●経済相互扶助とは

 《癒しの杜の会》の説く「経済相互扶助」とは、困窮している人に対し、二、三十万のお金を貸し付けたり、無償で物品を与える事によって、経済的な困窮から救済するのではありません。こうした、お金を貸し付けたり、物品を無償で与える事によって、経済的な困窮は、根本的に解消できないと考えているからです。
 お金を貸し付けたり、物品を困窮者に与えると言うのは、あくまで「末端的な応急措置」に過ぎず、これで経済的困窮者を救う事はできません。

 経済的困窮者に今必要なのは、お金や物品ではなく、「何故自分が、困窮する度場に立たされているのか」という事を、まず自覚し、そこから抜け出る事を悟らせるのが、最も大事だと考えるからです。
 お金や物は、他人に与えても、それを与えられる事により、立ち直る人は、まずこの現象人間界の世の中で一人も居ないと言う事です。「与える」という行為は、与えられた側が、「有り難い」という感謝の念を示さない限り、これは与えたと言う事にならず、一方的な金品の無償の配布は、百害あって一利なしと言う事が分かります。

 問題なのは、どうして経済的に困窮するような局面に立たされたのか、これを明確に指摘し、これを改善しなければ、抜本策は講じられません。抜本策を講じずに、再び某(なにがし)かのお金を与えたところで、再度困窮するのは必然でしょうし、まず第一に、経済的に自立する手段を教えなければ、何をしてやって、援助をしても、また旧(もと)の木阿弥(もくあみ)に戻ってしまうからです。これはホームレスなどに身を窶した人が、金品だけで立ち直れない結果を見れば明らかです。

 金銭観念のない人や、浪費癖のある人は、もともと「金銭哲学」が欠け落ちている為に煩(わずら)う、一種の経済破綻病であり、この病気を癒(なお)してやらない限り、二度三度と破綻をくり返します。

 貧困は一種の憑衣現象であり、資本主義社会では、お金を無限に欲しがる強欲者の裏返し現象と言えます。憑衣現象には色々な悪霊が取り憑(つ)きます。
 邪気や外邪(がいじゃ)を始めとして、死霊や、人の悪想念が落した生霊までが取り憑きます。こうした現象を好転させるには、まず一番に「何故困窮しているか」と言う原点に立ち返り、この苦しみの中から、心と魂を洗い浄(きよ)め、身魂磨きを行って、正しい姿に戻っていかなければならないのです。
 金銭に困窮している人に、いたずらな博打場は必要ありません。

 ギャンブルは一獲千金の夢を人間に魅(み)せ付けます。「もしかしたら」という一縷(いちる)の望みを齎します。ところが、こうした望みは絶対に叶えられる事がありません。叶えられるどころか、ますます深みに嵌(はま)って、困窮の度合いは深まります。
 現象人間界の霊的構造は、「霊界の写し」であり、その反射が少し遅れて、人間界で表面化しているだけの事なのです。つまり、霊界で行われている事は、人間界でも少し遅れて必ず起こると言う事なのです。
 逆に言えば、霊界でも人間界と同じ事が起っており、霊界の下にランクされる精霊領域では現世と同じ現象が起っています。また、こうした現象が反映しているのが今日の現象人間界での出来事であり、凄まじい事故や事件が次々に起ります。

 とりわけ、ギャンブル狂は「小欲の亡者」の仕業です。
 小欲の亡者は、人間の喜怒哀楽や一喜一憂に取り憑きます。その餌食(えじき)になるのは、小欲しか持てぬ社会の底辺の微生物的庶民層です。この微生物的庶民層は小欲しか持てぬ故に、パチンコや競馬・競輪などの小ギャンブルに手を出します。そしてこの閉じ込められた狭い空間の中で、「今日はパチンコで五万円儲けた」とか「競馬で十万円儲けた」とかの、自己の小欲を満足させて目尻を下げて一時の優越感に酔い痴れます。
 ところが、こうした一時の優越感は、ほんの束(つか)の間の事であり、ひと晩あければ、翌日は大損をすると言う仕組みが仕掛けられているのです。この仕掛けの罠を知る者は、殆ど居ません。
 何故ならば、ギャンブルをする方だからです。

 ギャンブルと言うのは、ギャンブルをする方は絶対儲からないようになッています。本当に儲かっているのは、ギャンブルをさせる方なのです。
 ユダヤの黄金率の、「金持ち」対「貧乏人」の分離比は、「28」対「72」の割合で、金持ちである支配階級と、貧乏人である被支配階級を隔てています。この黄金法則は絶対に覆りません。したがって、誰が本当に儲けているかと言うと、ギャンブルをする側ではなく、させる側なのです。古来より常に、博打場は筒元(どうもと)が儲かるようになっているのです。賭場を主催している貸元が儲かるのです。これは警察OBが監視するパチンコ遊技場組合であっても、競馬や競輪などの公営ギャンブル場であっても同じ事なのです。

 現代という時代は、私たちの身辺に様々な誘惑の魔の手が伸びてきています。微生物的庶民層の心を誘惑して、擽(くすぐ)る小欲満足産業が、誘惑の手を拡げて忍び寄り、隙(すき)あらば私たちを包み込もうとしているのです。
 また、これまでは社会の底辺として、愛すべき微生物的庶民層は、こうした魔の手に誘惑されて、「愛すべき微生物的庶民」から「憂(う)さ晴らしで、自分を誤魔化す庶民」に変貌して、地道に、生真面目に、平凡に、コツコツと働くと言う事をしなくなりました。何処のパチンコ屋も満員御礼の垂れ札が垂れ下がり、多くのパチンカーは慰安の一時を一喜一憂に上下するというのが、実情のようです。要するに、カモにされ、生涯を一位一揖に振り回される人なのです。

 精神医学では、麻薬を無限に欲しがる人を「麻薬中毒患者」と言い、お酒を無限に欲しがる人を「アルコール中毒患者」と言います。
 ところが、どうした事か、富裕階級の、お金を無限に欲しがる人を「お金中毒患者」とは言わず、多くお金を所有する人を尊敬の眼差しで見て、「大富豪」等と持て囃(はや)します。資本主義には、こうした狂った側面が存在します。そして事象と行為が矛盾している事は明らかです。

 これと同じように、経済的に困窮する人は、「お金を無限に欲しがる人」の裏返し現象を起こしています。ただし、大金持ちと違うところは、持つ者と待たざる者との経済的な格差だけであり、中身は「お金を湯水の如く浪費する」と言う点は酷似しています。
 大金持ちは、いつか自分が経済的な過失で、或る日突然に、末端階級に転落する事を恐れ、無限にお金を欲しがります。一方、経済的困窮者は、困窮から起こる明日への糧(かて)の見通しが立たない事を憂います。どちらも、今よりも、もっと貧乏になって、地の底で最下位になる事を恐れているのです。

 さて、困窮者にお金を貸し付けたり、物品を無償で与える事は、実に安易な考えであり、こうした事をする行為は、相手側の人間性を見下しています。本来、経済援助と言うのは困窮者に対して金銭や物品を安易に与える事ではありません。
人間とは異なる動物達を保護するのは、当然の人間側から見た義務ですが、人間が人間に対して、これを動物のように保護すると言う考え方は間違った思考であり、安易に某かの物財を与えるべきではありません。人間は他の動物と異なり、自ら思考し、間違いについては反省する能力を生まれながらに持っています。こうした能力を無視して、物財を与える事は相手を見下した行為であり、ここには同格・同等としての尊重の意味が抜け落ちています。

 同格・同等意識がないから「人の物を与える」という見下した事が出来、この行為は自他離別の行為となります。相手の人間性を尊重し、人間として「同等」あるいは「同格」と言う意識があるのなら、こうした安易な行動に出て、自分が偽善者面して自惚れてはなりません。

 まず、経済的困窮者に対しては貧困に至った要因を自らで究明させるべきです。また無駄な浪費を指摘すべきです。
 経済的困窮者の100%は、金銭感覚がありません。したがって収入と支出をきちんと把握し管理する、管理能力が欠如しています。貧困の要因は、まずこれが第一に挙げられます。要するに子供の時に、親から、金銭と言う生き物の、きちんと教育と躾を受けておらず、また家庭教育が等閑(なおざり)だった事が、大人になって、こうした貧困と言う不幸現象を招いてしまっているのです。つまり親から、子供の時分に人間として最も発達しなければならない「前頭葉」の発達を促されないままに大人になり、こうした大人が貧困に喘(あえ)いでいるのです。

 もし、子供の時に、親からきちんとした教育と躾を受けておれば、前頭葉は人間的に発達したはずで、お金に困ると言う不幸現象は避けられたはずです。しかし前頭葉未発達者は、金銭感覚の欠如から、貧困と言う最悪の事態を避けられず、お金に困ると言う現象を自らが招き寄せてしまったのです。
 親が子供の幼児期に、小遣帳や出納帳の記入の仕方を教えなければ、当然、子供は前頭葉未発達のまま大人になって、不幸現象の憂き目に遭遇します。

 今月は幾らの収入があり、幾らの出費が或るか、この数字を直感的に計算できなければ、ダラダラと無駄遣いをする浪費家に成り下がってしまいます。これは前頭葉未発達から起こる、低級霊に憑衣された現象と言えます。

 こうした憑衣から逃れる為には、まず真摯(しんし)に金銭出納帳の勉強をし、初歩程度の簿記は勉強しておく必要があります。この意識に欠けると、この隙(すき)を突かれて、外邪(邪なる低級な者で、貧困に喘いで死んだ不成仏霊)の憑衣は免れません。

 だいたいに浪費家であったり、見栄張りな人を見ますと、分相応の背伸びをして、無理な借金をしている人が少なくありません。自分の収入以上に大ローンを組み、見栄を張って大きな家に住んだり、高級車を乗り回していますが、これらが総べて、帳簿上では「負債の部」に入る事を理解していません。総てが資産と考え違いしている人が殆どなのです。

こうしたカードは、微生物的庶民を生涯借金漬けにする為に、支配層が被支配層に向けて仕掛けたものだった。カード地獄の現実がある。多くの人は、クレジットカードを手にした時、自分だけは大丈夫と思う。ところが、使い始めると、これが幻想であった事に気付く。

 特に、マイホーム等は、銀行等の金融機関から根抵当(一定の範囲に属する不特定の債権を極度額の限度で担保する抵当権)をとられている為、最後の一円を払い終える迄は、自分の物ではありません。したがって大ローン支払中のマイホームに住んでいると言う事は、少しでも支払い不履行などの事故が起れば、直ぐに取り上げられてしまう代物なのです。

 しかし、ローン購入者の多くは、その事を余り深く考えずに、ローン購入でのマイホームを「自分の資産」と思ってしまします。ところが現実では、一度でも支払い事故を起こせば、一挙に名義は金融機関名義に移り、競売(これは競売法に定めるところにより、担保権の実行など、民法・商法の規定により動産または不動産の競売をなすべき場合に、執行官や地方裁判所による競売の手続を規定した法律で執行される)されてしまいます。
 この意味で、ローン支払中のマイホームは「資産」ではなく、「負債」であると言う事が分かります。
 この識別が明確に出来なくては、貧困から逃れる事ができず、生涯を通じて借金漬けの地獄をのたうち廻らなければなりません。



●日本人は宿命的にカード地獄に陥っていく運命を背負っている

 金銭的に行き詰まり、困窮に陥るのは一種の日本人の真面目な国民性が災いをしています。昨今、多発している多重債務に陥る最大の原因は、支払期限に間に合わせようとして、再び何処かで新たな借金をしてしまう事になります。こうした日本人の真面目な国民性が、「借りたお金をかえす為に、また新たに借金をする」という不幸現象を繰り返しているのです。

 一方で、「返せないような借金をするのが、果たして真面目か?」という、お叱りの声があります。
 ところが日本人の場合、アメリカ等の先進国の国民に比べても、圧倒的に何とか返済しようと、藻掻く人が多く、返済できないからほったらかしにしておくと言う人は、そんなに多い事ではありません。だからこそ、日本を世界中で唯一の最良な金融市場と考え、大手サラ金会社等のアメリカの巨大金融資本が貸し付けを行っているのです。

 資本主義の総本山であるアメリカでは、年々ガード破綻者が増え続け、今後も増加の一途にある事が予想されています。またアメリカ人の国民性は「払えないから破産するのだ」という、金銭についてドライに考える人が多く、こうした国民気質が日本人と大いに異なっているところです。
 これは債務者の立場からすれば、日本人だけがとんでもない資本主義の常識に縛られ過ぎていると言う現実があります。日本人だけが、まんまと資本本主義の訝(おか)しな常識に捕われて、何しろ、自分の収入以上の借金を一生懸命になって返済しようとするのですから、これは殆ど病気をと言うしかなく、さまさに何者かに憑衣されているとしか言い様がありません。

 これを承知の上でお金を貸し付ける街の金融機関があるのですから、借金漬けになってノイローゼ等の精神障害を起こさない方が不思議なくらいです。

 「借りたものは返さなければならない」という、尤(もっと)もらしいことを債権者は口走ります。事実その通りなのですが、では何故そこまでして金融機関はお金を貸すのか、ここに問題があります。そしてどうして、こうまでしてお金を貸し付け、追い込みをかけるのか、こうした事が根本問題として横たわっており、これこそが改善策の第一に挙げられなければなりません。

 万一、こうした状態に陥ったら、まず今以上に借金を増やさない事です。更に、直ちに返済をストップして、多少の取り立てがうるさくても、借金の為の借金を重ねるのは得策ではありません。
 そして日本人が最も気にするブラックリスト掲載は、日本人を借金漬けする為の脅しであり、こうした脅しに、まんまと乗せられている人も少なくありません。

 生活の健全化は、ブラックリストに載らない為に奔走するのではなく、借金の為の借金をしない事であり、ブラックリストに載ってから、ゆっくりと、返せる範囲で返す方法だってあるのです。



●多重債務のシンドロームに嵌まることなかれ

 日本人の一億総借金漬けの現実の裏には、「クレジットカード」の存在があります。
 クレジットカードは料金後払いでショッピングやレジャーを楽しめる便利性の反面、その後に高い決済を迫られる「くせもの」の一面も持ち合わせています。

 クレジットカードで物品を購入すると言う事は、一時的にクレジット会社等の金融機関に代金を立て替えてもらい、一定の支払期日に銀行口座から引き落として決済すると言うもので、本質的には「借金をして買物をする」という行為なのです。

 これがクレジットカードの持つパラドックスであり、この辺の理解が疎い人を少なからず見かけます。そしてこれは当然借金である以上、「利息」というものが必要になり、紛れもなく、純然たる借金のシステムである事が分かります。

 こうしたカードの特徴は、銀行系のVISAカード(アメリカンエキスプレスやマスター)等を含めて、27.8%【註】灰色ゾーンを撤廃して、実質年率を18%にするクレジット会社も顕われ始めたが、リボルビング形式をなしている為、この返済方法では元金が中々減らない)という非常に高い年率の利息が課せられ、しかも悪い事にリボルビング払い(回転信用形式)と言う巧妙な仕掛けが作られています。

 物品購入に際しては、一括払いに限り利息が付かないのに対し、キャッシングの場合は高率利息が掛けられています。
 金融機関にとって、キャッシングをさせて商品購入代金を支払った方が利益率が高いからです。
 しかし、この巧妙な仕掛けに築いている消費者は少ないようです。借金が利息で雪達磨式に膨らんで行くのは、裏側にこんな金融機関の巧妙なトリックがあり、銀行系のカードだから利息は法廷基準ないと思いがちですが、こうした思い違いはカード破産への第一歩となるのです。

 「クレジットカード」で買物をした、というこのクレジットは、既に夜逃げ保菌者として、確定されたと言う事になります。
 日本での信用保証会社では、サラ金で一回でもお金を借りた、クレジットで買物をしたという人を信用データのホワイトやブラックでの、情報の位置付けに信用調査を行います。

 例えば、いま手許(てもと)に現金がなく、今日中にどうしても200万円必要だとなった場合、このお金を作らなければならないとする人は、必ずサラ金に趨(はし)ります。銀行での、手間のかかる調査や貸出までの時間ない場合、誰もが思い付く事は、即日貸出をするサラ金です。しかし、此処にも大きな落とし穴があります。

 この人の金策の手順を追うと、まず、サラ金A社で50万円の限度額(サラ金規制法で貸金の最高額は、一社で50万円と定められている)までお金を借ります。次にサラ金B社に行くと、既にこの人がA社で50万円借りていますので、その個人情報は筒抜けであり、B社ではもう限度額の50万円は貸して貰えません。情報は横の連絡網で繋がっている為、B社では30万円となり、更にサラ金C社に行くと、更に信用力が墜ちて10万円程度になってしまいます。これでは合計しても、この人が金策をしなければならない200万円の達成金額には到達しません。

 そこで今度は、更に、個人経営の高利の街金に趨る事になります。
 この先は、語らなくても、200万円が、どうしても今日必要だった人の運命は、債務者として、その後転落し、自己破産に陥る事は想像に難しくありません。
 日本では、サラ金のコマーシャルが一見平和を思わせる雰囲気で流されていますが、確実に以上の述べた人達を排出しているのです。



●几帳面な人が陷る借金地獄

 金融機関への借金返済の為に、街金等で借金をしてこれを返済に当てると言う人には、一つの性格的なタイプと言うものがあります。その性格的なタイプは「几帳面」であることです。しかし几帳面である割には、金銭出納帳を知らず、貸借対照表を知りません。

 こうした人は、無知から、借金をきちんと返そうとして、別の所から借り入れを起こし、多重債務をしてしまうと言う落とし穴に落ち込みます。
 これは支払いを怠るとカードが使えなくなり、ブラックリストに載るのではないかと言う恐怖心から始まります。したがって他から借金をしても、無理して支払おうとし、再びキャッシングを繰り返すと言う事になってしまうのです。そして一旦こうした情況に陥ると、もう、そこから逃げ出す事はできません。

 また、多重債務によく見られるタイプの人で、「取り立てに弱い」という人がいます。こうした人は小心で気が弱く、脅しに屈してしまう人です。
 金融機関に「借りたものは返さなければならない」という脅し文句を聞くと、もうそれだけで慄(ふる)え上がってしまい、他から借りて支払おうとしますから、それだけでどんどん借金は膨らんでしまいます。借金取にうまく対応できず、無理に他から借金して返済に当ててしまうのです。

 また立場上、取り立てに来るのを恐れる人もいます。官公庁の役人や警察官、自衛官や教師など公務員、一部上場企業の社員などは、取り立てに来る事を恐れて、他から借金をして職場の体面を保とうとします。
 あるいは「主人に内緒」で借金をした主婦、または「妻に内緒」で借金をした亭主などは、深層心理に「借金は恥ずかしい」という意識を持っていますから、人に隠している事が多く、こうした事で、更に傷口を大きくする事もあります。



●人生はプラス・マイナス・ゼロで辻褄が合っている

 現世における人生は、一方的に大儲けしたり、一方的に大損をするような構造はなしていない。死に際での清算における帳尻はプラス・マイナス・ゼロです。
 したがって一方的にやり込められて大損する事もないし、また、人をやり込めて大儲けする事もありません。もし大損をしたり、大儲けしたりできるのは、犯罪性の絡んだ現象が起こっているから、こうした事が起こるのであって、通常の場合はこうした事はあり得ません。死に際での清算は、常にプラス・マイナス・ゼロなのです。



●自他離別の意識が貧困を招く

 多くの人は自他離別の意識を持ち、エゴイズムを剥(む)き出しにして最初に自分が良くなろうとします。他人を押し退け、自分以上に落ちる事を喜びます。少しでも先を越されたり、自分より良い環境にいると憎悪を趨らせたり、怨念の唸を趨(はし)らせて、激しい悪想念を抱く事も少なくありません。
 他人が自分より健康であり、また裕福である事を、中々祝福する事ができません。大半以上の人は、他人より自分が一歩でも先に出て、資本主義社会の生存競争に勝ち残ろうと奔走します。資本主義社会は当然のように競争原理が働き、最後まで生き残らねば競争に勝つ事はできませんが、相手側の不幸を喜ぶような想念は慎むべきです。

 こうした想念で競争社会の中に参画しますと、自他離別の意識のみが露になって、競争相手の優れた面に素直に敬意を表する事ができなくなります。負けた事への恨みだけが拡大されて、ついには自分を見失ってしまいます。他人は自分の鏡であり、人はこの鏡を見ながら成長し、自分の欠点を修正し、自らの目的を達成していくものなのです。



●宇宙は無限の富みに溢れているのに、なぜ貧困が起こるのか

 貧困を形作るものは、「悪想念」です。本来、宇宙は無限の富みに溢れかえっているはずなのに、この富みが利用されず、「悪想念」ばかりが引っ張りだこです。
 なぜ人は悪想念を捨て去って、愛する想念を持たないのか。それは過去の忌わしい、固定観念が貧困や病気という不幸現象を創り出しているのです。


経済事象
トラブルが発生する経済現象
ホワイト情報
債務残高情報の事で、クレジットカード、サラ金カード等を利用している優良利用者情報を克明に記したもの。各カード会社でデータとして保存され、横の連絡網を配しながら、多重債務を防ぐ事を目的に同業者同士が連絡網を持っている。プライバシー保護や、この情報が持つ価値観によって、信用状態を相互間に交換し、更には公開すると言う性質を持っている。
ブラックリスト
クレジットカードや同カードのキャッシング等の返済が著しく滯った返済不能者をリストアップしたもので、自己破産をした者については「ブラック情報」として永久的にカード発行を拒否する審査基準を設けたもの。このブラックリストはホワイト情報と異なり、各カード会社や信用調査会社等の一班情報として使用される横の関係の強いものである。一度でも支払い不能を起こせば、記載されてこれが信用情報となり、一般には五年から七年間は消えないとされるが、この辺は不確かで、以降、何かをローンで購入する場合はこの情報が常に引っ張り出され、以前の事故を理由にローンが組めない事がある。また一度自己破産をした人は、カード発行が不可能となり、以後の回復期間五年と言う期間が無視されて、一生ついて廻るようだ。何ぶんにも、「金銭は刑事不介入」の立場が取られている為に、一度でも間違えば、その信用度は一生涯ついて廻ると言うのが資本主義の「契約社会でのルール」である。
 むしろ、真当(ほんとう)に資本主義の輪廻の輪から解脱しようと思えば、「契約社会でのルール」等、自身に適用されない方がよい。
多重債務
カードローンやサラ金等の高利貸しからの借入が複数になり、金利を返済する為に新たな借入を行い、債務が複数化する事を言う。結末は自己破産するケースが最も多い。こうした多重債務に陥る人は、最初が家のローン等であり、大ローンで購入したマイホームを資産と勘違いしてしまうことにある。そして毎月の支払いが苦しくなると、「家を取られてなるものか」ということで、カードローンやサラ金等の高利貸しから借入を起こし、支払いの為の借入を起こした事が多重債務のはじまりだったのである。
任意整理
返済不能の個人債務が滞った場合、金額が数千万円に及べば個人破産の申告が認められる場合があるが、返済がある程度可能で、自分の持ち物(特に動産など)を処分して、これを返済に当てるということになり、裁判所の破産申告が認められない場合は、任意整理と言う形を取る。2〜300万円程度の債務であれば、利息制限法の枠内で年利20%以内での利息を改めて計算し直し、債権者と相談の上、三年程度の期限で分割返済する事を任意整理と言う。しかし実際には、途中で弁済・支払が滞ってしまい、債務者は債権者の脅しに屈し、再び借金を繰り返す事になる。こうした任意整理は、容易に片付かないと心得るべし。
自己破産
借金が膨らみ過ぎて返済不能になり、債務者が裁判所に申し立て、自身の破産を申告する事を言う。この「破産宣告」と言う行為は、もともと法人向けの法律であったが、個人の多重債務に対し、返済不能となった個人を救済する為に設けられた法律である。
 自己破産の実情は年々増加の傾向にあり、法人に対しての個人の割り合いも98%となって破産者が急増している事が挙げられる。自己破産をすると『官報』に公告が記載され、免責決定までの間、弁護士や公認会計士などになれず、また外国旅行は勿論の事、国内長期旅行等にも制限が出てくる。また、自己破産が認められるのは十年に一回であり、最近は自己破産の申告は出せても、破産そのものが中々認められないと言う傾向がある。
リボルビング
これはクレジット販売形式の一つで、「回転」という意味を含んだ「リボルビング」という回転信用形式というクレジットカードの一種である。カードによる買物やキャッシングには、この方法が用いられ、月間利用限度額や借入額の上限が定められていて、返済回数は決めずに毎月定められた返済額と利息を支払うと言うものである。
 買物の場合は15%程度(13.2%のところもあるが)であるが、キャッシングは27.8%と高率で、月々の支払いによって限度額に対する利用額が減り、その分だけ再び利用する事が出来る。しかしあくまでも「回転」を狙った販売方式である為、債務者はこれを利用している限り、カード会社の餌食(えじき)となって、いつまでもこの回転の輪から抜け出す事ができない。
 そして返済額は、残高に応じて決定される残高スライド定額方式が採用されている為、決められた元本(元金)を毎月定期的に支払っていけば、その分だけ残高は減るが、元本が固定(一番多いのは元金が一万円に定められているVISAやマスター等の銀行系カード)されている為に、利息ばかりを数十回に渡り、ダラダラとむしり取られる破目になる。
カードローン
サラ金系や銀行系等の個人向けのローンの一種で、キャッシングとも言われ、無担保、無保証、使途自由で、クレジットカードを利用してキャッシュデイスペンサー(CD機といわれる無人の自動現金支払機)等から融資が受けられる仕組み。融資限度額は5〜50万円までで、金利はサラ金系で29.2%(中小・零細街金は未だにこの金利で貸し付け)、銀行系で27.8%(18%のところもあるが)と、割合に高利である。
買い取屋
多重債務で苦しむ債務者から、新たに商品等を買わせ、それを安価で買い取り当座の返済をさせる商売で、他にも多重債務を一つにまとめる等と「橋渡し」のようなことを言い、新たに貸し手を紹介する紹介屋もいる。更には、戸籍を変える事や養子縁組まで持ちかける新手の商売もある。