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西郷派大東流と武士道

■礼儀と武士道■
(れいぎとぶしどう)

●日々戦場の心構え

 人間の「死」と言うものは、老若男女を問わず誰にでも訪れて来るものである。寿命の長短は個人差によって異なるが、しかし、幾ら長寿を全うしても、やはりその人の最後は死を以て終結する。
 人は、生まれた以上、死から逃れる事は出来ない。したがって歳老いた人間ほど早く死に、若者は老人より長く生きるとは限らない。若者であっても、生気を失った者は老人なみ以上の、人生と死が用意されている。

 喩(たと)えば、あと数カ月と余命を告知された末期ガン患者の老人が居たとしよう。かたや、車やバイクで暴走行為を繰り返す無法な若者が居たとしよう。現時点では、確かに両名とも「生きている」と言えるであろうが、それが一時間後、二時間後、半日後、一日後、二日後、一週間後、二週間後、一ヵ月後、二ヵ月後と、日を追い続ければどうなるであろうか。
 果たして老人が死に、若者が生きているであろうか。あるいは予想通りに、若者より老人の方が早く死んでしまうであろうか。

 「一寸先は闇」と言う。喩え一秒後でも、人間はそれを予測することができない。希望的観測によって、未来を漠然と想像する事が出来ようが、運命までもを明確に捉える事は出来ない。
 現象人間界に存在する事実は、「今」であり、この「一瞬」という事である。それ以外に、何も存在しない。
 「昨日」と言う存在は、過ぎし日の「今日」であり、「明日」は、これからやって来る「今日」の近未来である。人間の生きる数直線上に「今」が置かれ、この「今」を原点として、過去と言う「今」と、未来と言う「今」が存在するだけなのだ。
 したがって人間は「今」のみが、唯一つの認識できる明確な事実であり、それ以外に事実はない。

 この事実の中に、人の喜怒哀楽があり、一喜一憂の人生がある。だからこそ、末期ガンの老人が、暴走行為を繰り返す無法な若者より、長生きできると言う保証は何処にもないのである。逆に暴走行為で運転を誤り、電柱やブロック塀に激突して死亡すれば、若者は老人より短命で人生を終えようし、あるいは老人は、若者より長寿を全うしたと言えよう。齢をとっているから、生(お)い先短いとか、子供であるから、もっともっと長く生きられるという保証はない。何らかの事故や事件が起こり、子供でも、老人より早く逝(い)く場合もある。ここに人間に課せられた、運命の不思議と命脈の複雑さがある。

 そこで浮上するのが、「死を以て、日々精一杯生きる」あるいは「死を心に充(あ)てて今日一日を生きる」という武士道の教えが価値観を持つようになる。
 この思想は決して「死を先送りしない考え方」である。一日を無駄にし、誤魔化して生きれとは全く触れていないのである。己の心の裡側(うちがわ)に、常に死を以て、これを充てて生きるとしたら、その人に残された人生の中で、「今日一日」の繰り返しは素晴らしいものになるに違いない。

 日々戦場の心構えで、緊張し、隙(すき)の無い、侮られない生き方をすれば、それは「見事に生き抜く」と言う事にも通じるのである。人の「死にざま」とは、よく生きてこそ、それが「死の荘厳(そうごん)」になるのである。「荘厳なる死」を得ようとすれば、まず、よく生きなければならない。よく生きてこそ、死は荘厳なる訪れを得るのである。

 『本朝参禅録』(ほんちょうさんぜんろく)には、尼僧(にそう)慧春(えしゅん)の話が出ている。
 小田原の最乗寺(さいじょうじ)という寺に、慧春という尼僧がいた。
 この尼僧は大変な美人で、気性の激しい女性であった。仏門に入る際も美人であるが為に、他の僧の修行の妨げになると言って、度々断られた前歴を持っていた。
 しかし、慧春の決心は固く、最後には自分の顔を焼け火箸(ひばし)で焼いて、出家を請うて来たのである。これには寺の住職も、一言も退(しりぞ)ける理由をつける事が出来ず、ついに入門が許されたのである。

 入門してからも、人一倍の精進(しょうじん)と修行を重ねた。しかし彼女の美貌は、他の修行僧の注目を浴び、度々恋文をつけられた。しかしこうした事には目もくれず、黙々と修行に励んだのである。

 ある日、慧春は住職の命によって円覚寺(えんがくじ)に遣(つか)いに出た事があった。円覚寺の僧たちは慧春をからかってやろうと思い、彼女の前で道を塞(ふさ)いだ。そして一人の僧が前に飛び出し、わが衣の下を捲(まく)り上げ、怒張した一物(いちもつ)を曝(さら)し、こう、大声で叫んだ。
 「わが一物、長さ三尺。どうだ驚いたか!」と傲慢(ごうまん)に笑ってみせた。

 すると慧春は高笑いして、彼女も自分の前をはだけて、大声で答えた。
 「たかが三尺、なにしきのこと。尼僧が一物、底無し!」
 こう喝破(かっぱ)して、彼女は自分の女陰を見せつけたのである。これに円覚寺の僧は彼女の豪胆さに、度胆を抜かれて青くなり、道を直ちに開けたと言う。

 慧春は、修行半ばの僧侶達の邪念を抜くために、自ら満座の中で裸になった事でも有名である。彼女は人一倍、愛欲と煩悩を打つ鋭さは、誰にも負けなかったのである。
 そして、ついに悟りの境地に辿り着いたのである。

 ある日、慧春は寺の境内に、高だかと薪(まき)を積み上げると、火定(かじょう)に入ったのである。
 火定とは、燃え盛る火の中で坐禅(ざぜん)を組み、そのまま即身成仏(そくしんじょうぶつ)となる事を言う。この知らせを聞いた住職は慌てふためいて駆けつけ、これを止めさせようとしたが、火の勢いが強く、全く手の施しようが無かった。

 住職は、豪火の中の慧春に大声で問うた。
 「慧春よ!熱いか?」
 これに慧春は答えて曰(いわ)く、
 「冷熱(れいねつ)は、生道人(なまどうにん)の知るところにあらず!」と、住職を喝破したのである。
 そして見事、即身成仏(そくしんじょうぶつ)となったのである。

▲冷熱は、生道人の知るところにあらず!(慧春尼)

 「冷熱は、生道人の知るところにあらず!」とは、実に考えさせられる深い言葉である。
 本当の熱さや冷たさは、中途半端な修行をして、自我(じが)に執着し、人生を迷い通して生きている者には解らないと答えているのだ。

 「死を心に充(あ)てる」という心境は、死の連想で「武士の生き態(ざま)」というものに置き換えることができる。

 悟りを開き、火定に入った慧春の話は、生死の迷いに囚(とら)われることなく、行動によって、悟りを一貫していなければならないという事を言うのである。

 現代は余りにも生死に迷い、我が身の保身と保全に悩まされている。かくして迷いと悩みは、精神の向上を停滞させ、また物質文明の醜い贅肉(ぜいにく)は、精神的な飽食を招き、既に精神的動脈硬化が始まり出したと言っても過言ではないだろう。
 社会全体が避けがたい精神的心筋梗塞(しんきんこうそく)に陥って、目前の煩悩(ぼんのう)に煽(あお)られ易い、不安定な状態になっている。現代人はこうした「迷いの縮図」の中で生きているのである。

 平和ボケで死期を逸した老人たちは、生死に散々迷うた挙げ句、種々の難病・奇病を抱え込み、色々な病苦の重荷に喘(あえ)いでいる。生へ執着するあまり、自らの人生に、何ら解答も出せず、迷いを解決する事も無く、孤独な生涯を終えようとしている。ここに生き延(の)びる事を前提としている現代社会の「生の哲学」の、哀れで悲しい自縄自縛(じじょうじばく)の結末を見ることができる。

 老人たちは病室の固いベットの上で、半身不随(はんしんふずい)となり、あるいは寝たっきりの植物状態に封じ込められて、喋(しゃべ)る事も、手を動かす事も、歩く事もできない苦痛さの中にあって、未(いま)だ生に未練(みれん)を引き摺(ず)りつつ、生に固執(こしゅう)する見苦しき人生を演出している。見苦しさを曝(さら)け出し、見苦しさをぶちまけて、生に縋(すが)り付く事は決して悪い事ではないが、生死を解決できずに死んで行く姿は、何とも哀れだ。

 また、生に固執する俗人の人間臭さは、決して責められる事ではないが、見苦しいだけに、その哀れさは、一層悲愴なものになる。ただ哀れなだけである事を覚悟をの上ならば、それもよいといえるだろう。しかし死期は完全に見逃したと言える。
 そして最期(さいご)は悲惨な死を迎え、火葬場で、直に処分されるような、哀れで、小さな死を迎える事に、何の疑いも抱かないならば、またそれもよいであろう。

 しかし果たして、死に行く、病院の硬いベットが、人生の完結を迎える上で、最高の場所、あるいは純粋な死の想いを成就させる所であるとは言い難いのである。硬い病院のベットに寝かされて、不確定な臨終の日を待ち続け、その時期に至れば、藻掻き苦しむような死は、何とも哀れである。死生観が解決できないから、死もまた恐怖となるのだ。

 明治維新以降、勤勉で修身に身を挺(てい)していた日本人は、欧米から様々な金融経済学と、利殖(りしょく)に励む、プロテスタンニズム的な姑息(こそく)な処世術を学んだ。
 資本主義は、ドイツの社会学者ウェーバー(Max Weber)が、その著書『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で指摘するように、休息日以外は労働する事を民衆に植え付けたので、この民衆の労働は資本家を肥らせる要因になったが、一方労働者も、自分の労働力を売り込む事で、労働に相応しい対価を得て、物質的豊かさを満喫する事が出来た。

 日本にも、明治維新以降、資本主義の思想が持ち込まれた。その結果、どうなったか。
 江戸時代の封建的禁欲が解放され、西洋流の処世術を学ぶ事になる。
 しかしその結果、物質界に豊饒(ほうじょう)を齎(もたら)し、飽食に身を委(ゆだ)ね、有り余る物財の中で、古来より培った日本精神を、これと引き換えに無残にも埋もれさせてしまった。

 特に、戦後に至っては、贅沢(ぜいたく)と大量消費の限りを尽くし、その贅沢(ぜいたく)の味に慣れ切って、子供から大人まで気怠(けだる)い豊かさの中で身を持ち崩そうとしている。古人の培った崇高(すうこう)な精神を腐敗させ、自らの魂を、黄金と引き換えにして売り渡し、その奴隷と成り下がった。今日は、心や魂よりは、金や物が優先する悲しい時代である。

 平穏なマイホーム主義の生活を守り、自分たちだけの小さな幸せを願い、その裏で金銭に固執し、物財に固執して、表面上は貞淑(ていしゅく)の美徳の冠を被ったように見える現代人は、快適で、豊かで、便利で、これまでにも増して、明朗な営みをしているかのように見える。
 が、その一方で錯覚と過誤(かご)からおこる、「便利」という妄想に振り回されて、豊かさを求め、快適さを求め、それのみが人生の課題となって、冷静な判断力を失い、己の死ぬ時期を見失って、だらだらと生き長らえている。

 死ぬべき時が来たら死ぬ。これこそが人生の基本であり、だからこそ慧春の無分別(理解出来たら即実行の意。あるいは陽明学の「知行合一」を指す)には、激しい野性が感じられ、また、そこに一種の郷愁(きょうしゅう)と憧(あこが)れを呼び起こしてしまうのである。
 そして「迷わぬ」とは、こういう事ではあるまいか。
 『武士道初心集』には、「死さへ常に心にあて候(そうら)へば、万の災難も逃れ、無病息災にして長寿長久に、剰(あまつさ)え人柄迄よろしくなり、徳多きことにて候」とある。

 朝に夕に、常に死を、心に充てていれば、無駄な俗界の柵(しがらみ)は一掃されて、本当に生きる目標が定まり、利害や欲望にも目を向けることもなく、最も単的に、自分の生き方を素直に表現する事ができるのではあるまいか。
 「死を以て抗(あがら)い、死を以て己の鎧(よろい)とし、楯(たて)として、永久に死を充て続ければ……」俗世の迷いも権力闘争も、一縷(いちる)の価値すら感じられなくなるのではという、柵(しがらみ)の一掃である。
 即ち、最高の状態を保ちつつ、最善の道が開けて来るのではないかと言う事を説いたのが「武士道の本義」なのだ。

 世俗の世界を見回した場合、概ねは鮮度の落ちた俗世の現実、腐敗して悪臭を放つ俗世の現実しか存在していないのではあるまいか。そこにはタテマエとホンネの二枚舌を旨く使い分けた、御託(ごたく)を並べる様な偽善的現実しか存在しないのではあるまいか。
 この俗世に、長い間漬かっていると、その微温湯(ぬるまゆ)の中で、温存的にしか生きていけない体質になるようだ。その温存こそが、新鮮さを腐敗に導く病床であり、生き方を誤る全ての元凶となっているのだ。腐敗も此処から発している。

 「死を心に充てて生きる」この中にこそ、人としての生き態(ざま)があり、人生の真理があり、そこに人生観や人間観、もしくは物欲から離れた、本当の価値観があるのではないか、という事が言えるのである。
 山本常朝(つねとも)の口述書『葉隠』(はがくれ)に記してある通り、「死に狂い」の境地は、こうした心境を指しているのである。

 もし、あなたが、生きられる時間が24時間と宣告されたら、今あなたは一体何がしたいだろうか。
 不埒(ふらち)な考えを抱く者は、この時間内に出来るだけ多くの異性を犯し捲り、精の浪費を企てようとするかも知れないが、こうした快楽遊戯は人間の本性でないから、直ぐに飽きが来てしまうはずである。もっと重大な、自分の魂が共鳴するような、大事を目指そうとするのではあるまいか。
 余命幾許もない、数日後に死を告知された末期ガン患者が、もし芸術家だったら、この患者は果たして病院の硬いベットに横たわり、おとなしく末期ガン病棟に入って、迫り来る死の瞬間を何もせず、毎日毎日をダラダラと浪費するだろうか。

 現代は生き延びる事が前提となっている世の中であるから、退屈と絶望に追い込まれると、盲目的に生きながら、精神を腐らせて、生きる屍(しかばね)の方を選択するようだ。その最たるものが植物人間である。もちろん植物人間にされた者の意思で選択するのではあるまいが。

 人間の生命は確かに大切なものかも知れないが、精神を失った生きる屍は、倦怠感と挫折に喘(あえ)ぎながら、生きる事を余儀無くされるのであるから、精神を腐らせて、生きる屍と引き換えにするには、余りにも惨じめである。
 死を選んだ方がいいとは断言しないが、むしろ生にも死にも、囚われることなく生きる選択が、人としては賢明であると言える。

 一方で生に固執しながら、生にも死にも囚われない行動は、何処か矛盾しているような錯覚を抱くが、これは矛盾というより、毎日を死に充(あ)てる事で、その「一瞬の新鮮さが尊い」と、『葉隠』では説いているのである。
 その意味で、新鮮さとは、死に直面しないと感じれないものなのであろう。

 しかし、今日の夕刻までに死ぬとなったら、残った時間を、あなただったら、先ず何に使いたいと思うだろうか?
 多くの人は、自他の境を排し、損得勘定を抜きにして、本当に意義のある、有効な時間に充てようとするのではあるまいか。

 「死は刻々と迫っている」、こうした現実の中で、残された時間は本当に貴重である。
 だから芸術家ならば、先ず、自分の芸術家としての仕事に、残りの時間に全て捧げて、悔いのない有意義な生き方を、死の直前まで決行しようと試みるのではあるまいか。
 そしてそれは、即ち、生き生きとして、眩(まばゆ)いばかりの光を放っているのではないでないだろうか。
  死には、元々そういう力がある事を『葉隠』では、「死に狂い」と表現して居るのである。


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