精神障害と霊障
人類に齎される病気は前葉頭と密接な関係がある
 我々人類は、外と内で二つの抗争が繰り広げられている。
 自分自身の内部にも、これと同じ事が始まっている。その兆候の一つとして、一部の先覚者らによって、物質や制度に依存することの愚かさが徐々に理解されはじめる一方、大衆を惑わす権威の持つ力がしだいに、最後の足掻きとして強力になって来て居る事である。やがてこうした権力は崩壊を辿るであろうが、今がその最後の足掻きとして強力さを増している。

 これまで知識と言うものは、権威筋に独占され、大衆のものではなかったがが、大衆が正しい認識を以て、目覚めれば、この世の中の構造が大きな矛盾によって創り出され、矛盾が相乗効果を果たして、物質至上主義的に資本主義が、発展して来たと言う事が解るであろう。矛盾があるからこそ資本主義が物を豊かにし、物質文明はこれによって発展して来たと言えるであろう。

 しかしここにきて、物質文明の発展も資本主義と共に翳(かげ)りが見え始めた事もまた事実である。そして知識は、大衆に何一つ恩恵を与える事は殆どなかった。我々が知識の恩恵と勘違いしているのは、単に権威筋が最初に咀嚼(そしゃく)し、食べ残した、使い捨てにされた残りカスを、微生物として底辺に位置する階層は、安易に食べさせられたに過ぎない。

 そこで、これに対し復活し始めたのが、古来より連綿と続いて来た智慧(ちえ)であり、この智慧(ちえ)こそが「歓喜かんぎ/心の底から大いに喜ぶこと)」の道だったのである。
 物質至上主義がが主体となった物質文明は、これまで余りにも外流的な刺戟に流されて、その虜(とりこ)になり、「自分」と言うものを見失って来た帰来がある。物質至上主義によって霊的神性は曇らされ、霊的波調は低下して、低級な外流ばかりに接し、ひたすら金銭至上主義に奔(はし)り、豊かで、便利で、快適であると言う事が、人生の最大の喜びであると思い込んで来た。

 ところがこうした喜びは、実は壊れ易い、砂上の楼閣(ろうかく)でしか過ぎなかったのである。ここに「自分」を見失った元凶がある。
 その為に「自己変革」することよりも、自分以外の金や物や色を追い掛けてしまったのである。そして自分と自分以外のものを色分けして垣根を作り、自他離別に意識を作り上げてしまったのである。

 これによって、お互いが人間であると言う一体感を持つ事が出来なくなり、お互いが共存協栄によって智慧を学び取り、智慧によって進化すると言う基本原理を軽視したのである。しかし人類はここにきて、自他同一意識を持たない限り「第二の知性」である前頭葉の発達を見る事が出来ず、最終進化に取り残されてしまうという時代に直面しているのである。

 まず、「自分とは何か」という事を探究し、自分の為に他人が居るのではなく、他人の為に自分が居ると言う、彼我(ひが)一体の心境が必要である。
 この自他一体に関する言葉は、古来より「入我我入」にゅうががにゅう/汝が我か、我が汝かの意味で、密教では、如来の身口意(しんくい)の三密が我に入り、我の身口意の三業が如来に入り、一切諸仏の功徳をわが身に具足すること指す)とか「衆生病むが故に我病む」等の言葉で表現されて来た。
 この言葉からすれば、自分と他人は一体であり、「自分にして欲しいように他人に尽くす」と言うことであり、ここに至って人類は亜人類から脱皮して、知性体として新しい進化を遂げる必要に迫られているのである。

 人間は、人類としてこの最高レベルの境地に至った時、本当の第二の知性体として脱皮出来たと言える。その第一歩が自分をじっくりと見詰め直す、「自己変革」なのである。

 前頭葉トレーニングのその一つであり、「自己変革」することを、機会ある事に訴えて来た。
 自己の大脳は、前頭葉を意識的に進化させるべき、努力を重ねるべきである。そして最早、爬虫類領域や哺乳類領域の支配を受ける事なく、自己変革するべきところまで発達しようとしているのである。

 いま、現代人には二つの選択が迫られている。それは都会と言う「分岐点」において、「世の中の正念場」を迎える時期に突入してしまったということである。
 今日の現代人を見てみますと、古来から伝わる精神性や民族性の敗退ぶりには、目を覆(おお)うばかりのものがある。

 特に、日本の未来を担うべき青少年層には、これが顕著に現れている。
 日本人は、敗戦後の経済復興の代償として、欧米主導型の民主主義と言う、一種の基本的人権を柱とするエゴイズムの形式を形作る民主主義を、何の疑いもなく採用してきた。自由と平等意識の中で、飽くなき個人主義を満喫し、それと引き換えに、遠い過去からの連綿として受け継いで来た伝統的価値観や、「心」の面の自他同根意識を失ってしまった。

 こうした現状は、悪神や悪霊側からすれば、願ってもない好機であり、日本人を骨抜きにする絶好のチャンスに遭遇したと言えよう。そして現状の環境と境遇が、若者層を中心として、墜落させることに見事に成功したのである。
 若者達の無気力を始めとする刹那主義は、日本中を覆わんばかりに勢いとなっている。日本中、どこへ行っても、食の乱れによる現象が見られ、都会での霊的翳(かげ)りは頂点に達しようとしている。これはいつ、天変地異等をもって、霊的浄化現象を起こしても、訝(おか)しくないという事を顕著に現した前兆と言えよう。
 
 現代人が二つに別れるとは、「影を好む」人達は、各自の持つ悪想念と悪因縁によって「兇(わる)いメグリ」に見舞われ、淘汰されると言う暗示を持ち、もう一つは、華やかで喧騒(けんそう)たる大都会に厭気(いやけ)がさして、必然的にここから離れ、自発的に自己非難する人達の、二つの層が見られると言うことである。

 現に、大都会である東京の霊的波動は、日増しに粗くなり、波調的には「粗なる部分」が目立ってきている。
 こうした自己の大脳の前頭葉に影響を与える、どす黒い翳(かげ)りは、個々の各々のレベルで伝わっているが、これを即座に感じて嫌う人と、こうしたどす黒い翳りを好み、あるいは華やかな夜の大都会の喧騒を好み、これに浮かれ騒ぐことに喜びを感じる人に分かれ始めたと言うことである。
 一方は、霊的波調の違いを感じてここから去る人と、もう一方は、こうした大都会の影の部分に心惹(ひ)かれ、やがては爬虫類脳のR領域のまま刹那的に突っ走って、淘汰される側に廻る人達である。精神障害者の増加が、この予兆を如実に物語っているのである。

 次の時代を担うのは、その時代を次ぐに相応しい新しい人類であり、成熟した霊長類として、人類初の、爬虫類的哺乳類的性質を制御した超次元の人類でなければならないであろう。
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