合気についての一問一答 1
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●質問
それに比べて大東流は、既に江戸幕末期に存在していて、これは旧会津藩が「公武合体政策」に基づき、公家や幕府要人の警護の為に、会津藩士や殿中側近の奥女中を当てたことにはじまります。 いずれも五百石以上の上級武士や良家の子女たちでした。そして、こうした彼等に指導したのが会津藩家老の西郷頼母(後の保科近悳/ほしなのりちか)でした。 大東流は基本柔術百十八箇条を始め、手解き四十八箇条に加えて、御信用之手三十六箇条、合気柔術中伝奥伝、合気之術秘伝で、約三万の技法から構成され、その作法は会津藩の殿中作法であった「御式内」(おしきうち/殿中作法)が加わり、殿中居合や剣術、更には杖術、棒術、槍術、薙刀術、拳法などが加わって、総合的な合気武術を構成しています。 合気道はその創始者が植芝盛平であり、植芝盛平は武田惣角から大東流を学び、教授代理を経て、その一部を簡単化し、戦後、合気道を創始しました。昭和三十年代に入ると、女性などから注目を浴び、合気道全盛時代を迎えることになります。 合気道は大東流に比べて技法が少なく、大東流が十三箇条までを基本柔術としているのに合気道は、第一教、第二教、第三教、第四教といった呼称で技法を簡単化しています。 また護身術しては、最も有効と思われる「眼潰し」などの危険な技を取り払い、セフティー合気道を目指しているため、本来の実戦護身術からは掛け離れたものになっています。安全であるということは、逆に護身術としては、それだけ効果が少なく、技法の次元が低いということになります。 また大東流には二つの流れがあり、西郷頼母の直伝の流れを組むものと、西郷頼母が明治期、霊山神社(福島県)の宮司をしている頃、ここに大東流(当時は大東流の流名はなく、会津御留流を名乗っていた)を学びに来ていたのが武田惣角でした。 やがて明治三十六年、大日本武徳会が設立されると、西郷頼母は当時の欧米列強を意識して「大いなる東」から、この流名を「大東流」と名付けました。 また惣角も、頼母にちなんで大東流を名乗り、彼は生涯、「大東流本部長」や「総務長」を名乗り、一度も「宗家」を名乗ったことはありませんでした。しかしいつの頃からか、その子息らは「第三十六代宗家」などを名乗り、西郷頼母の流れを組む大東流と、武田惣角の流れを組む大東流ができ、前者の大東流を「西郷派大東流」と呼んでいる訳です。 大東流幸道会や大東流琢磨会や大東流六方会などは、武田惣角の流れを汲んだ大東流で、西郷頼母の霊的神性を受け継いだ西郷派大東流合気武術とは、体系的に異なります。 また大東流の歴史においても、武田惣角を中興の祖とする大東流合気武道は、その源を、新羅三郎源義光を祖始としてはじまったとしていますが、これは歴史的根拠がありません。もともと時代は平安末期から続く戦国期であり、こうした戦時において、「素肌武術」は存在したということは考えられません。非日常において、甲冑を着けずに素肌のまま過ごすと言う事はあり得ず、戦時では甲冑を纏ったまま、生活を続けると言う事が部門の慣わしです。 これは西郷頼母が武田惣角に御墨付きを渡す際、女郎蜘蛛伝説と共に清和天皇伝説を捏造したものと思われます。一方に、相木森之助などの伝説もありますが、これらも全く歴史的根拠がありません。 そういう意味から、大東流と言うのは旧会津藩家老・西郷頼母が、当時の欧米列強を睨み、「東洋一優れた武術」という意味から「大いなる東(ひむがし)」の意味で、これを「大東流」と称したのでした。事実、大東流の流名は「御留流」と称されていた会津藩の江戸年間の歴史にも、その流名は登場してないのです。 西郷派大東流合気武術は、西郷頼母によって編纂された大東流を指しているのです。 |
●質問
この技法を江戸幕末期に編纂し、今日の西郷派大東流に作り上げたのが、旧会津藩家老・西郷頼母の霊的神性を受け継ぐ初代宗家の山下芳衛先生でした。そしてその後を継がれたのが、曽川和翁先生でした。 つまり西郷頼母は、筋力の養成を必要としない、これまでの中間(ちゅうげん)や足軽(あしがろ)の下級武士の筋力養成が必要であった柔道のような、「強力」の格闘をもって敵を倒すのではなく、一度この術を学んだ者は、誰にでもこれが遣えるという「合気柔術」並びに「合気之術」を編纂したのです。 したがって肉体的ハードと称される、重いバーベルを持ち挙げたり、胸筋運動などの鉄唖鈴を振り回す、筋トレの必要な無く、虚弱体質の方を含めて、老若男女を問わず、西郷派大東流が実戦護身術として学べるのです。 |
●質問 |
●質問
そしてその秘術が身につけば、咄嗟(とっさ)の場合の、あなたの命を護る強力な「切り札」となり、同時にそれが、自分を支える、生涯の人生の自信となります。 したがって他のスポーツ武道のように、練習を反復し、重いバーベルを持ち上げて、無駄な汗を流すというものではありません。また試合やゲームの中でのみ、力と力を衝突させて、無闇に技を競うものでもありません。 非日常の現実に遭遇した時の心がけとして、身を護る「術」を習うために道場生は尚道館に通っているのです。安易に日常生活を送っている人に、「切り札」の価値など、理解しようがなく、こうした人達は、世の中が如何に不穏になろうと、犯罪者で溢れようと、自分を常に無関係であり、強盗や強姦や殺傷事件には遭遇しないと安易に極め付けています。しかし現実社会はどうでしょうか。 秩序の乱れは地に落ち、人々のモラルは日増しに低下しているではありませんか。 水と安全はタダという神話的な感覚は、一日も早く捨てるべきです。 |
後ろ片手取り四方投げ
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●質問 実戦護身術とは、どういうものでしょうか。 お答え: あなたの家に強盗のような賊が押し入ったとします。 賊はカッター・ナイフのようなものを持ち、あなたにそれを突き付け、脅(おど)したとします。 賊のカッターナイフを見て、それで怯(ひる)んでしまえば、あなたは賊の為(な)すがままになる以外、他に方法はありません。動産的な財産は総(す)べて奪われ、もしあなたが若い女性なら、賊は「行き掛けの駄賃」としてあなたに、強姦に及ぶかもしれません。 しかし冷静さを失わず、現実の状況を、あるていど、把握できる心の余裕があると、賊の脅しや動きを、冷徹に観察することができます。 そうした心境で、あなたの周りを見回した場合、テーブルの上に、一個の湯呑茶碗が置かれていたとしましょう。あなたはこの時、どうしますか。 賊に湯呑茶碗を投げつけて、それだけで賊は退治できるでしょうか。投げつけた湯呑茶碗が、躱されればそれでおしまいです。賊は投げつけらたことに逆上し、腹を立て、さらに一層激しく迫るでしょう。 もしあなたが若い女性であれば、強姦は絶対に免れないでしょう。 この手の犯罪者は、金や物を奪った上に、「行きがけの駄賃」と称して、必ず強姦に及びます。 さてこのような場合、西郷派大東流合気武術では、まず、湯呑茶碗に目を向けます。 そしてこれから先が武術の「秘伝的」な処です。 賊が「金を出せ!」「言うことを聞け!」「命がないぞ!」あるいは「殺すぞ!」等と脅したとします。 あなたは臨機応変に、テーブルの前に置かれた湯呑茶碗をテーブルの角で叩き割り、その欠片(かけら)を握って応戦することができます。 そして躊躇(ちゅうちょ)する事なく、切りつける急所は賊の「眼」です。 眼に向かって茶碗の欠片で切りつけ、賊を怯(ひる)ませる必要があります。怯めば賊に隙(すき)ができ、同時に、賊自身がミスを冒したり、次の攻撃の手を戸惑うことも考えられます。 こうした僅かな瞬間が、あなたの反撃の唯一のチャンスとなります。 この場合、刃物を持った敵に対し、決して素手で応戦しないことです。 武器の怖さを知らない素人が、素手で立ち向かうことは非常に難しい事です。 これは犯人を素手で取り押さえようとして、柔道や剣道の高段者の警察官が、犯人に易々と刺されて殉職するという事件を見れば、如何に素手で戦う事が危険であるか分かるはずです。 最近では、K1の選手が、格闘技の心得もない、ナイフを持った未成年に刺されて、大怪我をしています。この事から、単に試合形式の格闘技と、命を遣り取りする武術の戦闘思想とは、全く異なっている事が分かります。 そして試合や喧嘩と、「実戦」とは根本的に違いと謂う事を知らなければなりません。 さて、人間が行うスポーツで、試合をしても死ぬ事はありません。多少激しく競うあっても、怪我はするでしょうが、死ぬ事はありません。 また喧嘩も「喧嘩」という文字から分かるように、「喧」は「口へん」あり、「嘩」も「口へん」です。つまり喧嘩は「口から始まる」ものなのです。喧嘩の場合、まず、目が絡み合い、「ガンをつけた」とイザコザが起こります。次に対峙した双方は、罵声の飛ばし合いを行います。こうして散々、口から出るものが出尽くして、次に手が出て行きます。凡(おおよ)そ、これが喧嘩のプロセスです。 ところが、実戦は命の遣り取りですから、こうした事は一切行われません。敵に気付かれなように近付き、目的を達成したら、直ぐさま証拠を残さずに引き上げると言うのが「実戦」です。つまり、無言の儘(まま)、隙(すき)を窺(うかが)って近付き、一気に叩き潰すのが実戦なのです。 実戦を経験すると、観察眼が鋭くなり、敵が何をしようとしているか、その心の意図を読み取れるようになります。また、敵の弱点は何かと言う、弱点箇所を逸早く見つける事が出来ます。したがって、隙を窺う事も鋭くなり、敵が精神的にも肉体的にも、絶頂である時を排して、隙の多い、油断している時に、一気に叩き潰すと謂う、「汐時」を会得する事が出来ます。 これが競技武道や格闘技と大いに違うところです。そして実戦には、審判員もおらず、また、ルールもありません。実戦は、優劣を競うい、競技(ゲーム)をする格闘ではないのです。 一方、柔道や剣道はスポーツ武道であり、格闘技とて、スポーツであることを忘れてはなりません。 スポーツのレベルでは、武器を持った敵に対し、不慣れな武技でしかなく、まして敵が複数で、袋叩きの無差別攻撃の場合、戦う術(すべ)を知りません。 そしてこうしたスポーツ武道は、一対一が試合でのルールであり、このルールに隨(したが)って練習をしている愛好者は、猛者(もさ)といえども、一人を相手にしているうちに、後ろから刺されてしまうのです。 西郷派大東流合気武術は咄嗟(とっさ)の場合、あるいは命が危険にさらされた場合、あらゆる場面を想定して、最も「信用のできる手」を指導するのです。 これが幕末期に、西郷頼母によって確立された「大東流御信用之手」です。 ちなみに「御信用之手」(ごしんようのて)とは、実戦にそのまま遣っても、敗れる事が無く、最も信用できる技法を顕(あら)わしているのです。 |