不幸現象は、何故起こったか
 昨今の人倫の乱れは、道義と幸福に対する一般常識の感覚のズレが発信源となっています。
 こうした現実を踏まえて、道徳家や倫理学者は、次のように考えます。

 「善良な人、正しい行いをする人、人としての礼儀をわきまえている人などは、皆幸福になり、逆に、悪事を働く人、不正をする人、約束を守らない人、ウソを言う人は皆不幸になり、間違いを行えば、罰を受けるというように、人生はそうであって欲しいと皆が考えている。
 ところが世の中は、実際問題として、そうはなっていない。
 善良な人、正しい人は、悪事を働く人やウソをつく人の犠牲になり、道徳や道義を守っているがために、かえって苦難の人生を送っている。これは歴史を見れば、一目瞭然であろう。
 道徳や道義が、幸福と交わる、この最高の善、最高の希望は、現世において不可能に近い」と。

 そして更に付け加えます。

 「現世は、生きているということ事態が、既に悩みである。悪が善と同根している。儘ならぬのが浮世である。したがってそれで正しい行いをし、善行を積んでも、必ず幸福になれるという約束はない。
 また悪い事を働いても、約束を守らなかったとしも、ウソをついたとしても、必ず不幸になるとは決まっていない。だったら馬鹿正直に生きるよりは、少々の悪は許されよう。少々のウソも許されよう。厳格な道徳を守り、道義に従っていても、幸福になれる保障は無いのであるから、少々悪に塗れても、体制には影響が無い、と皆が考えるようになる」

 現世の乱れや、人倫が乱れて、世の中が混沌としてくる原因は、実にここに回帰されるというのです。

 こうした事を考えますと、教育制度が進み、殆どが大学という最高学府に達するという日本では、教育制度の発達で、人々は悪賢くなり、科学技術が発達すればする程、公害や地球汚染が蔓延(はび)こり、世の中は混沌として、不安な世情が出現するという現実が横たわっていると言えます。
 ここまで差し迫った世の中を、どうすれば方向転換できるかが、今、地球上に生きている人間の使命ではないのでしょうか。

 それにはまず、食の乱れと、食への慎みを忘れたという現実が、こうした混沌とする、難病・奇病に蝕まれる現世をつくり出したと言えます。
 「癒しの杜の会」では、次の三つの方法とテーマを掲げて運動を展開しています。

・からだの重荷を降ろして、禍根を断ち切る法(不幸は便秘や宿便より始まる。空腹トレーニングの実践で、一週間一度の一日断食。そして禍根の根源である「宿便」という重荷を降ろす)

・血を奇麗にすると、運が開ける法(人間は食べ物の化身である。浄血されれば開運が成就する。血が汚れるから病気になり、そして運は停滞、あるいは衰退に向かう)

・少食主義で元気に働く法(節食を実行して、資本主義市場経済の「浪費のための浪費」の輪から抜け出す。したがって食生活には功夫が必要)

 人が朗らかに生きて行けないのは、万病の元である宿便という、生まれた時からの重荷を抱え込んでいるためです。これが「禍根」の実態です。
 誰もが戦々兢々(せんせんきょうきょう)として、歓喜に満ちた生活ができないのは、血を穢(けが)し、血を汚して、異常な欲望を膨張させているからです。ために、家庭は不和となり、良人(おっと)は妻に隠れて不倫に趨(はし)り、妻も良人に隠れて裏返しの行動に出ようとします。

 交通事故、経営不振、倒産、借金地獄、離婚、諸々の苦悩や迷い、無気力、憎悪や嫉妬、子供の非行、自殺、他殺被害、心身相関病、精神病、家族の放浪癖、殺人や傷害、異常性欲、異常な孤独感、家庭内暴力、難病や奇病、そしてガン発病などの不幸現象は食の乱れから起こるものであり、これは偏に「肉喰(じしく)った報い」であると言えましょう。
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