合気についての一問一答 2
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●質問 |
●質問
まず、西郷派大東流では「負けない境地」を確立して、それを「切り札」にします。「切り札」が「切り札」として通用するには、それを遣わないことであり、遣わないから敵には解らず、「切り札」が「シークレット」として通用します。 そして「切り札」を遣わなければそれが自分を支える自信となり、人生を積極的に生きる原動力となります。「切り札」は咄嗟の場合のみを除いて、遣わないから「切り札」となりえます。 秘密は秘密であるから価値があり、それを遣えば敵に研究され、やがては敗れる事になります。こういう意味で、西郷派大東流は剣道や柔道や空手のように試合をせず、また、強いか弱いかを計る強弱論に終始しないのです。 また弱肉強食の理論を掲げていませんから、「強い弱い」は修行者の段階で、全く必要ないことであり、多武道と戦ってこれに勝ちをおさめると言うのはあまり問題にしていません。 更に重要な事は、昨今の格闘技の中で、「史上最強(世界最強ともいうそうですが)」と豪語する格闘技がありますが、非常に不可解なことは、何をもって史上最強とするのか、その定義がハッキリしていないと言うことです。 ただゴングとともに始まってリングの中で闘い、その優劣を競うと言うのであれば、ではその基準が変り、試合時間もなく、観客も一人もいず、場所の限定もなく、ルールすらなく、こうした展開の中で、果たして、こう豪語する格闘技が絶対に強いと言えるのでしょうか。 こうした格闘技を愛好する選手も、厳寒な冬山に「マタギ」と言われる職業の人と、山に入り、恐らく30分も経たないうちに道に巻かれ、以後、凍死する可能性すら否めなくなります。 武術や武道にはそれぞれに長所と短所があり、どれを挙げても、欠点のないものはありません。したがって欠点に目を向けるのではなく、その長所に目を向け、学ぶべきものは学と言う、謙虚な心が必要です。 他武術や他武道を譏(そし)ったり、欠点ばかりを見て、実戦に使い物にはならないと一蹴するのは、宝を溝(どぶ)に捨てるようなものです。 「他は全て、みな先生」という心構えで、自分の信奉する武道や格闘技に入れ込むだけでなく、他の技などを研究して、いいものは取り入れて、悪いものは除去して行くと言う、こうした謙虚な研究心が必要です。 西郷派大東流合気武術では、こうした精神を「礼儀」といい、その謙虚な実践者を、「礼儀正しい人」と褒め讃えているのです。 |
●質問
書籍やビデオの著者は、当流の宗家であらせられる曽川和翁先生の著作によるもので、代表的なものとしては『大東流合気之術』『大東流合気の秘訣』『大東流合気二刀剣』(いずれも愛隆堂)、『大東流秘伝大鑑』(八幡書店)、ビデオとしては『大東流合気武術』『大東流講習会セミナー』『大東流AtoZ』第一巻から第五巻、『合気行法(合気完成90日ビデオ・バージョン)』(いずれもBAB出版)、そして既に十年前に絶版になってしまいましたが、『大東流合気武術』第一巻から第四巻(愛隆堂)、『合気完成90日』(BAB出版)、『八門人相事典』(学研)などがあり、これらは今では東京神田の古本街でしか見られません。 また最近の著書としては、『大東流合気之術』(愛隆堂)、『合気の秘訣』(愛隆堂)、『大東流入身投げ』(愛隆堂)などがあり、特に『合気の秘訣』はイングリッシュ・バージョンとして併用されているため、外国の方にも、好評を博しています。 更に、西郷派大東流合気武術の専門誌を出版している綱武出版では、曽川和翁先生が五十有余年の中で教わった様々な合気に関する事柄や、曽川先生ご自身の体験談が書かれ、現在第一巻から第十一巻までが発刊されています。 |
●質問 |
●質問
西郷派大東流は先手を取るために、自ら進んで攻撃をし掛ける武術ではありません。相手の出方に応じて変化し、常に相手の力の先端に自分の動きを重ね合せることから始まります。そしてこれは護身術としての要素が強く、これが咄嗟の事件に遭遇すると、実戦護身術になって我が身を護る事が出来るのです。 そして直線運動は円運動することによって取り込まれ、相手は術者の「捌き」と「掛け」によって吸収されてしまい、力任せの相手の「剛力」は円の軌道に回帰され、その力は無効になります。 |