精神障害と霊障
自我が潰れるとは
 人間は自我が潰れた場合、その行動は激しい鈍麻(どんま)が襲うようになる。全ての行動がのろまになり、その結果、こうした人は「怠け者」あるいは「横着者」に映る。こうした人に対して、世間様は「奮闘せよ」「諦めるな」「立ち上がれ」等と繰り返し、ファイト・コールをかけ、叱咤激励(しったげきれい)し続ける。

 ところが怠け者に映るこの人は、このファイト・コールを苦痛に感じるようになる。心の中では「もう止めてくれ!」と大声で叫ぶ状態が続く。そして自分を抑えて、ファイト・コールに渋々応えるのであるが、もうついていけない絶望感へと陥って行く。あるいは従わずに、新たな言い訳を用意するか、自己弁護をするという行動に出て、最後の自己防衛を試みる。

 精神分裂病の初期状態は、やたらと「言い訳が多い」のが特徴である。したがって「多弁」と映る。自己の人格を防衛する為に、空しい抵抗を繰り返えす。しかしやがて、自分の言い訳コールが通用しなくなった事を認識すると、今度は鬱病状態に入って、言われるままに聞き流すと言う行動が見られるようになる。
 こうした事が臨界点に達した場合、大小便を洩らし、拒食症(心因的背景による病的な症状で、思春期の女性に好発する神経性食思不振症(思春期やせ症)は極度の不食と高度のやせを主な徴候)もどきを演じて細やかな抵抗すら試みるのである。

 また、裏側には深層心理の中に劣等感が隠れていて、この事が言い訳の全人格を代表するようになる。この劣等感は、幼児期や少年少女期に形成されたもので、大脳皮質の前頭葉の未発達が、こうした劣等感を作り上げる。この前頭葉未発達こそ、精神分裂病を招いたもう一つの共犯者だったのである。

 「世間様」あるいは「世間様の目」が主犯であるとするならば、共犯者は「前頭葉未発達」であり、この未発達に導いた全責任は両親と言う事になる。父母いずれかの両親が、自分の子供の幼児期から少年少女期に掛けて、家庭教育を怠り、充分に躾(しつけ)をしなかったと言う事が、共犯の要因を作ってしまったのである。子供のこの時期に、親が放任主義であったり、自分自身が不倫に趨(はし)って、子供をほったらかしにしたり、放浪癖やギャンブル狂やアル中状態にある場合は、幼児期から少年少女期に掛けて親の行動を見て過ごす子供は、前頭葉の未発達のまま、思春期を迎え、これが精神分裂病の初期の発病になる事が少なくない。

 思春期から成人初期に於ては、前頭葉未発達が大きく精神分裂病と係(かか)わりを持つようになるから、以上の挙げたような親の後姿を満て育った子供は、人格形成の面において「拮抗」というバランスの取り方の意識が欠け落ちている。要するに左右のバランスを考え、それを復元させる為の拮抗をとる事が出来ないのである。左右いずれかに傾けば、傾いたままなのである。傾いたまま、沈んでしまうのだ。

 その結果、自分を破壊する行動を思いついたり、何か他のものに憑衣される事を希望し、二十歳前後の女子であれば、急に男関係にだらしなくなったり、同年代の男子であれば妄想が膨らんで、一時的に攻撃的になり、分けの分からぬ行動(躁状態)を起こすか、独り言をぶつぶつ言って、更に病気が進行すると、無気力になり、無目標になり、無目的になり、生きることに張り合いをなくし、その躰すら動かそうとしなくなる。

 呼びかけても、返事をしなかったり、無表情で無気力(欝状態)を押し通す。ここで「世間様の目」は、こうした生活リズムの狂った人を「怠け者」と呼び、あるいは「横着者」と呼ぶのである。
 そして「潰れた自我」は、心の中に大きなシコリを残し、これは次第に固い殻を作って強度を増していくのである。今日の精神病が治り難いのは、こうした背景が複雑に絡み合っているからである。
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