした。時に、1992年当時、日本での自己破産者の総数は約4万人でした。そしてこれは急増し、更に増え続ける傾向にあります。
これこそが資本主義経済の崩壊の暗示であり、もう正常に機能するには、歯車が噛み合わなくなっていているのです。
●文明崩壊と民族大移動
持てる者と、持たざる者の格差が広がり、極端に傾けば、これを修正しようとして、自然界には復元力と言うものが働きます。この復元力こそ、一つの文明を崩壊させ、次の文明を作る原動力となります。
歴史を紐解くと、文明の崩壊については、東洋よりは西洋の方が、その暗黒の度合いは強い事が解ります。人類の歴史の中には、過去二回に亘り、西洋文明の崩壊が刻まれています。
それは第一回目が「エジプト文明及びエーゲ海文明」であり、第二回目が「ギリシャ文明及びローマ帝国文明」です。そして、第一回目のエーゲ海文明の崩壊の時には信じられない事が起りました。
それは天変地異と民族大移動によって、巨大な文明がアッと言う間に、蜘蛛(くも)の子を散らすように地上から消えてしまったのです。
また、第二回目のローマ帝国文明の崩壊では、ゲルマン民族の侵入により、この帝国は崩壊します。この崩壊は、中世の暗黒時代を作り上げ、まるで奈落の底に落ちたような様相を呈したのです。
こうしたヨーロッパの文明崩壊とは逆に、西南アジアや東洋では、サンサ朝ペルシャや古代インドネシア、並びに中国の唐帝国等が栄え、日本では平安朝が栄えます。
その後、ヨーロッパでも十三世紀末葉から十五世紀末葉へかけて、イタリアでルネサンス(再生の意)が起り、これがやがて全ヨーロッパに波及し、芸術上および思想上の革新運動が展開されます。これを機に、ヨーロッパでは科学や、それを基盤とした工業等が起り、今日の西洋文明の礎(いしずえ)を築いていく事になります。しかしこの西洋文明も、ここにきて翳(かげ)りが見え始め、これに代わって、中国を中心とする東洋文明が凄じい勢いで急成長を遂げています。
こうして見て来ると、洋の東西は、シーソーのように、交互に左右いずれかに動いている事が解ります。こうした歴史背景を持ちながら、文明の移行が行なわれて来たのです。しかし、文明の移行の背後には、「難民流入」という脅威があり、文明が移行する度に、民族の大移動が行なわれているという事です。
現実問題として、現在のヨーロッパの動きを見てみると、旧東ドイツを吸収した西ドイツは、ドイツ連邦共和国として統一した今も、ロシアや東欧諸国からの難民流入が行なわれ、これに神経を尖(とが)らせています。
ヨーロッパ経済の核の要素を持つドイツは、今、かっての社会主義圏と、それに附随する政治、経済、軍事にも、難民流入をも含めて、侵入され易い条件が揃ったと言えます。
かつて西洋文明崩壊の引き金となったゲルマン民族の大移動は、今度はこれが、ロシアや東欧諸国からの難民流入という形で、ゲルマン民族大移動の脅威に曝(さら)されているのです。
難民の脅威はヨーロッパだけに止まらず、今、中国にも押し寄せています。世界的にも注目を浴びて、画期的な経済発展を遂げた中国は、難民流入の脅威におののく現実が横たわっています。急成長を遂げた経済国家には、必ず蜜に群がる蠅(はえ)のような現象が派生し、ここに難民流入の現実があります。これが現実化されればされるほど、中国各地では農民暴動が起り、同時に治安が急速に悪化しています。
昨今の日本の治安の悪さも、こうした現象を背景としています。
資産格差や所得格差は、バランスが崩れ、どちらか一方に、極端に傾き、拮抗(きつこう)が取れなくなった状態を指すのですから、難民流入とともに、そこでの格差から来る暴動が暗示されます。そして万一、こうした事が現実になれば、今度は百万人単位の難民が、日本に押し寄せて来る事も可能性もあります。
いま世界経済は、その水面下で、こうした民族移動の中で動かされており、これは一つの文明が崩壊するメカニズムの中で、大転換期が起る前触れとも言えます。そしてこの現実の中にこそ、秩序が崩壊する元凶が隠されているのです。
●破綻予備軍百万と難民流入者百万で第二のバブル崩壊が起る?
二十一世紀は、二十世紀から引き継がれた延長線上に経済が立脚しているように見えますが、今という時代をよく見ると、この経済の質は必ずしも良いものとは思われず、むしろ悪い材質の上に成り立ち、災いを招き易い実態の上に発芽していることが否めません。
因果応報の法則からいくと、「今」という「因」は、未来の結果を予定する「果」であり、これが予定された通りになる現実で姿を現すのですから、これこそが「応報」であり、こうした意味で、二十一世紀はその中盤より、不安定な現象が現れても不思議ではありません。そしてこの不安定要素は、資本主義と言うもの自体が、寿命でガタがきて、崩壊するという暗示があります。
今、求められているこれからの文明は、二十世紀の資本主義の延長上にある物質文明ではありません。また物質文明に成り立った経済効果でもありません。これを凌駕(りょうが)する、新しく生まれ変わる社会システムが必要なのです。また新しい経済システムを必要としています。こうした過度期には、中短期的な波瀾(はらん)に弄(もてあそ)ばれる時代が到来し、しばし混乱が予想されます。
これを裏付けるものとして世界各地では、イスラム教等の宗教が力を持ち始め、これは現文明に対する揺り戻しと考える事が出来ます。今の物質文明が、何らかの影響を与えている事は間違いなく、これが良い結果に出るのか、あるいは悪い結果に出るのか、それは人類の抱くこれからの想念にかかっています。
今までは、ヨーロッパで起った科学と工業力とが今日の文明の推進力になり、物質文明の粋(すい)を築き上げて来たのですが、物質文明の繁栄だけでは、人間の心の問題を解決するには至らず、心を置き去りにした欲望だけが増殖された事への揺り戻し現象が起こり始めています。
心を置き去りにし、欲望に掻き立てられて行き着いた先は、金融経済が齎した1990年代のバブルでした。しかも、こうした文明の繰り返しを百年も続けたら、地球自体が沈没としてしまうのは必定です。しかしそうと知りながら、あるいは自覚症状のないまま、この方向に人類が誘導されている事は間違いなさそうです。
その序曲として、再び第二のバブルが起る可能性は、非常に高い確率があります。
人類の近未来は、二十世紀に栄えた西洋型資本主義が編み出した物質文明を引き継いだままの恰好で、二十一世紀中盤まで、この状態が続くと考えられますが、これを基盤にして東洋型の産業革命が起り、精神文明を形作る価値観がそこから生まれなければ、第二のバブルは避けられそうもありません。
これからの人類の価値観が、今まで通りの欲望剥き出しの物質文明に傾くか、あるいは心の拠(よ)り所のなる精神的支柱を発見して、精神文明に傾いていくか、それは人類の抱くこれからの想念にかかっています。
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