人類淘汰の時代が始まった
水を考える 


●水が訝しくなると腸内微生物が減少する

 食餌法(しょくじほう)実践の原点は、まず「水」の良し悪しで決まる。
 今日の地球環境は酸性雨や産業廃棄物、更には農薬等で地下資源が汚染されている現実がある。単にこれ等の毒を避けて、消極的に「健康を守る」という考えでは、真の健康を維持する事はできない。家庭の蛇口から出る水道水から有毒物質を除去した上で、更に、健康に積極的な考え方を取り入れて「水を改良する」という考え方の上に立たなければならない。

 その為には、浄水器にプラスされた「水の電気分解」の機械(水の電気分解によって得られるアルカリイオン水や台所の蛇口に繋ぐ浄水器)などを取り付ける事も一つの方法かも知れないし、ペットボトル詰めの飲料水を購入する事も一つの方法であろう。

 しかしこれ等の水対策も、決して安全とは言えない。それは製品化の行程を見て行く上で、その処理法に問題があったり、製造側のご都合主義が働いていて、至る処に安全を軽視する考え方で製造されていると言う事実があるからだ。
 そして、「自然水」とか「○○の岩清水」などと標榜されて、デパートやスーパーなどで売られている「ミネラルウォーター」でも、単に水道の水を詰め込んで、「ミネラルウォーター」と称して打っている悪質な業者もいるのである。それは、日本には外国と違って、「水を規制する法律」がない為である。

 日本の水道水は、世界各国の水道の中でも、一番安全性が高く、これを直接飲み続けても、短期間に水道水に含まれているカルキや塩素の有害性は出ない。長期間に亘り、10年、20年と飲み続けて、その有害性が顕われる。
 その為に、水道水は直接飲んだとしても、殆ど無害の状態であり、これに目を付けた悪質な飲料水業者は、「ミネラルウォーター」として、ぎょうらしく瓶に詰め、デパートやスーパーなどで販売してみたり、あるいはクラブやスナックなどの飲み屋に卸しているのである。しかし、その中身は「水道水」である。
 今のところ、日本の水道水は、人畜無害となっているからである。

 一方、「水が訝(おか)しい」などと、一般庶民を脅し、高価な浄水器を買わせる悪質な業者もいる。この手の浄水器は、「ミネラルウォーター」を販売する業者以上に、「高価な機械」を買わせる上では、更に悪質といえよう。
 浄水器は、種々の製品が各電気メーカーから販売されているが、数万円の物から数百万円の物まである。
 しかし、病院などに据え付けている数百万円もする高価な浄水器は別として、一般諸民用に販売されている数万から十万円程度の物は、浄水器と言っても、殆どその効果が薄く、一種の「気休め」にしかならない代物である。安価である為、濾過能力に問題があるのである。

 例えば、浄水器に於ては、濾過ろか/濾過の基本構造は水道圧を利用し、活性炭による濾過と、高密度繊維による濾過)能力が使用経過と共に低下したり、浄水器としての能力が最初から低かったりと、多くの問題も抱えている。
 しかし水道水を、その儘の状態で使用する事に比べれば、まだ幾分増しであるという程度の物だ。つまり、不完全な浄水器であり、この浄水器を庶民は、その価値にも値しない商品を買わされているのである。

 既に日本でも、これまでは「水と安全はタダ」という神話があったが、もうこうした考え方も金繰り捨てなければならない時期に来ているだろう。
 今日の日本の水道水にしても、土壤汚染により、年々悪化している。水道水に投入されて、家庭の蛇口から出る塩素を含有するこの水は、衛生上「塩素濃度が0.1PPM以上」と定められているのである。その為に、人体には不都合な働きをしているのである。こうした水を使うと、食品の中に含まれる多くのビタミン類を破壊してしまう事である。
 自然食などと称した高価な食品を、健康食品の店などで買って来て食べても、問題の水が悪ければ、健康には程遠い体質造りしか出来なくなる。

 そこで現在では、「電解イオン水生成器」という、水道水をフィルターで濾過(ろか)した上で浄水を行い、更に「アルカリ性イオン水」と「酸性イオン水」を造る装置が一部の健康マニアの間で普及しているようだ。こうした装置を設置する事も一つの手であろう。

 しかし購入に当たっては、悪質な業者も少なくないので、浄水器の購入については複数の業者から見積もりをとり、性能等についても充分に説明を受ける事だ。日本と言う国は、消費者が騙される「騙され王国」という事を忘れてはならない。
 健康マニアも、やはり騙されるターゲットにされているのである。

 さて、今日の地球では環境汚染が進み、食品ばかりでなく、生命の根源である飲料水にも安全と安心を脅かす、元凶の触手が伸び始めているのである。安全で、安心して飲める水を探す事も、現代人に課せられた一つの徒労なのである。かつて、水を汚染させたツケが廻って来たからである。
 そのツケが、水の自然さを破壊し、現代の危険な食品と混成状態になって、次に襲うところは、「腸内」である。

 そして、人間の「腸の構造」を考えた場合、これは植物における「根の構造」と全く同じであると言う事に気付かされるのである。

 それは、もし毒水を飲み続けて、農薬に守られて害虫に取りつかれずに育った米や、均整のとれた美しい色をしたトマト・レタス・キュウリ・茄子(なす)、その他の温室育ちの緑色野菜や、あるいは食品添加物たっぷりの、舌触りのよい食品を毎日食べ続けたらどうなるか考えれば、容易に想像がつこう。
 消化器官内は、腸内微生物が暮らし難い環境になりはしないだろうか。また事実、腸内微生物は、此処に来て度し難い難儀を抱えるようになったのである。



●水は、そのまま社会現象に反映される

 生存環境が悪化すると、地球上の多くの生物は、混乱が生じて来る。それは腸内微生物においても同様であり、こうした微生物にも混乱が生じて来るのである。
 ミクロ的に見れば、マクロの反映がミクロに写し出されるから、この混乱によって、死滅する腸内微生物も数を増すことになる。
 マクロの反映がミクロであるから、またこれによって腸内にも不穏な暴動が起きる。暴動が起これば、多くの生物に見られるように、「善と悪」や「陰陽」の中庸(ちゅうよう)バランスが崩れ、「共食い」が始まったりする。

 更に雄(おす)と雌(めす)の異性間の正常関係が狂わされ、正常に働く感覚器に狂いが生じるから、同性同士が結びついて、一定量以上、増殖してはならない連中までが、極度に増加する現象を起す。これにより、更に狂うに、狂う。つまり、雄同士の同性愛者(homosexual )が増えることになる。

 これらはマウス実験などでも見られ、これを超小型の世界に置き換えたのが、「腸内微生物の世界」である。
 これは人間社会でも同じであろう。今日、共食いを起こし、社会を不穏にさせ、同性愛者が増え続けるこの現象は、まさに今の腸内微生物の異常を、人間世界に置き換えたものである。

 人間は、いかに科学技術を発達させても、地球上の総ての法則を書き換える事は出来ない。人間の手で宇宙法則を書き換えることができないのであれば、20世紀、物質万能の唯物史観で歴史を書き換えた文明の躍進は、やはり大いに見直し、反省する点が多くあるように見受けられる。

 人類は、1760年代のイギリスに始まった産業革命(industrial revolution)により、産業の技術的基礎が一変し、小さな手工業的な作業場に代って、機械設備による大工場が成立した。これとともに社会構造が根本的に変化した。

 産業革命以来、人類は蒸気機関に代わる次のエネルギーとして、「石油」に目を付けた。石油文明は人類に夢のような便利さと、豊かさと、快適さを与えた。世界はこれにより、豊かさを享受(きょうじゅ)した。しかし、その一方で、それと引き換えに失うものを少なくなかった。
 更に悪いことは、自然的な豊かさを失う一方、これまで自然界には存在しなかった、合成化学物質や二酸化炭素を殖(ふや)し過ぎてしまった。この為、地球の環境システムや、自然の拮抗(きっこう)を保つバランスを大いに狂わせ、自然崩壊を招いてしまった。

 物質至上主義が持て囃(はや)され、物質一辺倒、科学一辺倒になって来ると、社会構造全体の遠心分離器化した器の回転数が高速化する。高速化すれば、そこから弾(はじ)き出される者が出て来る。社会に機能しない社会不適合が出て来る。常識とは異なった考えの者が出て来る。これまでの秩序を破壊しても、何とも思わない者が出て来る。
 今日、多発する「無差別殺人」などは、こうした人間が引き起こしや社会現象である。これこそ「共食い」の、まさに元凶ではないか。

 共食いが始まれば、その結果として、常識は一変する。愛情の表現方法も変わる。バーチャル恋愛なども、その最たるものであろう。その表現方法の異なる愛情に畸形(きけい)が生じる。必ず同性愛現象が起って来る。

 これが現代社会の恥部とも云うべき「ホモ増加現象」だ。彼等は市民権を求めて運動する。これにより畸形(きけい)なる思考や主張が常識化する。
 これは現代人が、腸内微生物と同じような環境に置かれている事を物語っている。庶民とは、本来腸内微生物と同種の生き物であったのである。この、愛すべき微生物が狂うのである。底辺の地盤を支えている、「愛すべき微生物」が異常行動を起こすのである。

 物事の善悪が崩れ、陰陽の「中庸バランス」が崩れ始めている人間社会の今日の実情を見れば、人間社会も、腸内の微生物世界と同じ事が繰り広げられていると分かる。人間社会でも、腸内の微生物世界でも、これまで、底辺を支えていた「愛すべき庶民的微生物」の数が激変している事である。腸内微生物の生態系に、異常事態が発生しているのである。
 つまり、これが「腸内異常醗酵」である。その元凶は「水」にある。「水」の異常さにある。水が訝しいのだ。

 愛すべき庶民的微生物は、腸内異常醗酵によって苦しめられ、苛められて、テロや暴動によって、命が危険に曝(さら)され、次々に抹殺されているのである。

 昨今の人間社会での不穏を呈する世情不安は、まさに「腸内微生物の世界」と全く同じの、生態系の異常と看做(みな)す事が出来る。
 この生態系異常は、腸内での発生する異常醗酵の、大量のガス化である。これにより放屁(おなら)も臭くなり、大便も臭くなって、便秘や下痢と言う異常現象が起る。こうした状態が、現代人の腸内で激化し、異常醗酵化し、日常化しているという事だ。
 そして不快な悪臭の根源は、食肉や乳製品、肉加工食品が齎(もたら)す、人体に有害な動蛋白である。これに悪質なる水が絡んでいる。

 悪臭の最大の原因は、硫化水素(鶏卵のような悪臭を持つ可燃性の毒性気体)、アンモニア(窒素と水素との化合物で、刺激性の悪臭ある無色の気体)、フェノール(特有の臭気をもつ無色の結晶で有毒)、インドール(不快な臭気をもち糞に含まれる)などの有毒物質であり、動蛋白によって持ち込まれた腸内微生物群は、環境の悪化で起こした時に生成される物質である。ガン患者の放屁や大便は、非常に臭いものである。

 これは腸内異常醗酵によって、動蛋白や水道水などの有毒物質が過剰に生成され、その結果として元凶が顕われたものであり、これ等の有毒物質は、やがて腸壁から吸収されて、血管に入り、門脈(毛細血管から移行した静脈が再び毛細血管に分れるもの)と肝臓のチェックを旨く潜り抜け、これが各臓器の隅々にまで運ばれてしまうのである。そして、そこで炎症を起こし、周囲の細胞が「ガン化」するのである。

 臭い放屁、臭い大便は腸内で異常醗酵が起っている証拠である。これは消化器官内部で、実に多量多彩な有毒物質が生成されていると言う証拠でもある。

 夜の喧騒(けんそう)や、激しいビートのロック音楽等に曝(さら)されるような生活をしていると、心の平安は崩され、静寂な静けさは乱されて、慎みを忘れた食生活は、やがて動蛋白を中心とする暴飲暴食に走ってしまうのである。そして、これに悪質な水か関与して来た場合、そこに齎される悲劇は、想像に難しくない。

 いま地球には様々な異常現象が起こっている。地球の温暖化と言う異常気象の発生。旱魃(かんばつ)や洪水の多発。大型台風の発生。砂漠化の拡大。
 これらは自然界で代謝されずに濃度が濃いくなる一方の、有毒化学物質の問題が、地球規模で、近未来の人類に不安を与えている要素になっている。

 石油文明の齎(もたら)した便利さや快適さは、人類に物質的な恩恵を与えたが、またその一方で、豊かさの代償として失うものも少なくなかった。
 これらは人間が自然に対して、無理を通そうとした自然管理の結果から起こった現象であり、人間の無理は、実は通らないと言うことを大自然は教えている。人間は生命の基本である「水」を蔑(ないがし)ろにして、遺伝子組み替えの分野にまで足を踏み入れてしまったが、幾ら遺伝子の組み替えに成功したとしても、血液の組成まで変えることは不可能である。



●水と人体は同等の大事さがある

 「水の循環」とは、人体に於ての「血液の循環」と同等のものである。血液の循環に異常が生じれば、体調は忽(たちま)ちに狂ってしまう。それは、人体の大半が水からで来ている為である。
 成人男子の躰の60%は水分である。例えば、体重60キログラムの人の躰を絞り上げれば、36リットルもの水分がとれる。

 また、人間は一日約2.5リットルの水分摂取量が必要である。同時に、また一日約2.5リットルの水分が失われる。したがって、この水分は一定に保たれているわけである。60%の水分のうち、2%が失われば、人間は咽喉(のど)の乾きを覚える。更に我慢すると脱水症状が顕われてくる。

 脱水症状になると、高熱が出たり、下痢や嘔吐(おうと)などの症状が顕われ、やがて神経症に陥って、幻覚や幻聴などの症状が顕われる。
 つまり、神代が新陳代謝を良好に保つのは、水の出入りが良好であることが健康状態を維持できるのである。

 水は大気圏をも含めて、地球全体を大きく循環することにより地球環境を、一定状態に保っている。躰を、地球と同じような一つの世界と考えて、躰に出入りする水の量は、一定であって、はじめて正常な新陳代謝をすることが分かる。水の出入りこそ、新陳代謝を良好にする基本なのである。これが一定に保たれなくなると、人間は病気になるのである。

 日本人の思考は今なお、医者任せ、病院任せ、薬任せの医療思考が主体であり、これに偏った考え方で、自分の健康を他人任せにしている。

 さて、現代医療の実態をみてみると、まず、この医療の基礎になっている現代医学は、三次元医学の肉の眼に見えるものだけを問題にする医学である。
 例えば、病院では薬剤で病気を叩く、不良化した細胞や患部は外科手術により取り切り取ってしまう。あるいはコバルトなどを照射してこれを焼き殺してしまうという手段が遣われているが、こうした西洋医学をベースにおいた医療は、実際のところ、成人病や現代病と言われる、慢性化した病気には殆ど効果を上げていないようである。

 現代の、一見最新鋭で、便利で快適に見える現代人の生活法は、これまでの人類の生きて来た遺伝情報に書き込まれた免疫力を破壊し、先祖から受け継いだ自然の厳しさを克服し、それに順応しする生活環境を奪い取っているのである。益々、現代人を軟弱化の方向に導き、順応力を蝕んでいるのである。

 現代病の多くの病因は、叩いたり、切り取ったり、焼き殺したりする、こうした外敵に対処するのではなく、そもそもの誤りは、現代人が好き好んで行っている「不摂生な生活環境」そのものに潜んでいるのである。これを改めずに、「ガン撲滅」などと標榜しても、全くのナンセンスであろう。

 これからの近未来において、現代人が健康を考えるならば、まず生活習慣から来る「食」と「水」の問題を考えるべきであろう。

 病院に行く前に、自分の健康を約束してくれるのは医者ではなく、自分自身であると言うことに気付かねばならない。自分自身が毎日の健康と食生活と、食生活に、深い関わり合いを持つ「水」を考えなければならないのである。

 現代病と言う慢性化するこの病気は、病気になった事を気付いた時には、既に手後れになってしまう時代なのである。
 当たり前の事を、当たり前だと思わなくなった時、そこには病気が忍び寄って来る要因を作っていることになる。

 例えば、「水」や「空気」は、在(あ)って当たり前であるということを深く考えなかった日本人は、実は「水の良し悪しが、慢性病の元凶であったと気付き始めたようだ。今までは、余り感じなかった、この「当たり前」が、実は私達の健康を支えてくれて、生命活動を約束してくれていたのである。

 更には、「栄養補給」「適度な運動」「定期的な休息」などは、実は「規則正しい生活」の中から生まれて来るものである。これらのことは、古くから「養生訓」や「食養法」として尊ばれてきた事柄であったが、現代人は余りにも物質的な欲に疾(はし)り過ぎた為、多忙にかまけて、これらの基本的なことを忘れてしまったのである。その酬(むく)いが、いま「生活習慣病」となって、人間に逆襲を始めたのである。

 自然界に対する「水」の考え方や、「食」に対する考え方を、現代人は改めて再認識する必要があろう。つまり、自然に即した生活環境を取り戻すことである。

 その為には「水」を考え、化学物質を含んだ水を体内に取り込まないように注意を払うべきで、また不自然な水の組成からなる食品も、体内には取り込むべきでないだろう。

 人間には、「肝臓」と言う濾過機能を持った卓(すぐ)れた器官があると言う医学者がいるが、肝臓のグリコーゲンの合成や貯蔵や分解、血糖分泌、血漿蛋白などの合成、解毒作用、また胆汁の生成と分泌など中間代謝の中枢的役割を果すこの臟噐は、肝臓が正常である状態にあってこそ、こうした働きをするのであって、肝臓の炎症性疾患やガン状態にあっては、全く解毒作用などが行わず、一切の濾過機能は無効なのである。
 したがって、「毒」は人体に取り込むべきものではない。

 さて、「水」を考えてみて、今までの悪いと思われる水を、良い水に代え、それを飲用したとしても、それだけで翌日から体調がガラッと変ってしまうようなことはない。体調が変る良い結果が出るには、長時間を要するからである。したがって、良い水に代えたところで、急に良くならないのが自然である。

 これと同じことは、薬剤等にも言えることである。もし、ある薬剤を飲用したり、注射などで体内に取り込んだ場合、これにより急にガラッと変ってしまうようなことが起これば、むしろ副作用の方を心配しなければならない。これは非常に恐ろしいことなのである。急激に変化を齎す薬剤は、副作用の恐ろしさを懸念しなければならない。

 現代人はこうした自然の摂理を一切無視して、速効性がある薬を、薬と思い込み、これに頼る傾向が大きいが、実はこれは非常の恐ろしい考え方なのである。

 子供の成長にしても、子供が一日で大人になるようなことはあり得ない。しかし、「薬の速効性」を求める現代医学の考え方は、子供を一日にして、大人にしてしまうような思考で構築されている。

 また、植物を育てる場合も、近代農業には速効性肥料を用いての促成栽培法があるが、これは硫安や硫酸カリなどのように、効果の現れるのが早い肥料を大量に遣って、植物を育てるのである。しかし、この肥料で育った植物は、どこか不自然さがあるのは当たり前である。

 人間の躰(からだ)も、まさにこれと同じで、体躯(たいく)が急激に成長して大きくなり、早熟である子供の心身は、どこか不完全で、不自然であると言えよう。
 日本人は終戦直後の混乱の中で、発展途上国の国民として、欧米人の思考を真似し、欧米の文化が日本文化より一等も二等も高いものだと思い続けて来た経緯を持つ。それは西洋医学や、今日の科学一辺倒主義に回帰されるだろう。
 食文化にしても、終戦後の混乱の中から、日本人は体躯の小さな国民として馬鹿にされ、欧米人の彼等から鸚鵡(おおむ)返しのように「タンパク質が足りないよ」と言われ続けて来た。

 その結果、日本人は欧米人の真似をして、大量に肉を食べるようになった。また、この頃にアメリカから伝わって、日本で独自にアレンジされた現代栄養学が生まれ、この栄養学の食指針に遵(したが)い、「肉には良質のアミノ酸が豊富である」と嘯(うそぶ)かれ、「肉はスタミナの元」などの俚諺(りげん)までが生まれた。そして動蛋白を信仰する食文化が、日本人に信仰されるようになった。

 ところがこの信仰は、まさに速効性肥料のようなものを遣った、子供の促成栽培でしかなかった。この為に、子供は促成栽培の野菜のように短期間で大人並みに大きくなり、早熟になって、早くから性情報に敏感になって色事に耽り出し、子供の成人病までが出現するようになった。
 総て肉類や卵類を含む、速効性の動蛋白の仕業(しわざ)だった。こうした「速効性反応」に加担して、そんな風潮を作り出したマスコミの責任も、決して少ないものではないだろう。

 人間の躰と言うのは、太古の海水の成分比を備えた自然界の一部なのである。したがって、速効性を求めるような「造り変え」をしてはならないのである。自然の営みは、常に一定量の時間が必要であり、これを無視したり、無理を通しては行ってはいけないのである。これを無視したり、無理をした時に、体内のミネラルバランスは崩壊するのである。
戻る