尚道館の歴史 3



『大東流合気武術』Part1

平成2年(1990)3月……進龍一師範が『大東流合気武術』(愛隆堂)を出版する。
 各方面から大反響を呼んだ貴重な一冊であった。

平尾台の鍾乳洞見学に訪れた平成2年の夏季セミナー合宿の講習会員達。平尾台鍾乳洞入口で。
 同年8月……総本部道場「尚道館」に於て、第一回西郷派大東流合気武術夏季合宿セミナーを開催する。各地より40名が集まる。
二人捕りを行う曽川和翁宗家。
(八幡西・黒崎道場にて)

 同年9月……曽川和翁先生が西郷派大東流合気武術の儀法(ぎほう)普及のため、関東方面で指導を開始する。空手道場や合気道関係者から指導の依頼がり、その指導に当たる。

 同年10月……国際剛柔流空手道七段・金澤龍司先生が入門し、傘下団体「金澤会」を結成する。



平成3年(1991)1月……空手道東洋館館長・高橋信壹先生が入門する。

 同年1月……関東方面講習会(1月20日、於て東京都墨田区体育館)を開催。参加団体は習志野・綱武館、国際大東流合気武術連盟・東京支部、大東流神氣会、大東流玄気会、大東流玄修会廣瀬道場の五団体が参加。

ビデオ『大東流合気武術』
空前の大ヒットとなる。

 また同日、BAB出版より曽川和翁宗家を中心とするビデオ『大東流合気武術』が発売される。
 当時、爆発的な売れ行きを記録した。1本のビデオ発売で、これほど売れたのは、当時としては驚異的な記録であった。

山稽古における大東流剣術。菅生の滝のお滝場近くでの剣術の稽古。

 同年2月……BAB出版主催の西郷派大東流合気武術セミナー(2月17日)が、日本武道館において開催される。全国各地から多数の武道家(大東流北海道、八光流柔術、剛柔流空手道、和同流空手道、関東合気会、養神館合気道などの有段者)が集まり、盛会のうちに終了する。参加人員56名。

 同年2月……26日、大河劇画『現代柔侠伝』の劇画作家で画家である、バロン吉元先生と会見し、武道談義を展開させる。

当時の演武会の模様を修めたBABビデオの『西郷派大東流合気武術演武会』

平成3年当時の尚道館における稽古風景。

 同年3月……23日、習志野市民会館において「西郷派大東流合気武術演武会」を開催する。

説明演武をする曽川宗家。(習志野市民会館にて)

大東流の儀法について語る曽川宗家。

 同年4月……7日、文京区スポーツセンターで「第二回西郷派大東流合気武術講習会」を開催する。全国各地から多数の武道家が集まり、盛会のうちに終了する。

セミナー参加者と尚道館玄関前で。

行軍中の鱒淵ダムの藤棚で。

福岡県最高峰の福智山山頂で(標高900.6m)

 同年8月……総本部道場「尚道館」に於て、第二回西郷派大東流合気武術夏季合宿セミナーを開催する。各地より41名が集まる。

自悠学園乗馬クラブ(北九州市八幡西区)で大東流馬術の乗馬体験(基本乗馬と駆け足練習)

西郷派大東流馬術の基本稽古として、全員が並足と早足の稽古体験をした。

『大東流合気武術』Part2

 同年9月……株式会社愛隆堂より、『大東流合気武術2』を出版する。著者、進龍一師範。

『大東流合気武術AtoZ』第一巻〜第三巻
 同年10月……BAB出版より『大東流合気武術AtoZ』第一巻より第三巻までが発売される。
 同年11月……習志野市に於て、深夜「金槌事件」発生。首謀者と看做された曽川和翁宗家が習志野警察署に逮捕される。
 その後、事件調査の結果、正統防衛が認められ無罪となる。
 理由は、習志野の鼻つまみとして、常々から嫌がられていた街のゴミを一掃した為だった。これが切っ掛けで、曽川和翁宗家は習志野市福祉事務所と習志野警察署より、永久退去を請われることになる。
 その後、八光流柔術皆伝師範・松永猛氏の神武館(愛知県豊橋市)に移転する事になる。
『大東流合気武術AtoZ』第四巻〜第五巻
 同年11月……BAB出版より『大東流合気武術AtoZ』第四巻より第五巻までが発売される。

 同年12月……31日、総本部道場「尚道館」に於て、第一回西郷派大東流合気武術冬季合宿セミナーを開催する。参加者22名。