尚道館女子部 3



●強盗や強姦等の不慮の事故に数遇した場合、あなたはどうしますか?

 「護身」とは、不法な暴力から身を護るだけではなく、その他の危険に対しても、「自らの生命の安全」をかはることを意味します。
 私たちの身の周りには、いろいろな危険が取り巻いています。
 もし、自分の生命の危険に直面した場合、直ちにそれを制し、そこから脱出する「術」を身に付けておかねばなりません。

 この「術」をマスターしておくのと、そうでないのとは、結果的に大きな差が出て来ます。
 しかし多くの若い女性は、自分は特別であり、こうした「危険な局面」には遭遇しないと、安易な考えを抱いています。
 現在、多くの若い女性が抱く認識とは、この程度の軽いものであり、悲劇とは、実はこうした安易な考えから起るものなのです。

 ストーカーにつけ狙われるのも、「自分は特別であり、こうした事件には遭遇しない」と、安易に、高を括(くく)っていた女性に発生しています。つまり、「隙(すき)がある」からです。狙われるだけの、自分にも責任があり、隙があるからです。

 そして、警察庁の犯罪白書によりますと、ストーカー被害は年々増え続け、その被害者も増大しています。日々悪化する世情の不安に対し、また、増加する青少年の凶悪犯罪に対し、警察の防犯対策や、犯罪阻止の為の具体的な極め手は、現在のところ、皆無であると言うのが、今日の司法並びに行政機関の実情なのです。

 また万一、あなたが想像もしない、強盗や追剥(おいはぎ)に遭遇したらどうしますか。ホールドアップして、身包み剥がれますか。それとも抵抗して、犯罪を阻止しますか。
 戦後の日本の教育は、一貫して「平和主義」を唱えた平和教育でした。暴力を受けそうになったら、「無抵抗で居なさい」と教えられました。
 いま考えてみると、この「無抵抗」は、実際に正しかったのでしょうか。

 もし、あなたが不運にも、強盗に遭遇したとします。
 この時、強盗の命ずる儘(まま)に、あなたは総て強盗犯に、何もかも差し出しますか。あるいは、強盗犯のされるが儘に、無抵抗に徹しますか。

 例えば、街角の路地裏で、不運にも強盗に出会った場合のことを考えて下さい。
 この時、激しく抵抗する人と、全く無抵抗に徹する人がいます。結果は、どうなるでしょうか。
 もし、無抵抗な人を見て、無抵抗に強盗は感激するでしょうか。感激のあまり、何も奪わずに引き揚げて行くでしょうか。
 日本に於いて、あるいは世界に於て、強盗や、ホールドアップ犯が、無抵抗な人を見て、感激し、何も奪わずに引き揚げたと言う話は、一度も聞いた事がありません。

 むしろ、この場合、抵抗した方が正しいのです。暴力に屈する等、以ての外です。
 しかし、抵抗するには、それなりの準備と心構えを、普段から「百年兵を練る」意気込みで、修練しておかなければなりません。
 確かに激しく抵抗すれば、強盗に傷つけられる危険性はあります。しかし、ナイフで脅され、その時に、多少は「刺される」「切られる」と覚悟してかかれば、逆に、強盗に犯罪を断念させ、何も奪われなかったと言う実例の方が遥(はる)かに多いのです。

 ただ、その為には、日頃から準備をしておかなければなりません。万一の事を考えて、反撃出来る体勢をつくっておく事が必要なのです。
 女性が、暴漢の群れに取り囲まれたりすると、まず、「混乱が生じ」、次に「頭がボーッ」となります。恐怖に直面すると、女性に限らず、男性でも咽喉(のど)の筋肉が極度に縮まり、同時に血行不良となって、頭部に血液が流れなくなります。心理的な、心因性の恐怖がこうした状態を引き起こします。普段から、修練しておかないと、直ぐにこうした状態に陥り、仮に防犯グッズや護身グッズを携帯していても、全く使わず仕舞いに終ってしまいます。

 こうした場合、多くの女性の心因的な心理状態を探りますと、まず、恐怖と共に眼が吊り上がります。次に顔が引き攣(つ)れ、その一部に痙攣(けいれん)が起ります。
 その心理状態は、怖い、引き攣れる、だからブルブルと震えるという状態になり、これを犯人側から即座に読まれてしまうのです。
 もはや、こうなってしまうと、犯人の思う壷であり、身包み剥(は)がれてしまいます。

 強姦の場合も同じです。激しく抵抗する事が、唯一の危険回避となります。殺されずに済むからです。
 また、女性の場合、一旦股を閉じてしまえば、どんなに強力の男でも、二人掛かりでも、女性の股(また)を開く事は出来ません。危機意識として、女性には、こうした不思議な力が潜在的に備わっています。ただ、潜在意識を動かす訓練をしておかないと、直ぐにこじ開けられてしまいます。

 もし、あなたが、誰とでも寝る尻軽女ではなく、自分の操(みさお)は、固く守りたいと切に考えているのでしたら、是非抵抗する事を御薦めします。不運にも強姦され、その後の事を考えますと、強姦犯人は、貌(かお)を覚えられたという理由で、次は「殺す」という犯行に及ぶからです。殺されたくなかったら、多少、傷付いても激しく抵抗する事です。命あっての物種です。何事も命があっての上のことです。殺されて、死んでしまえばおしまいです。

 また、殺されてしまえば、何とも納得のいかない、あなたの無惨な人生に、決着を着けることがで切るでしょうか。あなたのこれまで生きた人生を振り返って御覧なさい。殺されれば、殺され損ではありませんか。

 その為にも、日頃から「百年兵を練る」意気込みで、修練しておかなければなりません。
 また、こうした努力は、病気予防や健康増進にも役に立ち、単に健康であると言うだけではなく、その健康は、実は、自分の命を護る「護身」にも役に立っているという事になるのです。
 単にエアロビクスの、軽体操・リズム体操・ジョギング・水泳・サイクリングなどの、持続的に酸素を摂取しながら行う運動であれば、健康には多少役に立つでしょうが、「護身」の面が総(すべ)て抜け落ちています。

 西郷派大東流合気武術も、エアロビクス同様、無理な「力む」という、筋肉強化の為の筋肉トレーニングをしませんので、心臓と血管の強化を目的とする有酸素運動と同じ効果が得られます。また、「内筋(ないきん)」を使う為、普段使わない、骨に接近した筋肉を使い、この部分に快い刺戟(しげき)を与えます。
 護身の意味もかねて、有酸素運動の効果も得られますので、同時に二つの事を、武術の「技」を通じて行っていることになります。



●真の美しさは健康から

 では真当の美しさは、一体どこから生まれるのでしょうか。
 それは第一が「健康」からです。健康なくして「美」は得られません。
 西郷派大東流合気武術は、既に述べたように、健康な躰を造るのに、無理なく実践できる最も適した武術です。
 経絡に順応して、気血の運行を順調に促し、普段遣わない筋肉や関節を動かし、ツボを刺激することによって、今まで鬱血(うっけつ)状態となって滞っていた、血の順環を促進させる。
 したがって西郷派大東流合気武術の修行は、即、血液の順環を促進させ、内臓を健全に働かせる要因を作り出します。

 一般に、三内臓と呼ばれる、腎臓、肝臓、心臓のそれぞれは、西郷派大東流合気武術の修行によって、きわめて丈夫にする事が出来ます。
 そしてそれは、咄嗟(とっさ)の場合の護身術にも繋がりますから、中肉中背の中庸(ちゅうよう)を保ちながら、これが無理なく、ハードな筋肉トレーニングに頼らなくても、容易に達成できるということは、他のスポーツや競技武道を探しても、これに勝るものは一切見当たりません。健康美が養われ、中肉中背の中庸の体型が維持でき、然も、同時に護身術にもなるというのが西郷派大東流合気武術の特長なのです。

 柔道のように躰を重くして、試合などで投げられないようにしなくてはならないという、アンコ型力士のように肥満体にもなりませんし、空手のように手や手頸を痛めて、打撲傷になるという、怪我の状態にもなりません。
 その上、西郷派大東流合気武術の修行は、同時に旧会津藩の殿中作法である、「御式内(おしきうち)」という礼法が加わっているため、「姿勢」について厳しく指摘し、起居振る舞いも、武家の作法に合わせて進行しますので、まずは姿勢を正すことから始まります。

 姿勢を正すということは、健康にも繋がり、これは普段の生活にも大いに役立ちます。
 現代の女性達は、戦後の民主主義下で、欧米の脚を折曲げないリラックスした生活様式を、誤って模倣し、日本人の生活様式は、誤った方向に偏ってしまいました。その最たるものが、テーブルや椅子を中心とした生活スタイルです。

 また椅子生活の普及は、脚長と長身を日本人に齎(もたら)したと言いますが、その根拠は学説に基づいた明確なものでなく、あくまでも現代栄養学が作り出した、学問上の誤った仮説に過ぎません。こうした仮説を信じた、現代の若い女性達は、これに入れ上げ、これを模倣して、こうした生活スタイルを当然のように考えていますが、こうした生活スタイルが、欧米食一辺倒の食生活をつくり、その一方で難病・奇病に追いやっている現実も、また事実であることを忘れてはなりません。

 生活様式の変化によって、欧米外人のように、化粧法もそれに併せ、変化を究め、結局、日本的なものは無視され続ける結果を招いています。そして心までが、欧米のそれに追随する形になり、日本の良きものまでが失う結果を招いているのです。
 この点、総ての日本的なものを否定したがる、若い女性の皆さんに能(よ)く考えて貰いたいと思う次第です。

 その意味で、一日の終りに5分か10分は、正座(静坐)するという習慣を身に付けて貰いたいものです。
 正座をするということは、背筋を腰骨に、垂直に立てるという働きがあると同時に、単に歪んだ姿勢(猫背のような前屈姿勢)を正すばかりでなく、心に落ち着きをとり戻させ、今日一日の反省を与え、明日へ向かって強靭な忍耐力を養わせてくれます。そして、そこから物事を正しく見抜き、正しく判断する力を養成するのです。

 さて、人間の脳は「第二の貌(かお)」と言われていることを、ご存じでしょうか。
 人間の貌は、実は脳が造り出したものだったのです。幾ら貌の表皮に、ベタベタと化粧を施して見ても、頭が「からっぽ」では、その美しく装った姿は、ますます醜さを増すばかりです。巧妙に化粧された化粧術に長(た)けていても、やがてはバケの皮が剥がれます。

 無脳は眼の威力を衰えさせ、口の締まりを失しなわさせます。教養のない女性と長年付き合っていれば、その話題の内容のレベルの低さに、嫌気が差してくるものです。
 女性が美しいと感じる瞬間は、常に聞き上手で、人の話を能(よ)く聞けるある一定レベルの教養があり、それに適切な相槌(あいつち)を打っている時機(とき)の、まさに、その時の「仕種(しぐさ)」なのです。こうした仕種に欠けている女性は、やがて見向きもされなくなります。

 人間はたとえ、美男美女でなくても、脳のトレーニング次第で、貌(かお)の構造を知的に変える事が出来、教養を身に着けた人は、それに相応しい教養美というものが溢れ出てくるものです。いわゆる知的美人なるものが誕生します。

 女性は、貌(かお)やスタイルがいいということを、第一課題として人生を生きているようですが、これだけで美しいとは言い難いものがあります。真の健康美は、自分自身の裡側にあって、心身が健康であって、はじめて「美しい」と言えるのです。

 西郷派大東流合気武術の「合気」というのは、相手の力を利用し、その力に合わせて順応するのですから、その根本精神は「合わせる」という「和の精神」にあり、「和」という心の余裕が、実は、人間の心を素直にし、何事にも怯(ひる)まない勇気を与えているのです。
 調和こそ、人間の掲げる人生の最大のテーマであり、これを失えば崩壊に至ります。

 そして物事においては、冷徹な判断力を養わせる明確な結果を生み出しているのです。
 こういった精神状態が心に余裕をつくり、この余裕が、日々の日常生活を和(なご)やかにし、人生を愉快にしているのです。愉快に、しかも日々を和やかに送るという生活スタイルは、人生を豊かにして、張りの或る生活を約束します。女性の真当の美しさは、健康な躰を造る上で、こうした心の余裕が源泉になっているということを忘れてはなりません。

 このホームページを見られた女性の皆さん。大東流や合気道に興味を持たれている女性の皆さん。
 何か、不明な点や質問がありましたら、ご遠慮なく総本部・尚道館の広報部へ電話でも、メールでも、構いませんから、お気軽にお問い合わせ下さい。

 電話:西郷派大東流合気武術総本部・尚道館 093-962-7710(代表)
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